始まり
朝早くに家を出て、目的の場所である図書塔にたどり着いたころにはもう辺りは行き交う人々で溢れかえっていた。
思ったより距離があったようでびっくりしつつ古びた…でもしっかりとした扉に手をかけて開く。
入口からすでに本で溢れた道を進んでいき、受付のカウンターに座っているであろう人の元まで一直線で進んでいくと私が会いに来た人であるアマリリスさんが複数の物々しい雰囲気の大人に囲まれていた。
大人たちは必至な様子で何かを訴えかけているようだったけれど、アマリリスさんは涼しい顔では音のページをめくっているだけで相手にすらしていない。
もし私があんな風に人に囲まれたらきっとあわあわするだけで終わってしまうだろう。
それはともかくとして一応は取り込み中だしどうしようか…?とうろうろしているとアマリリスさんが私に気づいたようで、パタンと本を閉じて私も元まで小走りで近づいてきた。
「ユキノちゃんおはよう。朝ごはん食べた?」
「おはようございます…ご飯はいえ、まだですけど…」
あまりにも自然かつ気さくな挨拶に返事しつつ、話はいいのかな…?と恐る恐るアマリリスさんを囲んでいた大人たちを見ると凄い形相でこちらを見ていたのでそっと目を反らす。
やっぱり取り込み中みたいだし後にしたほうがいいのかもしれないと踵を返すも、がっしりとアマリリスさんに腕を掴まれそのまま外に引っ張られる。
「え、え、ちょっと」
「ご飯まだなんでしょ?私もまだだから一緒に食べよ~」
「あの、でもあの人たちはいいんですか?」
「いいのいいの、どうせもう帰る頃だったし」
ならいいのか、な?なーんて考えかけたけれどやっぱりダメだったみたいで…豪華な服を着たおじさんがズンズンと距離を詰めてきてアマリリスさんの肩を掴んだ。
「待ちたまえ!まだ話は終わっていない!」
「はぁ…」
めんどくさそうにアマリリスさんがおじさんの腕を払いのけ、ゆっくりと振り返る。
「う…な、なんだその顔は!」
私には背中しか見えていないけれど、おじさんは少し怖がるようにして後ずさる。
アマリリスさんは身長が高いためにおじさんを見下ろす形になっている。
「なんだも何もめんどくさいって顔ですよ~。もう話は終わったでしょう?お腹がすいたので早くお帰りくださいな」
「まだ終わってなどいない!」
「何度言われても嫌なものは嫌です。ね?終わってるでしょ?」
「下手に出ていればつけあがりおって!」
おじさんがこぶしを握り締め振り上げた。
危ない!と私が前に出ようとした時、その前に少し若い男の人がおじさんの拳を止めた。
「父さん、少し落ち着こう。いやはや父がすみません。しかしこちらもただでは国に帰れないという事情を察していただきたく」
男の人は丁寧に腰を折ってお辞儀をしている。
どうもこの人たちはアマリリスさんに何かをお願いしているようだ。
「ならお腹がすいたし、嫌だと言っている私の事情も察していただきたく~。はい、もう終わり終わり。帰らないというのならこちらもやることやらないといけなくなりますよ?」
少し怒ったように言い捨てたアマリリスさんに今度こそ手を引かれて図書塔の外に連れて行かれる。
しかし扉をくぐる瞬間でピタリと動きを止めた。
「レイリ!私ちょっと出かけて来るから後お願い!…よし行こうか」
そのまま私たちは外に出て、扉が閉まる瞬間にギィィィィィと扉が閉まる音に混ざって…別の何かが軋むような音がかすかにだけど聞こえた気がした。
────────
「あの…よかったんですか?さっきの人たち…」
賑わう街中を歩きながら、一応確認だけしてみる。
アマリリスさんの興味はすでに朝ごはんに何を食べるかに移っているらしく、きょろきょろとお店を吟味している。
「んー?いいのいいの。前言ったアルバイトの子に任せて来たしだいじょーぶ」
「…重要な話とかでは?」
「ないねぇ。ただの引き抜きだから」
「引き抜きですか…?」
「そそ。ご苦労な事にどこか遠くの国からわざわざ来たみたいでね~、魔物の被害が多いところなんだけど私にぜひ移住してくれないかだって。これでもほんのちょっとだけ名前が知れちゃってるから魔法で魔物退治してくれってさ」
「な、なるほど…」
やっぱりめちゃくちゃ凄い人なのでは…?疑惑がやはり張れない。
知れば知るほど謎が増えていく不思議すぎる人だ。
「まぁでも…ちょっと裏の目的がすけすぎだよね」
「裏?」
「なんか変なプライドとか対抗心?そんなお腹の膨れもしないものに囚われて帝国に頭を下げられないから私を引きぬいて少しでも帝国に優位に立ちたいんだよ。そんな事に巻き込まないでほしいよね」
「はぁ…」
私には縁遠いというか…よく分からない領域の話なので何も言えない。
ただ…今まさに私を変な事に巻き込もうとしている一人のアマリリスさんがそれを言うのはちょっと?と思わなくもない。
「ところで私に何か用でもあったの?」
いつの間にか両手に食べ物の刺さった串をもったアマリリスさんがそう聞いてきた。
そうだ、私は話があって図書塔まで行ったんだ。
「その…皇帝さんのところまで連れて行ってもらえませんか」
「んん?まさかもう答えを出したの?」
「…ええまぁ」
「ほぇ~思ったより早かったね。一本食べる?」
「…いただきます」
串を一本受け取りつつ…そう言えばナナシノちゃんはご飯どうするんだろうと何も考えていなかったことに思い至ったのだった。
────────
一方ナナシノは…。
「んしょ…んしょ…やっぱり取れないですね…」
寝室の壁や床に飛び散った謎の男の血を一生懸命拭きとろうとしていた。
しかし時間が経ち、こびりついてしまった血液は水拭き程度では落とすことが出来ず、途方に暮れていた。
「もう壁紙の張替えとかしたほうが早いですよねコレ…でもちょっと考えないとこれから血が飛ぶことも増えるかもしれませんし…」
ナナシノの視線が二段ベッドの下の収納スペースに向けられる。
そこに収められているのは例の血濡れた包丁だ。
昨夜の瞳に涙を貯めて痛みを堪え、悶えるユキノの顔を思い出す度にナナシノの背中をゾクゾクとしたものが駆け抜けて身体中が熱く火照る。
今までの人生で娯楽や快楽と言ったものに触れてこなかったナナシノは初めて自らに芽生えたその熱に抗うすべを持たない。
「…早く帰ってこないかな」
対等な人付き合いもしたことがないため距離感すらもおかしなことになっているが、それはユキノも同じなので指摘する物は誰もいない。
ナナシノはまた来るであろうその時に胸を焦がしながら…寝室の掃除を進めていくのだった。
アマリリスさんは仕事前に朝ごはんをちゃんと食べるタイプなのでユキノちゃんが来る前にすでにご飯を食べています。




