暗殺
多田野が目覚めたその夜、白石は一人、モロ島基地の外れにある医療棟のそのまた外れにある薬品倉庫で椅子に腰掛け、来ないほうがいい客を待っていた。
明かりはつけていない。
カーテンの隙間から漏れる月明かりだけが、部屋に光を供給し、輪郭がぼんやりわかるくらいの明るさを提供している。
闇に座る女。
きっと絵になる光景だわと白石はすこし自嘲気味に笑いながら、腰に手を当て銃を抜き取った。
大事を取ってすぐ隣にある病棟に運ばれた多田野を起こさぬように慣れた手付きで消音器を取り付ける。
周りの部屋に手勢を配しているとはいえ、今夜の客は安心できるものではなかった。
「こんばんわ。姐さん。」
と男が気楽に部屋に入ってきた。男は親しげに『姐さん』と呼んだが、面識のない男だった。それでも、白石は愛想笑いの一つもして出迎える。
「こんばんわ。わざわざ、ご苦労様ね。」
「ええ。まぁ。にしても、絶好の機会。様子を見るに今夜決行のようですね。見届けさせてもらいます。」
白石は返事の代わりに、闇をすっと進んで男の喉にナイフを突きつけた。
「少し鈍ってるわね。」
それでも、男は顔色一つ変えなかった。むしろ、ナイフを突きつけられたまま、男は少し笑みを見せた。
「鈍るも何も。赤石さんにはかないませんよ。」
赤石。
その名を聞いた時、白石は、このままこの男の喉笛を掻き切ってやろうかという衝動に駆られ、男の喉からじわりと一筋の血が流れる。
白石は、幼い頃、交通事故で両親を亡くし、国の孤児院に引き取られ、そこで殺しの訓練を受けた。
身のこなし、格闘術、銃の扱い。
爆弾の製造、解体。
薬物の知識。
世界各国の言葉と文化。
どれも、年端のいかぬ子供は、心理的抵抗なく受け入れた。いや、洗脳されのだと白石は思っている。
戸籍や保険証から、大好きだった人形、歯ブラシ1本まで、あらゆる存在を示すものが抹消され、ともかく、白石は18で孤児院を出る時には完全な『特殊工作員』だった。
それから、機密にすらならない『存在しない』仕事をやった。
幸いに、白石は、美人に育った。
己の美貌を武器に世界の暗殺対象者や他国の工作員に近づき、容赦なく殺す。成功は積み重なり、やがて、他の工作員とは違い重宝がられた。勿論、迷いがなかった訳ではない。
例えば、街を行く自分と同じ年頃の女性達が、輝いて見えたこともある。それでも、帝国で、一、二を争う工作員となった白石に、習性のように染み付いたものは容易に変えられず、いつの間にか『赤』石と呼ばれるようになっていた。白石を慕う工作員も出来、難度の高い作戦を行うチームが結成された。
そうなれば、もはや後戻りは出来なかった。
「その名は好きじゃないわ。」
白石は男を見る目に殺気をみなぎらせた。
「す、すみません。にしても、今回は、機会を待つにしても、随分と時間がかかりますね。多田野氏は、作戦立案も極々親しい側近に任せ、旗艦にも乗せないとか。もしかして、警戒されてますか。」
影付きかと白石は小さく舌打ちした。
白石が10人ばかりの僅かな部下とともに艦隊に潜入した時から見張りが付いていた事を意味した。
もっとも、この男のように白石は一条の野望に共感したわけではない。情報局より高給だから、鞍替えしただけだったから、むしろ、当然の策とも思えた。
「規定上の措置だし、わざわざ集められたら参るわよ。だいたいさっき、作戦参謀に任じられたのよ。」
男はニタリと笑った。
「作戦参謀に任じられた日に殺しですか。でも、銃じゃバレますよ。こういうのじゃないと。」
男は何かを月にかざすようにつき上げる。
「曲刀。この島独特の得物です。お役立てください。」
白石は一条の考えを悟った。
「でもね。多田野司令を殺して何になるのかしら。」
男は、怪訝そうな顔をしたが、質問に答えた。
「コールトン王朝が復興しました。事前説明の通り、国中の将兵を1つにするには、『それなりの人物』の強固な姿勢が必要です。」
一条の野望に近い作戦は事細かに聞いていた。
白石は、伊戸に会ったことはない。
しかし、軍令部総長の意思で大国と戦争ができるような、このきな臭い情勢の中、帝国を守ってきた伊戸という人物が息子の死で態度を変えるのか。少なくとも白石にはその可能性は低いように思われた。
「白石さん。もしかして、今回のは嫌ですか。」
男は白石の質問を命令への疑念と見たようだった。
白石は、すっと男から目線を外した。
たしかに、白石と部下の力を持ってすれば、着任初日であろうと多田野を問題なく『処理』出来た。ではなぜ、今まで、殺さなかったのか。
そこに、疑念とまではいかない感情が何かあった事を認めざるを得なかった。
多田野は白石のこれまでの対象とは違っていた。
今までの対象は、例えば、帝国内に武器や麻薬を流したり、国家機密を奪おうとしたり、無辜の市民を虐殺したりといった『どうしようもない人間』であった。
しかし、多田野は自らを盾にしたり、本心から戦死者に頭を垂れるような人間である。それは、アサマに忍ばせた密偵からも、そして何より自分自身の目で見て白石は知っていた。
多田野は面白い船乗りだ。軍人ではない。
これは、猿渡の多田野の人物評だったが言い得て妙だと多田野は思っている。
軍隊は上に立てば立つほど、末端の兵は数字となり、あたかも書類上で移動し、時には消える。10人の死で1万人が助かるなら、そういう命令を出さねばならない。しかし、現場はそうではない。
兵一人一人の顔を見て、声を聞き、ともに戦う。時には作戦全体の成否より人情が勝ってしまうこともある。
多田野は、現場と命令の類稀なバランス感覚を持つ将だった。だからこそ、猿渡や二階堂は、たとえ、あまり接点が無くとも多田野に従う意志を決めた。白石も多田野の良さはわかっていた。
男は、押し黙った白石を見て少し怯えた表情をした。その表情は、白石に銃を構えさせるには十分だった。
『工作員』でも、『赤石』でもなく、今なら、『白石乃梨子』として生きられるはずだと思った。
白石はそのまま引き金を引いた。




