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敬愛と恋愛 

 シャトルーズ軍人学校が訓練生で賑わって早一ヶ月、新緑が目に眩しい季節へと変わっていった。

 各教官達が訓練生の指導に奮闘すると同じく、アレックスも教務主任のフレッド・マーカー中佐と新任教官の補佐に駆けずり回っている。

 自分もついこの間まで新任だったのに、補佐とは奥がましいがこれも任務だから仕方がない。

 担当の班を持たないとはいえ多忙な日々を送っており、実はカーリンと会う前日まで徹夜まがいの残業をしていた。

 彼女が知れば気にするので内緒にしている。


 各部の調整を終えたアレックスが自身のデスクで一息ついていると、ふっと影が差したので顔を上げた。

「ミュラー教官、よろしいですか?」

 艶やかな黒髪が教え子だったリコを彷彿とさせる女性が立っている。

 カワサキ・シノブ二十四歳。

 臨時勤務で赴任してきた中尉で、スレンダーな身体に合うサイズがなかったのか着ている戦闘服は少しだぶついていた。

「訓練実施計画書の確認をお願いします」

 差し出したファイルを受け取って目を通すアレックスを、シノブは傍で待っている。何カ所か手直しして再び彼女にそれを渡して、初めて至近距離でシノブと向き合った気がした。

 奥二重の黒い瞳に少し薄い唇、シャープな顔に静かな笑みをたたえている。アジアンビューティーで、訓練生の間で噂される『教官トップ4』の一人だ。

「ご苦労」

「ありがとうございます」

 シノブが引き揚げると、隣の席のビアンカがすかさず身を寄せた。

「カワサキ教官は要注意よ」

「お前にかかれば、皆要注意だな」

「失礼ね。これでも人を見る目はあるんだから」

 ランディと婚約するのだから、確かに見る目はあるかも知れない。

「彼女、あなたをかなり慕っているみたい。気を付けなさいよ」

「敬愛と恋愛は別物だ」

「あら、カーリンもそうだった?」

 恋人を引き合いに出されてアレックスが思い切り眉を顰めると、ビアンカは愉快そうに話を続けた。

「そういえば会いに行ったんですってね。元気にしてた?」

「ああ」

 返事もそこそこに仕事に取り掛かる彼を、半眼のビアンカが含み笑いをする。

「なんだ?」

「どんな顔で愛を囁くのかしら? 眉間のしわから想像できないけど」

「用がないなら黙ってくれないか? 気が散る」

「はいはい」と退散するビアンカを目の端で確認したアレックスは盛大なため息をついた。



 しんと静まり返った教官室にキーボードを叩く音だけが響き渡っていた。課業後、夜遅くまで残業しているシノブである。

 他の教官達が帰っていくなか、新任の彼女だけがデータの整理をしていた。自分の班だけに人に手伝ってもらうわけにもいかず、ビアンカの申し出を丁重に断り黙々と作業を始めて、ふと時計を見ると、夜の十時となっていた。

 背伸びをする彼女の目の前に、すっとコーヒーを差し出された。顔を上げると、コーヒー片手にアレックスが立っている。

「有り難うございます」

「あまり無理をするな」

「なかなか捗らなくて」

 机に腰掛けようとしたアレックスだが、以前教え子に注意されたのを思い出して椅子に座り直した。

「すぐに慣れる」

「ミュラー教官は優秀な方ですから」

 直視して称賛するシノブに、彼は苦笑する。

「優秀じゃなかったら、フラッツェルンで多くの命は救えません」

 『フラッツェルン』という単語に、アレックスの表情が凍りついた。


 五年前、士官学校を卒業したばかりのアレックスと親友ランディの初陣が『フラッツェルン紛争』だった。

 当初は小規模な紛争だったが、上層部の愚行と打算が招いた悪化する戦況に指揮官が逃亡するという事態に陥った。急いで本部へ戻ったアレックス達が見たものは阿鼻叫喚の作戦室だった。

 烏合の衆と化した軍隊をアレックスが指揮官、ランディが副指揮官を代行することで、命からがら生還を果たしたのである。

 戦死者が生存者を上回るという悲惨な結果に、軍は世間の目を逸らすべく若干二十二歳の彼等を英雄に仕立てた。

 それからの二人は『フラッツェルンの英雄』という十字架を背負って生きることとなった。

 

「兄も参戦していたんです。サカキ・ユウヤ、ご存知ないですか?」

 その名前にアレックスはひどく動揺した。ご存知も何も第四小隊長をしていた同期の名前である。

「苗字が違うが」

「親が離婚したので、兄妹は別々に暮らしていました。わたしは母方の姓なんです」

 潤んだ瞳を向けられて、アレックスは言葉を失った。カーリン達と出会って癒されたと思っていた傷がまた疼き始める。

 マスコミや世間から『英雄』と囃し立てられていた頃、重傷のまま帰還したサカキは数日後還らぬ人となったと聞かされた。

「もう少し対処が早ければ……。すまない」

 唇を噛む彼に、シノブは首を横に振って微笑んだ。

「ミュラー教官を責めてはいません。むしろ、感謝しているんです。死体すら還ってこない状況で、兄は家族に見守られて死んだのですから」

 こんな身近に犠牲者がいたのかとアレックスの胸は痛む。カーリンとの恋に浮かれていた自分にとてつもなく罪悪感を覚えた。

 自分は幸せになる資格があるのだろうか。

 ここにきて改めて疑問を抱いた。

 


 私室へ帰ったアレックスは携帯電話を手に取った。

『こんばんは、少佐』

 カーリンが早いコールで出た。きっと、電話が掛かってくるのを待っていたのだろう。

「元気にしてたか?」

 話したいことは山ほどあるのに、言葉が出てこない。わずかな沈黙に電話口の彼女が怪訝そうに尋ねた。

『何かあったんですか?』

「どうして?」

『なんだか元気がないから』

 たった二言しか交わしていないのに、こちらの心情を察したかと正直驚いた。

「いや。至って元気だ」

『なら、いいんですけど。わたしでよかったらなんでも言って下さい』

「そうだな。言葉に甘えて一つだけ」

『はい』

「俺のどこが好きなんだ?」

 カーリンは今度こそ躊躇わずに即答した。

『素敵なところです。たくさんあるけど、全部言いますか?』

「是非」

『長くなりますよ』と笑いながらカーリンは語り始める。そんな彼女の声を一つも聞き漏らさぬよう目を閉じて心に留めた。

 

 


 ベッドの中でカーリンは携帯電話とにらめっこしていた。そんな時、着信音と表示された名前ですぐさま耳に当てる。

「こんばんは、少佐」

『元気にしてたか?』

 まるで父親だな、と頬が緩んだがその後アレックスから言葉が続かなかった。口数が多くはないから、つい見逃してしまいそうになる間にカーリンの心はざわつく。

 学校で何かあったのだろうか。訊いたところで役に立てるか分からないが、訊かずにはいられない。

 すると、『俺のどこが好きか』と卒業式での質問が返ってきた。少し低めの声に、やはり何かあったのだとカーリンは確信する。

 恥ずかしさで体中が火照るのを感じながら、今度は躊躇わずに答えた。

「素敵なところです」

 頭脳明晰、落ち着いている、均整の取れた長身、カッコいい、あと声がいい……。

 我ながら語彙力がないと落胆しつつも、思いつく限りの言葉を紡ぐ。アレックスは軽く相槌を打って促すと、最後まで聞いてくれた。

 いよいよ理由も尽きて言葉を区切ると、「ありがとう」と告げて通話を終える。

 心なしか前より明るかった。

 カーリンは窓から身を乗り出して満天の星空を仰ぐ。


 ー 傍にいれば、もっと安心できるのに。


 一番好きな人の心が分からず、会えない距離がもどかしかった。

 

 

 




 

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