第20話 ロゼリスは考えはじめる
全面に厚い絨毯の敷かれた廊下。
突き当たり右側の扉の前に立つ。
青を基調としたステンドグラスが嵌め込まれた扉を開けると、ロゼリスは部屋へと入り静かに扉を閉めた。
ベッドに腰かけ、胸元で握りしめていた手のひらを広げる。
赤色をした大きな魔法石は、先ほど彼から貰ったばかりのものだった。
タクミ・ヒムラ。異世界の日本国から来た人。
一月前に、第三王子ガルベラから、城の敷地内で異世界人を保護したとの報告を受けたまさに次の日。
異変に気付いて中庭へと飛び出し、馬乗りになって取り押さえたのが彼との最初の出会いだった。
生まれて初めて見た、黒髪に黒い瞳の人間。
その珍しい外見は、思わず目を奪われるくらいに美しくて異端で。それは彼が泥棒かもしれないという疑念を更に思わせるものでもあった。
だが彼はきっぱりと私に言ったのだ。
“なんで、わざわざ花なんか”と。
この国には、その言葉をはっきりと言える者はまずいない。例え花に興味が無くとも、少なからずその存在の大きさを誰もが経験しているはずだからだ。
もちろん大陸国から我が国に訪れる者たちにも、その存在を知らない者はいない。知らないはずがないのだ。
だからこそ、その言葉は彼がこの世界の人間ではない事を、そして彼がこの国には害がない事を証明していた。
当の本人は自分の発言の重大さに気付いていないようだったが、そうでないと分かれば私の仕事は終わり。術を解いてその場を去った。
何も知らされていなかった彼に酷い事をしてしまったのではないか。
いいえ、これは私の仕事。
そう言い聞かせて。
もうそれで終わりだと思っていたのに。
ずっと彼のことが頭から離れなくなってしまって。
あの日、偶然にも職員食堂の屋根から、彼の姿を見つけてしまった。
そして彼を見た途端、ここ数日の不穏な気持ちの原因がはっきりとした。
彼に、謝りたい、と。
いつもなら他人に関わろうだなんて思いもしないのに、どうして声を掛けたのだろう。
花の重要性を知ってほしかったから?
それとも彼の見慣れぬ色に興味を持ったから?
今思い出しても未だ理由は分からないが、どうしても彼のことが気になったのだ。
勇気を出して声を掛けた彼は、
優しく、穏やかで、
そして怒らなかった。
その日は、そのまま彼と一緒に昼食をとることになって。
(初対面の人と食事なんて……自分でも驚いちゃう)
どうしてこうなったのかな、と思いもしたが、不思議と嫌な気持ちにはならなかったのも事実だった。
主な話題はこの国の事、花の話、精霊に魔法の事。
遠い国から来たと話す彼だが、私はこの時から既に彼が異世界人である事を知っていた。
(知らない世界で生きる……どんな気持ちなんだろう)
自分の正体を偽りながら笑う彼を見て。何を話せばいいのか分からなくて。
どうしようかと悩んでいると、彼が敬語を止めよう、と提案してきた。
敬語をやめる? 物心がついてから、そんなことを言われたのは生まれて初めてだった。
それは単に、彼が私の正体を知らないからこそ、自然に出てきた言葉だったのだろう。
だが彼のその心の壁を無くそうとする姿勢が、不思議となんだか暖かくて心地よくて。私は意を決して彼の提案に乗り。そして私も敬語をやめ、互いに愛称で呼ぶ事となった。
印象的だったのは、食事が終わり、仕事に戻ろうと席を立とうとした時だった。彼が身体の前で手を合わせて「ごちそうさま」と言ったのだ。
「それ、なに?」
「ああ、これ?これはね、食前は頂きます、食後はご馳走様と言ってね。食事に使われた植物や動物たち、それとここまでに関わってくれた人達に感謝を伝えるんだ。これも故郷の習慣だよ」
ジラーフラでは、花の栽培が盛んだ。それは精霊を集める為だ。精霊の持つ力が軍事力に直結するからだ。
だが勿論それだけではない。
大昔から多種多様の植物を人間は食料の一つとして食べて生きていて。それは大陸国だけではなくジラーフラも同じだった。
王都の周辺には広大な農村地帯が広がり、そこでは様々な野菜や果物が育てられ、国中の人々の元へと渡っている。
本来なら花を咲かせ実を結び、新たな芽を出すはずの命を、私たちは奪って食べて生きている。
そういう意識は、少なくとも私にはあった。
だから彼のその故郷の習慣に大変驚いたのだ。国ですら違うと、大きな差の出るあらゆることへの価値観。だのに彼は世界すら違うにも関わらず、近い考えを持っていたというなんて。
静かに微笑む彼を見て、その時感じた神秘的な彼の雰囲気は、今でもハッキリと覚えている。
会った時から静かに笑う人だな、と思ってはいたけれど、まるで真夜中の空に浮かぶ満月みたいな綺麗な笑顔に、あの時私は心から彼に興味を持ったのだ。
その後彼とは王宮内で何度も再会し、その中で彼が精霊達の声を聞くことができる事、そして精霊たちと同じ日本語を話せる事も判明した。
彼に手紙を出して。それから予定を合わせてお互いに言葉を教え合うようにもなって。
ふと、彼との関係に疑問を持ったのだ。何故彼とは普通に話が出来るのだろうかと。
「今まであんなに怖くて話せなかったのにな」
家族や昔からの仲間は大丈夫だが、赤の他人どころか仕事の同僚たちですら危ういところがある。
なのに彼とはちゃんと話せるのだ。
彼には心を開いても大丈夫だろうか?
そう思っていた矢先のこと。城の前での人集りに耐えられなくなった私は、偶然にも彼の元に飛び込んでしまって。
混乱状態に陥っていた私を、暖かい手で落ち着かせてくれた、彼。
そして今日、私と仲良くなりたいと話してくれた彼。
私の事を、勇気のある人だと褒めてくれた彼に。
ああ、彼が安全かどうか判断する間もなく、既に私は彼に心を開こうと思っていたのだと、気づいた。
(時間と心は比例しないものなのね)
あまりにも早い自分自身の心の変化に驚いた矢先、そんな彼から貰ったのが、この魔法石だった。
手のひらの中に収まる、青混じりの赤い石。
火魔法5の持ち主。
彼が火魔法特化であることは、随分と前に噂で聞いてはいたが、彼から聞くまでは待とうと決めていた。
ただでさえ彼は魔法の存在しない世界から来たのだから。もしかしたら受け入れるまでに時間が掛かるかもしれないと思ったのだ。
それが今日やっと、彼の口から魔力について聞くことができた。
火魔法特化型。
私が知る限り、その魔力の持ち主は彼ともう一人の人しかいないはずの、この国では珍しい魔法の形だ。
火魔法の特化型で、精霊の言葉が分かる、異世界人。
我ながら中々の特殊な人と仲良くなったと思う。
(それを言えば、私も負けないくらい珍しいんだけれどね……)
現に私は魔力の型のバッチを付けていない。
付けなくとも、周りが皆知っているからだ。
あの父親とあの母親を持つ娘だから。
知らないのは、きっと彼だけだろう。
そう思いながらベッドから立ち上がり、首から首飾りを外して机の上へと置いた。
コロンと音を立てた魔法石は光を反射させ、本当に燃えているかのように見える。
「私の事を守ってくれる〝おまもり〟ね」
立場上、そうなのかもしれない。
でも誰かに守ってもらうほど、自分に存在価値があるとは思えない、私。
彼はこんな私の身を案じて作ってくれたのだという。
(不思議、凄くあたたかい)
石を置いて空っぽになったはずの手が未だポカポカとしており、それが手だけではなく胸のあたりまで広がった。
(タクミくんには、いつか私の本当の事を話せるかしら)
きっと凄く驚くだろうけれど、でも。何故だか受け入れてくれそうな気がする彼。
彼のこと、信じてみようかしら。そう思うって事は、やっぱり心の奥底では、もう信じている?
いや、今すぐは怖いけれど、でもいつか話せたらいいな、そう思う。それは確かな気持ちだった。
*
「そうだロゼ。さっきタクミと一緒に居なかったか?」
考え事をしていたら、急に声を掛けられ思わず目を見開いてしまった。
「え、ガル。もしかして見ていたの?」
「偶然居るところを見ただけだ。っていうかお前たち、やっぱり仲が良かったのか」
部屋を出て廊下に出たところで、同じく向かいの部屋から出てきたガルベラとばったり会った。
そしてどうやら、先程タクミくんと一緒に居るところを見られていたらしい。なんだろう、凄く恥ずかしい気持ちになる。
「仲が良いのかは分からないけれど……タクミくんとは一度約束をして会ったことがあるわ。それ以外は偶然会う程度よ。……何度も、遭遇しているけれど」
恥ずかしさを隠すため、彼とは目を合わさずに話を続ける。
「“タクミくん”ね。やっぱり仲良いじゃん。
おまけに今日も仕事中に仲良く逢引き……いいご身分ですな。ロゼリス……様?」
ガルベラの方を見ると、人をからかうような顔をしてこっちを見て笑っている。
「今日だって別に約束していたわけじゃないもん! 仕事も終わっていたし、……別にいいじゃない」
「はいはい、分かりましたよーー。そうやって必死になるのが余計に怪しい……って痛え」
なんか腹が立つ。
いつものことだけれど。
茶化すガルベラの背中を思いっきり叩き、早足で廊下を進めば「怒るなよ」と後ろから声がしたけれど、完全に無視した。
歩く中で思い返すのは、彼との新たな約束だ。
(建国記念日……その前までにはタクミくんに私の事、ちゃんと話したほうがいいよね)
廊下を進み、幾つか角を曲がると大部屋に入る。
ここは私たち家族の食事の部屋だ。
いつもの席に座り待っていると、目の前のテーブルに次々と夕食が並べられる。
横にはガルベラが座って、二人並んで食事の用意が終わるのを静かに待っていた。もうこの流れも日常の風景だ。
隣の彼を見て思う。
そうか、彼はあの彼といつも一緒にいるのだ。色々と話す事も多いのだろう。ガルベラの方をみると「なんだ?」と私の方を向いてくる。
「ねえ、私の事、タクミくんに話した?」
「全く。話しておいた方がいいか?」
自分から話をするのは、正直怖い。でももし私が話を聞く立場だったら、本人の口から聞きたいと思う。
そう、だから。
「ううん、自分の話したい時に、自分で話すよ」
目の前に夕食が全て並んだ。
ロゼリスが手を合わせると、隣でガルベラも手を合わせる。
それぞれがいただきます、と言うと。
隣から「お前、その挨拶だいぶ前から真似てやってたぞ」と声が掛かり、私は本日二度目の彼の背中を思い切り叩いた。
でも本当に。いつ、彼に話そうか。
本気で悩む。
私がただの庭師の一人ではなく、この国の第一王女である事を、だ。




