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エスケープ

 堂々と廊下を歩く二人の男性に、その場にいる者達は自然と道を開けて目で追っていく。モスグリーンの軍服をここまで凛々しく着こなす軍人がいるだろうか。それが通り過ぎる彼等の感想だ。

 その者達の正体は、シャトレーズ軍人学校の教官師弟コンビ、アレックスとセドリックである。

 周囲の者達が遠巻きから眺めるなか、向こうから歩いてくるチェリーと目が合った。ぱあっと顔が輝いて小走りにやってきて二人に敬礼をする。

「教官、公務お疲れ様です!!」

「元気にしてたか?」

「はい。いつもセドリックがお世話になってます

 まるで夫の上司に挨拶をする妻の台詞に、セドリックは何を言い出すのかと赤面した。

 しばらく三人は立ち話をしていたが、チェリーが重大なことに気づいたらしく「あっ」と小さく声を上げた。

「さてはあの子、逃げたわね」

「逃げたって誰が?」

 セドリックの疑問にチェリーは小声で「カーリン」と囁いたが、それはしっかりとアレックスの耳に届いていたようで

「いないのか?」

「え、ええ。代休があるから屋敷に帰るって言ってましたけど」

「知らなかったんですか?」とセドリックが尋ねると、チェリーがアレックスの方に目配せして何かを訴えていた。

 

 ― チェリーのやつ、なに慌ててんだ? 

 

 セドリックがそっと隣を見やると、上官の表情はこれから鬼退治に行くのかと思うほど険しい。

「どういうことだ?」

 セドリックが身を寄せてこそっと訊くとチェリーは肩を竦めた。

「カーリンと教官、いろいろあったみたい」

「いろいろってどんな?」

「あんたも共犯なんだから、覚悟しておいた方がいいわよ」

 共犯と言われて唾を飲むセドリックにチェリーは凄んでみせた。




渦中のカーリンは、チェリーの予想通りアレックスとのニアミス回避のため帰省していた。自宅は軍人学校より今の部隊の方がより近いので、帰ろうと思えば容易い距離にある。

フィリデオとの報道も絡んで、家族から帰ってくるよう矢の催促だったのでいい機会だった。

実はカーリン、こう見えても高名な貴族の令嬢である。広大な土地に建てられた立派な建物が彼女の自宅だ。

 屋敷の一室では、母ヘレーナが久々に戻ってきた娘をもてなしている最中である。

開放的な大きな窓、揺れる白いレースのカーテン、貴族御用達の格調高いテーブルセット、ここに来ると忙しない軍人生活を忘れてしまうほど優雅に時が流れた。

 

 ― 今頃、少佐怒ってるかな……。


 カーリンは、母お手製のジンジャークッキーを頬張りながらため息をつく。

今日、アレックスが部隊へ来ることはランディから知らされていた。ついこの間まで嬉々して到着を待ちわびていただろうが、キスを拒んだカーリンとしては後ろめたさに逃げ出したというわけである。

 最初は小さな疑惑だったのに、意地っ張りな性格と恋愛の鈍さがより複雑にさせて引っ込みがつかなくなっていた。

「ねえ、カーリン。フィリデオと少佐さんどっちがいいの?」

 突然のヘレーナの質問に紅茶をこぼしそうになる。

「な、なにをいきなり!?」

 どうにか凌いたカーリンに、ヘレーナは形のいい細い眉を顰めた。

「わたしはてっきり少佐さんだとばかり思っていたら、あの騒ぎでしょう? 先方はすっかりその気だし」

「あれは偶然だよ。そりゃ、わたしを庇って怪我させちゃったのは悪いと思ってるけど」

「怪我させたから仕方なくって風に聞こえるけど?」

「そんなことないよ。フィリデオはいいやつだし気心知れてるから楽しいし」

「少佐さんと一緒だと楽しくないの?」

「少佐とは……」

 近頃アレックスといると楽しいことばかりではない。逢えない時間がもどかしかったり、一緒にいられない分誰かに嫉妬したり、苦しさに胸を焦がすことも多い。

 恋人同士なのに、今のカーリンは片想いだった訓練生の頃みたいにやるせなかった。

 口ごもる娘に、ヘレーナは紅茶のお代わりを注ぐと軽く息を吐く。

「恋って大変よね。いいことばかりじゃないし、つらい時期もあるわ」

「お母様もそうだった?」

 ヘレーナは、自分と同じグリーンの瞳を輝かせる娘に微笑みかけた。

「ええ。もちろん愛があったから乗り越えられたんだけど」

「ふうん」

 仲睦まじい両親も、人並の紆余曲折があったのかと少し安心する。

「フィリデオもいい子よ。でも、わたし個人の意見としてはやっぱりカーリンには少佐さんがお似合いだと思うの」

「どうして?」

「だって、あなたみたいな……」

 と、ここでカーリンの携帯電話が鳴ったのでヘレーナの答えは一旦中断された。表示を見たカーリンは顔を顰めて電話に出ようとしない。

「いいの?」

「ん? ああ、大丈夫。ちょっとトイレ行ってくる」

 着信音が途切れたのを確認して席を立った。ヘレーナが紅茶を飲んでいると間をあけず、また電話が鳴ったので表示を確かめると躊躇いもせず手にする。

「ご機嫌よう、少佐さん」




 これまで行動報告してきたカーリンが、自分を避けるため内緒で帰省していた事実を知ってアレックスは愕然とした。

 仕事の合間を縫って彼女に電話をかけてみたが一度は応答がなく、再度掛けたら聞き覚えのある声に驚く。

『ご機嫌よう、少佐さん』

「ご無沙汰してます」

 カーリンの母親であるヘレーナだった。卒業後に、カーリンとの交際を報告するため屋敷を訪問して以来となる。

『ほんとね。あれからちっとも来てくれないんだから』

「時間が取れなくて申し訳ございません」

 娘とは違ってほんわかとした雰囲気のヘレーナに、アレックスも調子が狂ってしまう。

『カーリンを借りているわ。なんなら、あなたもいらっしゃる?』

「いえ、それはちょっと無理かと」

『そうよね。お仕事ですもの、無理言ってごめんなさい。あら? カーリンが戻ってきたから代わるわ』

 戻ってきた早々、電話をいきなり渡した母親とすったもんだの様子がアレックスの耳にしっかりと伝わってきた。



「勝手に出るなんてひどいよ!!」

「だって、少佐さんとお話ししたかったんですもの」

「なんで!?」

「ずっと会っていないから、声くらい聞いてもいいじゃない。お話ししないなら、わたしと代わってくれる? まだ途中なの」

「お母様の彼氏じゃないだろ!?」


 と、こんな調子である。ようやく落ち着いたようで

「……こんにちは」

 カーリンが蚊が泣くような声で挨拶した。

『こんにちは、リヒター・ド・ランジェニエール伍長』

 

 ― かなり怒ってる……?


 アレックスがフルネームで呼ぶときは、何か心に秘めていると学校時代で学習済みだ。

「お仕事は?」

『休憩中だ』

 ぶっきらぼうな言い方は完全に上官モードで、カーリンは顔を寄せて盗み聞きする母親に背を向ける。

『今、部隊にいる』

「あ、ああ。今日でしたか」

わざとらしくとぼけたが、彼の機嫌の悪さがひしひしと感じ取れた。

「せっかくいらしたのに会えなくて残念です」

『ああ、残念だ』

相手も白々しく同意する。

「会う約束してたの? だったら帰っていいわよ」

横槍を入れる母親に、カーリンは人差し指を自身の口に押し当てて黙るよう制した。

ヘレーナは少女のように頬を膨らませて、ジンジャークッキーをかじり始める。

『カーリン』

「あ、はい」 

不意にファーストネームを呼ばれて思わず反応してしまった。

『迷惑を掛けないように、いい子でいろよ』

黙って代休を取った腹いせか、そう言って電話を切ったアレックスに、カーリンは呆然とする。


ー もう子どもじゃないんだぞ!!


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