魔剣スカーレッド1
その日、スカーレッドはどこかふわふわとした上の空だった。
正確には理由のわからない不安がその心を覆い、目の前の事に集中できないでいた。
なぜそのような事になっているのか分からない。
ただ漠然と…何かが起こりそうな不安と恐怖を感じてる。
(なんでだろう…とても怖い…)
怖さに震え、今すぐにでも逃げ出してしまいたいが、剣であるスカーレッドは一人で歩くことは出来ない。
ただ黙って、何も感じず、何も知らず…ただ誰かに振るわれるだけの道具。
しかし不思議な事にそれを自覚することでスカーレッドの中の謎の恐怖心が少しだけ和らいだ。
それは何故か?それは今自分を振るっている者の腕の中が彼女にとって最も安全で安心できる場所だからに他ならない。
スカーレッドは今でも…いや、いつだって覚えている。
自身が魔剣となったその日の事を。
「スカーレッド。お前は「魔剣スカーレッド」だ」
──────────
「ゆ、ゆるひて…」
眉間に触れた血のような剣の剣先に両手にあげてカララは震えていた。
その剣の持ち主であるエンカはカララの命乞いには反応を見せず、その隣にいるアトラに視線を向けて警戒していた。
「そんなに睨まなくてもぉ~この状況で私も手を出したりしませんよぉ~こう見えて仲間思いなのでぇ」
そうは言いつつもアトラはエンカからは見えないように後ろ手に黒く小さな箱の形に収納されている自らの大剣を手にしており、いつでも振るえるよう準備をしている。
そんな二人に挟まれてカララはただ震えるしかできず、しかしたまらず小声でアトラに声をかける。
「アトラ!ちょっとアトラ!早く助けて!」
「えぇ~?正直めんどくさそうなので逃げたいのですがぁ」
「仲間思いって話はどこに行ったのよ!」
「いいですかぁカララさん~ボスも言っていたでしょう~?「人は常に一歩先に進む生き物」だと~。つまり先ほど仲間思いと言った私とぉ~今の私でわぁ~すでに別の存在という事なのですよぉ」
「やかましいのよ!いいから早く助けて!お願いだから!」
とうとう大声を出したカララにプスリと剣先がわずかに押し込まれて血が流れた。
「ぎゃあああああああああ!?ちょっと!待って!お願いだから!」
「はぁ~あの~カララさんが何か失礼をしたのなら謝りますからぁ~一度剣を下ろしてはいただけませんかぁ~まずは文明を持つ人同士話し合おうではありませんかぁ~」
「…そんな殺気を放っておいてよく言う」
「おっとぉ~」
アトラは箱をしまうとおどけたように両手を広げ、敵意は無いとアピールをする。
しかしエンカは何も言わずそのままの姿勢を保っていた。
「うーん強情ですねぇ~というかこの人誰ですぅ?」
「アトラ!こいつあれ!あの前襲われた!」
「あぁ~カララさんがピーピー泣いて戻ってきた時のぉ~。え~とえ~とぉ~たしかぁエンカさんでしたっけぇ?目的は何ですぅ?どうしてこんなところにぃ~?」
「僕の目的はいつだって一つ…悪の滅殺。それ以上でも以下でもない」
「んまぁ~カララさんはともかくこんな地味な見た目の私を捕まえて悪ですかぁ~よく見てくださいぃ~無害そうでしょぉ~?」
実は自らの容姿が他人にどう見られているか理解しているアトラはここぞとばかりに分厚い丸眼鏡のレンズの向こうの瞳をぱちくりとさせてエンカに迫る。
「それ以上近づくならこの女の額に風穴があくことになる」
「悪役っぽいセリフですねぇ~。あなたのほうがよっぽど悪ですぅ~」
わずかに不愉快そうに目尻を歪ませたエンカが手に力を込め、剣先がさらに少しだけカララの額に食い込んでいく。
「ちょっとアトラ!あんまり挑発しないで!お願いだから!カララちゃん一生のお願い!」
「一笑?何笑ってるんですぅ?ぶち殺されたいんですかぁ?このクソあまぁ」
「どこにキレてんのよ!馬鹿やってる場合じゃないでしょ!?血が出てるんだってー!!!」
「はいはい~冗談はこのくらいにしましてぇ~本当にちょっとやめてもらえませんかぁ?何故かこちらに敵意を持っていることはわかってますがぁ~今はこちらもあなたと争っている場合ではないのでぇ~お互い怪我をしたくなかったらとりあえずぅ~もう一度言いますけどその剣を下ろしてほしいのですぅ~」
「僕はここで何をしていると聞いた。答えろ」
アトラは少しだけ何かを考えた後、カララを横目で見てため息を吐いた。
情報とカララを一瞬のうちに天秤にかけ…結果としてアトラは仲間の安全を取ったのだった。
「この辺に魔物がとてもいっぱいいるでしょ~?それを引き起こしているわるぅ~い人たちを捕らえようとしているところですぅ~。このままだと一般の人にも被害が出てしまいますでしょぉ~?と言うか実際に出ていますぅ~そんなの悲しいでしょぉ?我々はとても胸を痛めてるのですぅ~罪のない一般の人々を守るために頑張っている最中なのですぅ~だからほらぁ~ね~?」
「…」
アトラの話を聞いたエンカが視線はそのままにゆっくりと剣を下ろした。
それと同時に剣がほどけるようにしてスカーレッドの姿に戻り、カララは目にも止まらぬ速さでアトラの背に隠れた。
「おやぁ~?話には聞いていましたが不思議な剣ですねぇ~女の子になるなんて~。いやぁ女の子が剣になっているのですかねぇ~?」
「そんなものどちらでもいい。この瞬間悪事を働かないというのなら…僕は今日この場でのみお前たち悪を見逃そう」
「ふむぅ?カララさんとアレ…協力者さんに聞いた話ですとぉ割と問答無用なところがあったという事ですがぁ~思ったより素直さんですねぇ?」
本音を言ってしまえばアトラとしてはおそらく衝突は避けられないであろうと予見していた。
むしろそのつもりで思考を戦闘用に切り替えようとしていたほどだ。
しかしエンカはあっさりと剣をひっこめたためにわずかに肩透かしを食らった気分だった。
「…悪が許されないと言うのなら、正義は肯定されるべきだ」
「はい~?」
「僕をこの場に送り込んだ者…アリスの言葉には正義があった」
そしてエンカはアリスから依頼を持ち掛けられたときの事を思い出した。




