14 魔法実験 月の路
風魔法を見学した翌朝。事件が起きた。学棟の入口に生徒の人だかりができており、近づいて様子を伺ってみれば、生徒達はそこにある連絡掲示板に注目していた。
俺は人ごみの隙間から、気になるその掲示板を見た。
特別教室4:冒険者授業 担当:エイジ先生
――俺は今、教壇に立っている。
昼食後の穏やかな時間帯。冒険者授業と銘打たれた教室内。目の前に数十人程の生徒の顔。さらにこの時間帯に授業がないのか、数名の教師も教室の後ろの方に【着席】している。立ち聞き程度じゃなく、授業受ける気まんまんだ。一体どんな内容の授業を行うのか誰も分からないはずなので、全員が興味本位。先生らは冷やかしもあるだろう。
あの掲示板を読んだ後、慌てて学院長をくまなく探した。そりゃ猛ダッシュで。だがどこにも見当たらなかった。他の先生方に聞いても分からないの一点張り。これはもう隠れたなって思った。よって授業の中止は不可能という結論に至ったわけで、俺はパスカル魔法学院で初めて教鞭を執る事を決心した。
冒険者授業……。取ってつけたような名目。その担当教師はこの世界に来たばかりの俺……。当然逃げる事はできない。この授業は評価され評判される。先生もいることから学院長の耳まで確実に伝わる。ということは、授業の出来次第でクビという可能性が高いといえる。つまり、ここで普通に数学や物理の授業をするという無粋な真似はできない。というかやるつもりもない。一応、どんな仕事でも全力でやるのが自分のモットー。それに、これはある意味チャンスなのだ――。
「では、そろそろ始めますね」
俺は極めて簡素な挨拶をした後、黒板に「魔素」と書いた。
書く時に一瞬戸惑いがあったものの、思い出すような感覚で文字が書けた。以前にもあったモヤモヤした想いが頭の中を埋めていくが、埋め尽くされる前に自分を諭す。うだうだ言っても仕方がない。どうせわからないんだから、さっさと始めろ、と。
一つ咳払いをして、気持ちを仕切り直してから口を開く。「この中に魔素というものを説明できる人はいるかな?」
生徒達はそんなこと今更、と言わんばかりに多くの生徒が挙手した。
「君」一番早く手をあげた男子生徒を差した。
「魔素は大地の恵みによって、空気上にありふれているものです。その恩恵は人体に蓄積していきます。そしてその魔素を使って我々は魔法を使えます」
やはり空気か。大気穴から魔素が出ている件とも繋がる。大気というと気象の方を思い浮かべてしまうが、大地穴ではないんだよな。生徒も大地の恵みと言っているのに。まぁ、大気へ魔素を放出しているからだと思えば、わからなくもないが。
そしてもう一つ。“人体に蓄積している”と生徒が言った事から、予想通り人体が魔素を吸収していることが確実となった。俺にとっては恐ろしい事実だ。
「じゃあ魔法を使うとき、魔素以外に何か必要なものはあるかい?」
「ありません。強いて言うならそれを扱う人です」男子生徒は即答した。
「ふむ。では、その大地からの恵みと言われている魔素は、具体的に大地のどこから生まれてくるのだろう?」
「……この星。アイリーンから、という意味だと思うのですが」
ここはアイリーンという名前の惑星なのか。そういえばこの世界の主流は地動説なのか、それとも天動説なのだろうか。もし誤った言葉を使えば、昔の偉人達のように辛い思いをするかもしれない。
っていうか、思っていたよりこの授業は大変有意義だ。生徒達にとっては当たり前の質問の繰り返しで何の面白味もないかもしれないが、俺にとっては新しい情報が自然な形で聞けて凄く勉強になる。やはりこの授業は謎を解くチャンスだ。惑星の名前を教えてくれた男子生徒の表情は、この人何言ってんだ? といったような不信感を顔に張り付けているが、まぁいい。今に変わるだろう。
「では、アイリーンから魔素が生まれるとして、アイリーンのどこでどうやって魔素は生まれるのだろう。知っていますか?」
「…………わかりません」
男子生徒は“どこから魔素が生まれるか”という問いが、いかに難題かを理解してくれた。さらにこのやりとりで、俺を見る全員の視線が引き締まった。興味を抱いてくれて何よりだ。ふっふっふっ。まっ、俺も知らんけど!
「このように魔素には謎がある。そこで今日は少し変わった角度から、魔素の本質を調べていこうと思う」
俺は黒板に書いていた「魔素」の隣に「空気」と書いた。
「まず、空気に魔素があるということを確かめたことはありますか? または空気中の魔素そのものを見たことはありますか?」
今度は女子生徒が挙手したので、どうぞと促した。
「以前、魔素溜まりで魔草の群生を見た事があります。あの光は魔素だと思います」
へぇ〜。俺が初めてこの世界に来た時、あたり一面光る草に囲まれていた。その草のことを魔草と呼ぶのか。なるほどね。その名前だけで説得力ありまくりだが、あれは草自体が光っていた。その光りが草の先から放出されるような現象だったら分からなくもないが……。
「鋭い解答で正解、と言いたいところだが、少々理由がつかない点がある。光が魔素というならば、なぜこの教室は光ってないのだろう?」
ちょっとズルイ指摘だったかな。女子生徒は悔しそうな顔つきになって黙った。
「ごめんごめん。絶対とは言い切れないが、今のところ魔草自体が光っている、としか言えないな」
ここで少し間を取り、皆の顔をよく見て誰も意見がない事を確認した。「――では、分かりやすくするために問題をもっと限定的なものに変えてみよう。今この瞬間、この教室に魔素はあるのかな?」
生徒達は少しざわめいた。俺は諭すように柔らかく言う。「まぁまぁ。疑いの余地がないのはよく分かる。それに君たちの言いたい事もわかる。魔法を使えば魔素があるという事は分かるからね」そして俺はきっぱりとした物言いで言った。「だが、目に見えないだろう?」
すると先ほどの女子生徒が凛とした態度で答えた。「見えなくても、先生がおっしゃったように魔法を使えば必然的にわかります」
「そうだけど、そう言わないでくれよ。もしも魔素がどこにあってどういう状態かが分かったら、君はもっと強い魔法が出せる。魔素が濃いところ薄いところが分かるのだから。そうだろう?」
女子生徒はこの問いの意義が分かってくれて、大きく頷いてくれた。
「じゃ、実験して確かめてみようか」
俺は自分が学生の頃に経験した、蝋燭に火を灯して酸素のあり方を観察する実験を始めた。
今朝、掲示板を見て何をするか悩んだとき、自分にできることで自分のためになりそう、かつ生徒達のためにもなる授業を考えた。結果、この実験に行きついたのだ。この世界の空気中には魔素というものがあって、地球の空気とは明確に違う。にもかかわらず、俺は何不自由なく生きている。だからこそ、まずは人間にとって必要不可欠な酸素を調べるべきだと考えた。もちろん地球生まれの俺の体に異常が起きていない時点で、地球のそれと酷似している事は推測できるが、やってみる価値はあるだろう。
というわけで、お昼の内に食堂のおばちゃんに相談して、底が深い大きなガラスコップを借りてきた。普段は来賓に使用するコップだそうだ。ああ、おばちゃんというのは、あのお茶目なおばちゃんで快く貸してくれた。ウィンク付きで……。
蝋燭を親指程の長さにして、それをガラスコップで被せる。たったこれだけの事だが、生徒たちは好奇心旺盛に前方に移動してきており、教室の後方にいた先生方も同様だった。
「この中に火の魔法が得意な人はいるかな?」
皆が一人の男子生徒に視線を向けた。つられてその方を見ると、実験演習の時に火柱を上げていた男子生徒がいた。
「君の名前は?」
「ジークです」
短髪で金髪。ワンパクそうな格好。腰や首にぶら下げた金属のアクセサリー。一言でいうならパンク風な男子生徒だった。
「ではジーク。この蝋燭に火を灯してくれ」すると彼は片腕を胸の前に上げた。「おっと。必要以上に強い火は出さないでくれよ?」
彼は落ち着いた声で「大丈夫ですよ」と言い、蝋燭に向かって手を軽くスナップ。するといとも簡単に火が灯った。
「……お見事」
平然とやってのけたが、これはガラスコップの壁を越えて魔法が起きたことになる。どんてもない事だ。
「ジークは蝋燭の火がこの後どうなるか分かるかい?」
「? 蝋がなくなるまで消えません」
周りの何人かの生徒はジークの回答に首をひねっていたが、それでも少々落胆した。鍛冶師等、火を使う職につけば簡単に分かることだが、常識のように知られている事かといえば、そうではない、といったところかな。
「はずれ。火は蝋に関係なく消えるんだよ。見ててごらん」
火は一分も掛からない内に儚く消えていった。地球のそれとまったく同じ現象。「消える」と自信満々に言ったものの、本当に消えるかちょっとドキドキしていたが、杞憂に終わって良かった。俺はわかりやすく伝えるため、酸素とは言わず、空気と呼称して説明した。
「いいかい。まず火が燃え続けるためには空気が必要だ。蝋燭の火が消えたという事は、コップ内の空気が火によって使い果たされたということ。つまり空気が無くなってしまえば、当然火は燃え続けることができないんだよ。他に例を上げれば――」
たき火に風を当てるとよく燃えるだろう? それは火が空気をたくさん使って燃えるから。こんなふうに色々な例え話をして、できるだけ簡単にわかるように説明した。
生徒達は、身の回りに起こる具体的な話ゆえ、すぐに理解してくれた。むしろ当たり前の事なのに、こうした事象に当てはめる事ができなかっただけの話だ。そりゃそうだと納得してくれた。
火魔法が得意なジークは、それがわかっても目の前の蝋燭を茫然と眺めていた。得意な火魔法だったから、余計にショックを受けたのかもしれない。
「さて、ここからが本番だ」
俺も知らない化学の実験。いや、魔法の実験だ。
「ジーク。この消えてしまった蝋燭にもう一度火を灯すんだ」
「……? 火が消えた事で、火に必要な空気が無くなっている、というお話しだったかと思うのですが」
ジークは俺の言葉の意味を探るように、少々戸惑いながらそう言った。
「その通り。しかし空気が無いからこそ意味がある。俺は君たちに空気が無くなると火が消えてしまうという事を教えた。そして君たちもそれに納得した。だが君たちは言っていただろう? 魔法に必要な物は魔素だけだと」
ジークに限らす、この場にいる全員がこの実験の意図を理解したようだ。
「皆わかったようだね。この状態でもう一度魔法を行う。君たちの言う通りならば、空気の有無に関わらず魔法は起こる。そうだろう?」
教室全体に息を飲むような緊張感が漂った。
ジークは恐る恐る、先ほどと同じように手を軽くスナップして魔法をかけた。
結果、火はつかなかった。そこでジーク以外の生徒達にも様々な魔法を試みてもらった。酸素が必要不可欠である火以外の魔法を行う事で、本当に魔法が使えない事が明らかになるからだ。そして誰もガラスコップの中に対して魔法を行えなかった。よって魔法に必要な魔素という物質は、酸素と結びついた気体という事が判明した。
正直予想はしていたが、大分運がいい。酸素ではなく窒素とか、他の気体と結びついていれば、こうも簡単に判明しなかっただろう。もちろん単独で存在する可能性もあったが、魔素を練るという事については幾度と考察しており、何らかの形で人体に吸収されている事が予想できていた。そうなると一番怪しいのは酸素しかなかった。
ただし、この実験は完全ではない。最初に蝋燭の火を灯すために行なったジークの魔法。それだけでガラスコップ内の魔素が無くなっているとすれば、その後の魔法は酸素に関係なく、魔素そのものが無いので魔法は起こらない。しかしながら、あのような些細な魔法一回で、コップ内の魔素が無くなってしまうというのは少々考えにくい。
他にも酸素の消失によって魔法が使えなくなったのではなく、燃焼したときに発生する化学変化。この場合、二酸化炭素の増加による影響で魔法を使えなくしてしまったという可能性も、まぁ可能性としてはある。
というわけでその辺りの証明はしていないが、概ね出した結論を疑うほどではないだろう。酸素と関係している事が判明したのは魔法を知る上で大きな一歩だ。もはや魔素は魔酸素と呼んでもいいほどだ。化学式は何だろう。МO2だろうか?
それにしても不安だ。大丈夫なのか? 生きるには呼吸するしかないけど、呼吸して大丈夫なのか? 地球の酸素と違うとなると、人体に影響が出てしかるべきだが――。ハハハ。バカな事を。とっくに影響してたわ。既に魔法が使える体なんだから。
そうだ。一つ不思議、というか分からない事がある。ジークの火魔法はコップの厚み数十ミリの壁を越えた。これは透過したのだろうか? それともコップと机の微小な隙間から通過したのだろうか? ジークに限らず生徒達がガラスコップ内へ魔法を起こそうとしていた時、隙間を意識して魔法を行っていた者はいないかったように思う。しかし気体と判明した以上、透過現象が起きているとは考えにくい。うーむ。次の機会があれば今度は魔法の届き方と、思念の仕組みについての授業をやろう。
今回は、透過にしろ通過にしろ、酸素が無くなった後は誰もこの薄い壁の中に魔法が行えない。このファンタジックな魔素というものが、現実にしっかりと存在する物質。これが分かっただけで良しとしようじゃないか。
それと魔法に対して化学的なアプローチが通用することが分かり、なんというか……心が少し楽になった。多分、前の世界の理がこの異世界でも十分役立つ事が分かり、孤独な俺にとって何か心強いものを感じたからかもしれない。
初めての授業が終わり、精神的にも体力的にも疲れてしまった。このような世界で熱でも出たらと想像した俺は、せめて栄養を多めにとっておこうと、いつもより多めに晩御飯を頂いた。
「――ご馳走さまでした」
空のお皿が乗ったお盆をカウンターへ戻すと、演習の時の爺さんと例のお茶目なおばちゃんが周囲の目を気にしながら飲み物を注いでいるのを見つけた。
「なにをして…………あっ」
俺の視線に気づいた二人は慌てて飲み物を隠したが、俺は観察をやめなかった。こうも怪しいと気になってしまい、目を細めて凝視した。
すると挙動不審だった爺さんが、渋々といったような態度で手招きをしてきた。近くへ行くと「仕方がないの。ほれ。秘密じゃぞ」と言って爺さんは空のコップを差し出した。
手に取ってみれば、おばちゃんがササッと手早く透明な液体を注いだ。それが終わると強引にコップを持っていた腕を引き寄せられ、まるで熱い飲み物を冷ますかのように、コップに息を吹きかけてきた。
「えっ!?」
謎の行為に虚を突かれたのも束の間、コップに入った液体に再び虚を突かれた。なんと、おばちゃんが吹きかけた息によって液体の表面が凍っていたのだ。
「はよ去れ。もし学院長に見つかったらお終いじゃぞ」
続いておばちゃんがフーッと机のゴミでも飛ばすかのように、俺に冷たい息を吹きかけてきた。
――おばちゃんの正体は、雪おばちゃんだったのか。
助言通り、コップ片手に颯爽と食堂を出て真っ暗になった外を歩いて小屋に戻る。そして玄関近くに横たわっている丸太に座った。
「ふぅー」
脱力してぼんやりと下を向き、コップの中を眺める。そこには二つの丸い光源がグニャリと湾曲して反射していた。見上げれば夜空に大きな月が一つ。その隣に小さな月がもう一つ。
「……綺麗なんだけどねぇ」
小さな月は地球の月よりも若干小さく、大きな月は地球の月よりも数倍大きい。しかし、奇妙なことに地球の夜と比べて若干明るい程度。さらに奇妙さに拍車をかけることがもう一つ。小さな月の方が大きな月よりも明るいのだ。
はっきりした事は解らないが、見かけの大きさと明るさに惑わされていて、実際は距離感が逆なのかもしれない。つまり、小さな月の方がこの星、アイリーンに近い距離を周回しており、大きな月の方が遠い位置を周回しているのかもしれない。そうなると大きな月は衛星ではなく惑星という可能性もありえる。ここからあの大きさで見えているのに、ずっと遠い星となれば、その巨大さは計り知れない。それだけじゃない。もしかしたら衛星の周回軌道が楕円を描いている可能性も考えられる。その場合もっと複雑だ。
「まっ、なんでもいいけどさ。すごい光景だよなぁ」
初めて二つの月を見た時、言葉では語れない程にショックを受けた。俺はこれを見慣れていくのだろうか? それとも見慣れる前に元の世界に戻れるのだろうか……。
俺は手に持ったコップを口へと持っていき、謎の液体に口をつけた。唇に触れた途端、薄く凍っていた表面が溶けて芳醇で豊かな匂いが鼻腔に広がり、飲み込むと辛めの味が染みて喉が熱くなる。
「っく~! やっぱりか!!」
夜にコソコソして飲む物といったらお酒くらいだろう。ただ、生徒達も使う食堂でお酒を貰うのは良くない。……が、また見かけたらコッソリ貰おう。
このお酒は一体どんなものが原材料なんだろうか。麦なのか米なのか。お酒をそこまで嗜んでなかったのでよくわからんが、分かった所で分からない原材料か。いやはや、何もかもがわからない。月が二つもある世界だ。重力さえ地球とは違うんじゃないか? 体感的に変わらないけど。
考えれば考える程、地球との違いに頭を悩ませる。そして自分がとんでもないところに来てしまったと痛感する。
――お酒を飲みきった後、日当たりの良い玄関に置いていた植物を家の中に戻して、少しだけ水を注いだ。なぜか葉や茎が急成長しているように感じる。恐らく空気と水が地球とは違うせいで、植物にも影響が出ているのかもしれない。
次の日、冒険者授業の噂が瞬くまに広まっていた。魔法を蝋燭一本で使えなくする授業があると




