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第3話 魔力の発現

 森に採集に来る人々は、立ち入っても危険の低い範囲というのを皆知っている。そこには魔物は滅多に入って来ず、来たとしても弱小の、成人ならば一般人でも十分に対処可能なものばかりだ。

 しかしエルたちの前にいる魔物は、明らかにそれを逸脱していた。


 エルはイノを背に庇いながら考える。どうすれば目の前の魔物を倒せるのか、と。ただでさえ足の速い魔物から、イノを背負って逃げ切るのは不可能だ。倒すことに集中した方が、まだ助かる可能性が高い。

 武器はと言えば、採集用のナイフが一本。刃渡りは短いが手入れは欠かしていないので切れ味はそこそこ。エルは腰に下げていたそれを引き抜く。

 魔物の動きは速い。自分から向かってナイフを振り回したところで当たるはずがない。


(だったら……!)


 睨み合いの膠着はあっという間に終わりを告げ、魔物が二人に襲い掛かる。喉元に噛みつこうと牙を剥き出しにする魔物を左腕を犠牲にする覚悟で差し出す。エルの狙い通り、魔物は左腕に噛みついた。


「ぐっ……、あぁッ!!」

「ギャンッ……!」


 エルが右手で魔物の首にナイフを突き刺したのは、魔物が噛みつくのとほぼ同時だった。

 ナイフは奇跡的にも魔物の太い血管を切断し、深く突き刺ささる。エルの腕も、千切られる前に放された。

 魔物はその傷が致命傷となり、身体をぐらりと揺らがせる。そのまま地面に倒れ伏し、しばらくして動かなくなった。


(倒、せた……)


 生暖かい血の感触が気持ち悪い。くっきりと歯型のついた左腕から血が流れ、ズキズキと痛む。エルはそれを全部無理矢理忘れてイノに声をかける。


「こっから離れるぞ、背中に掴まれ」

「ううん……自分で、走る」


 左腕を犠牲にしてでも魔物を仕留めようとしたエルの姿は、イノに少なからず影響を与えていた。恐怖がなくなった訳ではなく、むしろ増大している。だがそれでも、真っ赤に染まったままだらりと垂れ下がった左腕を見て、自分の力で歩けないなどと甘えることは出来なかった。


「……わかった、無理そうだったら言えよ」


 イノはその言葉にコクリと頷いた。エルはイノの眼差しが先程までとはまるで変わっていることに気付き、これなら大丈夫そうだと安堵する。


 しかし、エルがイノの頭を撫でようとした、その時だった。一時的に忘れていた恐怖を強制的に起こされる。汗が噴き出し、そしてようやく気が付いた。一体の魔物を倒すことに必死になって、失念していたのだ。

 エルはイノの頭を抱き、視界を覆い隠すように自分の体に押し付ける。


「くそ……っ」


 いくら視界を覆っても、この気配にはイノも気付いているはずだ。二人をぐるりと囲むように散る、魔物の気配に。


「エル……? どうしたの……?」

「なんでもない、ちょっと待っててくれ」


 何故忘れていたのだろう? 犬や狼は群れで行動する。何故一体倒せばそれで助かるなどと楽観的に考えていたのだろう。

 逃げ道などどこにもなく、先程のように倒せる可能性すらゼロに等しい。助けが来るとしてもしばらく先だろう。その頃にはエルたちは魔物の腹の中だ。


 そして最悪の状況というのは、必ずしも良い方向に転換するとは限らない。


「え、る……?」


 魔物による囲いの外、何十本もの木の向こうに、小さな人影があった。血に塗れたエルたちを、ルイーゼが呆然と見つめていた。

 まだこの辺りで他の子に声をかけていたのか、心配で戻って来たのかはわからない。だがエルが気付いたということは、魔物が気付いていないはずもないのだ。


「逃げろ! はやく!!!」


 魔物の数はざっと数えて十体程。何の力もない子供二人に総力でかかる必要はないと判断したのだろう。二体の魔物がエルたちから離れルイーゼの元へ走り出す。

 止める術を持たないどころか、動くことすらできない。

 自分の腕に噛みつかれた時のことを思い出す。あんな風にルイーゼの喉が噛み千切られるのか。イノも、自分も、このバケモノの餌になるのか。

 全部全部、失うのか。


(そんなの……絶対にいやだ!)


 記憶が蘇る。ルイーゼに怒られた時のこと、ダヴィが初めて笑顔を向けてくれた時のこと、イノが立ち上がった時のこと。


 死なないだけの力が、死なせないための力が、もしあったなら……――


「やめろっ!!!!」


 ――その瞬間、まるで世界が止まったようだった。


 鼓動の音が、やけにはっきりと聞こえた。エルの内側から得体の知れない力が溢れ出し、空気を揺らす。その一瞬、この空間の支配者は間違いなく、エルだった。


 一秒にも満たない僅かな時間、しかしその一瞬は魔物に大きな影響を与えた。

 ルイーゼに向かっていた魔物は直接力に中てられたことで倒れ伏し、力の弱いものが同じように数体気絶する。残りの魔物も怯んだように姿勢を低くしてエルから距離を取った。


 当の本人であるエルは、何も理解できず呆然としていた。魔物を倒したのが自分だということがわかっても、その力の正体がわからない。ただ今までに無かった、いや感じ取れなかった何かが自分の中を流れていることだけは感じ取っていた。


(いや、それを考えんのは後でいい。今は逃げないと……!)


 今ので包囲に穴ができた。魔物が怯んでいるうちにここを離れよう、エルがそう思った直後、どこからか飛んできたナイフが魔物の頭を串刺しにした。


「は……?」


 近くに人間はいないと思っていたため、誰が投げたのか全く見当がつかない。投擲で魔物を一撃で仕留められる力を持った人間が、近くにいる。

 そしてその一投を皮切りに次々とナイフが飛んできて魔物に命中していく。次々に仲間が死んでいくことに焦ったのか、一体の魔物が飛び出してエルたちに襲いかかる。


「くっ……」


 先程と違い何の準備もしていない状態で、不意打ちのような攻撃を上手く避けて魔物を倒すことは不可能だ。奇跡というのはそう何度も起こることではなく、間に合わない事は確実。

 エルは無意識にそう判断していたのか、咄嗟に覆い被さるようにしてイノを庇っていた。

 しかし覚悟していた激痛が襲ってくることは無く、代わりに間近で魔物の短い悲鳴が聞こえた。


「おいレオ、全部仕留めてんじゃねーよ」

「一体残しただろう」

「せめて半分は残せよなァ」


 エルはイノを庇う姿勢を崩さないまま顔を上げて辺りを窺う。エルの目の前で、男が魔物を剣で串刺しにしていた。ここからでは見えないもう一人の男に声をかけると、次はエルたちに視線を向けた。


「んな警戒すんなって。殺しゃしねェよ」


 兵士や騎士、といった風体ではないというのに魔物を一突きで仕留めた、いかにも怪しげな男を前にして警戒するなという方が無理な話だ。殺すつもりがない、というのもそのまま信じることなどできるはずもない。


「……アンタたちは?」

「んー、オレ? オレはグライフ、んであっちにいんのがレオ。ナイフ投げてたのはアイツ」


 グライフと名乗った男は、木の陰から現れた男を指差して言った。彼らの目的は恐らく魔物だ。魔物は肉、皮、骨、臓器、そして魔物の心臓とも言える魔石、どれを取っても高く売れる。それ故に魔物狩りで一攫千金を狙う者は後を絶たず、そのまま帰って来ない者も少なくない。

 だが彼らは明らかに慣れている。彼らはあの魔物たちよりも、圧倒的に強い。それはつまり、彼らにこちらを害す意思があった場合、間違いなく無事ではいられないということだ。


「だァから、殺さねェって言ってんだろ? こんな物騒なもん構えてんなよガァキ」

「あっ……」


 ナイフを握る手に力を込めていたことが呆気なく見抜かれ、するりと簡単に奪われる。


「げっ、これ邪魔な枝とか切るためのヤツじゃん。全然戦闘に向いてねーヤツ。運がよかったなァ、お前」


 グライフはそう言って奪ったナイフを弄ぶ。

 エルの殺した魔物、気絶させた魔物、左腕の傷、二人の男はそれぞれに目を滑らせる。そうしてレオと呼ばれた男は小さく呟いた。


「運がよかった、か……」

「あー……まァ少なくとも後ろのガキにとってはそうだろ?」

「そうだな」

「……?」

「いんやなんでも。あ、お前もしかして孤児院のヤツだったりすんの?」

「そうだけど……」

「そっかァ、今度ウチ来ねぇ?」


 どうにも嚙み合わない会話にエルは聞き返そうとしたが、聞き覚えのない声がそれを遮った。


「レオさーん、あっちの魔物止め刺して来たッスよ。ついでにお嬢さんも連れて来たッス」

「おろしてっ!」

「いてて、わかった、わかったから髪引っ張らないで」

「ルイーゼ!」


 黒と白と茶色が混じった不思議な髪色の十代半ばくらいの少年が、ルイーゼを抱いて近寄って来る。気になっていたルイーゼの無事が分かり、安堵で一気に緊張が和らいだ。

 ルイーゼは地面に下りると一目散にエルとイノの元へ駆け寄り、二人をぎゅっと抱きしめた。


「うぉっ」

「怖かった……!」


 ルイーゼの声は、今にも泣きだしそうなほどに震えていた。


「二人が死んじゃうんじゃないかって……っ、怖かった!」


 エルからルイーゼの表情を窺うことは出来ない。でもルイーゼが必死に涙を堪えていることは伝わっていて、エルは思わず笑みが零れた。


「ごめんな……心配かけて。俺は大丈夫だよ」

「謝ってほしいわけじゃ、ない……っ。それに、血がいっぱい……!」

「これは……ほとんど返り血だから、」


 エルは言い訳しようてして途中でやめ、代わりにルイーゼの背に右手を回す。少し震えていたけれど暖かくて、それは確かに生きている証だった。

 しかしイノは、エルとは反対にその腕から逃れようとした。エルはやっぱりまだダメか、と肩を落とす。でもルイーゼは、腕の力を強めてイノを離さなかった。


「イノ……」

「……」

「無事でよかった、本当によかった」

「なん、で……」

「わたしにとっては、イノも大事な大事な家族なんだよ……? お願い……離れて行かないで」

「あ、ぅ……」


 ルイーゼのお願いに、イノは戸惑っているようだった。

 イノは今日、生まれて初めて飽和しそうなほどの感情を抱いていた。初めて、まだ生きていたいと思えた。


「……生きてて、よかったぁ……」

「うん……!」


 ルイーゼの力がまた強くなり、今度こそイノもそれに応える。イノの心を完全に溶かすには、まだまだ長い時間がかかるだろう。小さな小さな一歩だとしても、前に進むことが出来た、そんな気がした。

 一件落着のような雰囲気を漂わせていたエルたちだったが、横から口を挟まれてその空気は霧散する。


「そろそろいいかァ?」

「ちょっ、グライフさんここで口挟みます?」

「なんとなく話終わったっぽいしいいだろ。つーかそんなことよりさァ、手当てした方がいんじゃねぇの」

「手当て?」


 少年は首を傾げるが、エルは色々あったせいで忘れていた左腕のことを思い出す。傷を自覚した途端、痛みまで戻って来た。


「い゛っ」

「ん? もしかしてあのガキッスか?」

「そーそー」

「なーんか魔物っぽくない血の匂いがすると思ったら……」

「ベル、見てやれよ」

「はいはい。お嬢さんたち、ちょっとどいてくださーい」


 ベルと呼ばれた少年はそう言いながらエルに近づいてしゃがみ込む。ルイーゼとイノは渋々ながらも少し離れる。ベルは傷口を見ると顔を顰めた。


「げっ、がっつり噛まれてるじゃないッスか。その割には出血が少ないよーな……まぁレオさんもグライフさんもそんな感じだしいっか」


 ベルは考えることを早々に放棄して止血を始める。ベルとしてはなぜこんな怪我を子供が我慢できているのかも不思議なのだが、それを指摘すれば本人の我慢が無駄になるだろうと口にすることはしなかった。


「はい、これで一応止血は完了ッス。でもあくまで応急処置だし、少ないっつっても結構な量の血ィ流れちゃってるんで帰ってからちゃんと手当てするんスよ」

「わかった、ありがとう」

「いや~、お礼言われるって新鮮ッスねぇグライフさん?」

「お前悪事ばっかで礼言われるようなことしてねェもんなァ」

「そういう意味じゃねぇッスよ……」


 傷の痛みは消えないが、血は止まっている。しかし、完治するのはいつになるやら。


「エル、怪我してるじゃない!」

「い、いや、大したことないっていうか」

「本当に? ちゃんと治るんだよね……?」

「そんなに心配しなくても、早く帰って処置すればちゃんと治るッスよ。だからほら、帰った帰った」


 痕は残るかもしんねーけど、という言葉は口に出さない。エルたち三人はその言葉に押されるように森の外に向かって歩き出す。

 エルはそうして初めて、生き残れたという実感が湧いた。気の緩みかけたエルを引き留めたのは、レオだった。


「近いうちに、ベルを寄越す」

「なんで」

「少し、話をしよう」


 口数は少なくとも、この彼らの中で最も不気味なのはレオだ。ナイフの投擲だけで魔物を仕留める能力に加え、ベルはグライフよりもレオのことを上の存在として扱っているようだった。力は未知数だが、敵わないことぐらいは分かる。


「わかった」


 助けてもらったとはいえ未だ得体のしれない強者に対して、逆らう術は持ち合わせていない。エルは素直に頷いた。


「ルイーゼ、イノ、帰ろっか」

「え……う、うん」


 エルはイノの手を引いて歩き出す。ルイーゼは戸惑いつつもイノの空いている方の手を握る。

 その後三人は再び魔物に襲われることもなく、ダヴィとエマも含めて一人も欠けることなく孤児院へ帰ることが出来たのだった。



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