15
朝になった。
一樹は、二日酔いになったことはない。
体質的に、酒には強いようだ。
酔いつぶれたことは一度もない。
昨日は、徹夜するつもりで飲んでいたが、遊史がつぶれるのが早かった。
ベッドに促したが、テーブルに突っ伏したまま動かなかったので、そのまま、毛布だけかけてやった。
遊史は、昨日の姿のまま、爆睡してる。
前回と違って、心なしか、表情が和らいで見える。
酒の量も、そんなに多くはなかった。
酒でつぶれたと言うより、睡眠不足でつぶれたのかもしれなかった。
寝れないとは言わなかったが、目の下のクマは、以前より濃くなっていたような気がする。
昨日、抱えていたものを吐き出して、少しでも荷が軽くなっていればいいのだけど。
一樹は、遊史の呆けた顔をのぞきこんだ。
この前のキスがフラッシュバックする。
心臓が、ぎゅっと掴まれたような気がした。
痛い。
鼓動が早くなった。
もう一度…
一樹は、遊史の顔に、自分の顔を近づけた。
もう一度だけ…
その唇に触れたい。
一樹は、ゆっくり、遊史の顔に近づいた。
まつ毛の一本一本まで、わかる距離になり、閉じられた瞼が、小刻みに揺れるのがわかった。
一樹の喉がゴクリと鳴り、身体の奥に、形容しきれない疼きを感じた。
遊史…好きだ。
そう思った瞬間だった。
いきなり、目の前の瞳がぱっちりと開いた。
それこそ、目の前にいる一樹に驚き、遊史は、弾けるように、身体を起こした。
「一樹?」
とっさに、一樹が言いつくろった。
「寝言、言ってたんだよ。」
「寝言?」
「だから、寝てるのかどうか、確認しようとして…」
「そうか。」
遊史は、苦笑した。
「この前、変な夢見たから、変な想像しちまった。」
「変な夢?」
「お前に、キスされた夢。最低だろ?」
遊史は、声をたてて笑った。
「まじか? お前、欲求不満だな。」
同じテンションで笑いながら、一樹は、何故か泣きそうになって、台所に逃げた。
「で、俺、何て寝言言ったんだ?」
遊史が台所に向かって声をかける。
「何か、わけわかんないこと。」
「ふ-ん。」
遊史の為に、パンを焼き、遊史の為に、野菜を刻み、遊史の為にウインナーと卵を焼き、遊史の為に、珈琲を入れる。
嬉しい作業なのに、哀しいのは何故だろう。
お前にキスされた夢、最低だろ?
遊史の明るい声が、何度も頭の中でリフレインする。
遊史は、少し頭痛はすると言ったが、前回に比べると、二日酔いとはいえないくらい元気だった。
朝食が並ぶと、本当に嬉しそうに笑った。
「いいね。ずっと珈琲だけで会社行ってたから、こんなにしっかりした朝ごはんなんて、久しぶりだ。この前は、せっかく用意してくれたのに、吐き気がひどくて食べれなかったからな。」
遊史は、あの時は、悪かったと、酔っぱらって、ここに連れて帰られた夜と、二日酔いの朝のことを謝った。
「本当に、死にそうでさ。あの後、タクシー拾って帰ったんだけど、あと、5分乗ってたら、間違いなく、タクシーの中にぶちまけてたな。」
快活に笑う遊史は、何か、憑き物が落ちたからのように、囚われたものから、解放されているようだった。
普段、激しい感情を出さない男が、初めて人前で、感情を吐露した。
泣いたら、すっとする。
泣けば、落ち着く
そんな話は、よく耳にするが、それは、本当のことだったらしい。
泣いたことが、遊史にとっては、精神衛生上にも良かったことは、今の遊史を見てもあきらかだ。
酒の力を借りた。
けれども、酔わなきゃ、言えないことだったし、酔わなきゃ、泣けなかったはずだ。
「みっともないとこ、見られちまったな。」
遊史は、ちょっと恥ずかしそうに笑って、言った。
「ありがとう。お前のお陰で、何か、吹っ切れたよ。」
「いや、俺は何も…。」
一樹が言いかけると、遊史は、もう少し大人になったかのように、深い笑みを見せた。
「罪悪感は、一生、持ち続けると思う。香子に対する俺の負い目も、多分、消えない。」
「…。」
「でも、あのまま、義務感で、香子と向き合っても、きっと、上手くいかなかった。俺に、それだけの器量がなかったということだ。情けないけど、所詮、この程度の男なんだ。これが今の俺なんだって認めるよう努力するよ。」
そう笑った遊史は、いつもの遊史だった。




