春うらら その2
公園内の遊歩道を、健脚な二人はくまなく散策ことにした。
建物内での生活が多くなったカーリンは、ここぞとばかりに全身で陽の光を浴びる。
鮮やかな芝生と色とりどりの花で春を満喫しながら、アレックスをちらっと見た。歩幅を合わせて歩いてくれるさりげなさは、シックな装いと同じで大人の魅力が窺える。
文句なしの彼氏を隣に、カーリンの笑みは絶えない
道すがら手を繋いでいるカップルとすれ違い、つい立ち止まって視線で追ってしまう。
― いいなあ。わたしも手を繋いで歩いてみたい。少佐の手って大きいし好きなんだけどなあ。
訓練生の頃は何度も触れる機会があったのに、今となっては相手からモーションを起こさない限り難しい。
ほんの少し勇気を出せば触れ合う距離がもどかしくて悶絶する。
「カーリン?」
腕を前に差し出して奇妙なポーズを取る恋人に、アレックスは怪訝な表情で見やった。気恥ずかしさを悟られないようわざとらしく背伸びでごまかす。
「気持ちいいですね。デスクワークばっかりだから体が鈍っちゃって」
頭より体を動かす方が気が楽だと笑う彼女に、アレックスは苦笑した。
「部隊と学校では規模が違うからなにかと大変だろう」
「敷地とか広くて未だに迷います。この間もバレージ中尉に案内してもらって」
男の名前がカーリンの口から飛び出すとアレックスは眉を顰めた。
階級からして上官だろうか。年齢は? 背格好は?
部隊に行けば、様々な男達と出会って当然だ。覚悟していたとはいえ、こうも現実味を帯びると胸がざわつく。
楽しげに語り始める彼女の横顔を、アレックスは複雑な思いで眺めていた。
「俺の前で他の男の話をするな」
と言えたらどんなに楽か。大人のプライドが邪魔をして、素直に曝け切れない自分がいた。
恋は人を大きく進歩させるのか、あの鈍いカーリンがアレックスの微妙な表情を読み取った。
― 少佐、元気ないな。やっぱり、無理したんじゃ……。
教官の頃からチェリー達が甘いと呆れるほど、カーリンの頼みは叶えてきた。だから、今回も無理してきたのではと不安になる。
口にすれば、きっと彼は否定するに違いない。それだけ、恋人の上官は優しいのだ。
どこまで甘えていいのか、恋愛初心者には皆目見当がつかない。暇があればチェリーが愛読しているそのての雑誌で勉強しているが、参考にするには内容が高度過ぎた。
ごちゃごちゃ考えても仕様がない。ここはひとつ自分らしく振る舞おうと、恋人に元気よく手を振る。
そんなカーリンにアレックスの表情は一層険しくなった。
軽い素材のスカートは彼女が動き回るたびにふわりと舞ってかなり際どい。バレエで得た見事な曲線美が露わになると、周りにいる男達の視線を釘付けにした。
当人はスカート歴が浅いので、状況が全く理解しておらず無邪気に手を振っている。挙げ句の果てには、「少佐―!!」と大声で呼ぶ始末だ。
軍人学校の頃は『教官』で、恋人になったら『少佐』。いずれも苗字と肩書で、名前では呼んでくれないカーリンにアレックスは憮然とした。
― 公共の場で、階級を叫ぶやつがどこにいる。ああ、ここにいたか……。
幸い気にする通行人はいなかったので、アレックスは胸を撫で下ろした。
「こういう場に来たら、名前で呼んでくれないか」
やっと隣に並んだカーリンに、早速ダメ出しをする。
「名前……ですか?」
「言っておくが、ファーストネームの方だ」
『ミュラー少佐』と言い掛けた彼女をいち早く察知して先手を打つと、瞬きを二、三回して固まった。
「えっと……」
「忘れたわけじゃあるまい?」
「もちろん」
恋人だから名前で呼び合って当然だが、男女交際ゼロの彼女にはハードルが高すぎる。しかも、相手は上官で年上だ。
「ねえ、アレックス」
などと、とても恐れ多くて言えるはずがない。
「ちなみに名はアレックス」
「……知ってます」
「なら、言ってくれるな?」
催促するグレーの瞳に大きく首を横に振って抵抗したが、容赦ない鋭い視線にカーリンがとうとう観念した。
「ア、アレックス・ミュラー……少佐」
「苗字と階級は余計だ」
教官よろしくバッサリと言い放つと、彼女も口を固く閉じる。
アレックスの方は、軍の上下関係をプライベートに持ち出す気はさらさらない。呼び捨てでも一向に構わないのだが、なぜか頑なに拒むカーリンの気持ちが理解できないでいた。
― 一言で済むのになぜ言わない?
― ぜっったい無理!! 勘弁して!!
麗らかな春の公園に、真剣な表情で見つめ合う二人は完全に浮いていた。
好奇の目に晒されて、いたたまれなくなったカーリンがわざとらしく遠くを指差す。
「あ、蝶々!!」
「……」
「喉渇いたからジュース買ってきますね」
逃げるように自販機へと走っていくカーリンを見送るアレックスはため息をついた。スカートの件も然り名前も然り、自身の心の狭さを自嘲する。
自分のために一生懸命綺麗になろうとする彼女を、責めるのではなく嬉しく思ってやりたいが本心が許さない。
「あまり綺麗になるな。不安になるじゃないか」
心に潜む負の感情を抑えられず、つい口からこぼれた。
それから二人には微妙な空気が流れて、オープンカフェでのランチも食だけ進んで会話は進まなかった。
そんな様子だから、閉園を待たずして帰路に就くこととなる。
車内の二人はしばし無言で、先に沈黙を破ったのはアレックスだった。
「疲れていないか?」
「はい。とても楽しかったです」
途中のアレがなければ、もっと楽しめたのだが。
「少佐こそ忙しかったんでしょう?」
「だいぶ落ち着いたよ」
「新しい教官が来たってチェリーが言ってたけど、どんな方ですか?」
「カワサキ中尉のことか。なかなか優秀な女性らしい」
「女の人……ですか?」
カーリンの心がちくりと痛んだ。
女の教官など珍しくはないがビアンカの時もそうだったように、アレックスの身近な異性は嫉妬の対象となる。
会って、埋まり掛けていた心の穴がまた開いた気がした。
「カーリン」
赤信号で停車した際に名を呼ばれて顔を上げると、身を乗り出したアレックスがキスをする。
後ろの車からクラクションを鳴らされて、信号が変わったと知る彼は唇を離すとギアを入れた。
不意打ちのキスに、先ほどの嫉妬が吹き飛んで心が一気に満たされる。
「少佐はいつも突然なんだから……」
上気した顔でぼそりと呟くカーリンに、アレックスは口角を上げた。
カーリンを部隊まで送ると、アレックスはその足で学校へと帰って行った。見送る彼女は寂しさと虚しさに包まれる。
「教官、来たんだ」
ゲートの近くで、外出から戻ってきたチェリーに出くわした。
「チェリーも今、帰り?」
「うん」
そう長くない宿舎への道のりを、今日の出来事を語り合いながら二人は歩いていく。
夜が過ぎれば、またそれぞれの一日が始まるのだ。