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7/18 頑張れ未来の俺


7/18 火曜日 AM 11:00


 インスタントコーヒーのストックがなかったので、俺は近所の自販機で缶コーヒーを買った。スーパーまで行くのは怠かったからだ。

 そしてすぐに帰宅。俺はハーフパンツで外を出歩くのが好きではない。


「……あ」


 自宅であるアパートメントの入り口まで戻ってきて気づいたが、俺の部屋のポストが郵便物でパンパンになっている。前向性健忘とやらを患っているせいではない、と思う。俺はあんまりポストをチェックしたりしないので、以前からこういうことはよくあった。岸本アキラは基本的にズボラな人間なのである。


 そんな俺が今日に限ってポストを確認してみるつもりになったのは、はみ出している郵便物のなかにMARUYAMAのロゴが印刷された封筒があったからだ。


 MARUYAMAは、俺の本が数冊出ている小山文庫というレーベルを有する出版社であり、そこから送られてくる封筒はたいていの場合俺にとっては吉報なのだ。


 郵便やチラシの束をまとめて取り、部屋に戻る。で、さっそく封筒の確認。


「へー……。6刷か。細く長く頑張ってるな、あれ」


 MARUYAMAからの封筒の中身は、振り込み通知書だった。他の出版社や作家がどうなのかは知らないが、俺の場合はこういう形で自分にいくら入ったのか確認できるようになっている。


 今確認しているこの通知書によると、俺が三年前に出した小説『童貞ファーザー』は今回で六回目の重版らしく、その分の印税が入っている。

 

 ちなみによく勘違いされるが、作家が貰う印税というのは、売れた分だけ貰えるものではない。正確には、刷った分だけもらえる。極論を言えば、一冊も売れなかったとしても、出版社が決めた初期発行部数分は金が貰えるのだ。まあ、それは出版社的には大損害であろうし、その作品は間違いなくあっという間に本屋からは消えて、その作家の新作や続編は厳しくなるだろうけど。


 一方、最初の発行部数が売れてきて、もっと売れそうだぜ、ってことになると重版がかかることになるが、その場合も追加で印税は入る。俺の『童貞ファーザー』はこれで六回目の重版らしい、俺は三回目の重版までしか記憶していないが、その後もこの本はそこそこ売れているようだ。


 次に目をやったのは『電子書籍印税』の方。『ビッチ・ハンター』という恋愛小説の印税が入っていた。


電子書籍印税は紙の本と違って、その小説の一定期間における販売額の数%が貰える、という契約になっている。なので、まとまった額が一度に入る、ということはあまりないが、忘れたころにちょっとしたお小遣いとして振り込まれたりするので、まあ嬉しい。


俺の貯金額はさっき『引継ぎ』で確認したが、記憶しているよりは減っていた。この二年新作を出していなんだから当たり前だ。だから、こうして過去作が金になることはありがたい。


まるで、過去の自分が今の俺を助けてくれたようにも思えて、感謝してしまう。

でも考えてみれば奇妙な話だ。買ってくれている読者さんに感謝するならわかるし、それは当然している。でもなんで自分に感謝しなきゃならない?


記憶障害なんかを抱えているから、別の時間にいる自分が別人のように感じてしまっているのだろうか。


 それにしても酷い話だ。俺はこんな症状を抱えながら果たして……


「……あー、いかんいかん」


 慌てて首を振り、変な考えを振り払った。

 気を抜くと暗い方向で物事を考えてしまう。俺にはやることがあるんだ。さっさと原稿をやるんだ。どうやら俺はスランプらしく、最近行き詰っているってことだし。少しでもいいから進まないと、いつまでたっても脱稿できない。


「うし!!」


 俺はわざとらしく声を上げ、PCを開いた。よし書くぞオラ書くぞ。書きゃあいいんだろ書きゃあ。待っていてくれ、全国にちょっとくらいはいると思わ……信じているファンの方々。


 そして喜べ未来の俺。この俺がお前を稼がせてやる。

 と、その時。


ぴぽん!


 PCから間抜けな音が聞こえた。なんだよもう。勢いが挫けるじゃねぇか、とも思ったがこれはメールの着信音だ。だけどこんな時間に俺にメールしてくる相手は一人しかいない。そしてその人のメールは確認しないわけにはいかないのだ。 


〈FROM 小川文庫 熊川氏〉


 ほらな、やっぱり。最近送ったプロットか原稿の『戻し』なんだろう。俺の原稿の修正点や提案とかが書かれているはずで、続きを書く前にまずそれを読まなきゃならない。


 もちろん、俺にはあまり時間がないので、ポイントだけを確認し、引き継いでおくわけだが。


〈全体的にはクオリティが上がっていると思います〉


 おう!


〈このペースであれば締め切りも間に合いそうな気がしてきました〉


 おう。


〈ただ、ちょっと女性キャラクターの描写が気になります〉


 ……おう。


〈もう少しリアルな女の子らしさがあったほうがいいと思います。例えば……〉


 ……お、おう。


〈とかですね。岸本さんの実体験を活かしたらどうでしょうか。もしアレだったら私と一緒に歌舞伎町のソー〉


 だから行かねぇよこの熊野郎!!! 大体それのどこがリアルなんだよああ!? 経験だぁ!? 俺は少なくとも二年は彼女いねぇ上にそれを覚えてすらいないってわかってんだろうがてめぇは!!! まさかその店も経費で落とそうとしてるんじゃねぇだろうな!!


〈ハハハ、冗談ですよ。岸本さんは若いしイケメンなんだから、友達の女の子にでも話を聞いてですね……〉


 もういい。


 俺は溜息をついてPCを閉じた。少し考えをまとめよう。


「……言ってることは、まあ、わかる」


 深呼吸して、腕を組む。落ち着け。


 熊川さんはかなりアレな人だが、編集者として無能な人ではない。たしかに、今書いている『悪魔を騙す者』の女性キャラは薄い。その子を救うために命を懸けるキャラクターがいるのだが、これでは読者が不自然に感じてしまうかもしれないし、そうなったら信念をかけて戦う他のキャラとのバランスも悪い。要するに、良くない。


 もともと俺は女性キャラクターの描写は得意ではないほうで、騙し騙しやってきたが、今回はダメだ。これは傑作にしなければならないのだから。じゃあどうしよう。もちろん、熊川さんおススメの自主規制したくなるような店名への突撃は却下だ。


「……」

 ぽっくぽっくぽっく。


「……」


 ちーん。


「……いいかもしんない」


 俺はあることを思いついた。朝、『引継ぎ』を読んだ際に過去の俺から提示された『最近起こっている問題』と、今熊川さんから指摘された小説のキャラの問題。うまくいけば二つがいっぺんに解決する可能性がある。


 よし、やってみよう。

 そう決めたとたん、何故か鼓動が少しだけ早まった。落ち着かず、高揚した気分になっているのもわかる。わけもなく部屋の中を歩き回ったりしてしまう。


 なんだこれ? まあいいか。よしこの思い付きを引き継ぐとしよう。


頑張れ、未来の俺。



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