食事の時間
紆余曲折をへて、想像以上に時間がかかったものの、無事夕飯の準備は完了した。
夕飯が完成した段階で、医務室で速見の看病をしている多摩と藤里のために、沢知が彼女らの夕飯を渡しに行った。そして、自身も速見の様子が心配だからと言って医務室へとどまった。
結果、リビングで夕飯を食べることになったのは、すでに死亡した三人と、医務室にいる四人、そして自室に引きこもり状態の浜田を除いた計十六人となった。ただし、浅田はいまだに起きる気配がなく、夕飯はお預けということになっているが。
リビングでの夕飯は、基本的にどこからも話し声が聞こえない、終始静けさに包まれたものであった。
四宮と大木の死。そして今までみんなのリーダー(?)として話を進めていた白石の死に、誰もが戸惑いを隠せず、何を話していいのか分からなくなっているのだろう。
まあ、それらのことを気にせずに食事を美味しそうに頬張っている者も若干いるが。
橘もこのどんよりとした雰囲気に押し流され、隣で食べている如月や望月に話しかけることもできずに黙々と箸を動かし続けていた。ちなみに橘の左隣に如月が、右隣に望月が、そして真向かいに李が座っている。あとは……めんどくさいので省略する。
全員がそれなりに食事を食べ終わってきたころ、不意に、一人の人物が口を開いた。
「なあ、何で誰も藤里を縛り上げに行かないんだ」
やや苛立ったような口調でそう発したのは、波布だ。
波布はうんざりとした表情で全員の顔を見回すと、左手で頭をかきながらかったるそうな声で続けた。
「まさかとは思うが、白石の野郎を殺したのが藤里だって気づいてねぇわけじゃないだろ」
「それってどういうこと? 白石さんを殺したのはオオカミ使いなんじゃないの?」
驚いた表情で小林が聞き返す。小林の他にも数人が驚いた表情をしているのを見て、波布は大きくため息をついた。
「おいおい勘弁してくれよ。どっからどう考えたって藤里が白石を殺したってのは一目瞭然だろ。もしオオカミ使いが白石を殺したっていうんだったら、どうして藤里を殺さなかったんだ? それにだ、ぶっ殺されそうになって慌てて逃げてきたやつがどうして鍵を手に持ってんだよ。常識的に考えてもありえねぇだろ」
「それはそうだけど、オオカミ使いがやってないとは言い切れないでしょ。だってオオカミ使いは私たちのことをただ殺戮したいわけじゃなくて、ゲーム感覚で一人ずつ殺していこうとしてるじゃない。あえて彼女を殺さずに逃がしたとも考えられるでしょう」
「はっ! 随分とあの女を庇いてぇみたいだな。小林つったか、あんた。もしかしてあの女に弱みでも握られて庇うように言い聞かせられてんのか」
あざ笑うかのような言葉に、小林が顔を真っ赤にして怒鳴り返す。
「な、そんなわけないでしょ! そんなくだらないことを言ってる暇があったらさっさと私の質問に答えなさいよ。まさか根拠もないのに彼女を人殺し呼ばわりしてるわけじゃないでしょうね」
詰問口調で迫る小林に対し、少なくとも顔だけはへらへらと余裕のある笑みを浮かべる波布。彼女の迫力に押されてか、若干目が涙目になっているように見えるのは気のせいだろう。
波布は微妙に目を小林からそらしながら答える。
「んなわけねぇだろ。いいか、オオカミ使いの立場になって考えてみろよ。もしお前の言う通りゲーム感覚でこの殺人ゲームをやってるんだとしたら、ここで生かしておくのはどう考えたって白石だろ。ゲーム後半に生き残ってんのがあの男依存女になったとして、オオカミ使いが喜ぶと思うか? 確かに殺しやすくて楽ではあるだろうが、ゲームとしては盛り上がりのかけらもねぇ。俺がオオカミ使いだったら絶対にそんなことはしねぇよ。だいたい一人ずつ殺すも何も、天童が話してたことによれば大木と四宮は同時に殺されたんだろ。あの二人を同時に殺しておきながら、今更白石と藤里の二人を一緒に殺すことに躊躇いや制限なんてないだろ。どうだ、俺の言ってることに間違いがあるか?」
勝ち誇った表情でそう告げる波布を悔しそうな表情で見返しながら、反論が思いつかなかったらしい小林は言葉もなく黙った。
恨めしそうに波布を見つめている小林には悪いが、橘を含めて何人かは波布と全くの同意見である。ゆえに、彼女の弁護はしづらいし、何より波布の話の続きを聞きたい。
今の二人のやり取りをにやにやと笑みを浮かべて観賞していた牧が、笑いを含んだ声で波布に聞いた。
「要するにだ、藤里って女が白石を殺した犯人であり、ひいてはオオカミであるってことでいいんだな」
「ああ、十中八九間違いないだろ。そうじゃなきゃあの女が無事に逃げられたことに説明がつかねぇしな」
「おし、だったら今すぐに捕まえに行こうぜ。オオカミさえ捕まえちまえば、オオカミ使いの脅威も半減だしな」
今にも席を立ち、藤里のいる医務室へと向かいそうな牧。その姿を見ていた李が、眉間にしわを寄せながら口を開こうとした瞬間、
「藤里さんはオオカミじゃありませんよ、たぶん」
黙って情勢を見守っていた千谷が、静かな声音で牧の動きを制した。
再び自分の意見を否定され、波布が不快そうな表情で千谷を見返す。
「おい、今の話を聞いておきながら何で藤里がオオカミじゃねぇって結論になるんだよ。俺の話、寝ないでちゃんと聞いてたんだろうな」
「はい、もちろん寝ないで聞いていましたよ。確かに、あなたの話から藤里さんが白石さんを殺したことは正しいことだと思いました。でも、彼女がオオカミであるという考えには全く賛成できませんでした」
「何でだよ。藤里がオオカミじゃねぇっていうなら、どうしてあいつだけが助かったのか説明できんのかよ」
「はい、できますよ」
にっこりと笑みを浮かべながら千谷が答える。その余裕の笑みに何か不気味なものを感じ取ったのか、波布はおそれの表情を浮かべて目をそらした。
波布の考えを真に受け、医務室へと直行しようとしていた牧も席から立ち上がるのをやめ、再び二人の会話に耳を傾ける。
「じゃあ、説明してみろよ」
強がりの入った口調ながら波布がそう言うと、千谷は一度全員の顔を見回してから説明を開始した。
「まず、藤里さんが殺されなかった理由ですけど、それは彼女が白石さんを殺したからだと思います」
「なんだよそれ、どういうことだよ?」
「波布さんは、藤里さんが生き残るよりも白石さんが生き残ったほうが面白いはずだ。だから殺すなら二人一緒か、藤里さんだけだったはずだ、というようなことを言ってましたよね。でも、今までの藤里さんの行動がすべて白石さんを殺すための演技だったとすれば――少なからずオオカミ使いがそう考えたのならば、藤里さんを殺さなかった理由になりませんか? 彼女が生きていればこの先も何か面白いことをやってくれるかもしれない。そう考えて、あえて藤里さんを殺さなかった」
「……いいぜ、その可能性もあることは認めるよ。だがな、それだけじゃあいつがオオカミじゃない理由にはなってねぇよな」
「いえ、十分理由になってると思いますよ」
「おいおい、どこからそんな結論が」
「私と波布さんを含めて数人がこの事実に気づいていることからです」
波布の言葉を遮り、堂々と千谷が言い切る。
一瞬何を言われているのか分からなくなり、波布が無意味に瞬きを繰り返す。
どういう意味かと聞かれる前に、千谷は再び語りだした。
「オオカミ使いにとってオオカミは切り札のような存在です。なにせ、私たち羊の勝利条件はオオカミ使いとオオカミの二人を生きて捕まえること。仮にオオカミ使いを捕まえられても、オオカミが捕まえられなければゲームは続く。だからオオカミ使いは最後の最後までオオカミが誰かをばれるわけにはいかないはず。つまり、本物のオオカミが、こんな犯人だとあからさまに疑われるような行動をとるはずがない、ということです」
彼女の言葉に反論しようとする人物はいない。もちろん、この結論に至ることを予想したうえで、あえて犯行を行った可能性がゼロなわけではない、が、まず百パーセントあり得ないだろう。すでに人を一人殺してしまっている以上、オオカミでなかろうと行動の自由を奪われることは必須。結局のところオオカミにとって利点は何一つないのだから。
完全に論破された波布は、ぐうの音を漏らして黙り込むと、ばつが悪そうに視線を下に向けた。
リビングにいる全員が千谷の意見に納得し、各々考えを巡らせている中、橘は真向かいにいる李の表情がいまだに晴れていないことに気づいた。
藤里がオオカミであるという勘違いから皆の思考をそらせたのに、まだ何が不安なのか。橘が李の考えをトレースしようとしていると、不意に小さな――しかしリビング中の全員に聞こえる声で、星野が呟いた。
「もし今の話が本当なら、藤里さんは、オオカミではないのに白石さんを殺したということになりますね……」
ざわり
彼女の一言が、リビング中の全員に衝撃として伝わっていく。
ここにきて橘はようやく李の苦々しげな表情の訳を理解した。
今まで橘ら羊側はオオカミ使いとオオカミ、その二人だけを敵と認識してきた。それゆえ、お互いこんな理不尽なゲームに付き合わされていることもあってか、妙な連帯感もあり羊同士の関係はそこまで悪くなかった。だが、先の藤里の行動によりこの関係は崩れざる負えなくなる。羊側にも裏切る人物がいるという事実。これから先、オオカミ以外の誰かが裏切る可能性が、常に頭の隅をちらつくことになるのだから。
藤里がオオカミでないことは明らか。だが、藤里がオオカミでないことを証明してしまうと、今後の皆の関係に大きなひびを入れてしまうことになる。
食事の時間に白石を殺した人物が誰かについての話が出ること、そして今のこの状況までをすべて予測していたがために千里は……。
橘が思考にふける中、小林がこわばった表情で口を開いた。
「これって結局どういうことになるのかな……。藤里さんがお金に目がくらんで、白石さんを殺したってこと?」
「……そうとは限んねぇだろ。元からオオカミが複数人いた可能性だってあるだろうし、オオカミの口車に乗せられて裏切ったのかもしれねぇ。『白石を殺せばお前は殺さない』とでも言われれば、あの女ならうのみにするかもしれねぇからな」
「それって、結局のところ藤里さん以外にも、僕たちを裏切ろうとする人がいるかもしれないってこと、ですよね……」
空条の言葉に、誰もかれもが動揺して挙動不審になる。
隣に座っている相手のことをちらちらと盗み見ては、不安そうに体を震わせる者。
ついさっきまで食べていた料理を怖々と見つめる者。
席を立って自分の部屋に戻ろうか迷い、中腰でいる者。
そんな中、全く緊張感のない声で千谷が再び口を開いた。
「皆さん安心してください。私にはすでにオオカミが誰かは分かっています」
何気ない口調、だが全員の注目を集めるには十分すぎる一言を、さらりと放つ。
全員が――あの李でさえ――唖然とした表情で千谷を見つめる。
皆の思いを代表して、震える声で波布が尋ねた。
「オオカミを知ってるって……、そいつはいったい誰なんだよ」
波布の言葉を受け、千谷はリビングにいる一人一人の顔をゆっくりと見まわしていく。
そして、ある人物のもとでその視線を止めた。
彼女の視線の先にいたのは、
「橘さん、あなたがオオカミです」