同じ夜、違う思い
まだ投稿するつもりがない話を間違えて投稿していました。
すみませんでした。今は見れない状態になっています。
夢の中では、またあのヘッケ平原にいた。
まとわりつく泥濘。
飛び交う怒号。
胸を突く、むせ返るような血の匂い。
その混迷のただ中で、少し前を走る小さな白銀の背中があった。
ライラは手を伸ばし、必死に叫ぶ。
「リリィ少将――!」
けれど、その声は戦場の喧騒にかき消され、届かない。
一閃。
銀光が走り、リリィの右腕が、レイピアを握りしめたまま泥の上へと落ちる。
白銀の甲冑。
宙に舞い散る鮮血。
泥の中へ沈んでいく、小さな右手。
そして、ゆっくりと振り返ったリリィの、絶望に染まった顔――。
「――っ!!」
ライラは跳ね起きた。
暗い幕舎の中に、荒い呼吸だけが響く。
全身は嫌な汗でぐっしょりと濡れ、肌着が皮膚に張り付いていた。
胸元をかきむしるように強く掴み、何度も深く息を吸い込む。
心臓が早鐘のように打っていた。
夢だと分かっていても、指先の震えが止まらない。
「また……この夢……」
ここはドイス東部国境近く、ヤマハ村付近に展開する駐屯地。
ヘッケ平原での敗戦後、かつて国軍最強とまで謳われたリリィ隊は、責任を問われる形で解体された。
一般兵は他の部隊へ。
リリィ隊の将校たちは事実上の左遷として、東部や北部といった過酷な辺境へと飛ばされた。
ライラも、そのうちの一人だった。
現在は中佐としてヤマハ村周辺を守る部隊の指揮を執り、頻発する異民族や盗賊の襲撃対応に追われている。
『中佐! 前に出すぎです!』
『……後ろは任せる。黙ってついてきなさい』
昼間の戦闘が脳裏をよぎる。
本来であれば、中佐という立場の指揮官が自ら剣を抜き、真っ先に敵陣へ突っ込む必要などない。
けれどライラは、戦いのたびに先陣を切り、最も危険な場所へと身を投じていた。
勇敢なのではない。
蛮勇だった。
その証拠に、身体には無数の傷が刻まれている。
かつて、過酷な戦場で最も危険な場所に立っていたのは、いつもリリィだった。
自分たちは、その白銀の背中に守られ、ついていくだけだった。
だから今度は、自分が立つ。
それが何の償いにもならないことくらい、分かっている。
それでもライラには、それ以外のやり方が分からなかった。
元リリィ隊の将校たちが次々と辺境へ送られる中、唯一、ユイだけはルカクの庇護のもと王都に残ったという。
仲間たちの消息も途絶えがちな中で届いたその小さな報せだけが、かすかな救いだった。
ライラは乱れた息を整え、もう一度ベッドへ横たわった。
目を閉じる。
だが、すぐにまた、あの光景が浮かび上がってくる。
右腕を斬り落とされた瞬間の、苦痛と絶望に歪んだリリィの顔。
そして、軍を去る日の姿。
軍服を脱ぎ、空になった右袖を力なく揺らしながら歩いていく、小さな背中。
あの時、ライラは確かにその場にいた。
声をかけようとした。
『リリィ少将……』
けれど、その先が続かなかった。
――どこへでもついていきます。
――お願いですから、置いていかないでください。
――あなたは、私たちの希望なのですから。
喉まで出かかった言葉は、ひとつとして口にできなかった。
あの惨劇以来、初めて目にしたリリィは、あまりにも痛々しかった。
何を言えばいいのか分からなかった。
何を言っても傷つけてしまうような気がした。
結局、ただ小さくなっていく背中を、黙って見送ることしか出来なかった。
「…………」
ライラは強く目を閉じる。
あの方は、ずっと一番辛い場所に立ち続けていた。
それなのに、自分は何もできなかった。
戦場でも。
あの日も。
どうしても眠れそうになかった。
ライラは諦めてベッドを降り、冷えた木床を裸足で歩いて窓を開けた。
ひやりとした夜風が吹き込み、汗ばんだ肌を撫でていく。
見上げると、そこには吸い込まれそうなほど美しい星空が広がっていた。
けれど、どれほど静かで綺麗な夜であっても、ライラの心が安らぐことはない。
昼間はまだ良かった。
襲い来る敵を斬り伏せ、命を削っている間だけは、余計なことを考えずに済む。
けれど。
戦いが終わり、辺りが静まり返ると――。
消したくても消せない記憶が、また戻ってくる。
白銀の閃光。
泥に落ちた右腕。
何も言えなかった、あの日の背中。
ライラは、夜が怖かった。
◇
――同じ頃。
ライツの町の、小さな家。
リリィもまた、静かに窓辺に立っていた。
庭先には、数日前に手に入れた少しおかしなカラクリ台車が置かれている。
あの不思議な機能から飛び出したシャボン玉を、子どもたちが楽しそうに追いかけていた姿を思い出し、リリィは小さく笑う。
窓の外を見上げる。
そこには、満天の星が広がっていた。
「……綺麗ですね」
リリィはそっと呟く。
以前なら、夜が来るたびに失った右腕のことを思い出し、孤独と喪失感に胸を締め付けられていただろう。
けれど今、窓の外にはぽつぽつと温かなライツの家々の明かりが見えていた。
自分に声をかけてくれる町の人々。
嬉しそうにシャボン玉を追いかけていた子どもたち。
不愛想だけれど、どこか憎めないカラクリ技師の少女。
ここには、ささやかで優しい日常があった。
ライツの町の明かりが、リリィの心を温める。
「…………」
星空を眺めているうちに、ふと、かつて共に戦った仲間たちの顔が浮かんだ。
今、軍がどうなっているのか。皆がどこで、何をしているのか。
リリィには何も分からない。
それでも、願わずにはいられない。
「皆さんも……お元気だといいのですが」
同じ空の下。
かつての仲間たちも、今頃この星を見ているのだろうか。
そんなことを思いながら、リリィはゆっくりと窓を閉めた。
あたたかなベッドへ潜り込み、静かに目を閉じる。
ほどなくして、小さな寝息が部屋に響き始めた。
リリィにとって、穏やかな日だった。明日もこんな日になるのだろう。
―同じ夜。
――同じ星空の下。
―――東の辺境の地で。
ライラは、その夜も眠ることができなかった。
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