エピローグ 後
何とか状況を理解して、頭で整理をした。
「目的と連れてこられた理由はわかった。その上で質問をさせてもらう。クリアーをしたプレイヤーには一つ願い事を叶えるということだったが……日本へ戻してくれと言ったら、叶えてくれるのか?」
その問いに対する答えはわかりきっていた。ここまで大仰なことをやって育てておいて、逃がすわけがない。それは叶えられないとでも言うつもりだろう。
「もちろんです。帰還用の転移陣は用意しています」
「……えっ、帰してくれるのか?」
思いもしなかった返答に間抜けな声が漏れてしまった。いや、お前ら戦力になる人材を育てていたのだろ。という言葉が喉元まで出かけたが、それで考えを覆られても困るので強引に呑み込んだ。
「マスターから、そう設定されています。叶えられる望みであれば何でも叶えろと。その時の音源を再生しますか?」
「え、ああ、頼む」
この展開に頭が追い付かず、何も考えずに肯定してしまった。
「クリアーしたプレイヤーの望むことは何でも叶えてやってくれ。この大掛かりな施設の設定を私一人で変更することは不可能だが、これぐらいならやれるだろう。愚かな我々の犠牲者を一人でも減らせるなら……以上になります」
再生された声は、あの白衣の男だった。彼は自分たちの愚かさを理解した上で、何とか現状を打破しようと足掻いていたのか?
だからと言って同情する気も、許す気もないが。罪を認め、後悔したところで元に戻る訳じゃない。罪悪感もなさそうな他のラースフォーディル人よりは、まし程度だろう。
「もし、日本に帰ることを選ばなかったらどうなるんだ」
「当初の予定通り、邪神が建造した塔の一階に転移してもらい、攻略を開始してもらいます」
ダンジョンから解放された後は、次のダンジョンが待っているというのか。
他の望みを聞いてもらったところで、おそらくここよりも鬼畜仕様のダンジョンに放り込まれることが確定しているなら、答えは決まっているよな。
「日本に戻った場合、この魂技だったか……これは消えるのか?」
「いえ、零士様。この力は魂に刻まれたものです。日本へ戻っても問題なく扱えるはずです」
これが本当ならとんでもないことだな。俺だったら格闘家でも殺し屋でも好き勝手に生きられるぞ。スポーツ選手として活躍することも可能か。
「さて、質問はもう宜しいでしょうか。では、皆様願い事を一つ仰ってください」
誰が音頭を取ったわけでもないのに全員が同時に顔を見合わせた。ここから解放されるという喜びで自然と頬が緩んでしまっているのが女性二人。剛隆は眉間に皺を寄せ唸っている。零士は何かを思い悩んでいるのか、目を閉じている。
「まずは女性陣からどうぞ」
零士と剛隆は決めかねているようなので、レディーファーストとばかりに二人へ譲った。
「私は日本に帰していただきたいです」
「わ、私も日本に戻してください!」
「了承しました。そちらの青い光を放つ地面に乗っていただければ、召喚された時刻の五分後の世界にお送りします」
明菜さんともう一人の――最後まで名前知らないままだったな、この人。
二人は俺たちに向けて深々と頭を下げた。
「皆さんと共に過ごした、この世界のことは一生忘れませんわ。日本に戻りましたら、もう一度皆で会いませんか。もっと、もっと、話したいことがありますので。特に網綱様とは」
俺の手を両手で包み込み、瞳を覗き込んでくる明菜さん。危機察知を失っているというのに、何故か脳内で警戒音が鳴っている気がする。
何と言うか、得物として狙われているような感覚は気のせいだと思いたい。
「私が生き延びられたのは皆さんと……網綱さんがラスボスを倒してくれたからです! 本当にありがとうございました! オフ会は私も必ず参加します!」
小柄なこの女性は、全員の手を強く握りしめ、青い床の上に立った後も元気良く手を振ってくれている。
俺たち男性陣も彼女たちに軽く手を振り返した。まずは、彼女たちだけを日本に送るようで、青い光が天井まで登り、青い光に包まれた二人の姿が消えた。
「お二人は無事、日本に届けました。残りの皆様の願いをお教えください」
「次は俺でいいか?」
零士がすっと一歩前に進み、そう口にした。反論する理由もないので、先に譲ることにした。剛隆も未だに考え込んでいるので、後回しでいいようだ。
「これは願い事ではなく、質問だが。ポチミを蘇らせてくれと言えば叶えてくれるのか?」
「はい、もちろんです。とはいえ、実際には存在していない架空の存在なので、こちらが作り上げた疑似ボディーにデータを流し込み、ほぼ同じ個体を生み出すという方法ですが」
「そうか……本物のポチミじゃないんだな。なら、俺も日本へ帰してくれ」
僅かな望みにかけたのだろうが、望んでいた答えとは違っていたようだ。俺も黒虎が元に戻るというのであれば心が揺らぐが、これならやらない方がいい。
「じゃあ、プレイヤーを蘇らすことはできるのか?」
沈黙を守っていた剛隆がボソッと呟いた。今もその表情には苦悩が見え隠れしているが、その言葉を何とか振り絞ったという感じだ。
「可能です。何年も前に召喚された方は難しいですが、皆様と同じタイミングでこちらにやってきた方々なら、一人だけで宜しければ認めます」
「じゃ、じゃあ、俺は――」
「ちょっと待ってくれ。蘇らせたとして、その人と剛隆はその後どうなる?」
剛隆の言葉を遮り、001を問い詰める。俺も同じことを考えてはいたが、どう考えても碌な結末が見えなかったので、その願いを口にしなかったのだ。
「邪神の塔へと一緒に転移させられます」
「あっ……くそうぅぅ」
剛隆が唇を噛みしめ、握った拳から血が零れている。彼が誰を復活させようとしていたのかはわからない。このダンジョンで出会った大切な人なのだろうとは予想がつくが。
俺にとって、杉矢、田中、織子と同様か、それ以上の存在だったのだろう。
「剛隆、わかっているとは思うが、一時的に復活させたとしても、ここよりも酷いダンジョンに放り込むことになる。蘇らせた人が、それを望むかどうか冷静になってくれ」
「ああ、わかっているっ、わかっているんだっ! これが俺の自己満足だってことはっ!」
「剛隆様、どうなさいますか?」
空気の読めない001の問いに、剛隆は沈黙で答える。誰もそれ以上は口を挟まないまま、時だけが流れた。
暫くすると、剛隆は疲れたように大きく息を吐き、口を開く。
「俺も日本に戻してくれ。もう、この世界に用は無い」
「了承しました。転移陣は同時に二人までですので、剛隆様と零士様を先に送ります」
二人は転移陣に向かう前に俺に向き直った。
零士は黙ってすっと手を差し出したので、迷わず握り返す。
「あんたに出会えて良かった。今度じっくり腹を据えて話してみたい。また、日本で会おう」
「そうだな。コーヒー代ぐらいは奢るよ」
力強く手を握りしめると、上下に一度揺らしてから手を放し、彼は光る地面の上に移動した。
剛隆は俺の正面に立ち、両肩に手を置いた。
「このクソゲーをクリアーできたのは網綱のおかげだ! 俺はあんたの事を一生忘れねえ! 何かあったら声を掛けてくれ。あんたの頼みならなんだってやるぜ。だから……俺の事も忘れないでくれよ!」
「忘れるわけがないだろ、剛隆みたいな濃いキャラを。日本に帰ったら、今度みんなで食事でもしよう。何なら俺の家で帰還パーティーでもするか」
「マジか。それは楽しみだぜ。じゃあ、楽しみにしているからな! 日本でまた会おうぜ!」
最後まで剛隆は騒がしいな。隣で立つ零士が大声にしかめ面をしているが、微かに浮かんでいる口元の笑みを見逃さなかった。
「二人とも……またな」
「ああ、また会おう」
「おう、お先だぜ!」
二人が消え。この場にいるのは俺と001だけだ。
最後まで残ったのには訳がある。幾つか聞きたいことがまだあり、それを他のプレイヤーの耳には入れたくなかった。
「あんたに是非聞いてみたかったことがあった。探索側に厳しいゲーム内容だったのはわざとか?」
「はい、その通りです」
あっさりと認めたな。こいつは嘘や誤魔化しをするといった機能が元々ないのか。なら、回りくどい言い回しは必要ない。
「探索側、殲滅側のどっちに選ばれるかはランダムじゃなくて、何らかの意図があってのことか」
「はい、そうです。最上級魂技を覚える可能性が高いプレイヤーを優先的に選んでいました。特に網綱様、剛隆様、零士様に注目していました。魂技は命の危険に晒される程、目覚める可能性が高いという統計がでていますので」
そういうことか。俺だけじゃなく二人も最上級魂技に目覚める可能性があった。なるほどな、合点がいったが……それで俺たちが全滅したら元も子もないと思うのだが、それならそれで、次に期待するだけなのだろうな。
「これで俺たちが全員帰還した場合、その後あんたは日本人を召喚し続けるのか?」
「はい、私はそういう存在ですので」
悪意は感じない。インプットされた命令をこなすだけの人形なのだろう。感情が存在していないからこそ、こんな酷い真似ができるとも言える。
マスターと呼ばれる白衣の男なら、日本人召喚をやめるようなプログラムを仕込みそうなものだが、それをする前に連れされた可能性もあるか。
「ここであんたを俺が破壊したらどうなる」
「別の私が現れるだけです。ナンバー999まで存在しています。そして、防衛機能が動き出し、網綱様は瞬時に処理されることでしょう」
感情も見せずに淡々と話しているのが逆に怖いな。強気の発言というよりは、ただの事実なのだろう。『暗殺』『ベルセルク』の能力をフル活用しても無理だろうか……試すにしても、これは最後の手段に取っておくか。
「叶えられる願いなら、何でもいいんだな」
「はい、マスターにそう命令されていますので」
「お前はここの管理を任されている責任者。それは間違いないか?」
「はい、そうです」
さて、こいつに何処まで権限があり、どの程度までならやれるのか、そこが問題だ。
001の話を聞きながらずっと考えていたことがある。この状況で最良の答えは何なのか。俺たちが日常に戻っても、日本人はこの世界に呼ばれ続け、誰かが塔を攻略しない限り永遠に続く。
001はマスターの命令が無い限り、日本人を召喚し続けることになるのは間違いない。運が悪ければ、クリアーした俺たちがもう一度呼ばれる可能性だってあるだろう。
「今回の召喚は何人ぐらいの人間を巻き込んだんだ?」
「5498人です。転移させる地球人は失敗するごとに増やせと命令されています」
「前回は何人だった」
「4561人です」
最悪な返答をしてくれたな。こいつにとって命令は絶対だ。何を言っても、その命令を覆すことは無いだろう。こんなにも多くの人が行方不明になっていれば、日本のマスコミが黙っていないと思うが……ふと、何処かで目を通したことのある記憶が呼び起こされた。
確か、日本では毎年10万人近くもの行方不明者がいるという話だったか。五千人なら隠蔽も可能なのか。だが、今回は同じ町にいた人が一斉に転移させられた、流石に日本では大騒ぎになっている筈だ。
数を増やし、手段を選ばなくなっている。そうなると、日本人の犠牲者は増える一方。
俺は自分が生き残る為に、どんな手段もいとわずにやってきた。今更、偽善者ぶるつもりはないが、ないが……ここでもっとも正しい、最良の答えは――。
「網綱様、願い事をお教え願えますか」
「そうだな、俺の願いは……これからは誰も召喚しない事。そして、ここにいる人の生命を維持しておいて欲しい。無理か?」
「マスターの命令は絶対です。叶えられる望みは叶えろと仰っていました……その願いは可能ですが、本当に宜しいのですか。クリアーした方々の大半は日本への帰還を望み、次に多かったのは親しい人の復活でした。あとは自分の欲望を満たす内容も多かったです。これは網綱様にメリットは一切生じませんが、本当に宜しいのでしょうか?」
「ああ、構わない。それが叶うのであれば、俺の望みはそれでいい」
結局、俺は強欲なのだと思う。生き延びる為に相手を蹴落とし、罠にかけ、欺いてきた。そのくせ、人を助ける手段を見つけたら、それに飛び付く。
自分の命を犠牲にしてまで誰かを助ける程、お人好しではない。だが、助ける手段があり、それが可能であるなら、何とかしてあげたいとも思う。
これまで様々なプレイヤーを見てきた。皆が生き残る為に必死だった。
家族にもう一度会いたいと願った主婦。
別れた娘と再会して絆を確かめ合った父娘。
お笑いスターを夢見るハーフ芸人。
多才で切れ者の役者。
そして、誰よりも生きたいと願い、何度も俺を騙し、最後の最後で力を貸してくれた、織子。
もし、もしも、そんな人々を助ける手段があるなら俺は――
「もし、あんたのマスターとやらを連れて帰ってこられたら、日本人を何人か助けることは可能か?」
「それは可能だと思います。時が経ちすぎた方は、もう精神が戻ってこられませんが、前々回までの参加プレイヤーであれば、おそらくは……マスターを連れて来てもらえるのですか?」
今まで001はそれっぽく見える偽物の笑顔を顔に貼り付けていたが、初めて感情が垣間見えた。双眸を見開き、俺をじっと見つめている。
「塔をクリアーするついでにな。まあ、正直なところ、自分の力を試してみたいというのもある。折角手に入れた力だ、使ってみたいと思うのが人情だろ」
軽い感じでおどけてみせたのだが、無表情で首を傾げただけだった。くそ、照れ隠しの言動が無駄じゃないか。
今の言葉は嘘ではないが、本心とも言い難い。力を試したいだけなら、日本で思う存分振るえばいいだけの話だ。だというのに、何で苦難の道を選んだのか……正直俺も良くわからない。
ただ、ゲームはハッピーエンドで終わった方が良いに決まっている。後味の悪いエンディングより、誰もが楽しかったと思える作品の方が俺は好きだ。
だったら、このクソゲーの登場人物として作品を名作にする為に、少々の無茶はしないとな。
ふと思ったのだが、もしも、この展開を予想して織子が最後の裏切り行為に至ったとしたら……そこまで考えた上での行動なら称賛に値するが。まあ、流石にないとは思うが。ないよな?
「塔へ挑むのでしたら、疑似世界で貴方が手に入れたアイテムを復元した物を、お渡しします。全く同じ性能ですので、手に馴染むと思います」
001がディスプレイに触れて操作をすると、床の一部が割れてそこから武器等を乗せた台がせり上がってきた。
純白のロングコート、純白のロングブーツ、コンパウンドボウ、伸縮自在の棍、バックパックが置かれている。疑似空間で得た武器とアイテムだというのに、全く同じものとしか思えない。
「元々、疑似世界で得られるアイテムは、こちらでも存在している物です。大工道具は持ち運びが無理だと思いますので出していません。宜しかったでしょうか?」
「構わないよ。そういや、邪神の塔は死に戻りが可能ってことは……」
「ないです。死ねばそこで終わりです」
あー、やっぱり、そんな優しい仕様ではないか。疑似空間ではなく、今度は生身の体でやり取りをする、本物の異世界だからな。今までのダンジョンと同じような考えだと、痛い目を見そうだ。
「邪神の塔についての情報を知る限りで良いから教えて欲しい」
「わかりました、出来うる限り協力いたします。マスターを助けていただきたいので」
協力的なのはありがたいが、余程マスターが大切なのか。それは001に入力された設定なのか、それとも感情と呼ぶべきものなのか、それは彼女にもわからなそうだ。
それから俺たちは入念な打ち合わせを始めた。ここからは強制的にやらされるわけじゃない。自ら進んでやるダンジョンアタックだ。不安は正直あるのだが、動揺が全くないのは『暗殺』のおかげか。
たった一つの残機で高難易度のダンジョンへ挑む。人生で一番難しいゲームになりそうだ。
「網綱様、準備は万端でしょうか?」
「完璧だよ。色々ありがとうな」
あれから二週間、この世界の歴史や、知りうる範囲で塔の情報を収集した。
ここで眠る同郷の人々は彼女が必ず守ると約束してくれたので信じるしかない。001は何よりもマスターと呼ばれる白衣の男を大切に想って……感情は無いらしいが、最優先事項であるのは確かだろう。
そんな彼女だからこそ、約束というか契約を破棄するような真似はしないと思う。
自分の姿をこの目でもう一度確かめておくか。
スーツの上には純白のコートとブーツ。これは武器同様、この世界の技術の粋を集めた逸品らしく、保温性能に優れ、頑丈で自己修復機能付きという高性能ぶりだ。
コンパウンドボウと伸縮自在の棍も、あの疑似ダンジョンで得た物と全く同じ性能で、異世界の技術レベルの高さを見せつけられた。
バックパックには保存食と生活必需品が詰め込まれ、向こうで食料を得られなくても節約すれば一ヶ月は耐えられるだろう。
「じゃあ、飛ばしてもらえるか」
「はい。網綱様の無事と、マスターの帰還をお待ちしております」
二週間二人きりだったが、001とは何の進展もなかったな。心が通い合うこともなく、事務的に業務をこなしているといった感じだった。
まあ、期待はしていなかったので別にいいのだが。
ここに来てからというもの人生観が覆る波乱の日々だったな。
100の命を与えられた仮初の不死となり、ラースフォーディル人の手で書かれた戯曲に従い、ダンジョンを舞台に演じさせられ続けていた。
そして、今度は不死の邪神が戯れで作った塔という名のダンジョンへ挑むことになった。主役が一介のサラリーマンというのが哀愁を誘うが。
「俺がこのクソゲーの開発者なら、そうだな……さしずめ、サラリーマンの不死戯なダンジョンとでも名付けるかな」
「何を仰っているのですか?」
001、冷静に突っ込むのはやめてくれるか。キメ台詞のつもりで口にしたことを素で返されると、死ぬほど恥ずかしいな。
思ったよりも緊張はしていない。あのダンジョンの序盤と比べたら、どんな困難が待ち受けていても、きっと乗り越えられる。
さあ、行こうか新しいステージへ!
これにて網綱の物語は一先ず終了となります。
最後までお付き合い頂いた読者の皆様、本当にありがとうございました。
続編は今のところ未定となっています。
書くにしても新作を挟んでからになりそうです。