ルール
抜けた先に広がるのは真っ白な砂浜と鬱蒼と茂る木々。そして何よりも目につくのは巨大な漆黒の石板の存在。
船ごと扉を抜けた途端、船は砂浜へと乗り上げ、俺たちは砂浜へと降り立つしかなかった。
石板を無視すれば理想的なリゾート地なのだろうが、ここで海水浴を楽しもうなんて思える人は、プレイヤーの中には誰もいないだろう。
「同じように何隻か乗り込んでいるようだぜ」
杉矢さんが、くいっと顎で示す方向に目をやると、かなり離れた場所に小さな船が接岸しているようだ。反対側の海岸にも船が数隻見える。
やはり、俺たちと同様に石板が近くにある。
「これって、石板に触れろってことなのかな」
「織子、迂闊に触るのはデンジャーヨー」
女性陣が一定の距離を保った状態で石板を観察している。
今までの流れだと石板に触れると文字が浮き出て、というパターンだが。ここは、一番ライフポイントの残っている俺が試してみるべきだよな。
「じゃあ、俺が試しに触ってみるよ」
そう言って、ゆっくりと石板へ右手を伸ばしていくと、まだ触ってもいないのに石板が眩く輝き始めた。
文字が現れると思い込んでいた俺の目の前で、石板は黒から透明に変化し、更に今度は人影が浮かび上がってくる。
「ここでようやく、関係者が登場か」
このタイミングで出てくるということは、つまりそういうことだろう。
白の白衣にしか見えない服を着て、黒縁の眼鏡をかけた如何にも神経質そうな、やせ気味の男がそこにいた。
やる気のない表情で首筋を掻き毟っているが眼光は鋭く、俺たちを値踏みしているかのようだ。
「あー、プレイヤーの諸君初めまして。私がキミたちをこの理不尽なゲームへ強制参加させた、張本人一号だ。名前は、まあどうでもいいだろう。さて、不平不満、文句もあるだろうが、今は無視させてもらおう」
感情のない、合成音声のような起伏のない声。
「こ、この糞が、一方的にナニ言っているヨ! こっちは色々聞きた」
「気持ちはわかるが、今は黙っていろ。説明を聞き逃すぞ」
怒りを露わにして石板に迫り、怒声を放つ田中さんを後ろから抱きかかえ、杉矢さんがその口を手で塞ぐ。
口を封じられた田中さんが杉矢さんを睨みつけているが、相手にしていない。
俺も文句の一つも言いたい気分だったが、二人の行動により少し冷静になれた。
「あー、じゃあ第七ステージの説明をするぞ。四人一組で挑んでもらう。このステージのクリアー条件は四人の合計ライフポイントを250以上にすることだ」
「えっ?」
説明の意味が理解できない。合計ライフポイント? 四人の残りライフポイントを足した数字だとはわかるが、減ることはあっても増やす方法などない……よな。
「と言われても困るか。このステージのみの特殊ルールがある。他のプレイヤーの体に手を触れ、相手のライフポイントが自分より多いと思ったら「プラス」少ないと思ったら「マイナス」と言い正解していたら相手のライフポイントの半分が自分のものとなる。外れたら自分のライフポイントの半分が相手に移る。あっと、実際に相手を殺すのは無しだ。相手を殺害してしまった場合、ペナルティーとしてライフポイントを半分没収する」
とんでもないルールを起用してくれたな、これは荒れるぞ。
「これは……やべえな」
「ライフポイントを……増やせる?」
「どういうことネ……」
三人も動揺しているか、当たり前だよな。
まさかここで、ライフポイントの奪い合いが始まるなんて。チーム戦で挑み相手のライフポイントを奪うゲーム。
実際の殺害が禁止と明言することにより誤魔化しているが、これは正真正銘、命の奪い合いだ。
「でだ、250ポイント超えたチームは島の中心にある、あの棒が見えるか」
棒? その説明を聞いた俺たちは黒板の脇に移動して、島の中心部に目を向けた。確かにそこには天まで伸びる黒い棒があった。
「あれが目印だ。あそこまで行くと地面が赤く発光している。そこに足を踏み入れた時点でクリアーだ。誰からもライフポイントを奪われることのない、つまり安全地帯。棒には幾つも扉が設置されているので、その中から一つ好きなのを選んで潜ってくれたまえ。ただし、今度の扉は一人一つだ。複数で通ることは叶わないので注意してくれ」
相手のポイントを奪って250を超えて、その安全地帯まで逃げ込めればステージクリアーってことか。
ライフポイントが目的の値に達したからといって、その場所に辿り着くまでは油断はできない。中々、嫌らしいシステムだ。
「詳しいルールはこの板に記載しておく。良く目を通してくれたまえ。ああ、そうそう。現在島には八十人、二十組のプレイヤーたちがいる。精々注意してくれ。各自の活躍を期待している。ではまた……会えればいいな」
最後に冷笑を浮かべ、眼鏡の男は消え失せた。
俺たちは顔を見合わせるが、誰もが困惑を顔に貼り付けている。怒る怒らないの問題ではなく、今は困惑しかない。
「感情は押し殺して、ルールの確認をしよう」
俺も含め誰も納得はいかないが、黙って石板に刻まれていく文字を読み進んでいく。
――第七ステージの特殊ルールについて。
一つ、チームのライフポイント合計値が250を超えたチームのメンバー全員がクリアーとなる。
一つ、相手の体に手の平で触れて、自分のライフポイントより低いと思えば「マイナス」自分より多いと思えば「プラス」と口にする。正解すれば相手のライフポイントを半分奪える。間違えれば自分のライフポイントが半分相手に渡る。
一つ、ポイントが割り切れない場合、小数点切り上げとなる。
一つ、ただし、一人のライフポイントが100を超えることは無い。
一つ、同じ相手とのライフポイントの移動は一度のみである。
一つ、相手を殺害した場合、反則としてライフポイントを半分とする。
一つ、チームのメンバーが死亡した場合、全員のライフポイントを1減らし、石板の前から再スタートとなる。
一つ、島の中心部にある赤い地面の上に立つまでは、250ポイント以上集めていてもクリアーではない。
一つ、ライフポイントの移動が発生した瞬間、当事者のプレイヤーの頭に自分のライフポイント数が浮かぶ。
一つ、奪ったライフポイントはクリアー後、半分のみ自分の物となる。
一つ、この石板から半径5メートルまでは安全地帯となり、あらゆる攻撃も特殊能力も無力化される。同チームメンバー以外が入り込むことも不可。
一つ、ゲーム開始は今から10分後とする。その前にこの場から100メートル以上離れたプレイヤーは罰としてライフポイントが半分になる――
あの眼鏡の説明はかなり不足していたのか。かなり細かいところまで決められているな。しっかりと覚えておかないと。
文字を何度も目で追い完全に理解できたと確信したところで、仲間に目をやった。
杉矢さんは目を閉じて考え込んでいる。役者だけあって既に暗記したのかもしれない。
織子は小さく口にして、何度も読み直している。テスト前に一夜漬けで頑張っている生徒のようだ。
田中さんに至っては、文字から目を逸らして天を仰いでいる。芸人もネタを覚える為に台本を覚える必要があるから、意外と暗記には自信があるのかもしれないな。
「ラーンが多すぎてベリータイアードなので、パスするネ! こういう設定盛りだくさんなのワー、製作者がハッピーなだけなのデース」
諦めるな諦めるな。あと、メタ発言もやめなさい。
さて、時間制限もあるなら、ルールの再確認よりもまずやるべきことがある。
「もう一度皆のライフポイント教えて。俺は79」
「ワシは55」
「私は42です」
「ミーは」
「知っているから大丈夫。四人の合計が……178か。250まで72ポイント足りない。つまり俺たちは最低72ポイント手に入れればいい」
絶望的な数字だとは思わないが、他人のライフポイント――死ねる回数を72回奪うということだ。
残りが二桁切っている相手から奪えば、その人がここをどうにか乗り越えられたとしても、次のステージ以降は絶望的になるだろう。
直接の殺人が禁止されて触れるだけという行為により、人を殺すよりも敷居はかなり低い。だから、これを躊躇う人は少数ではないだろうか。俺自身、忌避感が全くないとは言わないが、問題なく他のプレイヤーから奪える……と思う。
「他人を蹴落として生き残るシステムは、今更どうこう言ってもどうしようもねえぜ。ワシはまだ死ぬ気はない。そして、お前さんたちにも生きて欲しい。考え方を変えれば、これはチャンスだ」
杉矢さんの発言が何を意味しているのかこの場にいる誰もが理解していた。その証拠に全員の視線が田中さんに向いている。
真顔の田中さんが左の乳房を強く掴み、心臓の鼓動を強引に止めようとしている様に見えた。誰に言われるまでもなく、田中さんがこのルールの恩恵を誰よりも欲している。
奪ったライフポイントの半分とはいえ、田中さんがもし100ポイントに達するまで奪えたとしたら、49ものライフポイントを得られる千載一遇の好機。
今までは死が近づき、悟りにも似た開き直りがあったのだろうが、ここにきて生を掴むチャンスが巡ってきた。冷静でいろと言う方が、無理だろう。
「生き延びられるなら、ライフポイントを増やせるなら奪ってでも……みんなと生きたい」
さっきまでのおちゃらけた雰囲気は消え失せ、キャラも忘れ涙ぐみながら声を振り絞った田中さんの姿を見て、腹が座った。
いや、初めから決めていた事だ。田中さんがいなかったとしても、俺は選んでいただろう。こうやって、彼女のせいにすることにより、俺は責任から逃れようとした。自分の卑怯さに呆れるよ。
「俺は赤の他人を蹴落としても生き延びたい。ライフポイントの奪い合い。やるからには本気で、容赦なくいくつもりだ。皆はどうしたい?」
「異論はねえぜ。こっちが奪われる側になる可能性も大いにあるわけだ。なら、遠慮も容赦も無用だろ」
「私も自分が助かる為に……網綱さんを騙していた。今更、いい子ぶるつもりはないよ。赤の他人の命より自分の命。そして皆の命の方が大切だから、やる!」
「決定だな。なら、対策を練るよ。全員でクリアー……生き残る為に」
全員が同時に頷く。迷いも躊躇いも全くないとは言い切れないが、今は余計なことは全て脳の片隅にでも追いやって、クリアーすることだけを考えよう。
「まず、問題なのがプラスマイナスの宣言だ。相手のライフポイントがわからない状況で、博打要素が強すぎる」
「だが、その点に関しては、ワシらはかなり有利だ網綱はマイナスでほぼ確定。田中はプラスと言っておけば正解だろうぜ」
そう、うちのチームはライフポイントに開きがかなりある。それが有利に運ぶルールなのだ。自画自賛をするわけじゃないが、俺ぐらいポイントを残した人は殆どいないだろう。
そして、田中さんの2を下回るポイントの人はいないと確信している。
「ええと、でも、途中で他のチームにポイントを奪われた人や奪った人相手だと、わからないような」
「織子の言う通りだよ。だから、この作戦は速攻で決めなければならない。まだポイントの移動が行われていない序盤に」
このルールだと戦法は限られてくる。序盤に決めるか、安全地帯である島の中心近くに待ち構えて、ポイントが集まったチームを狙うか。
後半の場合は「マイナス」の宣言でいけるだろう。相手はクリアー条件を満たしている筈だ。ならばポイントが多いということだから、正解する確率はぐっと上がる。
出来るなら初戦で72ポイント以上を手に入れ、一気にクリアー条件を満たしたい。
そして、そのポイントの大半は田中さんに取らせるのが一番だと思うが、こればかりは全員命に絡むことなので、俺が独断で決めるわけには行かない。
「基本的には田中さんにライフポイントを奪う役をしてもらう方がいいと思う。これは戦略的にも有利だからです。今までは少ないのは不利でしかなかったけど、ここでは立派な武器になる!」
そう断言すると田中さんは嬉しそうに顔を綻ばせている。
確かに同情はしているが、感情論だけではなく実際にライフポイントが2というのは切り札になる。誰にも負けない最強の矛。
「最強の武器をどれだけ有効に使えるか、そこが問題だけどね」
「だな。相手を無力化して安全にポイントを奪うというのが、一番なのだが、問題はそこだぜ」
「無力化かー、やっぱり手っ取り早いのは気絶?」
武力全振りの織子らしい意見だ。右拳を振り上げながら左手は黒虎を撫で続けている。
黒虎は意見を言えないので、足元で寝そべったまま大人しく、話し合いが終わるのを待っているようだ。
「でもー、他のメンアンドウーメンもパワーアップしてるから、そうイージーにいくとは思えませんがな」
口調がちょっと戻ってきたか。こういった場面で冷静さを失うと碌なことにならないから、ゲームが開始されるまでに、できるだけ自然体に近づいてくれるといいんだが。
「他にも手の平で相手に触れるとあるが、それは相手の服でも大丈夫なのか、それとも直接肌に触れないとダメなのか。髪に触れるだけでも条件は満たされるのか」
もし、肌に触れなければ無効なら、色々と防御に関して対策を立てられるのだが。
露出を無くせれば、そう簡単にライフポイントを奪われることもない。
奪うことばかりに目がいきそうになるが、奪われないことがもっとも重要なのだ。それを履き違えると、このステージのクリアーは難しくなる。
「無力化ネー、ミーたちの特殊能力で使えそうなのナッシング?」
「もう一度、全員の特殊能力を見比べてみようか」
相手に効果を与える能力か。まず俺ので使えそうなのは――
『石技』『棍技』『咆哮』『火操作』『発火』ぐらいか。改めて見るとあれだな、戦闘系の能力が少ない。直接殴って戦うにしても、織子には手も足も出ないし、杉矢さんにもいいようにあしらわれる。
田中さんに至っては、姿を捉えることすら難しい。あれ、俺って最弱なんじゃ。
「どうしたの、網綱さん?」
「うおっ、な、なんでもないよ」
無防備に至近距離から顔を覗かれたから、取り乱してしまった。何だかんだ言って、可愛いらしい織子の顔が、不意に眼前に突き出されると焦るな。
冷静に考察するぞ。『咆哮』の効果があれば、一気にヌルゲーになるんだが、あまり期待はできない。たぶん、ある程度レベルが上じゃないと効果が発揮されないと見ている。
経験値の褒美を全て得ているなら最大でレベル30。同レベルや少し上の相手に効き目があるかどうか。
ただ、相手を硬直させないにしても、大声で驚かすのには使えるか。
織子は『剛力』『格闘技』『風操作』だよな。『看破』で相手の身体能力とレベルの確認をしてもらえるのは有利だが、直接攻撃がメインになる。
杉矢さんは多すぎるけど、戦闘に使えて無力化に絡めそうなのは『気』『居合』『刀術』『空手』『柔道』『護身術』『跳躍』『投擲』『威圧』といった感じになるのかな。
「杉矢さん『威圧』ってどんな感じの能力?」
「口で説明するのは難しいぞ。論より証拠、一度発動させてみるか」
「分かりました、本気でお願いします」
杉矢さんがすっと目を細めると「はっ」と鋭く呼気を吐く。その途端、杉矢さんの方向から見えない圧力というか、体中に何か重いものが上から被さってきたような違和感がある。
体中から汗がにじみ出て膝が震えそうになり、それを必死になって堪えているが、杉矢さんから放たれる見えない何かに体が、本能が怯えているのか。
「ふ、震えが止まらないネ」
「凄い重圧です。父さんと対峙しているみたい!」
田中さんは膝をついて、自分の肩を抱き抱えるようにして震えている。
織子は額から汗がこぼれ落ちてはいるが、動くことは可能なようだ。俺と同じ状況だろうか。
無理やり体を動かすと、やはりかなり体が重く感じる。本調子とは程遠い、体の鈍さだ。
「まあ、こんな感じだな」
『威圧』を止めたようで、一気に体が軽くなる。
俺の『咆哮』を無言で放つ感じか。俺と織子は軽度の影響しか受けてないが、田中さんには効果は抜群だった。考えられることはレベルと精神力の数値だろう。
俺と織子は『不屈』のおかげで精神力が1000を超えている。田中さんは200にも満たない。精神を補強する特殊能力というのは誰もが備えていそうだが、1000を超えていなければ防げないというのであれば、これは強力だな。
精神異常系に対する耐性といった特殊能力を保有していない相手なら、『咆哮』もあることだし、かなり有利に事を運べる。
残りの田中さんは――直接攻撃系が皆無だ。その足の速さを活用して、かく乱メインで動いてもらうのがベストか。
「時間もあまり残されていないから、俺の考えた作戦をざっと話すよ。矛盾点や疑問、もっといい案があったら遠慮なく言うように」
全員が頷いたのを確認して、俺たちは作戦会議を開いた。
様々な意見が飛び交い、最も有効な方針が決まったのは第七ステージ開始一分前だった。
ルールが少しわかりにくいかもしれませんが、合計ライフポイント250を目指す、どっちも鬼の鬼ごっこに似たルール程度で、考えてもらえれば大丈夫かもしれません。




