序章 落日の要塞
城壁の上に立つと、世界そのものが軋んでいるように感じられた。
ここは魔法文明圏――西側諸国の中でも最も東に位置する要塞都市。機械文明圏たる東側諸国との戦争において、最前線を担う重要な砦だった。
無数のスカイドレイクとワイバーンが使い魔として空を埋め尽くしていた。スカイドレイクが纏う雷光が夜空を切り裂き、ワイバーンが吐き出す炎と酸が地上へと降り注ぐ。雲間からは巨大なアビス・ワームが音もなく姿を現し、獲物を狙って滑空していく。燃え盛る炎そのものと見紛うフェニックスの群れは、不死身の肉体を幾度となく撃ち落とされながらも、そのたびに蘇り、再び戦場へと舞い戻っていった。
その合間を縫うように、召喚術によって呼び出された大精霊たちが、それぞれの属性を纏って戦場を駆け巡る。火の精霊が業火の柱を突き立て、水の精霊が奔流となって敵を押し流す。風の精霊は無数の刃を孕んだ暴風を巻き起こし、土の精霊は大地そのものを隆起させ、巨大な盾へと変えていった。
だが――彼らが相対している敵は、もはや未知の存在だった。長きにわたって積み重ねてきた戦闘経験も、代々受け継がれてきた戦術も、この敵を前にしては意味をなさない。誰もが、その事実を痛いほど理解し始めていた。
鋼鉄の巨体を持つ無数の空戦艦が、大規模な艦隊を形成し、雲を突き破って姿を現した。艦隊は隊列を崩すことなく進み、容赦のない砲撃を地上へと叩き込んでくる。その中に混じる複数の空中機動母艦からは、攻撃機、爆撃機、迎撃機、そして無数の戦闘用ドローンが次々と発進していった。
攻撃機は地上と空中、その両方に牙を剥く。爆撃機は大型爆弾を次々と投下し、大地を引き裂いていく。迎撃機は空を制圧するかのように召喚獣や精霊たちを狩り、ドローンは低空を這うように飛翔しながら、地上の兵士たちを蹂躙していった。無数の機影が、瞬く間に周囲一帯を埋め尽くしていく。
そして艦隊の遥か後方――雲海の彼方。そこには、都市一つ分にも及ぶ巨大な空中要塞が、その威容を静かに覗かせていた。あれこそが、この侵攻全体を統べる真の脅威なのだ。誰もが、本能的にそう悟っていた。
「退くな! 天が落ちようとも、ここを死守せよ!」
誰かの怒声が、城壁の下から響き渡る。
地上では、騎士たちが使い魔や召喚獣に混じり、激しい白兵戦を繰り広げていた。剣を振るう者。槍を構える者。魔法を放つ者。だが――彼らが相対する敵もまた、未知の存在だった。鈍色の装甲に覆われた戦闘用アンドロイドの群れ。整然と隊列を組んで進軍する超重戦車。そして、感情の読めない目をした無数のクローン兵たち。その後方では、幾つもの移動要塞が大地を震わせながら進軍していた。さらに、生きたまま組み替えられた異形のキメラたちが、獣のような咆哮を上げながら突撃してくる。
魔法使いたちは、それでも抗った。空の彼方から星を降らせ、大地そのものを割り、炎の海によって敵を焼き払う。かつて誰も目にしたことのない規模の大魔法が、戦場の至るところで炸裂していた。魔法と機械。異なる二つの文明が持つ力が、真正面から激突する。その凄まじい応酬は、途切れることなく繰り返されていた。
それでも――押されていた。一進一退などという状況ではない。城壁の東側。かつて堅牢を誇った防衛線が、みるみるうちに食い破られていく。
「司令官! 東側、第三防壁を突破されました!」
伝令の悲鳴にも似た報告が響く。老いた司令官は、長い沈黙の末、ようやく口を開いた。その声は、絞り出すように震えていた。
「撤退だ」
「し、しかし……!」
「この街は、もう守れん。生きている者から後方へ下がらせろ」
城壁の上に、重い沈黙が落ちた。誰もが、その言葉の意味を理解していた。最前線の要塞都市が放棄される。それは、この戦争そのものの流れが、決定的に変わりつつあることを意味していた。
空では、なおもスカイドレイクと空戦艦が激突を続けている。地上では、剣と鋼鉄がぶつかり合う音が絶えることなく響いていた。そのすべてを背に、司令官は静かに城壁を降りていった。
落日が、燃え盛る要塞都市を赤く染め上げていた。




