6/11 ナンパか?
6/11 日曜日 PM9:05
今日は日中結構頑張った。と、いっても練り直しのプロットが少し進んだだけ。けどもう頭が働かない。一日中家にいたこともあり、俺はやや鬱屈した気持ちだった。
こういうときは飲みに行くに限る。前向性健忘? ああ、そうだよ。でもそれのことだけ考えてずっと悲観的になってストレス溜めたら体に悪い。いや、記憶がもたない俺にたまるストレスがあるのかどうかは不明だけど。
そんなわけで、俺はわざわざシャワーを浴び、髪形を整え、ライダースを羽織った。で家を出た。やっぱり、バーに行くときは少しくらいカッコつけていきたいのが俺である。
駅の近くの花屋、の二階が俺の行きつけのバーだ。
「おお、アキラ。らっしゃい」
「ども」
バーテンダーの田中さんは、俺の認識上では二年ぶりに会うはずだし、たしか30歳になるはずだが、あまり変わっていなかった。長身で筋肉質、イケメンというよりは、どこか昭和の匂いが漂うハンサム顔だ。
店の雰囲気もあまり変わっていない。
大きな窓と一枚板の高そうなカウンター、びっしりと並んだ酒のボトル、流れている音楽がブルースなのも一緒。思うに、こういうお店っていうのは常連が落ち着きやすいようにあえて雰囲気を維持しているのかもしれない。
「何飲む?」
田中さんは、一応客である俺に敬語は使わない。と、いうのはこの人は行きつけの店のバーテンダーである前に友人だからだ。
「あー、んじゃ、アイラモルトでなんか適当にください」
「はいよ。ラフロイグの15年が入ってるぞ」
「それでお願いします」
注文を終えると、田中さんは中華包丁を取り出し、氷を削りだした。スコッチをロックで飲むときは氷が丸いと嬉しいが、中華包丁でそれが出来るのがいつみても意味が分からない。やっぱり手に職がある人の技術っていうのは、ある意味では魔法みたいだと思う。
「お待ち」
寿司屋かよ。と言いたくなる接客だが、俺はそんな田中さんとこの店が気に入っていた。いや、気に入って、いる。
ラフロイグに口をつけ、スモーキーで癖のある味わいにとりあえず一息。田中さんは黙ってボトルを磨く作業に戻った。
『引継ぎ』によれば、この田中さんも俺の症状を知っている一人のはずなのだが、そのことについては触れてこない。まあ、俺もそのほうが正直ありがたいと思う。多分、俺の方から話せば聞いてくるのだろうということがわかっているから、なおさらだ。
次の一口を入れつつ、俺は視線を横にやった。と、いうのもカウンターには俺のほかに二人連れの客がいて、どっちも女の子で、しかも二人とも美人さんだったからだ。
とくに手前の方、ショートカットが超可愛い。友達の話に笑っている顔が実に。
「……」
バーや居酒屋で知らない人と話すのにはさほど抵抗のない俺だが、相手が同世代の女性の場合はこちらから話しかけることはない。
うぇーい! お姉さんたち、飲んでる~? なになに、なんの話~?
なんて言えるほどノリがいいわけでもなければ。
マスター、そちらのお嬢さんにマティーニを。ベルモットを多めにね。
なんて言えるほど気障でもバカでもない。
とはいえ、健康的な23歳、じゃなかった25歳の男としては標準的に女好きでもある俺は、しばし二人組のお喋りを聞きながら飲むことにした。
「そいえば、この前の真奈美の結婚式の二次会でさー」
「ふふ、あのとき飲みすぎだったよー? 大丈夫だった?」
「大丈夫大丈夫。ってかこのカクテル、すごい!! 名前なんだっけ?」
「ほんと。すごく綺麗だねぇ。一口、ちょーだい」
「いいよー。あ、それで二次会のときにいた医者の子が鼻から……、あ、私明日歯医者行かないと」
「親知らずは早く抜いたほうがいいよー」
「痛いのやだなー。最近肩こりも酷くて」
まあ、なんだ。女の人のお喋りがあっちこっちに飛ぶのはよくあることだ。元気でお喋りなA子とホンワカした感じのB子はきっと仲良しなのだろう。
っていうか真奈美とかいう人の結婚式の二次会でなにがあったんだよ気になるじゃねぇか。あと、そのカクテルの名前はホーセズ・ネックだよ。親知らずは痛ぇぞ、肩こりにはサウナが一番だ。
「アキラ、次なんか飲むか?」
おっと、飲み干してしまった。
「アードベックで」
「あいよ」
冷静に考えると、女の子のお喋りを黙って聞いているのもなかなかキモイな。ちょっと反省した俺は二人組のお喋りに集中することをやめ、ちょこちょこ田中さんと話したり、グラスの音を聞いたりしていた。
「あっ」
不意に横からそんな声が聞こえた。驚いたようなその声につられ、目だけ向けてみる。
女の子、ショートカットのB子と目があってしまった。何故だか彼女は口元を押さえ、わー……と小さく声を漏らしている。っていうか小首をかしげて俺を見てる。やべぇめっちゃ可愛いなやっぱり。
「えっと……」
なんですか? と言おうとしたのだが、それは彼女の明るい声に遮られた。
「こんばんは。偶然ですね!」
小さくペコリとお辞儀をした彼女。しかし俺の口からは反射的に。
「は?」
と出た。仕方ねぇだろ。
そんな俺の反応に、彼女はあう、と言葉を詰まらせる。俺は黙っていると怒っているのと間違えられることがあるような顔らしいので、悪いことをした。
「え、ええっと、その、覚えてない?……ですか?」
そりゃもう、覚えてないよ。昨日の晩飯に何喰ったかも覚えてないんだぜ俺は。
「すいません。記憶力が悪くて、俺」
ええ、そうなんですよ。大変なものですよ俺の記憶力の悪さは。
彼女はそんな俺の対応をうけ、顎に手を当ててなにやら思案顔を見せた。そして。
「いらっしゃいませ!」
明るく気持ちの良い接客の言葉を言った。
「……は?」
やべぇ。何言ってんだこの人。と一瞬思った俺だったが、彼女の言動を考えれば推測は出来る。おそらく、この人はどこかのお店の店員なのだろう。で、俺はそこに行ったことが何回かあり、顔を覚えられている、というところだろう。そしてそれはこの二年の間のこと。あっちが覚えてるくらいあっていれば、俺はこんなに可愛い子を忘れたりはしない。
「むむ……。お代わりはいかがですか!」
ちょっとムキになっていらっしゃる。これはマズイ。俺は今日読んだ『引継ぎ』の内容を思い出し、彼女の正体に迫ることにした。
そして三秒でわかった。
「カフェ子?」
そしてついそう口にしてしまった。最近の俺がよく行っているらしい店、『BLUE』とかいうカフェだそうだ。そしてその店には結構可愛いウェイトレスがいる、と書いてあった。名前は知らないので、カフェ子(仮)。ちなみに大学時代には、レンタルビデオ店のビデ子ちゃんやバーガー屋のバガ子ちゃんやらもいた。
「そうです。カフェのー……、って、あはは。カフェ子ってなんですかー! もー」
「すいません」
カフェ子はいい人だった。俺の失言を受け、コロコロと笑っている。なんだか嬉しそうだ。
なんつーかこう、えくぼがいいっすね。こう、ちょっと幸せな気持ちになりそうだ。
「なになに? 知り合いなの?」
A子が話に入ってきた。うん、俺は知らないけど知り合いみたいだよ。
「うん。うちの店によく来てくれるお客さんなんだよ」
「おお、アキラ、ナンパか?」
田中さんが冷やかす。いや、ちげぇし、実際ナンパ出来るもんならしたかったけどちげぇし。俺はアンタと違って特定のタイプの女にしかウケねぇんだよ。
「アキラさんって言うんですね」
「はい。そうです」
「ちなみに私はカフェ子って名前ではありません」
いや、そんな『エッヘン!』みたいな感じで胸を張られてもな。
「でしょうね……」
もしそうだったら親の顔が見てみてぇよ。つーか俺、もう少し気の利いた返しができねぇもんかね。
俺が受け答えに戸惑っていると、彼女はカウンターのほうに体が傾け、横に座っている俺を斜めに見上げて微笑んだ。
「翼、です」
はい。家に帰ったら書いておきます。
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