絡み合う感情の糸 その1
倒れたシノブの代わりに急きょスピーチを任されたランディだが、そこは素早い機転でなんなく遂行した。
「お疲れ様」
慰霊祭が済んで、片づけが始まった会場でビアンカがランディを出迎える。
「カワサキ中尉の容態は?」
「一時はパニック状態だったけど、今は落ち着いているわ」
「そうか」と安堵してネクタイを緩めた。自由人の彼は格式高い礼服が大の苦手である。
「まさか、カワサキ中尉がユウヤの妹とはな」
彼は共に生死を乗り越えた戦友に思いを馳せた。
「苗字が違っていたら、誰も気付かないものよ」
それにしても、とランディは先ほどの光景に渋い表情だ。顔面蒼白でシノブを抱えるアレックスの姿はとてもじゃないがカーリンには見せられない。
放っておけない気持ちは分かるが、事情を知らない者からすれば二人の関係を疑われてもおかしくない状況に肝を冷やした。
「カワサキ中尉はアレックスが好きなのか?」
ランディが彼女を見やると、深いため息と一緒に頷く。
「ここへの臨時勤務もアレックスがいたからですって」
「カーリンも婚約者やらライバルやら大変だなあ」
「彼女の婚約者って来賓の参事官?」
「そう。なかなかのイケメンだろ?」
ランディもフィリデオとは直接面識はなく、慰霊祭の前後に挨拶を交わした程度だ。相手は恋敵の親友と既に知っている風だったが。
― 爽やかな笑顔の下はとんでもなくしたたかだな。
人当たりのいい笑顔はランディの専売特許だと思っていたが、上には上がいるものだ。
「なんだか雲行き怪しくなってきたよ」
せっかく紆余曲折して結ばれた二人だから、今後は穏やかに過ごしてもらいたい。
「あなたは大丈夫?」
ビアンカの質問に一瞬面食らったが、すぐいつもの笑顔で返した。
過去の紛争で傷ついているのはアレックスだけではない。ランディもまた副指揮官として親友と共に戦地を駆け巡った英雄の一人なのだ。
彼にとっても毎年行われる慰霊祭は、当時へと引き戻すきっかけになってしまう。
そんな婚約者を見兼ねたビアンカの意思を汲み取った。
「大丈夫じゃないと言ったら慰めてくれるかい?」
「今日だけよ」と笑う彼女の肩を抱いて、ランディは会場を後にする。
大きなガラス窓から東の空が白々しくなって、カーリンは朝を迎えたと知った。
視線を落とすと、膝枕で眠るアレックスがいる。
張り詰めた緊張の糸がぷつりと切れたのか、彼女の体にすがったまま眠りに落ちてしまった。
そろそろここを離れないと人目に付くのでアレックスの肩を揺らす。
「少佐、ミュラー少佐」
カーリンの腰を抱いてすり寄ってくるアレックスは、凛々しい礼服と子どもみたいに甘えるギャップが妙におかしくてクスリと笑った。
「今、何時だ」
「四時頃だと思います」
「ずっとこうしていたのか?」
くぐもった低い声がカーリンの身体を通して感じる。
「気持ちよく眠っていたから、起こしそびれました」
おもむろに上体を起こしたアレックスが開口一番。
「ひどい顔だな」
「お互い様です」
泣き腫らした顔と憔悴しきった顔、どちらがましなど議論する気もない。
一晩中、座りっぱなしだったカーリンには申し訳なかったが、お陰で穏やかな眠りにつけた。「寝たのか」とアレックスが訊くと彼女は首を横に振る。
「少佐の寝顔って滅多に見られないから」
「そんなもの、いつでも見せてやる」
だから部屋で休めと、先に立ち上がったアレックスがカーリンの手を掴んで引き起こした。フィリデオのそれとは違う大きく硬い手の感触が、彼女のわだかまりを溶かしていく。
長時間同じ体勢で足が痺れたのか、よろめくカーリンを支えた。
「あれ? 足の感覚が」
すると、足元がふわりと浮いて大きく視界がずれた瞬間アレックスの顔が真近にある。
「軽いな。ちゃんと食べているのか?」
横抱きされたカーリンは、合同訓練以来のシチュエーションに狼狽えた。
「降ろしてください!! 人が来たら……」
「言い訳はちゃんと考えている。暴れたら落とすぞ」
慌てて首にしがみつくカーリンに彼の口角が上がる。傍から見れば呆れるやりとりも、今の二人には何物にも代えがたい幸せだ。
一晩休んでだいぶ落ち着いてきたシノブは、外の空気が吸いたくなって医務室を出た。
時刻は朝の四時。
当然誰もいないと思っていたら、ロビーの方で話し声がするのでそっと壁に寄り添った。
ほのかな陽の光に映える金色の髪と姿は見えないが低い声に、あの二人だとシノブは息を飲む。
― ミュラー教官とリヒター伍長? こんな時間に何を……。
会話に耳を傾けていると、どうやらここで夜を明かしたらしい。そして、傷ついた彼を癒すのはシノブではなくカーリンという現実を改めて突きつけられた。
やがて、恋人を抱き上げたアレックスはまだ薄暗い廊下へ消えていく。
― 最初からわかっていたことじゃない。
シノブは漢字で『忍』。『耐える・こらえる』という意味を持つ名前をこの時ほど嫌になったことはない。
医務室で見せたアレックスの優しさは、一人の女性でなく部下への心配だった。勘違いするほどのそれは時として残酷で、また切ない想いを一人で耐えなければならない。
淡い恋は、いつの間にかシノブ自身も戸惑う激しい愛へと変わっていった。
カーリンは部屋で仮眠をとったのち、ランディと共に部隊へと帰っていく。見送りはビアンカとセドリック、そしてアレックスだった。
「では、帰るとするか」
ランディは敬礼すると、教官側もそれで返す。カーリンとアレックスは互いに目で語り合った。
― お元気で。
― 気を付けて。
名残惜しく何度も振り返る彼女を、アレックスもまた見えなくなるまで見送っている。
ランディ達を見届けて教官室へ向かう途中、セドリックがため息交じりに言った。
「いろいろありましたけど、無事終わってほっとしました」
「ほんとね。今回は教育部長の空回りね」
ドアを開けると、シノブがいたのでセドリックが驚きの声を上げる。
「大丈夫ですか!? 今日まで休んでいた方がいいのでは」
いつもの控え目な笑みで、シノブは三人に向き直って深々と一礼した。
「もう大丈夫です。ご心配お掛けしました」
「元気になってよかったわ」
ビアンカがシノブの肩に手を置いて課業の準備へ取り掛かる。アレックスは何も言わず頬を緩ませるのみだったが、シノブにはそれで十分だ。
「カルマン大尉は戻られたのですか?」
「ええ、たった今ね。あなたによろしく伝えてくれって」
「参事官にもお礼の電話を入れた方がいいでしょうか?」
フィリデオの名前にアレックスの眉がピクリと動くと、ビアンカが「お願いね」と代わりに返事をする。
フィリデオといえば、カーリンの手をしっかりと握って医務室へ登場してきた。シノブの見舞いというより婚約者の関係を見せつけた感じである。
なにも彼女に恋心を抱いていた者はフィリデオだけではなかった。例えば隣にいるセドリックもそう。
ただ彼の場合はカーリン同様感情と言動が直結していて、強烈な一発を喰らったがそれで水に流すという潔さもあった。
だが、フィリデオは違う。
本心は決して明かさない厄介な相手だと気が重い。
「あの、俺になにか?」
上官の視線を感じて、セドリックはまたしでかしたかと恐る恐る尋ねた。
「お前はいいやつだな」
「え? へっ?」
ぼそりと呟いて自分の席に着くアレックスにセドリックは呆然と突っ立っていた。




