6/21 ファックミー
6/21 水曜日 PM9:08
「ども」
俺が田中さんのバー『ボーディーズ』の扉を開けると、いつものように田中さんは、おお、とだけ言った。ただ、いつもと違うのはカウンター席に座っている一人客の女性が俺に気づいて小さくヒラヒラと手を振ってきたことだ。
「アキラくんだ。やっほぅ」
アキラ、くん? 誰だこの人。
俺は彼女の外見的特徴を一瞬だけ観察した。
ピンクブラウンのショートカット、色白、同年代または年下の美人、白のショーパンに羽織ったデニムシャツ。……おそらくは。
と、ここで俺は田中さんが両手をパタパタとさせ、羽をはばたかせるようなそぶりをしたことにも気づき、口に出す。
「どうも。翼、さん」
ちょっと心配だったが、彼女は訝し気な顔はしなかった。ふう、緊張したぜ。
「アキラ、ここ座れよ。ほかに客いねーし、近い方が楽だからな」
田中さんはそう言って、翼さんのとなりの席に手を向けた。可愛い子の隣に座らせてやろうという配慮なのか、それとも本当に接客上の労力コストの節約なのかはわからない。
これがほかの店なら 勘弁してくれよ、と思うかもしれない。隣に座る女が嫌がるかもしれないからだ。けど、田中さんはわりと出来るバーテンダーなので、翼さんが嫌がるような提案はしないだろうと思われた。
「ここ、いいですか?」
一応は聞いてみるほどには大人ではある俺。
「どぞどぞ」
特に嫌な顔を見せない翼さん。嫌われているわけではなさそうだった。
「アキラ、何飲む?」
「ラフロイグ」
「あいよ」
今日の店内BGMもオールディーズロックで、ビーチ・ボーイズの『素敵じゃないか』が流れていた。俺はそれを聴きつつ、注がれた酒をちびちびと飲む。
「アキラくんって、前もそれ飲んでなかったっけ」
隣に座ったのだから、なにか話した方がいいのだろうか、と思っていた俺だったが、予想に反して翼さんのほうから声をかけてきた。なにやら興味深そうに俺のグラスを見つめている。
それにしても、俺と彼女は割と普通に、敬語を使わずに話す仲らしい。
『引継ぎ』によれば、彼女はよく行くカフェの店員とのことだが、それとは別にすでにこの店で三回会っているらしい。最初の一回は彼女は友達と来ていて、そのあとの二回は一人で来ていたそうだ。
店員と客であればもう少し距離があってもいいような気がするけど、数回カウンターで話すうちにそこそこ親しくなっている、ということかもしれない。同世代だし、プライベートだから、ということだろうか。あるいは単に彼女が見た目通りに人懐っこいタイプだからかもしれない。
「まあ、好きなもんでね」
俺はちょっと躊躇いながらも無理してフランクに答えてみた。前回の俺が普通に話していたのにまた距離を取るのは不自然だと思ったからだ。まあ、酒の席のことだしな。
「そっかぁ。あ、じゃあ田中さん、私も同じヤツくださいなー」
フルーツ系のカクテルと思しき一杯目を飲み干した翼さんは小学生が授業中にするように元気よく手をあげてオーダーをした。が、俺はそれを止める。
「やめといたほうがいいと思うけど」
「え? なんで?」
「不味いから」
「?? じゃあなんで飲んでるの?」
「俺は旨いんだよ。けど、女性に薦めて同意を得たことは一度もない」
「そういわれると逆に気になるのだ」
「……まあ、好きにしたら」
しばらくして、田中さんが苦笑しながら注いだ二杯目のラフロイグ、しかもストレートを翼さんの前に置いた。
「どれどれー……」
翼さんは一口それを口に含むと、大きな目を瞑って唇をぎゅっと閉じた。
「……~~! 変な味がする。正露丸みたい」
だから言ったのに、と思った俺だったが、苦そうに顔を歪めて涙目になっている彼女が微笑ましかったので、なんとなく黙っていた。そしてばれない様にちょっと笑ってもいた。
「苦いよう……」
じゃあそれは俺が貰うし払うぜ、別のやつオーダーしたら? と言う予定だったが、彼女の『うへぇ』という顔が予想よりも面白い。頑張って全部飲むつもりみたいだし、もう少しだけ放置しよう。
すると田中さんのほうが助け舟を出してきた。さすがハンサム。
「ははは。じゃあ翼ちゃん、それソーダ入れてハイボールにしてあげるよ。飲みやすくなるし、ラフロイグはハイボールでも旨いよ。な? アキラ」
「え、ああ、そうっすね」
シングルモルトをソーダ割にするなんて邪道だ、と言う人もいるけど俺はそうは思わない。酒なんてもんは好きなように飲めばいいし、ラフロイグのスモーキーさは炭酸との相性もいい。
「ほんとですか! お願いします!」
翼さんはパッと顔を明るくした。くるくるとよく表情の変わる人だ。
田中さんは彼女のオーダーを受けるとグラスを変えて氷を入れ、ソーダを注いでそこにカットライムを加えた。非常に旨そう。
「美味しいです! 匂いは一緒なのに不思議ですねぇ……って、アキラくん」
今度は目を輝かせて喜んでいる翼さんがあまりにも自然体なので、俺も不思議と気安い態度で答えた。
「なんだよ」
「さっき笑ってたでしょ」
「顔が面白かったもんで」
「ひどい」
「もう一杯奢るから、今度は動画で撮影して自分で見てみれば」
「むぅ……」
むぅ、ってなんだよ。と思って俺はまた笑った。なかなか愉快な人だ。
それからなんだかんだと田中さんも含めて飲みながら話したあと、ふいに彼女はこう聞いてきた。
「そいえば、アキラくんっていつもうちの店でなにか書いてるよね。あれってなにしてるの?」
げ。
「やー、実は前から気になってたんだー」
翼さんは少し酔ったのか、ぐいっと俺に近づいてきた。
うーむ。甘いコーヒーの匂いがする。
とか、少したそがれたけど、それ以上に俺は過去の自分に文句を言いたい気持ちになった。同じ店で何回もプロット書いたりしてんじゃねぇだろうなお前ら。『引継ぎ』にはコーヒー飲みに行った、としか書いてなかったぞ。外で小説やってると変に思われたりするから極力控えて、同じとこではやんないようにしてただろうがよ。カフェでPCとか手帳開いてなんかやってると意識高そうで恥ずかしいだろうがよ。いや自意識過剰なのはわかってるけど控えてただろうがよ。
ちょっとくらいいいか、とか思って作業して、それを書き残してないから忘れ、またちょっとくらいいいかな、と続けてやがったんだな。
ファック・ユ……ミー?
「……? アキラくん?」
「あー、いや。あれは……。なんていうか……」
「あ、もし言いたくなかったらいいけど」
「そういうわけではないんだけどさ」
俺は別に自分が作家であり、小説を書いていることを恥ずかしいとは思っていない。
書き始めた当初は恥ずかしかったけど、もう慣れた。これでも何冊も本を出していて、一応はファンもいるプロだ。とはいえ、人にはどう説明したらいいのかわからない。
小説書いてんだよね、とか言うと、まずは『へぇ、趣味で?』『プロ目指してんの?』と言われることが多い。そして言外には、無理に決まってんだろ夢見がちだな、オタクなの? という内心が感じられたりもする。
プロだ、と言うと、まずは信じてもらえないことが多い。妄想かよ、と思われたりもする。
かといって、どこどこの出版社でなになにという本を出していて、それは全国の書店で好評発売中だ! とか言うと必死な感じがするし、なんか自慢してるようにとらわれそうでそれも嫌だ。作家なんて、結構たくさんいるというのに。
ほかにも、印税どうなの、とか、じゃあ金持ちなんだね、とか言われたりもする。あれ意味わからんよな。印税どうなの、って年収いくら? って聞くのと同じ意味だぞ。お前他人にいきなりそれ聞くのかよ。あと一部のベストセラー作家でもなければそんなに金持ちじゃねぇっての。
脱線。要するに、俺は作家であることに一応誇りを持っているが、それを知らない人に話すのは苦手なのだ。誰だって興味半分で自分のことをほじくられたくはないと思う。
「書いてたのはー……」
あー。もういいや。どうせ明日には覚えてないし、翼さんは俺とはあまりかかわりのない人だ。都合が悪くなりゃ『引継ぎ』に残さなきゃいいだけのことだし。
「……小説。小説、書いてたんだよ」
四杯目となるラフロイグを煽った俺は、ぼそりとそう答えた。そして、横目でちらりと翼さんの反応を伺う。
「あー! そうだったんだ! なるほどなるほど」
「なるほど?」
「だからあんなに真剣な顔、してたんだね」
翼さんは、腕を組み、うんうんと頷いている。なんというか、予想外に『普通』の反応だ。『普通』だけど、あまりこういう反応をされたことはなかったような気がする。
「そんな顔してた?」
「すごいしてたよー。アキラくんは、小説書くのが好きなんだね」
「あー、まあ……ふっ、そうかもな」
俺はなんだか照れくさくなって、確実なはずの答えをあえてぼかして斜に構えてみた。しかし、翼さんはそんな俺とは対照的に、まっすぐに俺を見て意地悪そうにくすっと笑った。
「恥ずかしがらなくてもいいのに」
「恥ずかしがってないですけど?」
俺が嘘をつくと翼さんはさっきより大きく、今度はにっこりと柔らかく笑って言った。
「私はいいと思うな。そーゆーのって」
その言葉は、とても自然で。
ああ、別に変にムキにならずに言ってもよかったなこの人には。そんな風に思えたし、俺のなかにある柔らかい部分が疼いたような気がした。なんだか、不思議な人だ。
さらに、田中さんによって、俺がプロ作家であることは彼女に知らされ、さらに店内の本棚で『カクテルレシピブック』や『シングルモルトウィスキー図鑑』に並んで置かれている俺のデビュー作まで紹介されることになった。
でも、俺はそれを嫌だとは感じなかった。
あと一杯だけ飲んだら帰るとしよう。で、『引継ぎ』には今夜のことをいつもより少し詳しく書いて、未来の俺には一つ依頼を残すことにする。
俺は翼さんのことをほとんど知らない。次に会うことがあれば、彼女自身のことをもう少し聞いてみよう。