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4/18→4/20 ヤバイな、これ

4/18 火曜日 AM6:45


 寒気を覚えながら開いたテキストファイル。その一行目には、こうあった。


〈まずは落ち着け。大丈夫だ。お前は、いや俺は、つまり岸本アキラは、その状態でもう二年ほど生きている。混乱してバカなことをしないでくれ。例えばこのPCをぶっ壊すとかそいうことはするな。それやったら色々大変だから……落ち着いたか? いや、知ってる。お前はとりあえずこのファイルを全部読むはずだ〉


 そりゃ、当たり前だ。現状唯一の手掛かりというべきこのテキストファイルを俺が消すわけがない。たしかに焦ってはいるし、怖いとも思っているけど、俺はそんなにバカじゃない。


どんなときでもクールになれたほうがカッコいい。これは俺の好きないろんなヒーローや叔父さんが教えてくれたことで、そうあろうと日々思っていた。もちろんそうできないことは多々あるけど、ハードボイルド風味を目指して生きている俺だ。OKアキラ、冷静になろうぜ。


このメッセージを書いている奴は、多分、俺だ。より正確に言えば、過去の俺だ。書いた覚えはさっぱりないけど、きっとそうなんだ。


〈全部読めば、今の状態が分かるし、するべきこともわかる。そして生きていける。かなりヘヴィな状態なんだけど、悪いことばかりじゃないぜ〉


 この台詞回しはいかにも俺っぽい。妙にスカしていて、カッコつけで、バーボンを片手にブルースを聞きながら書いたぜと言わんばかりのバカっぽさ。フィリップ・マーロウと西部劇とロックを感染源とするクラシカルなタイプの中二病患者だ。


 それにしても、悪いことばかりじゃない、だって? この状態が?

過去の俺はずいぶんタフガイみたいだ。


〈結論から言う。というか、もう気づいているだろうけど、お前は、『前向性健忘症』だ〉


 ……OH。やっぱりそうだったのか。はー……。こいつはヘヴィだ。

メッセージによれば、俺は、横浜からの帰り道にバイクで事故にあったらしい。頭を強打した俺は、脳に障害を負った。


前向性健忘。俺は知っている単語だけど、これって一般的にはどうなんだろう。


簡単に言えば、ある時点から先の記憶が一程度しか持たない症状のことだ。ある朝目が覚めて、一日を過ごし、眠る。しかし翌朝起きると昨日のことを覚えていない。


いわゆる『記憶喪失』とは違い自分が誰かということも、どういう人生を歩んできたかということも覚えているが、ある日を境に新しい記憶は蓄積されなくなる、それが前向性健忘だ。ちなみに、これは世界でも数人しか発症していない症状であり、いまだ研究も進んでいないらしい。


医学の知識なんてない俺がどうしてそんな奇病を知っているか? それはまあ、おもにフィクション、ドラマや漫画やアニメからの知識だ。だからどこまで正確なのかはわからない。


〈前向性健忘って知ってるよな?〉


 知ってるよ。


〈一応念のため言っておくとあれだ。アンダーグラウンドの闘技場で戦い続けるシラットの達人とか、50回ファーストキスする夫婦とか、何度でも君に初めての恋をする僕とか、あの人たちの状態が前向性健忘だ〉


まさに、俺もその三つを真っ先に思い出していた。さすがは俺さんの指摘である。

今あげられた例は、いずれも前向性健忘がストーリーに上手く機能していた。俺も一応作家なので物語には少し詳しいのである。


あれらはどれも面白い物語だったし、恋愛を絡めたものは、いかにも女が好きそうで、泣けました! とか、切ないです! とかいう定番の感想を読んだこともある。売れ線ってやつだ。


ほかにも、毎朝自分が誰かすらも忘れる女の探偵や、学生プロレスを頑張る人もいたな、そういえば。


ただ、あれはあくまでも物語だ。実際、あんな症状になったら。


〈不便だ。かなり不便だぜ〉


俺さんの言う通りだ。まともな社会生活を送ることは極めて難しくなると思われる。

記憶が一日しか持たない。出会った人の顔も、新しく覚えた仕事も、話した内容も覚えてない。それはかなりキツイんじゃないのか。


まず、普通の仕事をやることは不可能だろう。まともな人間関係を築くのも難しい。


物語のなかでは、ノートにメモしたりして生活していた人もいたが、それはかなり面倒くさいし、そもそも十分とは言えないだろう。


それが、俺の身に起きていること。


あまりのことに、一瞬言葉を失ってしまった。控えめに言っても、絶望的な状況なのではないだろうか。



「けど……」


 俺は、このテキストによれば、この状態ですでに二年も生きているらしい。


 俺は、記憶力を失ってからどんなふうに生きていたのか? いや、生きてこられたのか?

 俺は、これからどうなるのか。


 鼓動が早まった気がした。自分の感情が今どうなっているのかわからない。


怖さもあるし、混乱もしている、でも、それだけじゃない。まだ現実感がなくて他人事みたいに感じているいせいなのかもしれないけど。


 俺は、少しだけ高揚していた。まるで、サスペンス小説の面白いところに差し掛かり、続きが気になり始めたときのような感覚。ヒヤヒヤ、ゾクゾク。


 いや、やっぱ絶望感のほうがあるか。

 ……ヤバいな、これ。



4/20 木曜日 AM7:00


 ひとまずは状況の把握だ。これを書いた過去の『俺』は今の、そして多分明日以降の俺に有益な情報を伝えるためにこのテキストを書いたはずだ。

 俺は、寒くもないのに背中に汗をかきつつ、ひたすらに読み進めた。


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