第二話 【そして始まるデコボコな日々 (注意:僕は望んでいませんでしたが)】
「今からちょうど2年前、私の所属する傭兵旅団はある化け物に襲われて壊滅したわ。今となってはただの言い訳にしかならないけど、客観的にみても旅団そのものは中級クラスの実力を持っていたとは思う。団員達の結束も固かったし、チームワークも悪くはなかった、それなりに危険な任務をこなし、徐々に自分達の実力をあげる努力もしていた。順調だった。でも、だからこそ油断していたんだと思う。夕食を取りながら今後の予定について話し合っている最中に突然奴は現れた。いきなり団長が背後から強烈な一撃をくらって吹っ飛ばされ戦闘不能に・・そして、次は私で・・慌てて防御を固めてそれでもなんとか態勢を整えたはずだったのに、奴は私を軽々と持ち上げたあとそのまま地面へ・・」
「わかった、もういいですよ、ローレ。わかりましたから、旅団のお話についてはよくわかりました。それ以上の詳しい内容については不要です。またいつかお願いします」
本気で死ぬような目に合されたのだろう。話をしている最中ローレの顔色がみるみる青ざめていくのわかり、僕は彼女の話を慌てて遮って止めた。彼女は僕の声にびくっと反応してすぐにしゃべるのをやめたけど、だからといって一旦思い出してしまった恐怖の思い出をすぐに再び記憶の奥底に沈めることなどできるはずがない。小刻みに震える手で目の前のマグカップを取って、中のコーヒーに口をつけようとするけれど、なかなか果たせず、ようやく口に到達したかと思うと盛大にこぼしてしまう始末。
僕は無言で立ち上がると、食器棚の引き出しから奇麗なタオルを出してきてすっかり汚れてしまったローレの口元や胸元や手元を奇麗に拭き取ってやる。
「あ、ご、ごめ・・」
「思い出しますねえ。中学時代もよくこうして拭いてあげたものです。君って弁当食べるのが壮絶にへたくそで、ごはんを口に運んではぼろぼろ、そぼろを口に運んではぼろぼろ、わざとやっているんじゃないかって思えるくらいよくこぼしていたものです」
「そ、そんなにこぼしてない!!」
僕の言葉に若干頬を赤らめさせて憤る彼女。ふむ、ちょっと復活したかな、じゃあ、もうひと押ししておくか。
「こぼしてましたよ、そういうところ全然変わってないんですからねえ。体格だけは横に立派におなりになったのに」
「な、なああっ!! そ、そんなに太ってない!! ど、ドワーフ族の成人女性の平均体重よりも・・ちょ、ちょっとだけ・・増えただけ・・じゃないかなあ」
「ちょっとじゃありませんよ、かなり増えましたよ、なんですかこのお腹は。あのスリムで可愛かったローレはいったいどこにいってしまったのか」
わざとらしくがっかりした様子ではふ~と溜息を吐きだしてみせると、ローレはなんだか怒り顔になったり恥ずかしそうな顔になったり嬉しそうになったり悲しそうになったりとやたら表情をくるくると変化させて、結局最後にはあ~とかう~とかいいながら顔を伏せてしまった。しかし、先程までの恐怖の記憶のことはとりあえず忘れてしまったようで顔色は完全に戻っていて、僕はわざとではない安堵の息を少しだけ吐き出すのだった。なんだかんだ言ってもこの単純な性格の幼馴染のことは決して嫌いではないし、久しぶりに会えたことについては純粋に嬉しい、だからこそ折角の再会で悲しい顔をされるのはあまりよろしくない。
彼女は笑ってる顔が一番いいのだから。
「あ、あの、ソウ」
「はい?」
「当時の私ってスリムで可愛かった?」
「でなかったら嫁に来いなんていいませんよ。それに僕の気持ちについてはあのときちゃんと伝えましたよね? そして、あなたはそれをきっぱり断り、あまり思い出したくないことですが、僕はふられたはずでしたが」
恥ずかしながら、11年前、僕は彼女にプロポーズして見事に玉砕したという過去を持つ。いや、当時の彼女はほんとに可愛かったんですって。元々胸は大きいし腰はくびれていたし、背は低いけど顔はそこそこ可愛かったですしね。性格に難があるといってももう長い付き合いでそこのところはよく把握していたから、別に苦とも思ってなっかたからなあ。でもまあ、結局僕は見事に彼女に振られたわけで、しかも未練たらしく夢破れたら嫁にもらってやるなどとかっこ悪いことまで言ってしまったわけですが。
と、そういう想いを込めて彼女のほうをじっと見つめると、ほどなく僕から目を逸らすだろうという予想に反して、悲しそうで恨めしそうな視線で見つめ返す・・いや睨み返してきた。
「嘘付き・・」
しかも『人』を嘘付き呼ばわりって。をいをい、ちょっと待ってください。振られた僕がなんで非難されているんでしょうか。
「嘘付きって・・何がですか。あなたが僕を振ったのは厳然たる事実じゃないですか」
「確かにそうだけど、あのとき、ソウは私にわざと振られるように告白してきた。私は馬鹿だからずっとずっとそのことに気がつかなかったけど、あのあと中学を卒業して傭兵団に入って社会に出て、いろいろな『人』と関わるようになって、ようやく初めてあのときのソウの本当の気持ちがわかった・・」
「いやいや、本当の気持ちも何も、告白しているんですから、あなたを好きだったってことで、なのにわざと振られるような真似をするわけないでしょ」
と、僕は如何にも呆れましたという表情を浮かべて見せると、尚も非難がましい視線を向けてくるローレから視線を外し、彼女のコーヒーを淹れ直すためにコップを持ってその場を離れる。流れるような動作で台所に向かい、ポットからコーヒーを注ぐ僕。落ち着いた大人の雰囲気をそこはかとなく振りまいてみせるのだけど、実は手が震えないようにするのに全神経を集中していたりする。正直、まさか、そんなという想いでいっぱいなのだ。あの恋愛オンチのローレが僕の真意など気がつくわけはない、と、内心は動揺しまくっていたのである。
しかし、僕の予想を奇麗に裏切って、ローレは十数年前に解けなかった問題の解答に辿りついていたことを僕にあっさりと証明してみせる。
「あのとき・・親父をはじめとする家族とかから止められて、私はあのとき夢を諦めようとしていた。だからなんだろ? わざとああいう言い方で告白してきたのって。『外に行ったって危ないだけだと思いませんか? それよりも僕のお嫁さんになって平穏に暮らすほうがいいと思いません? どうせ、怖い思いしてもどってくるだけでしょ? 夢はいつか覚めるし、大抵は叶わないものですよ。失敗するってわかっているんだから、もう傭兵になるのなんて諦めて僕と楽しく暮らしましょうよ』・・普段のソウなら絶対そんなこと言わないって今ならわかるよ。あのときは自分のことで頭一杯だったし、自分の夢を笑われたみたいでもう完全に頭に血が上っちゃって。勢いで『おまえとなんか一緒に暮らすもんか、絶対傭兵として成功してやる!!』なんて言って飛び出して行っちゃったけど・・背中、押してくれたんだよな・・」
最初のほうこそ怒り声でしゃべっていたローレだったけど、段々声が小さくなっていき、最後のほうは涙声になってついには聞こえなくなってしまった。あ~、もう~、なんで十数年もたってからこういう恨み事を聞かなければいけないのだろう。もう終わったことではないのか?
そう思って彼女のほうをそっと振り返ってみると、涙目でこっちをじ~~っと見つめているのが見えた。どうやら、彼女の中ではまだ終わってないことらしい。
いや、いくらなんでももう時効でしょ? 中学生の時の話じゃないですか、あれから何年たったと思っているんですか。お互いもういい大人ですよ。思い出思い出。甘酸っぱい過去の思い出です、もう、そういう想いはないんです。そう自分に言い聞かせて、僕は溜息を一つ大きく吐きだすと、コーヒーを淹れたコップを持って再びテーブルに戻り、彼女の前にそれを置いて自分の席へともどる。
どっかりと椅子に身体を沈め、ぽりぽりと後頭部をかきながら、憮然とした表情・・というよりもどういう表情をすればわからないので、そうなってしまったわけだけど、ともかくそんな感じの様子で彼女のほうを見つめ、まとまらないままに口を開く。
「・・気のせいじゃないですか。今も昔も僕は邪悪ですし、そんな言い方しかできないひねくれ者だってことは、あなたもよくご存知でしょ? 背中を押したって、そんなこと僕がするわけが・・」
「彼女いるのか?」
どう答えたものやら。とりあえず、話を適当に有耶無耶にして夕食でも一緒に食べながら世間話して帰ってもらおう、そうしようそうしよう。と、頭の中で計画が徐々に組み立てられつつあった僕の考えをきっぱりすっぱり遮るように、突如、僕のぐだぐだ話にとんでもない質問を割りこませてくるローレ。
咄嗟に返事を返すことができず、しばし睨みあう僕とローレ。
まずい、ここはひとまず!!
「も、勿論、います・・」
「やっぱりいないんだな」
『彼女ぐらいいますってばさあ、旦那』と軽い感じで言おうとした僕だったけど、何故か物凄く確信に満ちた表情で僕の答えを否定しにっこりとほほ笑むローレ。え、ちょっと待って、なんでそんな自信満々で断言しちゃうわけ?
「な~んだ、な~んだ、やっぱりソウは未だに私のこと好きだったんだ。やっぱりなあ、やっぱりなあ」
「ちょ!! まっ!! なんですか、なんなんですか、それは!?」
僕の目の前でビヤ樽みたいな身体を気持ち悪く揺すりながら、やたら笑顔をふりまき続けるローレ。もう見ていられないくらいにやけっぱなしだ。なんだ、なんだ、なんでそうなるんだ!?
「ま、待ってください、おかしいでしょ!? もう何年たっていると思っているんですか!? 普通ありえないでしょ!?」
「うん、普通はありえない。でも、ソウならありえる」
「なんでっ!?」
「物凄い頑固で一途だもん。あのとき言ってたよね、初めての相手以外の女性とは一生つきあわな・・」
「うわあああああああああっ!!」
一番触れられたくないことを口にするローレの言葉を大声で遮り、僕はテーブルをバンバンと激しく叩いて黙らせる。あああああああっ!! もうっ!! 女性のくせになんてデリカシーのない奴なんだ!! もう恥ずかしいやら腹立たしいやらで、かなり怒った表情で彼女を睨みつけると、彼女は困ったような恥ずかしそうな顔で僕を見返す。
「私も・・ソウ以外にはいなかったし、作らなかったよ」
「へっ!?」
一瞬彼女の言ってる意味がわからず、思わず怒る顔を放棄し間抜けな表情で彼女をまじまじと見返すと、彼女は顔を伏せて上目づかいで僕のほうを見ながら口を開く。
「傭兵の仕事してるときも何度か声をかけられたことはあったけど、全部きっぱり断った。・・だって、傭兵の仕事辞めたらソウのところにお嫁に行かないといけないって思ってたし」
「いやいやいや、そこはもう終わったことだから、新しい恋に生きてもらっても一向に構わないというか・・」
「でも、ソウだって、あれから誰とも付き合ってないんだろ?」
「うぐっ!!」
きょとんとした表情でさも不思議そうに、しかも当り前のことをなんでわざわざ問いかけてくるんだろうみたいな表情で僕を見つめ返すローレ。いや、だって・・あ~、もう、そうです、そうですよ。あれから僕は十数年彼女いませんよ。誰とも付き合ってませんとも、仕事一筋に生きてきましたよ、ええ。
しかし、どうしても解せない。なんで、彼女はこれほど自信満々で僕に彼女がいないと言い切れる!? いや、それどころか、なんだかわからないけど、僕の近況を知っている気がする。物凄くする!!
僕は自分の胸の奥底から湧き上がってくる疑念について確認しようと、ローレのほうに向きなおり真剣な表情で問い掛ける。
「ローレ・・君さあ、どうやって僕のこの家の場所知ったの?」
「え、聞いたもの」
僕の問い掛けにあっさりと答えを返してくれるローレ。しかし、それだけじゃわからないでしょうが!!
「いや、だから誰に? うちの父上? それとも君のところの親父さん?」
2人共僕のこの家の場所は知っている。当たり前だけど、父上はまあこの家を購入してくれた『人』だから当然なんだけど、実はローレの親父さんも僕の家の場所は知っている。というのもローレの親父さんは、僕の畑仕事の師匠の1人でもあって未だに親交を続けているからだ。ローレと繋がりがあって、僕の居場所を知っている人物となるとこの2人くらいなんだけど。そう思って問いかけると、ローレは首を横に振って見せ、あろうことか僕の予想を大幅に裏切る答えを返したのだった。
「ソウのところの『若』旦那さんに」
「ああ、そう、『若』に聞いたのね・・って、なんで!? どういう繋がりで!?」
吃驚仰天して問いかけると、ローレはいたずらが見つかったみたいな表情を浮かべて僕が更に驚愕するような事実を話し始めるのだった。
「旅団が壊滅しかかったときに、偶然通りかかって私達を助けてくれたのが、ソウのところの『若』旦那さんだったんだ。本当に危ないところだったんだけど、旅団のメンバー全員の命を救ってくださって、しかも、傭兵としてやっていけなくなった私達の身の振り方までとことん御世話してくださった大恩人なのさ」
「ええええええええっ!?」
知らないぞ、そんな話!? いや、待てよ、確かに2年前、『若』が腕の立つご友人一同と一緒に危険な交易路を突破し、不足しがちな薬草や霊草を2つの都市に届けたことがあって、そのときに傭兵旅団を助けたとかいう話を御館様がされていたような・・あれがそうだったのかああっ!!
「私は他のメンバー同様に精神体に深い傷を負ってしまってな、傭兵を廃業しなくちゃいけなくなったんだけど、どうしても諦めきれなくて。身体の傷が治ったあと何度か傭兵の仕事を引き受けてやってみたんだけど・・結局ダメだった。身体の傷は大したことないのに、ちょっとしたことで精神が耐えられなくて倒れてしまうんだ。身体の傷と違って精神に負ってしまった傷はすぐには治らない、何年かすればよくなるらしいんだけど、それも『人』によって個体差があるからいつになるかわからない。もう、傭兵を続けるのは絶望的だとわかってさ、もうなんにもやる気がなくなっちゃって、貯金を食いつぶしながらふらふら生きていたら、こんな身体になってしまった」
えへへと、自虐的な笑みを浮かべながら僕を見詰めたローレだったけど、その気弱な笑顔を浮かべたままで言葉を続ける。
「このまま実家に帰るのもかっこ悪いし、でも、これからどうすればいいかもわからない。他の仕事を探してもよかったけど、戦うことしか能のない私に他にできることなんて何もない。そうやってだらだら生きていたけど、貯金も底をついて、もう、どこかで静かに野垂れ死にしようかなって思っていたときに、また、ソウの『若』旦那さんにみつかって助けられちゃってね。『若』旦那さんの家に連れていかれて、そこでしばらく厄介になっていたんだけどさ、そのときに私の身の上話を聞いてもらっていたらソウの話になって。最初はソウのことだってことを、はっきりさせて話していたわけじゃなかったんだけど、そのうち『若』旦那さんが、『その元恋人の方って、うちで働いている方にそっくりなんですけど、もしかして・・』って。で、名前聞いたら、『永倉 宗一郎』だっていうし、性格のこととか容姿のこととか故郷のこととか更に聞いてみたら、もう間違いないってなって」
そこまで話したローレは一度話を区切ると、目の前におかれたコップを両手で持つと、くぴっと一口飲み穏やかな笑みを浮かべて僕のほうを見た。
「ミルク多め、砂糖多めのほとんどコーヒー牛乳のカフェオレ。覚えていてくれたんだ」
「手が滑って多めに入っただけです。きっぱり気のせいです」
「そう?」
「そうです・・って、いいですから、話を続けてください!!」
身体はかなり横にふくよかになってしまったが、顔はほとんど太っていないせいか、その笑顔はほとんど昔のまま。僕はなんだか嬉しいような悲しいようなどうにも自分の気持ちをだんだん持て余し始めてきて、不貞腐れたような表情を作って顔を横にそらすと、ローレに話を続けるように促す。するとローレは若干寂しそうな表情を浮かべながらもまた話を続け出した。
「『若』旦那さんから、私と別れたあとのソウのことを聞いた。『若』旦那さんのお父さんの所で物凄く頑張って頑張って、すごく優秀な一人前の『霊薬草栽培人』になったって・・なんか、嬉しかったな、私と違ってソウはちゃんと夢を叶えてさ。それに比べたら私は。あまりにも自分が情けなくてさそのときはその話はもうやめましょうって打ちきったんだけど、そしたら翌日の夕方、『若』旦那さんが、ソウの住んでいる場所の住所の書いた紙とここまでの念車の切符とか渡してきて『会いに行くべきです』って。もうどうしよう、どうしようって、一晩悩んで、結局朝になっても決められなくて玄関出たところでまだ悩んでいたら、『若』旦那さんの奥さんが」
『どっちにしろ行かないとローレさん後悔することになるんじゃないかしら。それにひょっとしたら、相手の方ずっとローレさんのこと待ってるのかもしれませんよ。旦那様の話だと一回も浮いた話が出たことがない方だって仰っていらしたから。もしそうなら、これからも待たせることになるんでしょうね。どうします? まだ待たせておきます?』
「・・って言われて、それでその・・来ちゃった」
横にワイドな身体をすくませながら、僕のほうをちらちらと見つめるローレ。ああああ~~、もう、あの万年バッカプルは、なんでこう余計なことをしてくれるかなあ。大事な友人を助けてくれたことには感謝するけど、そのまま実家に送り返すなりなんなりしてほしかったなあ。どうして、わざわざ僕のところにふるのさ!?
「め、迷惑だった? 迷惑だったよな?」
頭を抱えてテーブルに突っ伏し唸り声をあげていると、本気で泣きそうな声(・・というか、もう泣いてるし!!)で、僕に問いかけてくるローレ。あ~、も~、めんどくさい。めんどくさいなあ、もう!!
僕は心の中で即決断すると、テーブルの向こうでぽろぽろと涙を流している友人にとっとと出て行けと告げるために口を開・・こうとしたけど、できなかった。出て行け、帰れ、と言葉にしようとするけれど、どうしてもそれを果たすことができない。しばらく金魚みたいに口をパクパクさせていた僕だったけど、目の前のローレの顔を見ているときつい言葉がしおしおと枯れていき、結局僕はそれを口にすることを諦めて、代わりにもう一度大きく溜息を吐きだした。
「ご、ごめん。その、無理があるってことは私もわかってるんだ。本当はソウの顔を見たら帰るつもりだったんだけど、あんまりにもソウが昔のままで嬉しくて、ついはしゃいでしまった。あ、あの・・やっぱり、わ、私そろそろかえ」
「貯金は?」
「え?」
気まずそうな、そして心から寂しそうな笑みを浮かべて腰を浮かせかけて帰ろうとするローレだったけど、僕が問い掛けの意味が一瞬わからなかったらしく、ローレはしばらくほけ~っとして僕を見つめ返してきた。そして、それからたっぷり2分以上僕とにらめっこしたあと、ようやくその意味がわかったらしく、恥ずかしそうな表情を浮かべて小声で答えた。
「貯金は・・その」
「ああ、そうか、もう本当にないんだね」
「だ、だったらなんだ!? なにがいいた・・」
「『若』のところにずっとお世話になりっぱなしになるわけにはいかないでしょ? ここにいればいいよ」
「え?」
僕の言葉に再び硬直するローレ。あ~あ、とうとう言っちゃったよ、僕。でも、もういいや、どのみち友人を放りだすなんて僕にはできないしね。え、往生際が悪すぎる? あ~~、う~~、わかってる、わかってはいるんだけどなあ。
「い、いいの? ほんとにここにいていいの? お嫁さんにしてくれるの?」
「あ~、待って待って、その答えは『イエス』で『ノー』だ」
自分の出した答えに僕が懊悩していると、その間に僕の言ったことが理解できたローレが、嬉しいような、でも信じられないようなという複雑な表情を浮かべて詰め寄ってくる。しかし、僕はそのローレを慌てて押し留めると、大きく深呼吸をひとつして表情を引き締めとりあえず絶対言っておかなくてはならないことを口にする。
「とりあえず、好きなだけここで寝泊まりしていいし、その間はちゃんと僕が責任を持って君のことを養うからそれも心配しなくてもいい。ただし・・」
僕はこれ以上ないくらい真剣な表情でローレに断言する。
「嫁の話は当分なし!!」
「ええええっ、な、なんで!?」
「なんでって、そりゃそうでしょ!? あれから何年経ったと思っているんですか!? いや、そりゃあね、言いだしっぺは僕です、約束は守らないといけません。しかしですね・・」
僕はそう言って立ち上がり、スタスタとローレの側まで近づくと、呆気にとられているローレをしばらく見つめ、そして。
『むにょ!!』
「あっ!!」
電光石火の素早さでローレのお腹のお肉をむんずと掴むと、それを引っ張ってローレに見えるようにたぷたぷとさせて見せる。
「これはなんですか!? これは!? 僕が好きで・・愛してプロポーズしたローレにはこんなお肉はありませんでしたよ!! いくら夢破れたという大きなショックを受けたからと言っても暴飲暴食が過ぎます!! このお肉とお別れするまでその話は保留です!!」
しばし睨みあう僕とローレ。だけどやがてゆっくりと顔を伏せたローレは、僕に表情を見せないようにしてポツリと呟く。
「じゃあ・・私はどういう立場でここにいることになる? 無銭飲食の同居人? それともただの友達? どちらにせよ厄介者だよな」
「ああ、もうほんとにめんどくさい『人』ですねえ!! じゃあ、『婚約者』でいいじゃないですか」
「『婚約者』? じゃあ、やっぱり結婚してくれるの!?」
やけくそ気味に僕がそう叫ぶと、ローレは目をキラキラさせながら僕の胸倉を掴み、その昔と全然変わらぬ剛腕で僕の身体を引き寄せる。僕はなんとも言えない複雑な表情を浮かべてローレをしばらく見つめ返し、なんとか誤魔化せないか必死に頭を巡らせたが、もうどうにもならないことを悟り、一応最後の抵抗を試みる。
「やせたら・・あの頃くらいスリムになったら約束を果します。でも、そうじゃなかったら、絶対にしません。僕はデブ専ではありませ・・むぐっ!!」
仏頂面で尚も言いつのろうとした僕だったけれど、とんでもない怪力で更に引き寄せられ、気がついたらローレの唇で口を塞がれていた。最初のうちはなんとか逃れようとジタバタとしていた僕だったけど、ああ、そういえば中学時代もこうだったなあと思いだし、諦めて力を抜く。そして、しばらく一方的に抱きしめられていた僕だったけど、やがてローレはその拘束を解き、幸せいっぱいという表情を浮かべて僕のほうに視線を向けた。
「あの、私いろいろと頑張るから。だから、その、・・不束者ですがこれからよろしくお願いします・・やった~、やった~、ソウのお嫁さんだああ!!」
「いや、だから、まだ結婚しないって言ってるでしょうが!! 『人』話を聞きなさいって、ビヤ樽ドワーフ!!」
やたら嬉しそうにはしゃぎまわるローレに、なんとか話を聞かせようと怒鳴り続ける僕。この後しばらくローレと僕の攻防は続き、なんとか婚約どまりということで納得させることができた。こうして、僕とローレのでこぼこな毎日が始まったのだけど・・いやもう、このあといろいろと・・本当にいろいろとあることに。
疲れ続ける毎日の始まりだった。