決行は降りしきる雨のなかで
『とにかく、カーリンと会わせるって約束したんだ。チェリーも協力してくれよ』
そう言って電話が切れた。
― また安請け合いしちゃって。そういうところまで上官に似なくてもいいんだけどね。
チェリーは呆れたが、その顔は笑っている。容姿端麗、頭脳明晰、そそっかしいのが玉に瑕だが彼氏としては申し分ない。
敬愛する上官がかつての恋敵という皮肉な状況にも対応できる男は貴重な存在だ。成り行きで付き合い始めたチェリー達だが、互いを想う気持ちはカーリン達に負けているとは思えない。
「チェリー、今度外出するとき化粧水買ってきてくれないか?」
いつの間にか、入浴を済ませたカーリンが隣で腹筋をしていた。今先汗を流してさっぱりしたばかりなのに、とチェリーは呆れた視線と注ぐ。
「化粧水なら売店にあるじゃない」
「チェリーが勧めてくれたあれがいいんだ。こんなことなら買いだめしとくんだったよ」
ランディから外出禁止を言い渡されて三週間、カーリンはたまるストレスを筋力トレーニングで発散させていた。
体が締まりますますメリハリボディとなっていくので、チェリーとしては面白くない。「なんならチェリーも付き合う?」と誘われたが五分ともたず根を上げた。
唯一女性らしくクラシックバレエを習っていたせいか、体の線が綺麗なのは訓練生の頃から知っている。
容姿は完璧なのに性格が伴わないところが彼女の良さでもあるが、最近は違う。洗顔だけで済ませていた朝の身支度も時間が掛かるようになってきた。
化粧水のメーカーなど気にもしなかったのに、アレックスに褒められたい一心でチェリーが勧めたものを愛用するようにもなった。
恋人のために綺麗になろうと努力する姿は、同性でも抱き締めたくなるほど健気だ。
― そろそろ願いを叶えてあげないと可哀そうね。
「カーリン」
「うん?」
丁度起き上がったところに、チェリーの真剣な表情があった。
「今度の休み、空けておいて」
「わたしはいつも空いてるぞ。なんてったって外出禁止だからな」
カーリンが口を尖らせたが、チェリーはまったく相手にしない。
「いい子にしてたら、王子様に逢わせてあげる」
この日は朝から細かい雨が降り続けて、地面に跳ね返るしぶきで霧立っていた。学校の門からスポーツタイプの青い車が急発進して出てくると、車内で待機していたジェロニモが慌ててエンジンをかける。
― 助手席に乗っているのは誰だ? くそっ!! 雨で見えやしねえ!!
左右にせわしく動くワイパーの間から、ナンバープレートでアレックスの車と確認して急いで後を追い掛けた。
「上手くいったみたいね。追ってくるわ」
助手席にいたのはカーリンではなく後ろを振る変えるチェリーだった。正面に向き直り運転手を見やったが、その本人の表情は硬い。
「なに緊張してんのよ?」
「だって、これミュラー教官の車だぞ。もし、傷でもつけたらって考えただけでもぞっとするよ」
運転しているのはセドリックで、上官の愛車のハンドルを持つ手が震えている。
「教官はそんな心が狭くないわよ。それより、あんたの車が危なそうじゃない?」
「俺の車?」
「ああ見えて熱い人だから、カーレースよろしく……」
「うわあぁっ!! やめてくれー!!」
情けない声を出して涙目になるセドリックに、チェリーがため息をついた。
セドリックとチェリーが考えた作戦は実に単純だった。セドリックがアレックスの車を運転して、予め合流したチェリーを乗せて学校を出る。
晴れていたら、確実にばれるが幸いなことに雨で誤魔化せた。ジェロニモが追ってくる間に、アレックスがセドリックの車でカーリンとの待ち合い場所へ向かう。
ジェロニモに協力者がいれば双方に追手がつくが、彼は姑息な男だ。基本、単独行動とキャロラインから聞いていたので、カーリンにもマークはないと踏んでいる。
「なんか、愛の逃避行みたいでよくない?」
「愛? 俺はこの現実から逃避したいよ」
「なによ、わたしとデートして嬉しくないの?」
「ってか、そこカーリン専用だろ? 勝手に座って怒られないか?」
いつも最愛のカーリンが助手席に座っているイメージなので、いくら緊急事態とはいえ気が気ではない。
「あら? わたし、ここに座ったことあるのよ」
「ええっ!! いつ!?」
セドリックは、意外な返事に素っ頓狂な声を上げてしまった。
「気になる?」
彼の反応に悪戯っぽく笑う。チェリーがアレックスを好きだったと知っているだけに胸がざわつく。
彼にできることといったら、安全運転とせいぜい平然を装っているのみだ。
「い、いや、別に。そ、そりゃ、教え子だったから一度や二度乗ったことはあるだろうし?」
訂正、平然を装うことすらできていなかった。
噛みまくりの動揺しまくりで額から妙な汗が流れる彼に、チェリーが種明かしをする。
「わたし達の初勝利を祝って、ミュラー班全員で食事に連れて行ってもらったの。そのとき、道案内兼ねて助手席に乗ったってわけ」
「へえ、そんなことがあったのか」
露骨に安堵するセドリックを横目で見てくすりと笑った。
「ところで、カーリンにはちゃんと伝えたんだろうな?」
「ちゃんと言い含めてきたわよ」
そのカーリンは部隊から二駅離れた場所にいた。チェリーが言うには、セドリックがこの場所まで迎えに来てくれるらしい。
目立たない紺の傘を差して待つこと三十分、雨に打たれたカーリンの服も体に纏わりついて不快に感じ始めた頃に青い車が目の前に停まった。
窓が開いて顔を出したのは金髪の同期ではなく栗毛の上官だ。
「早く乗れ!!」
「ミュラー少佐!?」
急かす声に促されてカーリンが慌てて助手席へ滑りこむ。ドアが閉まるや否や、アクセルを踏み込んでこの場を走り去った。
「ひどい雨だな」
アレックスは運転しながらタオルをカーリンに手渡した。てっきりセドリックが来ると思っていた彼女は意表を突かれて言葉すら出ない。
やっと逢えたというのに実感が湧かず、口をぽかんと開けてアレックスを眺めた。「どうしてここに?」と尋ねるのが精一杯である。
「どうして、セドリックの車に乗っているんですか? どうして……」
「いっぺんに質問されても困るな。どれから答えればいい?」
混乱しているカーリンとは反対に冷静に訊く彼。
顔は正面を向いて視線だけ隣に移すアレックスは、久しぶりに見たせいか胸が高鳴った。こういう瞬間が、彼を愛しているのだと実感する。
「まだカメラマンが張っている。だから、セドリックと車を代えて巻いたってわけだ」
「ジェロニモって男の人、まだいるんですか? だから、外出禁止だったんだ」
カーリンは納得したがある重大なことに気が付いて声を上げた。
「カルマン大尉は知っているんですか!?」
すると、返事はなくアレックスが苦笑する。
― カルマン大尉にも内緒なんだ……。
「責任は俺がとる」
「そんな少佐だけが悪いんじゃないし、わたしだって逢いたかっ……」
カーリンの言葉は続かなかった。赤信号で停車したアレックスが、彼女を引き寄せて短く熱いキスをしたからだ。
「それ以上言うな。安全運転でいられなくなる」
目を細めて笑うアレックスに、カーリンの瞳がたちまち潤む。たった三週間会えなかっただけなのに、と人は笑うだろうが本人達にしてみれば一日千秋の想いで過ごしてきたのだ。
こぼれた涙をアレックスが人差し指で拭うも止まらない。指から伝わる恋人の体温と優しさが、空白の時間を埋めていくのをカーリンは感じた。




