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僕は僕の書いた小説を知らない  作者: Q7/喜友名トト


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21/35

8/25 ままならねぇもんさ

8/25 金曜日 PM9:05


『引継ぎ』のカレンダーによると、今日は休んでもいい日だ。というか、ここ最近の俺は二週間に四日は休むというマイルールを破っているようである。


先月まではきっちり二週間に四日休んだ形跡があるのに、何故か8月の俺はすでに三週間もぶっ続けで仕事をしている。なんでだろう。ここしばらく小説に苦労してたみたいだからそのせいかもしれない。


ちなみに、そんな八月のなかでも今日の俺が休むと決めたのは、午前中に知り合いらしき人物からLINEが来ていたからだ。


〈今日暇だったら夜、ご飯食べにいかない? この前話してたマーボー豆腐、食べてみたいんだー〉


よい誘い方である。ダメなヤツは「暇?」と聞いてきてこっちが答えてからじゃあ〇〇しよう、とか言ってくる。それだと断る理由がなくなってしまうではないか。


いつ、どこで、誰と、なにを、どうするのか。5W1Hを守った誘い方をしてくるこの人は、『引継ぎ』や小説からイメージしていた通り、わりと好感が持てそうな人物だった。


 そんなわけで今、俺は翼さんと中華メインの居酒屋『猫猫飯店』に来ていた。この前話してたかは当然覚えていないが、俺が麻婆豆腐の話をしたとすると、ここしかない。


え、あそこ行きたいのかマジか、と思ったし、猫猫飯店はある特性を持っており、それゆえ俺は女とこの店に来たことはないし、誘おうと思ったこともない。けど、何故か、まあいいか、と思えた。


「おー……ほんとに、すごいね。このお店」

「すげーだろ。あそこの暖簾あんじゃん。昔は白かったんだってよ」


 対面の席に座る翼さんは、店内のあまりの様子に驚いていた。まず、一言でいえば古い。そして見た感じ汚い。なんかの番組で汚い定食屋を紹介するコーナーがあったけど、余裕でそれに出られるレベルだ。


 不潔なわけではないのだが、年季が入りすぎているのであちこち煤汚れで黒いし、奥の席のほうは椅子もガタついている。


 そんなわけで、とても女性を連れてくるようなお店ではない。俺はこの店が好きなので、ドン引きされたくないし、わざわざ相手の女に不快な思いをさせることもないしな。


 しかし、この翼さん。


「でもなんか雰囲気あっていいねぇ。さっきの店員さんも、なんかカンフー映画の人っぽかったし! 美味しいといいなー」


 存外に、ノリノリである。


店の様子に驚いてはいたが、それは嫌悪感を伴うものではなく、なんだか目を輝かせて楽しそうだ。彼女も客商売をしているとのことだが、それで寛容だったりするのか、それとも彼女自身の特徴なのかは知らない。


「味は旨いぞ。味はな。見た目はちょっとアレだけど」

「アレ?」

「雑」

「あふれる本場感だね」


 彼女は続けて、ホワチャアネイチョワリンフンホー、みたいななにやら中国語らしき言葉を発した。イントネーションとか四声の使い方とか、めっちゃそれっぽい。


「上手いね。中国語喋れんの?」

「ううん。てきとう」

「そのジェスチャーはなに?」

「ん? かんふー!」

「それは下手だな。痙攣してるみてぇ」

「ひどい」


 俺は彼女のわけのわからないノリに笑ってしまった。昼間読んだ小説に出てきたキャラクターは確かに、この人をモデルにしてるとわかる。なかなかの筆力じゃん俺。


「気を取り直して、食べよ」

「おう。なに頼んでもいいが、俺は麻婆豆腐と回鍋肉だけは絶対食うからな」


 と、いうわけでガンガン注文する。


 俺たちは、次々に運ばれてくる中華料理にはしゃいだ。


「これ、ほんとに美味しいね。どうやって作ってるのかな。豆板醤が違うとか?」


 さすがはパティシエール見習いとうか、調理関係の職を志す人らしく、目の付け所が俺とは少し違う。感心しつつも、俺は答えた。


「ピーシェン豆板醤使ってるからコクが違うのさ! それから花椒、これは四川四千年の歴史が生み出した最強に薫り高い山椒。あと、鍋を振るときには三倍木の葉落としっていう独特の技を使っていて、それは廬山の仙人が生み出したというあの」


「それほんと?」

「いや適当」

「もー」


 決まってんだろ。知らねーよそんなこと。けど旨いのは間違いない。


 そんな料理たちを食べる翼さんは、次々と表情が変わって面白かった。麻婆を含んだとたん驚いて口を押え、感激したかと思えば、水餃子を噛み締めて、しみじみと満足そうに頷いたり。


 だからなのか、時々辛すぎるここの麻婆豆腐も、気が付くと綺麗になくなっていた。

 最後にはデザートまで食べて、俺たちは店を後にする。


 駅まで歩く道のり。俺の家とカフェ『BLUE』の最寄り駅は同じだが、翼さんの家はそこから三駅離れたところで、『猫猫飯店』はその中間にある。たいした距離でもないので、タクシーを使ってもいいかも、と思ったが、俺は歩きたかった。


 月や星が綺麗だったり、風が気持ちいいわけでもない、曇りの空の熱帯夜に商店街を歩く俺。


 翼さんは、そんな俺の数歩前を踊るような足取りで歩いていた。酔っているのか、なんか意味不明な鼻歌も歌っているが、どうせそれも適当なんだろう。俺はボイスパーカッションでも合わせてみようかと思ったが、多分下手なのでやっぱりやめておいた。


「最後に食べた杏仁豆腐がねぇ」


 不意に、翼さんが振り返った。俺は、ポケットに手を入れて、ダラダラ歩きながら答える。


「ああ」


「あれさ、なんか食べたことのない味だった。なんていうか、アプリコットの味が強烈で、でも柔らかくて、スッキリしてるのに美味しい後味は残っててさ。美味しかった」


 アプリコットってなんだっけ。とポンコツな頭を検索する。アプリコット・ブランデーってあったな、そういえば。あんずのことだっけ。あー、杏子な。ああそうか。考えたことなかったけど、杏仁豆腐って杏子が入ってんのか、そりゃそうだ。


 きっと、製菓の世界では一般的な用語なんだろうな。アプリコット。


「へぇ。翼さんが言うんならホントに旨いんだろうな。俺は食ったことないけど」

「一口あげるっていったのに」

「飲んでるときは甘いものはあんまり食べねぇんだよ」


 間接キスを気にする童貞みたいなそぶりをみせたくなかったんだよ。


「で、杏仁豆腐がなんだって?」


「ん。ホントに食べたことがない感じで、ああいう感じ、作れないかなぁって思ってた」

「へぇ」


 俺は、あっさりした返事をしたけど、彼女に感心していた。糞暑い八月の空気を一瞬忘れてしまうくらいには。


「アプリコットのタルトとかって、難しいんだよね。ツンツンした感じの味になるから」

「へー」

「ああいう感じに風味が出せたら、美味しいのが出来ると思って」

「……へぇ」


 そういう風に考えるもんか。


俺にとっては今日は初めて会ってメシを食っただけの美人な女性。仕事のことは情報としてしか知らない彼女がそんなことを言ったのに、俺は意外と驚かなかった。なんとなく、しっくりとくる。


「へえ、ばっかり」


 翼さんは足を止め、前かがみになって俺を見上げた。


「いや、真面目に聞いてるぞ」

「ふふ。知ってる」


 なにか面白かったか今。


 俺が困惑していると、翼さんは一度、んー、と声を出してのびをして、星の出ていない空を見て言った。


「そいで、食べた味を思いだしつつ、試作品を作ってみようと思ったりしたよ」


 試作品というのがタルトなのかケーキなのかは知らない。でもきっとそれは明日以降作るんだろう。なんどか失敗したり、やり直したり、それで目指す味に近づくのだろう。


それが分かった俺は、すぐに相槌が打てなかった。でもなんとか絞り出す。


「……へえ」

「またー?」

「……いや。そういうのって、いいんじゃねぇの、って思った。わりとマジで」


 何故だか、泣きそうになった。でも、実際には涙を流したりはしない。俺はタフガイだし、こんなことでそんな反応をしたらどう考えてもおかしい。だから、横を向いて、軽く洟をかむふりをしてから続けた。


「そんな感じで、経験とか挑戦を繰りかえした料理人とか菓子作る人とか、大工さんとかもか。まあ、いろんな人が、もっといいものを作ってくんだろ。いいことだよな」


 翼さんはそんな俺をみて、柔らかく笑った。


「ありがと。でもきっと、そんなに特別なことじゃないよね。みんな、そうだと思うな」


 みんな? それは物作りをしている人のみならず、サラリーマンや公務員や学生や専業主婦も、ってことだろうか。


「そうか? 極端な話、ニートの人とかは別になにも生み出しゃしねーだろ」


「そうかなぁ。だってさ。生きてると、毎日いろんなことしたり、いろんなこと考えたりするでしょ。美味しいもの食べたり、誰かと付き合ったり、別れたり、面白い漫画読んだり。そういうのが繋がって、積み重なって、そいで……こう、なんていうか、こう、生きてる! 的な。そういう感じだよね」



 彼女の発した言葉。やたらと指示語が多くて、上手く言えてなくて、でも、言わんとしていることは分かる気がした。人はきっと、昨日までを引き継いで、今日を生きて、明日に残して生きていく。ニートの人だって、たとえ他人には見えにくくても日々考えていることや想うことがあって、それがその人を形作っていくんだろう。


 だけど。


『生きていると』。彼女はそう言った。


そうすると、俺は、死んでるんじゃないのか。俺は今日初めて食べたあの店のチンジャオロースの味も忘れてしまう。書き残すことは出来るけど、味覚としても、食べた時の衝撃としても残らない。だから、明日に繋がりはしない。


「アキラくんだって、そうだよ」


 まるで、今思っていたことが悟られてしまったかのようなタイミングだった。


 いつのまにか前ではなく隣を歩いていた彼女は少しだけ歩みを遅くして、はにかむようにしてそう呟いた。そして、一度頷いてからさらに言葉を重ねる。


「うん。そうだと思う」


 穏やかで温かい、祈りに似た響きに聞こえた。それは俺の錯覚なのかもしれないが、俺の感情をウェットにするには充分で、だから隣にいる彼女の顔が見られなかった。だから前を向いたままでいる。


「……まあ、俺は一応小説家だからな。そりゃ、毎日が取材と構想の日々ってやつよ」


 思っていもいないことを口に出す。


「そ、そうだよね」


 おう、と答えた俺はこの話題を切り上げることにした。少しの間が空き、俺は中華を食ってる時から聞こうと思っていた質問を思い出す。


「そういえばさ、翼さんって彼氏いんの?」

「え。いないよ。なんで?」


 彼女は顔の前で手を振って、頬を赤らめた。暑いね、と小さく呟いてもいる。


「いや。もしそうだったらメシとか誘うのもどうかと思ってさ」

「あ、そういうこと。大丈夫だよ」

「華の二十代なのにな」

「アキラくんって、ときどきオジサンみたい。……でも、好きな人はいるよ」


 まじで、と横を向くと彼女は目を伏せ、俯いていた。悲しんでいる、という感じではなく、どこか幸せそうに見えた。大事な想いを確認している、という感じかもしれない。


 好きな人、っていう単語久しぶりに聞いた気がする。大人になると使わないもんな、それ。

 それにしてもこれは、ラブコメでいうところのアレか。それは実はお前のことだよ、気づけよ! というパターンか、と一瞬だけ思って体を固くした俺だったが。


「一年くらい前に振られちゃって、だから今はずっと片思いなんだけどね」

 

 へへ、と照れて見せる翼さんは可愛らしかった。実年齢よりも幼く見えて、ピュアな感情にこっちまで恥ずかしくなる。


 そうですか。そんなに前からですか。あ、もしかして田中さんか? 翼さんはボーディーズの常連らしいし、あの人モテるからなぁ。いや違うか。引継ぎによると翼さんは俺と偶然会って知り合ったあの夜に初めてボーディーズに来たらしいし、それはまだ数か月前に過ぎない。


「へぇ」

「また」


 同じ返事ばっかり繰り返す俺に翼さんは苦笑した。そして俺はそれ以上彼女の恋愛事情に突っ込むことはしない。


 翼さんはいい子だと思う。綺麗だし、話していてわりと楽しいし、それに……


 そんな彼女には好きな男がいて、でもそいつには振られていて、なのにまだソイツのことが好きで、つまるところ上手くいってないわけだ。


「ままならねぇもんだ」

「ままならねぇもんさ」


 ポツリと呟いた俺と、芝居がかった口調で笑って答える彼女。


ほんと、ままならねぇもんだ。



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