21 宙に舞った幸運
ま、俺にやれることなんて、決死の囮ぐらいしかないわな。
自問自答をして行き着いた答えはどう転んでも絶望的だろう。俺は息を吐きながら最後になるかもしれない空を見つめた。先ほどまで薄く敷かれた柔らかな雲は、いつのまにか厚みを増しており、遠くの方にある雲の隙間からは淡い水色の空が垣間見える。そこから降り注がれている光線は極端に滲んで地上へ降りていた。
……どうしてだろう。あの光線は天使の梯子などと呼ばれる程美しい自然現象なのに、なんだか光の滲みが不自然で不穏だ。魔物に囲まれているからか? 人間は状況と心情に左右されて視覚情報すら変えるのかもしれない。冷静に状況を見ていたはずなのに、やはり精神的には参っていたのか。俺はまるでピントが合っていないような、ぼやっとした空模様から視線を外し――。いや待て待て。ピントが合わないなんて中々ないだろ。よく見ろ。湿気とか霧か何かで空気が淀んでいるじゃないのか? まさかと思いながら目を凝らしてみれば、頭上一帯に薄く陽炎が敷き詰められている事が判明。光線の滲みもこれのせいか……。
既に彼女は前を見据えて行動していた。自分はどうだ? ウダウダしていただけだ。いい加減しっかりしろ。覚悟を決めろ。
そうして俺は彼女にゴーレムを引き受ける事を伝えた。多少疑われたが意を汲んでくれたようだ。恐らく彼女も俺と同じ考えに至ったのだろう。いや、もっと前に至っていたのかもしれない。もはやこの方法で、この役割分担でいくしかない。
「やれ!!」
そう強く声を上げると、天を覆っていた陽炎が無数の点に集約していき、鮮明かつ明瞭な空が見えてきた。続いてその無数の点が火の球に変身。一斉に落下していく。火球は尾を引きながら轟々と恐ろしい音を出し、まるで小さな隕石のように魔物へ襲いかかった。
火達磨になったレオドックは、悲痛な声を上げて地面を這いずり回る。それは映画等で見かけるものより極めて残酷で恐ろしい光景だった。
レオドックが焼死していく様に衝撃を受けて逡巡していると、背中側にいた彼女が一早く撃ち漏らしたレオドックに向かって走り出した。その動きにはっとして意識を現場に戻す。まじまじと見ている必要もなければ時間もない。俺は彼女を見習って頭のスイッチを切り替えた。
対応すべきゴーレムとの距離は数十メートル。まだ余裕はある。俺も近くにいるレオドックを一匹だけでも倒そう。ここで数を減らしておかないと後々邪魔だ。未だ怖気づいていない両足を使い、燃えるレオドックを横目に走り抜ける。そして一匹で浮いているレオドックを標的に決めて突き進んだ。そのレオドックは初手の火球を避けたようだが、流石に混乱しているのか、接近中の俺にまるで気がついていなかった。しかし接敵直前、首だけ回して俺を視認した。だがその横っ腹はまだ俺に向けたままだ。
絶好のチャンスに心猛るまま、走る勢いを殺さず渾身の右ストレートを繰り出す。同時に魔道具の手甲を手甲杭に変化させ、そのリーチを伸ばした。
完璧。絶対に屠れる!
そう確信した攻撃だったのに、あろうことかレオドックは地面スレスレまで頭と体を下げてこれを回避。大振りの右ストレートは派手に空振りした。その結果、逆に俺が無防備な脇腹を晒すことになってしまった。
――あ、やべっ。
そんな緊張感のない言葉を頭の中で呟きながら、やけにレオドックの凶悪な牙の密集地帯が目につき――。
「っく!」
崖っぷちの防衛本能だろう。空振りの勢いで浮いた右足が、なんと自分の脇腹を隠すようにその膝を上げてくれた。結果、レオドックは俺の脇腹の代わりにその膝を丸ごと大口の中に収めた。
膝につけた防具のおかげか痛みは感じなかった。それよりも膝を上げたせいで二の足が踏めず、空振りの惰性でレオドックを下敷きしながら前のめりに転倒してしまった。魔物と一緒に倒れるのはこれで何度目だ? 数時間前に戦ったあの時みたく、魔物にマウントを取られるのは何としても避けたい。
川沿いの地面特有の砂利に手を取られながらも、急いで起き上がろうと体を動かしたところ、喰われた右足が重たく動けない。かなりの勢いで転倒したはずだが、それでもレオドックは俺の膝を離していなかったようだ。
「ああああ! クソッ! クソッ!」
まるで手を使わずジーパンを脱ぐような、そんな醜い動きをしながら邪魔なソレをどかそうとするも、ガッチリと嵌っているソレは取れなかった。
焦りを抑え、しっかり自分の足を見ながら踏み蹴ろうと、体と地面の間から覗き込むように下半身を確認。するとレオドックは腹ばい状態のまま俺の膝を喉奥まで入れて全く動いていなかった。
数秒の戸惑いの後、レオドックの頭を両手で掴み、その血だらけの口からズボッと膝を抜いた。膝はレオドックの血でぐっしょりしていたが、防具によってほぼ無傷。レオドック側は既に絶命していた。どうやら長方形に突き出ている膝当てが、転倒時にレオドックの喉奥を深く突き刺したようだ。
俺はほっと胸を撫で下ろす事もなく立ち上がった。敵は一匹ではない。こいつらは次々に襲ってくるやっかいな魔物だ。すぐに周囲の状況を確認した。
――周りのレオドックは、そのほとんどが炎によって焼かれいる。さらに彼女が対処しているおかげで、俺が至急対応しなければいけないレオドックは近場にいない。しかし川の浅瀬、と言ってもこの川はどこも浅瀬のような深さだが、そこから二匹のレオドックが飛び跳ねるようにして川を走り、盛大に水しぶきを上げながら俺の方へと向かってきているのが分かった。
肝心のゴーレムは彼女の初撃によって、その上半身と片足から炎を上げているが、見たとこ全く気にも留めず、轟々と燃える腕をゆっくりと振り上げながら俺の方へと迫ってきていた。
元々巨大な体だというのに、腕を上げてさらに大きく高さを増していく。まるで巨大な建造物がゆっくり自分の方へ倒れてくるかのような恐怖感が襲ってくる。
「……ハ、ハハッ。今、くるのか」
自分の膝が笑いはじめた。少しでも気を抜けばお尻と地面がくっつきそうだ。情けない。こんな奴に何ができる。そもそも何で俺が? 知らない世界に来たばかりの、何も分かってない地球人の男が、ゴーレムと戦うって? なにがどうして――。
苛立ちと自嘲が入り混じり、なぜか日々堪えていた異世界に対しての不満がこみ上げてくる。
――やめろやめろ。どうでもいい!
いつのまにか元に戻っていた右腕の手甲を再び杭の形に変化させる。続いて雑念を蹴飛ばすかのように地面を強く踏み込み、俺は半ばヤケクソ気味に全力疾走した。
浅瀬から走り寄ってくるレオドックの気配を背中で感じつつ、二階建ての家屋のようなゴーレムの元へ駆けていく。炎を伴う太い腕を振り上げている相手に、あえて自分からそこに突っ込む。
余所からみれば気が狂ってる。だが、動いてくれたこの足を止めるのも怖い。止めれば途端に足がすくみ、もう二度と動かなくなる気がする。
よく見ろ。アレはただの岩だ! 岩の塊だ! そんな事を繰り返し唱えながら気張るも、ゴーレムに近づけば近づくほど、その巨体がさらに膨れ上がるように大きく目に写ってくる。まるで見えない枷で心と足を縛られているような思いだった。
そうして目の前まで辿り着いた時、ついにゴーレムの腕が空から降ってきた――。
まるでスローモーションのような感覚に陥ったが、実際にゴーレムの腕は遅かったと思う。おかげでゴーレムの腕が落下し始めた後でも、横っ飛びで回避できた。
肩から滑るように接地。惰性で地面を転がり、体の前面側で止める。その間、地面が馬鹿みたいに、かつ面白いほど跳ね上がったのを体で感じていた。
起き上がりながら振り返れば、想像を超えてその一帯の地面は陥没し、クレーターのようになっていた。その中央には黒い何かがあり、血肉が周囲に飛び散っている。原型を全く留めていないが、後方から追いかけてきていたレオドックが、あの剛腕に何の抵抗もなく潰されたということはすぐに分かった。
散った肉の一片が俺の顔や体に飛びついていたが、興奮しているせいか何も気にせず腕で払ったところ、左から暴風音。
目で追う前に視界の左端に何かが映った。
瞬時に理解し、直ちにその場で飛び上がる。続いて宙で足を畳めば丁度その真下を岩石の腕が地面を抉りながら通過していく。しかし俺の目は、その巨大な腕の動きよりも自分の腕に留まった――。
間に合うわけもないし、間に合わせようと動くことさえ叶わない。横なぎに振ってきたゴーレムの腕に対し、真下に向けていた手甲杭の先が触れるのを、ただただ呆然と見つめる事しかできなかった。
途端、腕が体に対してガツンと真横に跳ね上がり、宙に浮いている体ごと回転。姿勢制御なんてできるわけもなく、肩から地面に落ちた。その際、パシャッと水々しい嫌な音が耳に響いた。地面に落ちた時に何らかの大ケガを負ったと直感。落下による全身の痛みを忘れ、慌てて飛び起きた。
――いや、起きれた? 体を起こせた以上、大した怪我は負っていない?
では何の音だと周囲を見れば、先ほどまで無かったレオドックの肢体が、四方八方ごろごろと転がっていた。
先ほどと違って原型がある。しかも体の中に押し込まれていた物まで分かる。一目で喉に湧き上がるものを感じた。が、吐く暇も震えあがる暇もない。大きな地鳴りと振動に襲われ、大量の砂煙に体が吸い込まれたからだ。
薄闇の中、今攻撃されれば一溜まりもない。
俺は砂塵が目に入らないよう、上下の瞼でつくった僅かな隙間から霞む世界を睨みつける。しかし、いればすぐに分かる巨人の影はどこにも見当たらなかった。
我慢しきれない咳を何度かしつつ、ほとんどの砂煙が風で流れた頃、岩がゴツゴツぶつかり合うような音が聞こえて分かった。伸ばせば手が届きそうな距離。そこにある何の変哲もない平坦な岩山。それがゴーレムなんだと。
こんな状況だというのに不思議と笑いがこみ上げてきた。倒れて高さがなくなっている。そのせいであの化け物が岩山だとしか思えないなんて。
恐らくゴーレムが行なった横薙ぎの攻撃によって、逆に自身の体が振り回され、あげく倒れてしまったということだろう。
現状、浅瀬から向かってきたレオドックはゴーレムの攻撃で死んだ。これは狙っていた、というより願望に近いものだったが今日は相当運がいい? いやいや。こんな事になっているのに運がいいわけがない。
ともかくゴーレムは倒れた。こんな状態からさくっと立ち上がる事は出来ないはず。周囲にレオドックもいない。ただし後方で彼女が五匹のレオドックを相手にしており、残りはそいつらだけのようだ。五匹相手に全く危険を感じさせない立ち回り。余裕さえ垣間見える。
で、肝心のゴーレムだが、最初は火球によって上半身と片足を燃やしていたものの、倒れた時に撒いたのか既に鎮火している。そして魔法による変化はまだ起きていないようだ。
実はゴーレムに近づいてからというもの、断続的とはいえ、可能な限り魔法をずっと行なっていた。それなのに魔法による効果が現れていない。硬い岩石のためか、それとも大きさに比例して時間がかかっているのだろうか?
学院の校庭で木に対して魔法を行なった際も時間が掛かったが、その時以上に時間が掛かっている。こうなると魔法がちゃんと発動しているのか、そこに確信が持てなくなってくる。
とはいえ魔法を使わずに石を壊す具体的な方法は、穴を複数開けていく原始的なやり方しか知らない。だが、それは道具が無いので不可能。よって魔法の方法に頼るほかない。結局できるまでやり続けるしかないな。ゴーレムの攻撃を避け続けなければいけないのは一緒だ。
それにしても、彼女を見習って戦いながら魔法を行使してみたが、やはり難しい。彼女の凄さが身に染みてわかってきた。
その後、ゴーレムはゆっくり一つずつ肢体を動かして、ついに立ち上がった……立ち上がってしまった。なんとも歯がゆい時間だった。立ち上がる事を防ぐ。その方法が全く思いつかなかった。
いやダメだ。ポジティブになれ。こいつは基本的にのろい。攻撃も単純な力任せでのろい。避けるだけなら何とかなるはず。奴の攻撃は文字通り一撃必殺。でも、それだけじゃないか。回避すればいいだけだ。
……あんなふうになりたくなければ、な。
俺は先ほどできたクレーターやレオドックの惨状を再び見た。
それから五分程だろうか。随分長く感じたこの五分間、俺は死に物狂いでゴーレムの攻撃をかわし続けた。
周りの木々は薙ぎ倒され、地面はまるで月の表面のように凸凹に変わり果てていた。俺の体も同じようにボロボロになっているが、未だ直撃は受けていない。
ゴーレムの攻撃は、ノロマという明確な欠点によって、その軌道がとても読みやすい。超ヘビー級のため予備動作に時間がかかり、非常にゆったりしている。攻撃自体のスピードも、腕が振られた後から増していく。どうも自重を使ってスピードを生み出していくようなのだ。おかげで回避する方向の判断を間違う事はなかった。
それに加えて手甲の形状を両方とも盾に変形したのが大きかった。もちろんゴーレムの攻撃を真っ向から盾で受け止めていたわけではない。そんなことしたらミンチになってしまう。盾は攻撃を回避した後に飛び散ってくる大量の土砂を防ぎ、回避のために地面を転ぶ際に自分の体を守るような活用ができた。そういった衝撃を緩和する点でかなり役立った。それと盾の存在は有るだけで精神的に大きく貢献してくれた。
さらにもう一つ。先ほどから体が不思議と軽い。なぜかいつもより俊敏に動けている気がする。火事場の底力を感じるなんて初めてだ。
たった五分の時だが、そういった理由を踏まえても鍛えてない俺の体で良くやれた方だろう。しかし、これ以上は体力が持たない。持つわけがない。呼吸も追いつかない。筋肉も悲鳴を上げている。もうダメかもしれない。そう思い始めた頃――。
「やっとか!」
危なかった。延々と岩石の腕で攻撃され続け、その度に体中は泥まみれ。まるで脱兎のごとく必死で回避していたわけだが、それがようやく実った。やっと光明が差した。ゴーレムの片足から這うように白い煙が立ち昇り始めたことで、俺の魔法がゴーレムの体に通用したのを確認したのだ。
これで一息いれられる。彼女の方もレオドックをそろそろ倒しきっているかもしれない。そうであれば俺がここまで接近してゴーレムを引き付ける意味もなくなり、身を引ける。
ただ少し気がかりなのは、もう一つの場所。腰の部分に変化が見られない。それが少し……。いや、この際足だけで十分だ。
俺は攻撃を回避しつつも安堵し、早くこの場から距離を置いて休もうと考えはじめていた。この気の緩みが致命的なミスに繋がったのかもしれない。
次の瞬間。俺は宙を舞っていた。




