13 糸口
あれから五日が経過した。異世界に突然放り出されて、そりゃあ色々とあるわけで、とてもストレスが溜まっている。
中でも一番問題なのは、風呂が無いためタオルで朝晩体を拭き、水を張った桶に頭を突っ込んで髪を揉んで洗う件だ。これに全く慣れ、ない! トイレはまだいいんだ。バサバサでゴワゴワしている厚手の紙。まるで葉っぱを積み重ねたような紙なんだが、それでお尻を拭くのはまだ、いい。だが風呂だけは、風呂だけは無いとダメだ。誰かが言ってたけど、風呂は命の洗濯なのだ。いつか五右衛門風呂を作ってやる。絶対にだ!
仕事については、とりあえずクビにはなってない。ボロが出ないよう常に気を引き締めて学院の仕事をし続けている。一年生の魔法授業に関しては、この五日間でいくつか見学できた。五日間でいくつかと言うと少なく聞こえるかもしれないが、見学以外に学院の事務作業の手伝いも並行して行っていたからだ。幸いと言っていいのか微妙なところだが、読み書きができるという事が功をなした。まぁ、事務と言っても内容はただの小間使いのようなものだ。ちなみに読み書きが出来ると申し出た時、何度も本当かと尋ねられて驚かれた。一番驚いているのは俺だが。
それから見学を通し、自分の魔法について不可解な事が分かっている。それは物体を生み出す魔法が全くできないということだ。水は既に判明していたが、火や土も含めて全く生成できないのである。一応自分なりに様々な試行錯誤をしたつもりだが、これがどうしてもできない。火や水の魔法は基本中の基本のようなので地味に焦ってしまう。
誰かに教えを乞えば早い話しだが、自分の身の上を隠している以上、無暗に聞いたりせずに慎重に過ごしている。なぜなら魔法以外にも様々な事が地球のそれとは違うのだ。物事の考え方だって違いがあるはず。となると何がきっかけで藪蛇になるか分からない。
だから、しばらくはおとなしくしていよう。そう思って過ごしていた訳だけど、そろそろ限界だ。知らないことがありふれた環境で、知らないことを他人に知られないようにするのは結構きつい。精神的に辛くなっていた。
今日は風魔法の見学に参加している。場所はいつもと違って学棟の屋上。どうやら風魔法学科は屋上でやることが多いらしい。
学棟は学院の中で一番大きい校舎。その屋上の展望は何の隔たりもなく、素晴らしい眺めだった。ちょっと怖いけど柵すらなく、あるのは腰上ぐらいの低い壁で、それが建物の円形に沿ってぐるっと一周している。おかげで景色が見やすい。それからベンチも置いてるあし、草花が小ぢんまりと生えている植木鉢もポツポツあるし、ここで昼食をとったら最高だろう。
そんな屋上での青空授業。生徒達にとってみれば、授業内容に関係なく居るだけで気持ちがいい。そのはずなのに、壁際から遠目で寂しく授業を見ている女子生徒がいる。彼女は最初から壁際にいたわけではない。途中までは他の生徒達と一緒に授業に参加していた。授業内容は混合風魔法の練習というもので、これは一つの魔法を複数人で成し遂げていく魔法なわけだけど、彼女はこれがうまくできなかった。
生徒達は小人数のチームごとに別れ、チーム内の生徒達は等間隔に離れて輪のようにまとまる。そして輪の中央に手を向けて魔素を練る。もちろんその中央には何度も見た空気の揺らぎ、陽炎が現れていた。要するにチームのみんなで魔素を出しあって溜めているのだろう。その証拠に陽炎の規模が徐々に膨らむように大きくなっている。
――そんな中、彼女がチームにいたときに問題が起こった。
「そっち弱いんだけど。もっとしっかりやってくれよ」
「…………」
「おい! 聞いてんのか!」
まっ、その後のやりとりはよくある嫌なパターンだ。彼女は何の返答もしないままチームの生徒達から邪険にされ、最終的に事情を聞いた先生が壁際の方を指差し、「見学していなさい」と言った。そんなわけで彼女は他の生徒達と離れて一人ぼっちになったのだ。
生徒も先生も少々手厳しいように感じたけれど、この学院はハイレベルな学院だと聞いている。できる生徒の足を引っ張る以上、これは仕方がないのかもしれない。この授業はチームで行うものだからなおさらだ。彼女のことは知っているわけじゃないが、あのやりとりの一部始終を見た限りで言えば、明らかにコミュニケーション能力が低い。
ちなみに彼女は遠くから見てもはっきりとわかる亜人で、短く切りそろえた黒髪の頭の上から、黒い毛で包まれた耳が生えている。恐らく普段はピンと立っている耳なんだろうけど、落ち込んでいるせいか少々寝てしまっていた。
チームから離れた亜人の女子生徒は、俺から微妙に離れて壁際に立った。多少の気まずさを感じる。俺も壁際でぼっち見学だからね。
授業をしばし静観した後、俺は彼女の方へそっと近づいて話しかけてみた。
「君はさ、混合魔法とやらが苦手なの?」
彼女の瞳孔が人間ではありえない程開き、猫のように目が真っ黒になった。とてもわかりやすい。俺の直球はストライクだったみたいだね。
「……苦手」
あ。返ってこないだろう思っていたボールが返ってきた。というか語尾に「にゃ」ってついてないんだが。
「ええっと、どうして苦手なの?」
「……魔力が弱いし。遅いし」
残念ながら「にゃ」はつけないものらしい。とはいえ彼女の発言から、どうも思っていた元気玉のような作り方ではないようだ。あれは力の強弱、早い遅いは関係ないだろう。魔力が弱くて遅い。これが原因でチームを抜けなければならないのであれば、皆が一定以上の魔力を同じ速度で出さないといけないらしい。だとしたら魔力の低い人に合わせる事がチーム力な気がするが、これいかに。
速さといえばこの前、魔法の距離と時間と速さの関係を調べたけれど――むむ? 各チームを見回りしていた風魔法の先生が屋上中央の方へ向かった。どうやら次の動きがあるようだ。
「では、そろそろ圧縮に移行してください」
圧縮!? 心躍る響きだ。一体何が起きるんです? ワクワクするぞ!
「……皆で一点に集中して小さくするの」
隣の女子猫生徒が俺の顔色を見て分かったのか、的確な説明をしてくれた。なんだ。割と普通に話せるじゃないか。俺はお礼を述べた。
それにしても一点集中か。何となく想像がつく。恐らく風魔法というのは範囲的に起こす魔法なんだろうけど、あえて点として発動する。そのために圧縮するという流れなのかな。圧縮されたものは大抵爆発するイメージに結びつくけれど、それと同じような事を行うのかもしれないな。
各チームの様子を見守っていると、運動会で見るような大玉。あれぐらい肥大していた陽炎が、数十秒の間にバスケットボール程まで小さくなっていった。それに伴い陽炎の揺らめきが、まるで沸騰しているかのような激しいものへと変化した。さらにこの圧縮行為によって陽炎の起こす光の屈折が大きく変わった。というのも球体のようになっている陽炎の縁部分が、鏡のように周囲の風景を揺らめきながら映しだしたのだ。真夏のアスファルトに起こる逃げ水の現象に似ているかもしれない。これにはかなり驚いた。ただ、映り込みは縁の部分だけなので、陽炎の中央は奥の景色が揺らめきながら透けている。
俺はこの不思議な陽炎に対し、右左に少し移動して見る方向を変えてみたが、やはりどこから見ても陽炎の縁は揺らめく鏡になっているようだ。
そのまま注意深く観察していると、生徒達が伸ばしている腕の先から圧縮魔素まで、紐のような薄い陽炎によって繋がっている事を発見した。こいつは色々と魔法について予測できる貴重な発見なわけだが、真っ先に思ったのは俺が魔法をする時、こんなものは一度も起きていないということだった。
「――おいおい。おいおいおいおい!? 何してんだ!? やめろ!!」
突如、どこぞのチームから怒号が聞こえてきた。
「そこのでかいの! 力弱めろ!!」
「ちょっと! 聞こえないの!? 強すぎるわ! 弱めて!!」
「ぞれは、無理だあ!!」
大きな声と“でかいの”という発言から、すぐそのチームを特定できた。今まで見た生徒達の中でも一番の大男で、彼は歯を食いしばって太い両腕を前方へ突き出していた。無論、両腕の先にはチームで溜めた圧縮中の魔素、陽炎が現出しているわけだが、圧縮された魔素は揺らぎが激しいので陽炎のディティールがはっきりとわかる。このチームの陽炎はおかしい。他のチームと比べてみても明らかに歪んでおり、彼が押し込んでいるかのように中央の辺りが凹んでいるのだ。
これはもう時間の問題かもしれない。意識的に後ずさると、踵が後ろの壁にぶつかった。
「……大丈夫」
隣の女子猫生徒がそう呟いた後、ものの一瞬で俺と彼女の前方に陽炎の壁が立ち上った。直後、圧縮魔素が爆発した。ドン!! と大きな音が鳴り、爆発した圧縮魔素を中心に生徒達が二、三メートル程飛ばされて倒れていく。さらに間髪入れず、他のチームの圧縮魔素も次々と爆発していった。理由は不明だが、最初の爆発の影響によるものだろう。各チーム、それぞれの場所でテンポよく太鼓を鳴らし、花を咲かせるように生徒達はふっ飛んだ。
俺は大きな音に体が反応し、若干しゃがんだ状態で爆発を堪えていた、というか怯んでいたわけだが、爆風はちっとも感じなかった。
「あ、ありがとう。でもどうやって?」
「……風魔法。爆風をそらした」
風でそんなことができるのか。便利な魔法だな。思い返せば、陽炎の兆候を見ればどんな魔法なのかが予想できそうだ。彼女が出した陽炎は壁のようになっていたから、風の膜みたいなものを作ったのかもしれん。
それから授業はしばらく中断したものの、重度のケガ人はいなかったようで、皆ムクムクと芽が出るように起き上がった。授業を取り仕切っている風魔法の先生は、こういう事に慣れているのか、全く血相を変えないまま仰向けに倒れていた“デカいの”まで悠々と歩いた。
「はい。大きな君はしばらくあっち」
先生は淡々とした物言いで、俺がいる壁際の方を指さした。
――左に小柄な女子猫生徒。右にはデカい男子生徒。その間に俺が立っている。まるで俺も立たされているように思えてくる。ちなみに彼の身長は二メートル程あって、全身の筋肉の厚みが桁違いにある。
「……君はなんというか、力が有り余っているようだね」
「そうだ!! いづも全力!!! 力だしまぐり!!!!」
「お、おお。そうか」
図体だけじゃなく声もでかい。よくわからんが謎の濁点言葉を使うのね、君。
「聞きたいんだけど、さっきの爆発。どうして君は力の制御ができなくなったんだ?」
「力の調節は難じい……得意じゃない」
あらら。一気に静かな物言いに変わった。
「そっか。でも、魔力は強そうでいいじゃないか」
俺がそう言うと得意気に大きく笑い、彼とは反対の方から「……羨ましい」と妬みの声が小さく聞こえてきた。
「大丈夫だよ。人はそれぞれ長所と短所があるからね。君は魔力が弱いのかもしれないけど、その代わり繊細な魔法が得意そうだ」
「そのどおりだ! こいづの風魔法は凄ぐ強い!!」
へぇ〜。……えぇっ? この授業、混成とはいえ風魔法なんだけど。
困惑の表情を彼女へ向けると「……近い距離ならね」と補足を述べてくれた。裏を返せば混成風魔法は彼女にとって遠距離で行われているという事になる。しかし術者と圧縮魔素までは五メートル程だ。
距離について考えていると、いつのまにか授業は佳境に入っていた。圧縮魔素は既にやり直しを終えており、今まさに魔法を発動させようとしているようだ。
「それでは、そこのチームから順番に上空へ飛ばしなさい」
すると最初のチームの生徒達が息を合わせて声を出し、一斉にアッパーカットするかのように腕を振り上げた。同時に突風が舞い起こり、圧縮魔素は空へ向かって飛んでいった。その様はまるでゲームやアニメで見るかのように派手な見た目で、空へ放たれた瞬間に陽炎の鏡面部分が本物の水のように飛び散り、キラキラと輝きを零しながら上空へ登って軌跡を残していった。
放たれた圧縮魔素は透明ゆえに視認しにくいが、その軌跡と陽炎による揺らめきで何となく目で追えていた。しかし数秒後に忽然と消えた。これは見失ったのではなく、言葉通り消失したようだった。
皆、上空を見上げたまま固唾を飲んでいるが、圧縮魔素が消えた後、何かが起きる気配はない。予想していた爆発もない。これは失敗だろう。
「――成功ですね。合格」
予想に反し、風魔法の先生はそう言った。その後、腑に落ちないまま順々に同じ事を各チームが行なっていき、その度にやはり先生は合格と言う。だが、最後のチームで事が起きた。同じように圧縮魔素が消失した直後、爆風が屋上を襲ってきたのだ。全く予想していなかったので、体が仰け反って倒れかけたところ、デカイのがその逞しい腕で支えてくれた。いやはや、お恥ずかしい新米教師である。
爆風が止むと、先生は少し厳しい声で「最後の最後で失敗ですか。不合格」と言った。
「今日の授業はこれで終わりますが、そこのチームはもっと厳密に爆発の方向を操れるよう、次回は基礎練習のみにします」
控えめではあるものの、十代らしいブーイングがそのチームから起きていたが、俺はといえば先生の言葉で腑に落ちて嬉しかった。
圧縮魔素を空へ放った瞬間、どのチームも爆発の風魔法を起こしていたが、爆発の方向は上空へと向けられていたわけだ。よって我々がいた屋上に何の変化も起きなかった。これが成功の証だが、最後のチームは爆風が襲ってきたので、爆発方向を操れていないという事になる。だから失敗ということなんだろう。
それにしても風魔法はただでさえ視覚的に分かりづらい魔法だが、圧縮魔素の激しい陽炎の消失は見えた。つまり、それが風魔法の発動を認識できる唯一の変化であり、戦闘において大変優秀な魔法と言える。
授業が終わってから、さっきの二人が騒々しい。
「ケガしなげれば良い!」
「……あんたは魔力が強い分、方向が定まっていないと危ない」
「そんなごとはないぞ。鍛えでいるがらな!!」
「脳筋」
デカい男子生徒のこめかみに青筋が立った。
「なんだど? お前はたっだあれだげの距離で、皆と混成すらでぎでないだろ」
今度は女子猫生徒さんの表情が一層冷たいものとなった。彼女の物言いはいつも静かだが、感情は結構表情に出るから分かりやすい。
「……うるさい」
彼女はトーンを落とした声でそう言うと、サッと手のひらを彼に向けて――ボンッ! 破裂音が鳴り、俺は体をビクつかせた。
どうやら小規模な爆発を起こしたようで、彼は大きく仰け反ってよろめいた。俺は慌てて駆け寄ろうとしたが、彼は直角に仰け反った体をグン! と勢いよく元に戻し、「おまえ!! 不意打ぢはやめろ!!」と怒鳴って頭を軽く振った。
まるで何もなかったかのような身のこなし。心配して損した。ちなみに彼の隣にいた俺には一切爆風は来なかった。多分、彼女が向けた手の平の方向にだけ爆風が起こったのだ。兵器に例えたら威力の低いクレイモアだな。というか――。
「今の不意打ちだったか?」
俺はつい気になったことを口走った。
「魔素を練っでいながっただろう! 不意打ぢだ!」
たしかに魔法を行う前に陽炎の出現は視認できなかった。
「……見えなかっただけでしょ」
「ああん? どっぢにじろ風魔法だがら――」
彼女が彼の言葉を遮り、またもや手の平を掲げた。
ボンッ!!
「――やっがいだ!!」
彼は二回目のクレイモアを両腕の筋肉の厚みで防いでいた。
女子猫生徒さんの事を考察してみると、彼女も距離のせいで思念速度、或いは魔素が弱くなっているのかもしれない。だた、どうも俺とは距離感が違う。圧縮魔素を作る際の五メートルが彼女にとって厳しいハードルのようだ。「……魔力が弱くて遅いから」という発言や、デカイ奴も距離のことで挑発していた。
加えて二種類の魔素があると発覚した。こうもはっきりと示されると疑いようがない。視認しやすい圧縮魔素のおかげで明白だ。腕から出した陽炎が伸びていき、溜まっていく圧縮魔素。どう見ても人体から魔素を出している。門前広場の大気穴から出ている魔素の件から、空気中の魔素を操って魔法を行っているものだと思いこんでいたけど、体内にもあるようだ。そして俺は体内の魔素を使用した覚えはないから、体外の魔素を無意識的に使用して魔法を行なっていることが分かる。
先ほどのクレイモアも――。
ボンッ!
「おまえ! いい加減にじろ!」
「……うるさいハゲ」
うん。やっぱりそういうことだろう。間近で見ても陽炎は一切見て取れない。
これは課題だな。魔素を魔法にする過程と二種類の魔素がある。その仕組みを知らないといけない。




