6/29 ふぁいとー
6/29 木曜日 PM3:33
「総評するとなかなか良かったですよ!? あとはさっきも話した通り意外性がもっと欲しいですね!! ハハハ!!」
「はぁ……意外性、ですか」
カフェ『BLUE』に座る俺たち。
俺はテーブルに置かれたコーヒーを一口啜り、担当編集者の熊川さんに相槌を打った。
「いやね!? まあね!? これはこれでいいと思うんですよ? しかしですね! もうちょっとこう、大どんでん返し的な展開があるといいんですよね!! ハハハ!! ほら本の帯によくあるでしょう? 『あなたはきっと二回読む』とか『衝撃のラスト4ページ!!』とか。ああいう風な作品は売りやすいんですよ。営業部からもよく言われてましてね!? ハハハ!! わかりますかね!? わかりますよね!? 岸本さんなら!!」
小川文庫の担当編集者、熊川虎次郎は俺の肩をバンバンと叩いて笑った。なにが面白いのか俺にはわからないが、彼の言いたいことはわかる。
昨今、というわけでもないが、小説業界で人気の要素は二つあるのだが、そのうちの一つはトリックの要素だ。この場合のミステリー要素というのは、別に殺人事件の謎解き、という意味ではない。むしろそれは下火だ。そうではなく、日常のちょっとした謎を解明したり、叙述トリックだったりする。特に人気があるのは前者で、喫茶店やらスープ屋さんやらがちょっとした謎を解いて、ほっこりした感じの話につなげたりする。こういう作品は「僕はなんたらかんたら」とか「君がどうのこうの」みたいなタイトルの泣かせる系作品と並んで、女性層を中心に大人気だ。
俺の担当編集者である熊川さんは元々営業部にいた人だけあって、その辺を熟知している。だから俺との打ち合わせでは常に売れ線を意識した提案をしてくるのだ。
最初のころは俺も反感を持ったりした。まあ当時は大学二年生だったし、俺の作品に口だすんじゃねぇよとか思っても仕方がないところだ。けど、今ではそんなことはない。彼はサラリーマンであり、サラリーマンとしての彼の使命は売れる作品を作ることで、売れる作品を作ることについては俺もまったく反対するつもりはない。そして今の俺は売れる要素を意識することが大事だということも知っている。
「……そしたらちょっと主人公のキャラクター変えたりとか、全体の雰囲気変えたりしないといけないかもしれませんね……」
俺がそう口に出すと熊川さんはものすごい勢いで首を横に振った。
「それはダメですよ!! ハハハ!! 作品全体としてはいい空気が出てますし、主人公のキャラクター性もいい!! これを変えずに、いやむしろこの方向でもっと良くして、それとは別にトリックも入れましょうよ!! それと、ヒロインキャラの描写ももう少し頑張れませんかね。あんまりこう、ときめかないですよ!? 女の子が可愛い小説は売れますからね! そこは意識しましょうよ!!」
「……はあ」
「私も一緒に考えますから!! 今日はいくつか案も考えてきたんですよ!!! いいですか!! まずは」
熊川さんはそういうとカバンから大量の資料を出し、俺にいくつかの提案をしてきた。参考になれば、と考えた彼が作ってくれたそれは、素直にありがたいと思う。
この名前通りに熊みたいに大きく毛深くやたらと陽気な35歳の編集者はそういう人だ。
ところで、作家仲間からは、編集者にはロクな人間がいない、とよく聞く。
メールの返信に数か月かかる、あるいは返信してこない。
自分が言ったことを覚えていない。
ストーリーを破綻させるような提案をしてくる。
約束を守ったことがない。
作家を人間と思っておらず使い捨ての文章製造機としか思っていない。
明言していたはずの印税率や出版部数を平気で変えてくる。
原稿の確認は遅れてるくせにツイッターでずっとゲームの話をしている。
そもそも日本語が苦手である。
読めばわかるはずのことを聞いてくる。
新作が売れなかったとたん音信不通になる。
そのくせ、他社から本を出すと文句を言ってくる。
売れなかったら作家のせい、売れたら編集のおかげ。
などなど。
それに比べれば、熊川さんは熱意ある編集者さんだし、そのうえで俺に対してスパルタだ。ありがたいことだ、と理屈ではわかっている。今回の提案も俺の持ち味を残し、作品としては面白くし、そのうえで売れる要素を盛り込むという無茶苦茶なハードルを設定してきていることはわかっている。それに答えることが出来れば、俺の小説はもっとよくなるだろう。そして俺は絶対にそうしたい。そうするべきだ。
でもちょっとキツいものがある。
「なるほど……。ちょっと難しいので、時間貰ってもいいですかね。来月中には、練り直したプロット送りますから」
俺がそう言うと、原田さんは例によって熊のように唸ってから口を開いた。
「岸本さん、もうあんまり時間はないですよ。来月中ってのはどうですかねー。いや、どうしてもっていうなら仕方ないですけどね、ハハハ!!」
豪快に笑い飛ばしてくれているが、目が笑っていない。これはマジなやつだ。
「岸本さんの前作はもう二年前の作品になるんですよ。あまり刊行期間をあけるのは良くないと思うなぁ、僕は」
うぐ。
「それにですね。僕のほうで押さえている刊行予定は来年の2月です。締切は今年の12月! そこまでに仕上がらなければ次に出版枠が空くのはいつになるのやらわかりませんよ!」
ぐお。
「岸本さんのご病状は私も知っていますし、筆が遅くなるのはわかります。ですが、新作が遅れれば遅れるほど売れる確率は落ちますし、下手をしたら二度と出せなくなることもありえます。業界の流れは速いですからねぇ、ハハハ!! うまくやらないと作家としてかなり厳しい状態になるかもですよ!!」
おっふ。
「……わかってますよ、そのくらい」
俺は絞り出すように答えた。熊川さんの言うことはいちいちもっともであり、だからこそ痛いところだ。
俺のように中途半端な人気の作家は、しばらく本を出さないでいると忘れられてしまう。前作までのファンが追ってくれなくなる。そして出版社というのはあくまでもビジネスで俺の作品を刊行しているわけなので、いつまでも待ってくれはしない。
「僕もなるべく協力はします。ハハハ、僕は、岸本さんが傑作を書けると思っているからこうして今も担当させていただいているんですからね! 頑張ってくださいよ!!」
ばんばん! と俺の肩を叩く熊川氏。熱血である。俺とはかなり違うタイプだし、仮に同級生だったらまず友達にはなっていないと思われる彼だが、こんな厄介な状態にある作家を見捨てず支えてくれるナイスガイだ。
だから、俺の方も男らしくクールに請け負いたいところなのだが、見通しはまるで立っていない。だからなんとも答えられなかった。
「……ふう」
と、なると熊川さんも黙るしかないわけで。
「……はあ」
俺と熊川さんの間に重い沈黙がおりたその時。
「お水、お注ぎしますね」
カフェ『BLUE』のウェイトレスさんが鈴のなるような声をかけてきて、俺たちのグラスに水を注いだ。睫毛の長い整った横顔のためか、柔らかく洗練された物腰のためか、作家と編集者周辺の空気が少しだけ軽くなったように思える。
「失礼しましたー」
ウェイトレスさんはそう言ってお辞儀をすると、テーブルから離れていった。こう、なんというか清潔感と温かみの両方がある人だ。
「うーむ。やっぱり、可愛い子ですなぁ。お嬢さんって感じで、ハハハ!!」
熊川さんは去っていくウェイトレスの後姿を眺めつつ、なんとも脂っぽい台詞を吐いた。顔も若干にやけている。いや、俺もその意見を否定するつもりはないけど、『やっぱり』ってなんだよ。さっきからずっとそこ気にしてたのかよ。
「熊川さんはもうちょっとギャルギャルしい感じのエロい子が好きなのかと思ってましたよ、俺は」
熊川さんは妻子持ちだが、わりと女好きだ。18歳未満が入っちゃいけない店の常連であることも俺は知っている。その中でも、黒ギャル専門店ナンタラ言うところがお気に入りなのだそうだ。
「ああいう感じも新鮮ですしね! ! こう、朗らかで懐っこい感じが……おっと、すいません。あの子、岸本さんのお知り合いなんですよね?」
「は?」
そうだっけ。ああ、そうなんだった、と思い出す。俺はこの店に最近よく来ており、ウェイトレスさんとはバーで時々話をしたりするようにもなっているらしい。カフェ子、ではなく翼という名前だった。
それにしても、少なくとも今日の俺は熊川さんにそんな話はしていない。過去の俺がしたのだろうか。ってことは、この店に打ち合わせで来たのも、初めてではないってことか。
「いやぁ、さすがは岸本さん、あんな美少女と知り合いとは、イケメン作家は違いますねぇ!! ワハハ!!」
「……はぁ」
俺はまた溜息をついた。
あれなんだよな。美人すぎる〇〇とかイケメン〇〇、みたいな称号で呼ばれる人は、ほとんどの場合別にたいして美人でもイケメンでもない。『〇〇にしては』という意味が内包されている微妙な誉め言葉なのだ。
俺はそこまでオプティミストではないのである。
じゃあなんだよ熊川さんよ、作家ってのはアンタのなかではそんなに不細工しかいねぇことになってんのかよ、と突っ込みたくなった。が、一応は俺も大人なのでやめておく。
「おっと、もうこんな時間だ!! すいません岸本さん、私、次の打ち合わせがあるので失礼しますね!! 会計は済ませておくので、どうぞごゆっくり!! 原稿のほう、お待ちしてますんでよろしくお願いしますよ!!」
いつもながら本当に慌ただしい人だ。編集者というのが激務だとは聞くけど、みんなこうなのだろうか。曖昧に頷く俺を尻目に、あっという間にレジのほうまで移動している。
「すいません!! あちらの席にコーヒーのお代わりを。それを追加した分で領収書いただけますか!! 宛名は……」
それでいて俺のカップが空になっていることを目ざとく気にかけ、追加のオーダーを済ませたうえで会計を済ましている。大人だ。ちょっと声デカくてかなり押しが強く、全体的かなり暑苦しいオッサンだが大人である。
店から出た熊川さんは窓越しに大きく手を振り、俺も苦笑いでそれに答えた。
それにしても原稿の目途はまるで立たず、アイディアもない。さすがに溜息がでる。
「お待たせしました」
と、ちょうどその時カフェ子、改め翼さんがコーヒーのお代わりテーブルにおいてくれた。
「あー、ありがとうございます」
知り合いらしい彼女との距離感がいまいちわからない俺が曖昧に頭を下げるとさらに追撃。
「あと、こちらも」
翼さんがそう言って勧めてきたのは、チョコケーキだった。俺は注文していない。別に甘いものが嫌いなわけではないが、男が外で甘味を食べるのはあんまりタフガイっぽくない気がするのだ。
「頼んでないけど」
「私が作った試作品なんですよ。良かったら味見してみてください」
「カ……翼さんが作ったんですか?」
これは意外だ。と、いうのもケーキはわりとちゃんとしている。こう、デカい皿に乗っていて、キラキラした赤いソースやフレッシュなミントの色どりも綺麗だ。それにそもそもケーキ自体が旨そう。イタリアンやフレンチのコースのラストに出てくる『デザート』のそれだ。
「ん。まだまだ修行中なんだけどね」
少し顔を近づけてきて、他に聞こえないほどのボリュームで敬語を崩す彼女。
このはにかんでいる女の子はウェイトレスさんかと思っていたけど、実はパティシエ見習いだったらしい。料理や製菓の世界には詳しくないけど、厨房志望の若い人がホールをやりつつ経験を積むのはありそうな話だ。
「すごいね」
俺は素朴にそう口にした。
彼女は多分、調理師系の学校とかを出てて、一人前のパティシエを目指してたりするんだろう。可愛い子というのはややもすれば可愛い、という印象だけが残りがちだし、日常を華やかに色づかせてくれる存在という風にとらえてしまうことが多い。でも、誰にだって日常や人生はあるし、そこには目標だったりドラマがあったりする。当たり前なんだけど、その事実に触れた時、俺はなんだか少し感心してしまう。
そしてこの仕上がりを見るに、彼女は腕がいいらしい。俺は基本的になんらかのスキルを持っている人間を尊敬している。それは努力の証だからだ。
「で、これはなんていうやつ?」
俺は皿に目を落とし、そう尋ねてみた。
「これはですね。フォンダン・ショコラ・アベック・フランボワーズです」
なるほどわからん。チョコケーキだな、うん。
「アベック……?」
「フランボワーズです」
「この赤いタレがフランボワーズ?」
フランボワーズってなんだっけ。ネタになるかもしれないからあとで調べて手帳に書いて、それから家のPCにも保存しておこう。
「タレって……。そこはソースとですね」
俺と翼さんのやりとりを聞いていたマスターらしき髭の男性が吹き出した。恥ずかしい。
「いただきます」
フォークをぶっ刺し、半分くらいの量を一度に口に放り込む。しっとりした食感と香るほろ苦いカカオの風味。ケーキの内部からは仕込まれていたらしいチョコレートクリームが溢れた。少し酸味が効いた赤いタレとの相性も良くて。つまりは
「旨い」
暗いテンションでボソッと口にした俺だったが、翼さんは満面の笑みを浮かべてくれた。こう、クラシカルな比喩で言うところの、花のこぼれるような、ってやつだ。
まあ、俺だって目の前で小説読まれて面白いって言われたら超嬉しいからな。製造者の気持ちはわかるぜ。
「良かった。落ち込みそうなときは、ケーキが一番なのですよ!」
「え」
翼さんは、首を傾け、俺のほうを伺うように見つめた。やべぇ。なにこれ。
俺は察しがいい方だ。つまり彼女は俺が落ち込んでいると思って、それで慰めようとこのケーキをサービスしてくれたってことかよ。
やべぇ。超恥ずかしい。そういえば、熊川さんはあの通り声がでかいのでさっきの打ち合わせで俺がボコボコにされていたことも聞こえていたことは間違いないわけで、それで俺が溜息をついたりしてるのも見られたのかもしれないわけで。
ひぇぇ。カッコ悪い。男は強くなければ生きていけないんだとフィリップさんも言ってるだろ。ハードボイルド小説を書こうとしている俺がこれはかなり恥ずかしい。しかも、それを感覚的に初対面で、そのくせ顔見知りで俺を作家だと知っている女に見られるとかタフガイにあるまじきことである。北方健三さんならまずありえないことだろう。
ひぇぇ。
「ど、どうもありがとうございます」
しかし人の好意をむげにするのはよろしくないし、それ自体は嬉しいことでもある。なので俺は挙動不審気味にお礼を言った。
「へへ。なんでそんなに固いんですかー?」
「……恥ずかしくて」
もう仕方がないので俺は素直に認めた。そんな俺が可笑しかったのか、翼さんはコロコロと笑って、去り際に小さく拳を上げて見せた。
「あはは。ふぁいとー」
くっそ、良い子じゃねぇか。それゆれ悔やまれる。カッコわりぃ。
ファイトとかリアルで言われたのいつ以来だよ南ちゃんかよ。俺はハリキリ青春運動部野郎じゃねぇってのに。クールなハードボイルダーなのに。たまにしかヘタレないのに。
あー恥ずかしい恥ずかしい。くっそう。あれだ。もうあれだ。超傑作が出来たら翼さんに献本しよう。そう引継ぎしておこう。
そりゃあ超傑作だからな。あんなヘタレたところがあったのは、こんなスゴイ小説を書くためだったね! なんて強い人!! 抱いて!!
レイディ、それは出来ないよ。
よしこれで行こう。うるせぇ妄想は自由だからいいんだよ。教室テロリストも異世界転移救世主も、文化祭バンドで大喝采も悪いことじゃねぇんだ。人は、そうやって心を作っていくんだよ。よし、これ食って、コーヒー飲んだら家に帰ってバリバリ書いてやるよ畜生それでいいんだろ!!