善くも悪くも魔女だった・1
「呼ばれなくてもじゃじゃじゃじゃーん! どうも、〈渡り人〉コードネーム・ワタラセです!」
じゃじゃーん! とちょっとの煙幕と火花(ネズミ花火ぽーい)で賑やかに登場したのに、私の目の前にいたおばあさ……ご婦人はくいっと片眉をわずかに上げただけだった。
「腹が立つほど変わらない顔してるわね、貴女」
「いやはやそれが百八つある〈渡り人〉の謎のひとつですからね。まあ私の体感時間的に貴女と最後に話したのがほんの三分前だってのもありますけど」
「除夜の鐘で消えそうな謎の数ね? しかも、インスタント麺よりお手軽」
「しがない公務員なもので」
どっこいせ、と取り合えず大鍋の中から這い出ておく。よかった、火にかけられる前の鍋で。どこに出るかわからないのが我らがカミサマのお茶目なところだよね、まったく。
私の体感三分前、でもご婦人の体感時間的には数十年は経ってるんだろう。夢と希望にあふれたぴっちぴちの元女子高生はもういない。今私の目の前にいるのは、酸いも甘いも十分味わって悟りの域に到達しかけた老婦人だ。推定六十オーバー。平均寿命三十前後のこの世界なら、多分長老レベルだろう。
勧められる前に椅子に座って勝手知ったる他人の家とばかりにお茶を用意する私に、ご婦人はため息ひとつ。どっかとソファに腰を下ろした。
「お疲れですねえ」
「お疲れじゃなきゃ、わざわざ貴女を呼ばないわよ」
「それもそうですね。ところで、あれから何年経ちました?」
「十六年よ」
「あれ、意外と……苦労したんですねえ」
「この世界の農村部の女の老化は早いのよ」
そんなまさか。そりゃあ、生粋の現地人ならそうかもしれないけれど。
「日本人の貴女が同じくらい老け込むなんて、よっぽどのことがあったんですね、モモカさん」
モモカ・ヒグラシ。改め、日暮百花。
休日、友人たちと遊びに行った遊園地内で行方をくらます。首都圏にあるかなり集客力の高い遊興施設内での出来事であったため、当初は人為的な犯罪や事故の可能性も考えられたが、複数の目撃証言および監視カメラの映像から、彼女が忽然と姿を消したことが判明。すみやかに陰陽寮下部組織、〈渡り人〉各員へ通達、情報共有がなされる。
政府記録に従えば、こんなところだろう。常時携帯している特殊な携帯型端末をちょちょいと操作すれば、もう少し詳しい情報が出てくる。
たとえば、彼女の失踪原因が異世界からの召喚であるとか、彼女が誘拐された先で、物語の魔女よろしく都合のよいお助けキャラに祭り上げられたとか、そういったことが。
幸いだったのは、百花さんが連れて行かれた世界が、前々から私たち〈渡り人〉が注視していたところだった、ってことだろう。いやあ、評判悪いんだこれが。そもそも事前の説明も同意も契約もなく、自分たちに都合のいい人間拉致しよう、って考えの連中が評判いいはずもないんだけど。
女子高生だった日暮百花はこの世界、仮称「童話の世界」に渡って願いを叶える魔女になり、モモカ・ヒグラシになった。私が彼女を見つけたのは、多分、先代魔女からの引継ぎ後半年くらいだったのかな?
「……思い返してみれば、本当にくだらない願いばかり叶えてきたわ」
「そうだろうねえ。初仕事が『自己肯定感を高める鏡』だったっけ?」
「『自尊心を満たす鏡』よ。……まあ、壊されちゃったけど」
いわゆる白雪姫に出てくる鏡──つまり、世界で一番美しい人を教える鏡を作ってほしい、って願いだったらしい。でも、ここは仮称「童話の世界」。依頼主が自分が一番美しいと公言して憚らない貴族女性だったから、至る結末なんて見え見えだ。
そこで、モモカさんは考えた。依頼通りの品を渡せば、不幸な人間が最低ひとりは出てしまう。なら、どうするか。依頼主の願いを叶えつつ、悲劇をもたらさないような叶え方をすればいいんじゃないか、って。
これがね、うまくいってしまったのだ。当然、モモカさんは感謝される。その次も、そのまた次もうまくいって、感謝されて、──そうしてモモカさんは、自分を必要としてくれる世界に、愛着を持ってしまったのだ。
一緒に帰ろうという私の誘いは、モモカさんを数日悩ませた。でも、彼女を必要とする人たちが引き止めて、モモカさんは私の誘いを断った。
「思春期でアイデンティティの確立に悩むティーンエイジャーを狙って召喚してるから、タチが悪いと注意喚起されてる世界だって、貴女も教えてくれたのにね」
「最初はありがたかった便利な者も、あるのが当たり前になると空気みたいな扱いになるのは人間全般仕方のない傾向ではあるんですよ?」
それでも、一定の尊敬を集めている内はまだマシだったろう。
モモカさんは責任感の強い人だ。なまじ知っている世界に来てしまったのも悪かったんだろう。
白雪姫の国──本当の名前は別にあるらしいけど、わかり難いから便宜上こう呼ぶ──で得た誰も不幸せにならないハッピーエンドの経験は、彼女にとっては甘い毒だった。
「わかるよ、感謝されると気持ちいいもんね。かく言う私たち〈渡り人〉の一族も同じ穴の狢だし」
「歴史に学ばない愚か者ってことね」
「いやー先祖代々無駄に前向き宵越しの金は持たない主義なもので」
えへへ、と照れてみせれば褒めてないわよ、と冷たいお言葉。
そうして深く、深く息を吐いて安楽椅子に身を沈めたモモカさんを見下ろして、思う。
「……なんかボロっちいですね、ここ」
「森に追いやられた悪い魔女には似合いでしょう」
「えー……マジでー……ドン引きですうー……」
「若い子の真似する年寄りって痛々しいものね」
召喚した時にオラついたもの言いしてたのに、約束した国賓待遇すら継続しないって、要職各位が引継ぎしちゃったにしても最優先申し送り事項だと思うんですけど! けどー!
何をして、あるいはしなかったから悪い魔女なんて言われてしまうようになったのかはわからないけれど、約束した国賓待遇、っていうのは、不当にモモカさんを元の世界から召喚したことに対する補償なのだ。
(うーん、より正確には賠償? かな?)
何不自由ない生活を保障すること、不当に虐げないこと、移住・思想信条の自由を認めること、その他諸々、どんな倫理や社会通念がはびこる異世界であっても、彼ら彼女らが元居た世界と同等の自由と人権を保障する――これが必要最低限度の異世界人召還条件、なんだけどねえ。
これがねえ、稀によく、とかじゃなく、非常によく一方的に破棄されてしまうんだな。自由? 人権? なにそれおいしいの? みたいな旧態依然とした世界から、そもそもこの世は弱肉強食、欲すれば奪え、みたいなヒャッハー系まで、まあいろんな世界が違反常連。そりゃあ、こっちの神様たちも怒髪天をつく、ってなもんだよ。
そんでまあ、違反したからにはペナルティ、罰則がないといけないよね? ってことで。本来異世界転移者本人が望まない限り私たち〈渡り人〉は彼ら彼女らを帰還させることはできないんだけど、召還世界が違反した場合に限り、本人の同意如何に関わらず強制帰還させることを義務付けられているのだ。
通常業務の一環ではあるけどねー。私の体感たった三分でここまで待遇改悪ビフォーアフター見せられると、やるせない気持ちにもなるよね本当。あんなに希望に満ち溢れていた女の子が、ふらっと富士の樹海にでも迷い込みそうな疲れ果てた老婆に変わり果てているのだ。ううん、これはこの世界への嫌がらせ、もとい当然の報復行為にも気合が入ろうってものですな!
「さあさあモモカさん。お手伝いしますのでずずいっとこの大鍋に入ってもらって……え? やだなあ私の趣味じゃないですよお。どうも我らが神様、今のブームが調理器具経由移動らしくって。ああほら、衣服以外の異世界産物の持ち込みは禁止ですよ、え、先代魔女の遺品? 彼女も異世界人だった、って……うーん、異世界は異世界でもここでも私たちの世界でもない異世界産物ですねえそれ……うわこのサーチデータ、うわ、うわあ……」
あ、やば、しまった。ワタラセちゃんうっかり。持ち帰り希望物品のサーチデータって、無条件で協力異世界神々にも一斉共有されちゃうんでしたっけ。ううーん、この世界、オーバーキルの予感。よりによって対異世界過激派急先鋒のとこ産じゃないですか。ワタラセちゃん、知ーらない、っと。
へたくそな口笛を吹く私を呆れ顔で見上げるモモカさんをひょいと大なべの中に担ぎいれて、鍋の外からにっこり、安心してもらうべく笑う。
「後始末はお任せあれ。大丈夫ですよ。先代さんの遺品は、ちゃんと然るべきところにお届けされるよう手配しときますから」
だからいったん、お別れです。
言い終わるか終わらないかというタイミングで、音も光もなくモモカさんが鍋のそこに飲まれて消える。同時に、派手派手しいエフェクトで人間大の魔方陣が宙に浮かんで、そこからぺいっと金髪美丈夫が吐き出されてきた。
最初に彼が口にしたのは、よく聞き取れなかったので彼の世界の言葉だったんだろう。
敵意はないですよー、同業者ですよー、と示すべくホールドアップ、ついでにモモカさんから預かった先代魔女さんの遺品――いかにもな魔女の杖をささげ持つと、眉間の皺がたいそう深い推定金髪エルフはぎゅっとひん曲げていた唇を開いた。
「……サンサーラが召還されていたというのは、まことか」
「お名前は存じ上げませんねえ、残念ながら」
あ、私こういう者ですと、各異世界主要言語名刺を差し出す。社会人のビジネスマナですよこれは。
胡散臭いものを見る目でいた金髪エルフも、つらつらと書かれた但し書きにそちら世界での信頼性を保障する何かが混じっていたんだろう。ひとまずむき出しだった敵意は引っ込めていただけた。ついでに「サンサーラの叔父だ」とか身内でした情報とかも場の空気が重くなるから引っ込めておいていただきたかったなあ、できるなら!