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二人のミュラー少佐 その1

 次第に近づく雨季の影響か、穏やかな春の陽気も崩れていく日が多くなった。

「お昼からまた雨らしいわよ。まったくやってられない!!」

 出勤前の朝、チェリーが鏡の前でぼやいている。湿った空気のせいか髪がまとまらないのも相俟ってご機嫌斜めだ。

「チェリーはそのままでも可愛いよ」

「分かってるわよ!!」

 荒々しく答える友人に肩を竦めると、カーリンはさっさと着替えを済ましてしまう。すると、急にチェリーが大人しくなってこちらをじっと観察していた。

「な、なに?」

「カーリンって食べても太らないよね。おまけに綺麗な身体してるし」

「いやらしい目で見るな!!」

 思わず胸元を両手で隠して背中を向くと、チェリーが回りこんで囁く。

「教官も襲いたくなるんじゃない? それとも襲われた?」

「少佐はそんなことしない!!」

「愛しの少佐もう二十七よ。健全な成人男性なら、ねえ」

 恋人の名誉のために何か反論しようとしたが言葉が見つからない。なにしろ、二人っきりになると甘く迫ってくるのは事実だ。

「ファーストネームも呼んでもらえない、触らせてもくれない。大の男がよく我慢していると思うわ」

「そんなことより早く食堂に行かないと混むぞ!!」

 話を強制終了して、カーリンは部屋を出た。


 チェリーには言わなかったが、一回だけアレックスがそんな素振りをしたことがある。

 キスの最中、背中を抱く彼の手が臀部に伸びてきたので、カーリンが狼狽えて厚い胸を押しのけた。「すまない」とぼそっと謝るアレックスを、目も合わせられず俯いた彼女にはその表情は窺い知れない。

 キスも慣れてきたと少し自信をつけた矢先の出来事だっただけにショックは隠せなかった。あれから彼は二度としてこなかったが、もしあのまま許していたら……。

 ここから先はカーリンには想像不可だ。

 

 同期の恋愛事情をこっそり盗み聞きすることがあるが、けんかしたり甘えたり忙しい。別れる別れないの応酬がしばらく続いたかと思えば、もう新しい彼氏の話題となっていた。

 初恋が叶ったばかりのカーリンに別れる選択はあり得ないと首を捻る。有能でイケメンのアレックスに不満はないし、時々意地悪するがカーリンが拗ねると、笑って頭を撫でてそこで終了となる。もし、別れるとなれば原因は自分にあるだろう。

 雑誌や同期の情報を総合すれば、時期的に一歩踏み込んだ関係になってもおかしくはないようだか。


 ― わたしって恋人として最低なのかな……。恋なんて初めてだしどうしていいか分からないよ。


 アレックスに応えてあげたい自分と拒絶する自分がいて、つくづく優柔不断を情けなく思うのだった。

 


 まるでカーリンの心を表しているのか、チェリーの言葉通り昼過ぎから雨となった。

 カーリンがランディを探していると、ただ今接客中とのことだ。もうすぐ終わると聞いてカーリンが応接室の前にやってきた時である。

 ドアが開いてランディが出てきたので駆け寄ろうとしたが、すぐ後ろから現れた人物に足が止まった。

 歳は五十半ばですらりとした軍人に見覚えがあったからである。栗色の髪にグレーの瞳、精悍な顔立ち。そう彼はアレックスの部屋にある家族写真に写っていた男性。

 カーリンの驚きを知ってか、ランディが複雑な表情で隣の男を紹介した。

「リヒター・ド・ランジェニエール伍長、こちらはダスティン・ミュラー少佐」

「ミュラー……少佐?」

「アレックスのお父さんだ」

 やっぱりと思った。

 カーリンの心臓は激しく脈打ち、頭が真っ白になって言葉が出てこない。辛うじて「初めまして」と挨拶した声は動揺で揺れている。

「君がリヒター・ド・ランジェニエール伍長か」

 カーリンを分析しているのか、息子と同じ鋭い瞳で凝視している。

「リヒターで構いません、ミュラー少佐」

 何度も呼んでいる名前だが、今回は響きは違っていた。

「少……、ミュラー教官にはとてもお世話になりました」

 恐らくダスティンは息子の恋人を見に来たのだろう。幼く頼りない女と思われてはいないか、好きになってくれた彼のためにせめて父親の視線を正面から受け止める。

 気持ちとは反対に手足が震えてきたのがランディに伝わったのか、二人の間に割って入ってくれた。

「ミュラー少佐はこのあと会議でしたね。リヒター伍長は俺に用があったんじゃない?」

「あ、そうです。この書類を確認してもらいたいのですが」

「それではミュラー少佐、失礼します」

 一礼したランディは、ダスティンの視界からカーリンを隠すように背中を向けて歩き出した。



「驚いただろ? 公務でいらしたらしい。」

 ランディが動揺がまだ治まらないカーリンを労わるように説明する。

「あの父親、堅物すぎて苦手なんだよなあ。融通が利かないのはアレックスも同じだけど、あいつの場合面白いから楽しいんだけどね」

 愉快に笑う彼に「そうですか」と小声で答えるのが精いっぱいだ。そんな彼女に穏やかな笑顔を向ける。

「何かあったらすぐアレックスか俺に言えよ」

「はい」

 カーリンも小さく笑った。



 その日の夕方、部屋で寛いでいるとカーリンの携帯電話が鳴った。知らない番号だったが出てみると、男性の低い声に顔が強張る。

『私は先ほど会ったダスティン・ミュラーだが、突然の電話で失礼する』

「こんばんは」

 姿勢を正して電話を受けるカーリンに、居合わせたチェリーは怪訝そうにこちらを見ていた。すっと部屋を出ると廊下で小声で話す。

「あの、何か?」

『君と話がしたいんだが今から出てこれるかね?』

 またカーリンの心臓が大きく跳ねた。


 ― 断れ、カーリン。どうせ少佐絡みに違いない。


 ― 少佐のお父様だぞ。無下にはできない。


 心の中で二人の自分が葛藤する間、沈黙が続いた。


 ― とにかく会うだけ会って、気まずかったら帰ろう。


 カーリンは決心して「はい」と返事した。



 雨は激しいわけではないがシトシトと降り注いで街を濡らしていた。

 ダスティンが指定してきた喫茶店は、部隊のすぐ近くにあったのでそれほど濡れずに済んだ。傘を畳み、店内に入るとその人物は彼女を見つけると片手を挙げる。

 アレックスと同じ仕草に、カーリンは胸をときめかせながら向い合せに座った。

「突然呼び出してすまない」

「大丈夫です」

 注文を取りに来た店員に彼はコーヒーを二つ頼むと、カーリンに向き直る。

「君のことは息子から聞いている。付き合っているそうだね」

「はい」

 予想していたとはいえ、目の当たりにして動悸が激しくなり心臓が持つかどうか本気で心配した。

 コーヒーがテーブルに並べられて、そのうちの一つにダスティンが手を伸ばして口をつける。

 一つ一つの動作が恋人と重なり見惚れてしまった。

 低く澄んだ声、ピンと伸びた背筋、数十年後のアレックスを彷彿とさせる容姿を持つ男が口を開く。

「あれも大人だ。女性と付き合ったこともあるだろうが、私に報告したのは君が初めてなんだよ」

「え?」

「ここの部隊にいると聞いて公務がてら会ってみたくてね。まさか、こんなに若くて美しいお嬢さんだとは思ってもみなかったが」

 社交辞令だと分かっていたが、真剣なダスティンに顔が赤らんだ。

「少佐には不釣り合いだと思いますが、わたし……」

「そうだな」

 間髪入れず肯定した彼にカーリンはますます動揺して、落ち着こうと手にしたカップは震えが止まらない。

 ようやく一口飲んで彼をまた見据えるが、真意を探るには彼女は幼過ぎた。

 


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