第51話 異変に気づく
朝起きるとタクミが部屋に居なかった。
身支度を終えても彼は戻らず、どこに行ったのかと一階へと降り、そこに居た僕の兄ルビアへと尋ねた。
「タクミがいない? 調べてみるか?」
「うん」
この宿の入り口には、人の出入りを感知する魔法陣が描かれている。それ頼りに調べたところ、どうやらタクミは外に出たまま、一度も帰ってきていないようだった。
「ナタム、昨日の夜、タクミは何か言ってなかったのか?」
「うん……特に何も。それに鞄も時計も部屋にあるんだよね。だからあまり遠くには行ってはいないと思うけど……」
軽装でどこか近場に出かけた。
これがいつもの王宮の学生寮であれば、僕は何も気にはならない。だがここは、アメルアの街。彼にとっては見知らぬ土地だ。
そんな場所で朝から彼が居なくなるだなんて。少し気になる。
この街の治安が特別悪いだとか、特にそういうものはないけれど。それでも彼の姿が見えないということに、この時なぜか僕は不安を覚えていた。
「やっぱり変だ」
結局、朝食の時間になっても彼は戻ってこなかった。
兄たちと流石におかしいという話になり、皆で手分けして彼を探そうと動きはじめる。
「まずはタクミが行きそうな所を探そう。昨日行った場所はどこがある」
「昨日行った場所……となると」
アメルアに着いてすぐに実家の空き地に行った。それからペルシカリアに彼を紹介して。昨日はそれだけだ。
「街は今日案内する予定だし、……待って、もしかして海?」
「おい、ナタム。海がどうした」
嫌な予感がして不安に思い外へ出た。
そして自然と走り出す。
目指す場所はもちろん海だ。
「タクミは火魔法の特化なんだ!! 余程泳ぎが上手くないと、この国の海は流されるのをタクミは知らない!!」
「は?! 火魔法特化だと?!」
一度振り返り兄へ向かって叫ぶと、僕は砂浜まで全力で走った。
「タクミー!! いたら返事して!!」
辺りを見渡すが、黒髪の青年は見当たらない。
やはり海じゃなくて、僕らの家の方にいるのか。
それともただのすれ違いで、街の中にいるのか。
でもなぜか嫌な予感は拭えなかった。
バシャ……と水音が立つ。
「……っ! タクミ……じゃない、ペルシカ!!」
はっとして振り向くと、波打ち際から人影がこちらに向かってくる。藍色の髪を揺らした、彼女ペルシカリアだ。
慣れない足で走りながら近づく彼女に、すかさず僕も駆け寄り、よろめいた彼女を抱き止める。
「どうしたの」
彼女の種族は、普段あまり感情を露にしない。
なのに今の彼女は、青い顔をして震えていた。
それだけでも、十分驚くべきことだった。
だが次の彼女の言葉を聞いて僕は更に驚いた。
「タクミが、……いなくなった」
「何でペルシカが知ってるの」
まさかこのタイミングで彼女の口からタクミの名前が出るなんて。やはりタクミはここに来ていたのか。
「今どこに居るのか、私分からない…!」
涙混じりの声で話す彼女。
気になることは多々あるが、とりあえず今は彼女を落ち着かせなきゃと、彼女の背中を摩りながら視線を海へと向ける。
が、その海を見て、思わず顔をしかめた。
「ペルシカ。君の後ろの海が気になるんだけど、あの色は何?」
いつもは青い海が、赤いのだ。
海があの色になるって何だ? 赤茶色、赤い……
思い出すのは十年前の記憶。海に浮かんだ沢山の大人たち。青い海はどこも赤く染まっていて………
最悪の情景を想像して思わず彼女を強く抱きしめた。
「もしかして、血……?」
「ナタム、ちがう。タクミじゃない」
「じゃあ誰の? ……何の?」
タクミじゃない、それを聞いてひとまず安心する。
それに彼女は先程『いなくなった』と言っていたのだから、タクミが生きている姿を目にしているのだろう。
じゃあ目の前のものは一体何なんだ。血であることは確かだ。
「私たちと同じようで違う」
「同じようで違う?」
「そう、同じような身体。でも大きさが違う。
言葉は通じない。凶暴」
それから彼女に話を聞いた。
明け方前に、その何かは突然現れたという。
それも海中に現れた、黒い魔法陣の中からだそうだ。
「嫌な感じ、強くて。赤黒い目だった」
水中での視力が高い彼女たちの種族。
日の当たらない暗い海の中でも、しっかりと物の識別が出来るというのだから、恐らく黒い魔法陣の存在は本当だろう。
(異世界からか)
先日も王宮内で異世界からの魔物が出たと聞いていたが、まさか海の中でも同じ事が起きているなんて思いもしなかった。
「それで、その何かとタクミには何があったの」
「アレがタクミを深くまで連れていこうとしていて、みんなが気づいた。
タクミはナタムとロゼリスのともだちだから、みんなで助けようとした。
アレが何か、タクミと話していた。でも分からなかった。
アレが波を操ってみんなを追い払おうとして、その時にタクミもどこかに流された」
「そうか」
彼女の話を頭の中で整理する。
つまり異世界からきた何者かが、海辺にいたタクミを海に引きずり込んだ。
そして彼女の仲間たちがタクミの救助を試みたが、タクミは何処かに流されてしまったということだ。
そうと分かれば……
(タクミが、無事に海面まで浮上出来ていることを願うのみだ)
海面まで浮上して、息さえしていてくれれば、水族たちが探してくれる。
それは単にペルシカリアが僕やロゼリス第一王女と仲が良く、その仲間が遭難したから探してくれる、そういう簡単な理由ではない。彼女は仲間だからと言うが、水族は情で人間を助けるようなことは普通しないのだ。
彼女たち水族は十年前のこの国の襲撃をきっかけに、この国といわゆる同盟を組んでいた。
数ある決め事の中に、もしも彼女たちのテリトリーの海で遭難者を発見した時は、ジラーフラの者はジラーフラへ、大陸国の者は大陸国へと強制的に送る、というものがあった。
その為、普段アメルアの人たちが誤って海で遭難した際には、彼女たちが浜へと送ってくれていて。
だから今回も例外なく、タクミを探して送ろうとしている。
「みんなで探した、でもどこにもいない」
だがこれまでにも彼女の仲間たちが彼を探してくれたそうだが、近場の海中に彼の姿は見当たらなかったという。
となると焦りが出てくる。
彼女たちが探さないほどの場所にいるのなら、自力で泳ぐしかないからだ。
この世界の水魔法の保持者は、水中の動きが得意だ。水魔法1でも、水面に浮かび続けることくらいなら簡単に出来る。
だが、彼タクミは火魔法特化。魔法抜きで果たしてちゃんと海の中を泳ぎ切れるかと言われるとこれは分からない。
「タクミが泳げるとして、何処かで地上に上がれているといいけど……」
彼女の肩を引き寄せ抱きしめながらも、視線は海から離さない。
彼女の背後に広がる海は、赤い色が先ほどよりも薄まり始めていた。
「それで、その何かは、どうしたの?」
「みんなで、ころした……」
彼女が肩に顔を押し付けて、泣きはじめた。
こんな怖い経験をしたのは初めてだと。
まさかこの子が泣くだなんて、海の中で一体どのくらい恐ろしい魔物が現れたんだというんだ。
彼女を更に強く抱きしめる。
いつもなら抱き返してくれる彼女の腕はだらりと垂れたままになっていた。
それに気がついたのは、彼女が泣き止んでから暫くした頃のことだった。
「腕が動かない」
落ち着きを取り戻した彼女が僕に告げた事実。どうやら海中での魔物との戦闘中に、未知の攻撃を受けてから両腕に力が入らないらしい。
彼女の仲間たちも確認すると、戦闘に直接関わった多くの者たちが同じような状態になっており、中には全身に力が入らなくなってしまった者もいて、海の中は大騒ぎになっていた。
町に住む治療師に彼女たちの治療を依頼する。
これも同盟によって決められていることで、問題なく依頼が済んだ。
この時既にタクミが居なくなってから数時間が過ぎようとしていて。
ナタムの兄ルビアは街に滞在していた第三騎士団にも捜索を依頼。街の顔馴染みの住人にもタクミの捜索をお願いして回っていた。
だが、昼が過ぎ、夕方近くなっても彼を見たと言う情報は集まらなかった。
「ナタム、彼は見つかったかい?」
「まだ見つかりません!」
街ですれ違う人々に声をかけられては、返事をする。
戦闘に関わらなかったというペルシカリアの仲間たちの海の中の捜索は、現在も継続中だ。
でもここらの海の殆どを支配するという彼らが、タクミの気配すら感知しないというのだから、彼が海の中にいる可能性は限りなく低いのだろう。
(となると陸のどこかにいるはずなんだけど……)
だが仮に陸に着いていたとしても、彼が動ける状態にあるとは考えにくい。
彼女たちと同様に、未知の攻撃を受けて動けなくなっている可能性が高いからだ。
海の中にも、そしてアメルアの海岸付近でも目撃情報がないタクミ。
こんなに探してもいないのは何故だろう。
ふと、浮かんだ仮説に一気に血の気が引き始める。
(まさか……この世界から元の世界に帰っちゃったとか、じゃないよね……?)
いや、まさか、そんな事が。
「あるかもしれない……」
ある日突然、この世界に来たタクミ。
帰る日も突然でも何の不思議もないのだ。
不思議はないけれど。
「でも急にいなくなるなんて酷いよ。そんなの僕も、僕もだけど……ロゼ様はどうなるんだよ。あの子になんて説明すれば」
いてもいられなくなり、街の中を走る。
「はぁ…はぁ…」
今日、もう何度目か分からないアメルアの海岸が目の前に広がる。朝見たあの赤い海はもう影もなく綺麗な青い海へと戻っていて。
「……ん、何……?」
視界に違和感を感じ顔を上げた。
海の方がチカっと光ったような気がしたのだ。すると水平線の彼方に小さな黒煙が上がっているのが目に止まる。
爆発? どこで? 何が?
すると空気が揺れて、辺りに轟音が響き渡った。
初めて聞く轟音にナタムは思わずその場で立ち尽くした。




