8/5 ネギがネギネギしてる!
8/5 土曜日 PM2:42
待ち合わせまではまだ20分近くある。少し早くついてしまったようだ。
駅前広場のベンチに腰かけた俺は、目の前の噴水を眺めつつしばし待つことにした。
それにしても、マジかよ。と今でも思っている。手帳を今読み返してみても、マジかよとしか思えない。
なんと俺は今から、話した記憶も会った記憶もない女とデートをするらしい。
ついさきほど『引継ぎ』を読み終えた俺は、まだ感情の処理が追い付いていなかった。
〈……ところで、今日、今から俺はその人とデートに行くことになっている。理由はさきほど上げた二つ。納得できるはずだ。そして一応デートプランも先週の俺が考えてくれたのがあるから確認しろ。そしてこれは大事なことだが、このイベントを乗り切って
家に帰ったら……〉
説明は色々あったのだが、なかなかに衝撃的である。ずいぶん思い切った決断をしたものだ。そのくらい煮詰まっていた、ということだろうか。
え、っていうかマジで来るの? さっきスマホにメッセージは着てたけど、マジで来るの? どうすんの俺。っていうか、なんでこんなドキドキしてんの俺。
おかしい。フワフワする。俺は別に女性経験がないわけでもないし、過去の例で言うと女性と接するときもわりと冷静だったと思う。なにしろハードボイルドだからな。なのに……?
「わっ!!」
「どわあああああっ!!!」
不意に背後から大きめの声を上げられ、さらに背中をぱん、と叩かれた俺は、ほんの少しばかり驚いた声を上げてしまった。
「あははははは!! そんなに驚かなくてもいいのにー」
振り返ると、見知らぬ女がころころと笑っていた。ひらひらしてるのにアクティブな印象の水色のワンピースが爽やかで夏っぽいし、たいして驚いていないはずの俺の反応に見せる笑顔は眩しい。さらに言えばワンピースから覗く脚もだいぶ白くて眩しい。
見覚えがない美少女。でも誰だかはわかる。
「……よお」
俺はベンチからのっそり立ち上がり、小さく声をかけた
「いよっ」
彼女は右手をあげると、女の子の高く澄んだ声でとは合っていない挨拶を返した。
「早いね。アキラくん」
「あー……暇だったし、ちょっと本屋寄ってたから」
俺の名前を知っている。やはりこの人が翼さんだ。へー。
自分の書いたことだから別に信用してなかったわけじゃないけど、マジで美人さんだな。よくこんな人と仲良くなったもんだな。なんか裏でもあるんじゃねぇの。
「おー。ホントに本が好きなんだねぇ。もう用事は済んだの?」
えーっと。たしかカフェの外では敬語ではなく普通に話してるんだよな。俺の普通。普通。つまりは雑な感じだな。
「用事は別になかったからな。ただブラブラしてただけ。翼さんも早いな」
「ん? へへへ」
「へへへ?」
「んー。私も暇だったから」
「あーそう。……いい若いもんが二人して暇か……若者の忙しい離れが深刻です。日本の未来はどうなるのでしょうか」
よし、微妙なジョークも言えた。思ったよりスムーズに会話が出来ている。彼女の持つこの空気感もさほど違和感を感じない。すげぇな俺。そんなに順応性が高い男だったのか。
「忙しい離れ……ぷっ。でも、今は暇じゃないよ!」
「へー」
なんで? と聞き返そうとしたがそれはあまりにもアホだ。今二人でいることは予定なのだった。
「じゃあ、行くか。ちょっと早いけど、暑ぃし」
「そうだね。行こー」
並んで歩き始める俺たち。翼さん、ウェッジソール履いてるのに、よくそんなに弾んだ足取りが出来るな。運動神経良さそう。
「私、映画観に行くの久しぶりなんだー。アキラくんは?」
「さあ、忘れた」
俺はこれから映画を観に行くそうだ。しかもゴッリゴリの恋愛映画。まず俺一人だと絶対観に行かないやつ。
数日前の俺は、バーで偶然出会った彼女と映画の話になり、最近評判だから観に行きたいが、男一人で観に行くのはキツイ、と漏らしたらしい。
で、ココロ優しい翼さんは、付き合ってくれることになったそうな。
数日前の俺は、頑張って作戦を練ったものとみえる。
ベタだ。ベッタベタにベタだ。今どき初デートに誘うのにそんな理由付けをするなんて、さすがは女性キャラクターに定評のない岸本先生ですよ。
映画館に入った俺たちは飲み物を買い、そして上映開始。
今人気のある若手俳優演じる主人公と、これまた最近人気があるらしいアイドル演じるヒロインが出てきた。俳優のほうは初めて観た。ここ二年でメジャーになった人なのかもしれない。
映画のなかでは主役の二人が出会い、わりと速攻で恋に落ちていた。なんか伏線っぽい違和感のある描写を挟みつつ、結ばれる。夜景の見える都会や自然が美しい郊外でキラキラしたデートを重ねていく二人。しかしここで驚愕の真実があきらかになる。ヒロインには実は秘密があり、それが二人を引き裂くのだ!!
「……」
ヤバいな。面白くない。
主役二人のルックスは好みなのでよいのだが、いかんせん面白くない。
別にこの映画が駄作だと言っているわけではない。映像は綺麗だし、ストーリーに共感してときめいたりする人もたくさんいるんだろう。後ろの席に人が鼻をすすっている音もしたので、感動的な展開が繰り広げられていることもわかる。ウケのいいヒット作を作ってやるぜ、という制作側の意図も伝わる。大体、人気作なんだからそんなに悪い映画ではないと思う。お前の小説よりは全然面白いよ、と言われても反論は出来ない。
ただ、俺はあんまり好きじゃない。切ない恋の物語……とかあんまり好きじゃないんだよな、俺。要は好みの問題である。切なさや恋の奇跡よりも、なにかを貫いた強さや挫けない勇気に感動したいほうなんだよ。たんに捻くれもの、っていうこともあるけどさ。
超話題作らしかったので大丈夫かと思ったけど、全然大丈夫じゃなかった。
〈そんな、嘘だろ!? でも仮にそうだったとしても僕は君のことが……!!〉
〈ダメなのよ……。だって、私は……! ぐすん、泣きたくなんて、なかったのに……〉
そうですか……。それは困りましたね。と主人公カップルについて思ったが、俺も困っていた。
この映画の台詞と展開で歯肉炎になってしまいそうだ。
映画は、あと一時間以上ある。正直キツイ。そして眠るわけにもいかない。翼さんは女の人だし、女の人はこういう映画が好きな傾向がある。誘っといて寝るのはいくら何でも失礼だろう。だがこれ以上見続けると臍でカップラーメンが作れてしまう。
俺は、悟られないようにして隣に座る翼さんに目をやった。彼女の瞳が潤んでいたり、口元を手で押さえて声を殺してたりすんのかな、と思ったからだ。しかし彼女の表情を予想と違っていた。
「………んー」
隣に座る俺以外には聞こえないボリュームで、彼女は声を漏らした。首を傾げ、こめかみに人差し指を当てて。知らない言語によるスタンダップコメディでも観ているような、なんとも言えない表情である。
「……アキラくん」
見ていたことに気づかれた。彼女は、ささやき声で聞いてくる。掠れた音が、耳にくすぐったかった。
「この映画、面白い?」
それ聞いちゃうのかよ。少し迷ったが、オブラートに包んで答える俺。周りの席は空いているので、耳元で話せばだれにも聞こえないだろう。
「……いや、正直、そんなに好きな感じではないけど翼さんは?」
「ぜんぜん、面白くにゃい」
むくれた猫のような印象を受けたのは、語尾のせいだけではなさそうだった。
「……」
「……」
どうすんのこれ。この空気感凄いよ。なに、映画終了まで耐えるの? 勘弁してくれよベイビー。とか思っていると、
「よし。アキラくん。出よ」
「え」
俺が一瞬反応に困った。手を差し出している彼女の言っている意味がわからなかったのだ。
が、しばらく考えて答える。正直言うと、俺もそうしたかった。映画代より時間のほうがもったいない派だ。
「そうだな」
ボソッと答えると、翼さんは俺の手を取って立ち上がった。彼女の手の滑らかでひんやりした感触に少し慌てる。そして俺たちはそのまま一緒にシアターを出ることになった。
「ふぃー」
ポッポコーン売り場の前でババァみたいに一息つく彼女に、俺は吹き出してしまった。
「え、な、なに? どーして笑うの?」
「いや、面白くて。だって普通出ないだろ」
これは一応デートのはずである。しかも初デートだ。ギャルゲーなら、間違いのない選択肢を選び、『バッチリいい印象を与えたみたいだ』を狙ってしかるべき場面である。
恋愛映画のクライマックスを見届けず、つまらないから劇場を出る。なかなかロックな行動だ。
「だってさー。……あ、アキラくんはもしかして最後まで観たかった? 私の勘違い?」
「いや合ってる。正直キツかったから助かった」
「なんだよそれー」
顔をくしゃっとさせて笑う翼さん。で、肩をパシパシ叩かれた。この人、なかなか変わり者だな。そうか、だから俺と親しくなったのかもしれない。
「だってもったいないよ。せっかく……」
「なに?」
「えっと……出かけてるのに」
なるほど。それはたしかにそうだ。とても忙しい離れが著しい最近の若者とは思えない発言ではあるが、一理ある。
「というか、誘ってすまんかった」
厳密には誘ったわけではないが、狙いとしてはそうだった。なので、結果的には俺は翼さんに余計な時間を浪費させたことになる。そこは素直に謝る。
「そんなことないよ。つまんなかった!……っていうのも経験なのです」
うんうん。と頷く彼女。言わんとしていることはなんとなくわかる。これはこれで、ネタになると思う。俺が覚えていられるのなら、きっと思い出して笑える。
「というわけでアキラくん」
「はい」
「時間が空きましたね」
「そうですね」
ここで解散するのが妥当な線だろうか。でも、俺はなんとなくそうは言い出せなかった。
「ここに来るときにさ、チラシ配ってたんだよね。すぐそこのイベントホールでやってるんだって」
翼さんが小さなリュックからなにやらゴソゴソと取り出し始めた。なんか買い物にでも行きたいのかもしれない。なるほど、プランBか。さすがはリア充っぽい人だ。デートの際の不測の事態にもフレキシブルに対応できるらしい。
「じゃーん」
彼女が取り出した催し物のチラシはまたしても予想の斜め上だった。というか、もはや次元を跳躍している。
「世界爬虫類展」
「世界爬虫類展!」
確認のためにチラシを読んだ俺に、翼さんはウッキウキに弾んだ声で答えた。
チラシには、コモドオオトカゲも来るよ! と書いてある。ほかにも世界中の珍しい爬虫類が目白押しなんだそうだ。
「これ、行かない?」
展開が早い。そして提案内容に驚いた。デートで世界爬虫類展はなかなか行かないと思う。
が、よく考えてみる。俺は結構博物館とか美術館とか、普段見ることのないものを見られる場所が好きだ。それに爬虫類も苦手ではないし、世界のトカゲさんにも興味がある。っていうか普通に面白そうだ。もし知っていたら、一人でも行ったと思う。なので。
「そうだな。行こうぜ。面白そうだ」
「でしょう。前にボーディーズでさ、アキラくん、動物好きって言ってたから」
「だったっけ。でも普通、その場合の動物って、犬とか猫とか、せいぜい鳥とか、体温調節できるやつじゃないのか……」
「爬虫類嫌い?」
「いや。あのなんも考えてなさそうな目とか結構好き」
「私も好き! 可愛いよね」
と、いうわけで俺たちは今話題の、切なさが止まらない号泣必死の恋愛映画ではなく、ウロコの群れを観に行くことになったわけだが。
意外にもというか、流れから言うと自然に、というか。
楽しい。
「おお、デカい。そしてかなり俊敏だ」
「暖かいからねー今日は」
「丸のみしたぜ」
「丸のみですな」
「ウロコ、すげぇ堅そう」
「そのせいか無防備すぎるお昼寝姿をさらしてる」
変温動物の群れで盛り上がる作家とパティシエ―ル見習い。俺たちのほかには家族連れや成人男性しかおらず、やや浮いているが、あまり気にならなかった。
「見て! アキラくん! コモドオオトカゲも寝てる! スヤッスヤしてる」
「うおぉ。ほぼドラゴンじゃねぇか。怖いわ」
牙に猛毒を持っていて、噛みついた獲物を失血によるショックで殺してしまう大型の爬虫類は、意外と可愛かった。幼体から飼いならすと人に懐きます、と書いてあるのもなんか納得できるかもしれない。
そして、俺の隣でドラゴンを指さし、楽しそうにしている女の子は、涙袋が目立つ瞳を丸くして、口をあけてはしゃいでいて。横目でそれを見ているとこれがごく自然なデートのように思えてきた。夏にしてはすこーし重苦しいショートブーツを履く俺の足取りも、少しだけ軽くなったような気がする。
爬虫類たちを見た後はメシを食いに行くことになった。過去の俺のデートプランによると、食事はオサレにイタリアンかフレンチの予定だったが、変更。俺は焼き鳥が食べたくなったのだ。
もう適当でいいや、と思ったのが半分。そしてもう半分は、彼女は多分、焼き鳥屋でも旨そうに串を頬張るだろうと思ったからで、その表情がみたくなったから、かもしれない。
焼き鳥屋では色々食べた。
「アキラくん、串から外す人?」
「外さねぇかな、あんまり」
「よし。じゃあパクつこう」
「おお。んじゃ俺ハツと砂肝」
焼き鳥を串から外すかどうか問題というのがある。串から食いたい派、気が利く女子なのでみんなのために串から外して取り分けてくれる派、種類を多く食べたいから一本は食えないので外したいよ派、などと色々いる。
「ん! アキラくん、このネギマ、すごい美味しいよ。ネギが、ネギネギしてる!」
びっくりした表情で謎の擬態語を用いて食レポをしてくる翼さん。別に顔が可愛いからってわけじゃないけど、どっかの美食家が凝った表現で紹介してくれるより、ネギマが旨そうに見えた。
「じゃあ俺もネギマ。タレ」
「私ももう一本食べよっかな。塩で」
串から外すかどうか問題。俺はどちらかと言えば外さない派だが、正直そこまで気にしない。大事なのは、遠慮なく串ごとかぶりつける相手と食べた方が、焼き鳥は美味しいってことだ。