疑惑の視線
リビング中の誰もが、千谷が名指した人物を見つめる。
全員が自分のことを見ているのに気づいた後、一拍置いたのち、橘はようやく自分の置かれている状況を理解した。
「えと、もしかして今、僕ってものすごく疑われてる?」
やや素っ頓狂な発言をする橘への視線は冷たい。
もちろんまだ理由を聞いていないわけであるから、誰も橘がオオカミだと決めつけている者はいないだろう。
とはいえ、今までの発言から千谷の知能は決して低くはないこと。この状況下で冗談を言うような人物ではないことは誰もが認めていることだ。
その彼女の発言を、気にしないで聞き流せという方が無理な話である。
驚きのあまり言葉も出せない人が大半を占める中、咎めるかのような険しい口調で、李が千谷に尋ねた。
「千谷佳奈。今のお前の発言、どこまで本気だ?」
李の発言は常に重厚さを伴う。彼の発言は常に状況を理解したうえで冷静な発言をしており、一つとして間違っていると思わせる発言はしていないからだ。何より白石亡き今、この中で最も発言力のある人物は李だといって間違いない。
その李が口を開いたということは、今後の方針が今から行われるであろう会話により決定するということを意味している。
渦中の橘はいまいち危機感を覚えていない様子で李を見つめているが、今この場にはかなりの緊張が走っていた。
「どこまで本気、ですか。それに関しては私のこの後の説明を聞いてもらったうえで、皆さんに判断していただきたいと思っています」
そう軽く前置きをした後、千谷は落ち着いた声音でゆっくりと語りだした。
「当初私が怪しいと思っていた人物は、今現在もこの場にいない浜田透さんと、死んでしまった白石天さんでした」
「へぇ、お前が疑ってんのは天童だとばかり思ってたが、まさかその二人とはな」
茶化すような口調で牧が口を挟む。
名前を挙げられた天童は、真っ青な顔で下を向いて黙りこくっている。今名前が挙げられたからというわけではなく、白石の死体を見てからずっとこの様子だ。食事にも一切手を付けていないようであるし、つい数時間前の彼女とはまるで別人のように憔悴してしまっている。
そんな天童の様子を横目で一瞥すると、特に表情を変えることもなくすぐに視線を戻し、話を再開した。
「天童さんに関しては、そこまで疑っていませんでした。それ以上に今名前を挙げた二人が怪しすぎたので。こんな事言うまでもないと思いますが、私たちをこの無月島まで誘拐してきた人たち――オオカミ使いとオオカミはこの殺人ゲームを娯楽として楽しんでいます。その上、ルール上彼らだけは死ぬ危険性がなく、危機感や恐れを抱く必要性もないんです。つまり、彼らはこのゲームを唯一楽しんで行動することができるということ。それを前提として考えた私は、オオカミとなる人物は序盤から目立つ動きをしている人ではないかと思いました。結果的にその考えと一致していると感じたのは、序盤から単独行動をとりに行った浜田さんと、皆のリーダーとして方針を決めだした白石さんでした。でも、白石さんが藤里さんに殺されたことから、私はもう一度考えを改めてみました」
「それでどこをどう振り返った結果、あいつがオオカミだという結論に達したんだ」
中々本題に入らない千谷に痺れを切らしたのか、眉間のしわを深めた李がきつい口調で口を挟む。
そんな李の態度に頓着せず、千谷は目の前にある水の入ったコップを手に取ると、それを少量口に含み、唇を湿らせた。
「振り返った、というよりも考え方を改めたんです。さっき私自身が言ったことですが、オオカミはオオカミ使いにとっての切り札的存在。いくらゲームを楽しみたいからといって、目立ちすぎる行動はとらないんじゃないかと。そこで、目立ちすぎず、それでいて一定の発言力と行動力を持った人物は誰かを考えてみたんです。そしたら」
「僕が疑わしいという結論に至ったと。なるほどね」
疑われているにも関わらず、まるで他人事のようにうんうんと首を縦に振る橘。
橘からしてみれば、自分がオオカミでないことは自分で分かっているため、その行為は自然なつもりだったのだが、他の人からは少し奇異に映ったようだ。橘の隣に座っていた望月が、若干ながら距離を取ったのが横目に映る。
あまり焦りを見せないという橘のマイペースさは、この状況においては著しく自分の立場を怪しめるものとなっていた。
とはいえ、元からそんな彼に侮蔑の視線を送り続けている李は、それを一切気にせずに無視しているし、橘を糾弾している立場にある千谷も、その態度に不信を感じている様子はなく、すました顔で水を飲んでいる。
話の主軸をつかさどる二人があまり気にした様子を見せていないことから、誰もここで橘を取り押さえようと行動するものはおらず、再び千谷の語りが始まった。
「では、どんな点から橘さんが怪しいと考えたのか、一つずつ話していきます。おそらく今から話すことはそれ単体ではオオカミだと考えるには難しいものばかりだと思うので、質問があるにしても私が全て話し終わるまで待ってください。
まず私が怪しいと感じた行動は、リビングで自己紹介が終わった後、一人部屋に戻っていた浜田さんを呼びに行こうとしたことです。もし本当に彼の身を案じていたのならば、自己紹介が終わるまで待ったりせず、彼がリビングから出て行こうとした時点で動いていたと思うんです。そもそもリビングの時点で説得に応じなかった相手を、どんな言葉で説得するつもりだったのか。もしかしたら、橘さんのあの発言の真の目的は、自分一人だけになる時間が欲しかったからなんじゃないでしょうか?
次に、オオカミ使いに遭遇したのに殺されなかったこと。その時はオオカミ使いがどの程度の強さなのか知らなかったのでそこまで気にしませんでしたが、大木さんがあっさりと殺されたことから考えを改めました。それに、白石さんの部屋の前で浜田さんと戦っていたオオカミ使いは、少なからず橘さんとは比べ物にならないほどの腕前でした。それなのに、どうして橘さんは殺されなかったのか。
三つ目。これは私たちC班のメンバーしか知らないことですが、彼は天童さんの無謀な探索計画に真っ先に賛同したんです。結果としては私も言いくるめられて、彼女の案に乗ってしまったわけですが、なぜあんな無謀な計画に賛同したのか。
四つ目は、ついさっき私と伊吹さんを自室に呼び出したときに言っていた話です。その話とは、一つは白石さんを殺した犯人が藤里さんであるという話。そしてもう一つは、オオカミ使いをおびき出すために、全員が一度バラバラに離れる手伝いをしてくれというものでした」
「礼人君、本当にそんな話をしたの……」
隣に座っている望月が、驚きの声を漏らす。橘はあえてその言葉を無視し、千谷の話の続きを待った。
千谷は望月の驚いた表情を見ながら、小さく首を縦に動かした。
「望月さんが驚くのも無理はないですね。囮作戦がいかに無謀で意味のないものであるかは、速見君の例を挙げるまでもなく明らかだと思います。にもかかわらず、オオカミ使いをおびき出すためなどといって、全員を散らばらせる――つまり自分含めたこの場の全員を囮とした作戦を提案してきたのですから。以上、私が挙げた四つの事象を考えてみた結果、橘君がオオカミではないのかという結論に達したわけです。どうですか皆さん? 橘君がオオカミであるという私の考えに、賛成をしてくれますか?」
しばらくの間、誰も口を開こうとしない、静かな時間がリビングを流れた。
おそらく、橘が何か言い訳をしてくるのではないかと身構えているものがほとんどだったのだろうが、その予想に反して橘は沈黙を貫いた。焦るでもなく、かといって余裕の表情を浮かべるでもなく、いつもよりも少し真剣な表情で、橘は口を開かずに目の前の食器を見つめている。
いつになっても何も言わない橘にしびれを切らし、李が凍えるような声で聞いてきた。
「何か、言い訳はないのか。今千谷が言っていたようなことを、お前は提案していたのか」
橘はゆっくりと顔を上げると、無表情に李を見返した。
そして、顔を左右に動かし、他の人がどのような表情で自分を見つめているのかを確かめていった。
何を考えているのか全く分からない表情、怒ったような表情、恐れと怯えを含んだ表情。隣に座っている望月は怯えの表情を、如月は普段と変わらぬ冷めた表情を浮かべていた。
それらを確認した後、小さく息を吐くと、橘は李を見返しながら言った。
「僕から言うことは特にないよ。もし疑わしいと思うなら、監禁でもなんでもすればいい」
「……そうか」
李は目を閉じると、小さく頷いた。
その李の態度を見た牧や波布が、橘を捕まえようと椅子から立ち上がる。が、彼らが動き出すより早く、突如リビングの扉が開かれた。




