勝者
放たれた水球に対し、俺も火の玉をぶつけて相殺させた。
想像以上の爆発音と爆風が吹き荒れ、視界が妨げられる。暴風に前髪が後ろへと流れ、むわっとした熱気が顔を襲う。
だからといって顔を背けるわけにはいかない。目を細め樽井さんの姿を見失わないように凝視する。砂塵の奥で再び水を集め、両手から長く伸びた糸……いや、あの太さは綱と言うべきか。水の渦巻きが綱状に伸びている。
長さは樽井さんの身長の倍はあるな。なるほど、あんな使い方もあるのか。
「網綱ちゃんに敬意を払って、本気でいかせてもらうわ!」
望むところだ。安易に勝てるとは思ってもいないが、実力の全てを吐き出してもらうぞ。
樽井さんが両手を掲げると、それに追随して水の綱が天へと伸びる。
この間合いなら届かない筈だが、警戒を怠る気はない。一歩下がり、視界に樽井さんと水の綱が入るようにしておく。
片方に集中するのではなく全体を見るように心掛ける。散眼という武道の技があるが、そんな感じで全体を把握するように意識しておこう。
樽井さんが右腕を勢いよく振り下ろす。手の先に繋がっている水の綱がそれに倣い、上空から唸りを上げて迫ってくる……が、距離が足りない。
目測を見誤ったのかと思いはしたが、寒気と同時に脳内に警報が響く。『危機察知』を信じて、左に軽く跳んだ。
少しの浮遊感が無くなると同時に、水分を含んだ風が頬を撫でる。
どう見ても届かない距離だったのに、直ぐ隣に水の綱が叩きつけられていた。よく見ると綱が少し細くなっているようだ。
「まあ、長さの調整ぐらいできますよね」
「そういうこと」
俺の独り言に対して律儀に返事をした樽井さん。顔に浮かんでいる余裕の笑みは消えず、自分が有利な立場にあることを理解している。
再び『危機察知』が危険を告げ、一切の躊躇なくその場に伏せる。頭上すれすれをもう一本の水の綱が掠めていく。
左右の水の綱による中距離からの一方的な攻撃。何とか躱してはいるが、休む暇なく上下左右から迫る攻撃を何とか凌ぐだけで精一杯だ。
悪い流れを払拭する為に腕に炎を纏い、水の綱に叩きつけてみる。水の蒸発する音と水蒸気が立ち昇った。
シャレにならないレベルの衝撃が腕を貫くが、水の綱も切断されている。防げないことは無いが、数回繰り返したら俺の腕が先に潰れるな。
「なら、模倣させてもらいますよ」
炎の竜巻をイメージして腕に絡みつかせる。そして、それを徐々に伸ばしていくイメージを構築していく。問題は……相手の攻撃を避けながらしなければならないことだ。
「そろそろ、疲れてきたのではないですかっ! ティータイムはどうです!」
「主婦の体力を舐めちゃダメよ。タイムセールスの為なら一山を自転車で越えることなんて、ざらなんだからっ!」
軽口に返してくれるのはいいが、手は一切休めてくれない。
それでも、何とか長く伸びる炎の渦を作り出し、水の綱を弾く。お互いに蒸発したようだが、即座に炎の渦を再生させた。
新たに作り出すたびに体力や精神力を消耗するのだが、精神力と体力は有り余っている。何十、何百と繰り返してみせる。相手の水に限界があればいいのだが、体力を消耗して水が幾らでも出ると口にしていた。
それを実証するかのように、どう見ても2リットルのペットボトルじゃ入りきれない量の水が溢れ出し、再び水の綱を成形する。
このまま持久戦で体力勝負に持って行けば勝ち目があるか?
織子たちも何らかの体力が増える特殊能力を所有していたが、俺は『不屈』が2に上がり更に1000増えている。おそらくだが、不眠不休で一日中戦い続けるのも可能な体力がある。
「器用ね、網綱ちゃんは。考えながら戦うタイプって時間を掛けると、面倒なことになるのよ。試合でも苦手なタイプだったわ。ってことで、終わらせるわよ」
一向に攻めに転じることなく受けに徹していた俺にしびれを切らしたらしく、水の綱を振りながら本体は、俺を目掛け全速力で駆けてきた。
距離を詰められると柔道の投げ技、絞め技が待っている。だが、こっちの炎の渦は相殺するので手一杯。このまま距離を詰められるのを黙って見ているしかできない。
水分の蒸発する音が死へのカウントダウンのように感じる。音の間隔が短くなり、それにつれて音が鮮明になっていく。
そして、目前に迫った樽井さんが水の消えた腕を、俺の胸元に――
「オオオオオオオオオオオオオオッ!」
今まで一度も使わないでいた『咆哮』を至近距離で放つ。樽井さんの体が大きく縦に揺れ、その動きが一瞬止まった。
この隙を逃すわけにはいかない!
こちらの隠し玉は全て使い切った。ここで渾身の前蹴りを、そのふくよかな腹にぶつける!
あとのことを一切考えずに放たれた一撃は柔らかそうなお腹に潜り込……まなかった。
「えっ!?」
足裏に伝わる、岩を蹴ったような感覚。セーターの下に鎧でも着込んでいるというか。
「あら、惜しかったわね」
相手の方が、レベルを上回っているせいだろうか。硬直は一秒にも満たなかったのか。再び感じる首への締め付けと、樽井さんの明るい声に自分の敗北を悟った。
「硬質化がなかったら危なかったわ」
なるほど、そんな特殊能力も所有しているのか。締め付けによる酸素不足で視界が歪み、意識が薄れていくのが……わかる。
最後の悪あがきに炎を体に纏う。
「熱いけど、その程度の蹴りなら耐えられないレベルじゃないわ。こっちもネタ切れだから、ここで勝負がついてよかった。ごめんね、網綱ちゃん」
ごきっと致命的な音が体内に響き、俺は闇に落ちた。
煌々と照らすライト。逃げ道は無いぞと訴えかけてくるような無骨な壁。
三度目ともなると、驚きは皆無だ。樽井さんの姿も見慣れた。
二度死に、ライフポイントを二つ消費した。足掻いた挙句に死亡……予定通り、ミッションコンプリートだな。
今度は俺から一切話しかけず、樽井さんが話しかけるのを待つ。
その間に今後の方針を決めておくか。ここからは、本気で勝ちに行く。全ての面で劣ってはいるが、俺は相手の行動パターンも身体能力、特殊能力も把握している。
戦いにおいて最も大切なのは情報だ。今回の戦いは上手く立ち回れば確実に勝てる自信がある。だが、最も気を付けなければならないのが、俺にとっては三回目の記憶だが、それを信じるわけにはいかない。
実は十回目もしくはもっと回数を重ねている可能性がある。樽井さんを殺した場合、俺は記憶を失い、樽井さんは記憶が残っている。
そして、今回はおそらく三回目ではないのだろう。樽井さんの纏う雰囲気が全く違う。呑気さは消え失せ、余裕は微塵も感じられない。『気配察知』で感じる気配の強さが前回の比じゃない。
あの鋭い目つきで睨みつけている姿が鬼気迫っている。
連勝できているということは、俺の企みは上手くいったのか。今は確かめるすべはないが、もし、目論見通りに事が運んでいるとしたら、今後に展望が見えるが。
『第八ステージをクリアーした猛者両名。樽井及び山岸。素直に称賛の言葉を送ろう。見事だったぞ。さて、早速だが、この第九ステージの説明をさせてもらおう』
白衣は全く同じセリフを繰り返しているのか。これたぶん、録音してそのまま流しているのだろう。何十回もこれをやらされているのだとしたら、正直うんざりするレベルだ。
で、質問コーナーになる訳か。俺としては三回目の質問なのだが、樽井さんは何度目になるのだろうか。
「お先にどうぞ」
「もう、聞きたいことなんて何もないわ」
うんざりする回数を聞いてきたということは、死んだ回数は一桁ってことはなさそうだ。柔和な笑みは何処にいったのか。刺々しさを隠そうともしていない。
こういう駆け引きも大事だとは思うのだが……たぶん何回かは樽井さんも、しらばっくれて初めての振りをしていたのだろうが、疑い深い俺には効果がなかったのか。
俺も何度も質問をしているのだろうが記憶はまだ二回。一回目は何人倒せばクリアーになるのか。二回目は何人生き残っているかだったな。じゃあ、今回は何にしよう。
「じゃあ、樽井さんのライフポイントが幾つ残っているか教えてくれ」
そう、答えられる質問なら答えてくれると言っている。それはルールだけに適用される訳じゃないと俺は考えた。
樽井さんの眉尻がピクリと動くが、以前の俺も同じ質問をしたのだろうか、それ以上の動揺は見えない。
『樽井さんのライフポイントは残り1だよ』
1……か。殺気を漲らせて睨むのも当然だ。
まさか、そこまで連勝できたとは。企みが成功すれば上手くいくとは思っていたが、あれから全勝しているのか。
ということは、この戦いは負けようが勝とうが俺の記憶に残るわけだ。
『そちらは、本当に質問は良いのかね?』
「どうせ最後だもんね……ねえ、ライフポイントが全部なくなったら……本当に死ぬ……の?」
声が震えている。この質問は今まで一度もしていないのか。絶望に染まった悲壮な顔で口にしたら、俺にだってわかる。
『死ぬ』
簡潔なだけに、その真実が胸にすとんと落ちてきた。そう、死だ。ポイントが消滅すれば、もう二度と復活することのない死が訪れる。
「ね、ねえ、何で、何でこんなことするのよ! 私が何をしたって言うの! 死にたくないっ! 家で旦那や娘が私を待っているのよ! 何でこんなところで、こんな馬鹿げた世界で――」
『質問は終了した。では、試合開始だ』
精神が限界に達した樽井さんが、頭を掻き毟り、髪を振り乱して叫ぶ。
そんな樽井さんを無視して、吐き捨てるように宣言する白衣の男に殺意を覚えるが、今はその怒りを胸に溜め込んでおく。いずれ全てをぶつける日の為に。
「うっ、うっ、いや……嫌よ……死にたくない、娘が大きくなって、孫を連れて来て、お婆ちゃんて呼ばれて……そして、そして、旅行にも行って……」
崩れ落ち顔を両手で覆い、永遠に来ることのない未来予想図を語っている。
もう俺の姿は見えていないのか。口元に笑みを浮かべ、娘の名を呟き幸せな妄想の世界に浸っているのだろう。
俺は足音と気配を殺し、樽井さんの前に歩み寄る。
このまま気づかないでいてくれるなら、それでいい。妄想でもなんでも構わない。幸せな気持ちのまま死ねるのであれば、羨ましいぐらいだ。
胸が締め付けられ、鼻の奥が痛いが、今はその全てを押し殺せ。
棍をゆっくりと振り上げたその時、樽井さんがこちらに顔を向けた。涙と鼻水に濡れながら、笑みを浮かべる姿に背筋が冷たくなる。
その姿はまさに狂気。今までの人生で、そんな表情をする人を見たことが無かった。
「あんた何かいかさましているわよね! そうでなければ、私がずっと勝てない訳がないもの! この卑怯者! クズ野郎! あ、あ、あ、あはっ、はははははは! 死ね! みんな死ね! あんたもどうせ、生き残れないで死ぬのよ! アハハハハハハ! キャハハハハッ! グフフフヘヘヘヘヘアハハハ!」
狂気の入り混じった壮絶な笑みを浮かべ、奇声を上げ続ける樽井さんの悪夢を終わらせる為、棍を振り下ろした。
全てが終わり、出口らしき扉が開く音がする。
何て、何て後味の悪い、胸糞の悪い戦いだ。
「はあ……くそっ」
黒虎がいたら、このささくれた心を癒してくれたのだろうか。樽井さんの死体が転がるこの場に居続けるのも辛いな。
遺体に手を合わせるが、言葉は何も掛けられなかった。生き延びる為に殺した相手に何を言えばいいのか。謝ることすら失礼な話だろう。
黙って頭を下げると、そのまま踵を返し、扉の向こうへと進んでいく。
扉の先は白衣の男の説明通り、いつもの休憩所が広がっている。真ん中のガラス板に触れ、ステータスを確認しておいた。
ライフポイントが89から87になっている。そして、ざっと特殊能力と身体能力の確認もしておく。
別のガラス板にも触れてみるが、やはり褒美は貰えないのか。第九ステージはまだまだ続くということだよな。
大の字になって床に転がる。ひんやりとした感触が今は心地いい。
扉を潜ればまたプレイヤーとの殺し合いか。それを考えるだけで憂鬱な気持ちになる。樽井さんとの戦いは、結局一度しか殺した記憶が無い。
本当は何度も何度も殺したというのに、覚えているのはたった一回。
もし、全て覚えていたら、俺は今、どんな気持ちなのだろうか。記憶が無いというのは、製作者側の優しさなら、ほんの少しは感謝したかもしれないが、全てはゲームを面白くするためのシナリオなのだろう。
もう、後戻りはできないのだ。この先何があろうと……想像しうる最悪の展開だとしても脚を止めるわけにはいかない。




