使者
細かい描写や表現を後々、変更するかもしれません。
チャーラ島司令部の命を受け、簡単な修理と補給を済ませた第12独立艦隊は攻略部隊として、陸軍の輸送船を連れて、モロ島へ向けて進軍していた。
つい先程、偵察機より、潜望鏡を確認したとの報告があり、第2種戦闘配置となったため、密閉された艦橋は、まだ、5月末というのに送風装置を目一杯にしても南の暑さを防ぐことはできず、多田野以下艦橋要員達は汗を拭いながら、いつ現れるかもしれない敵を警戒していた。
それでも、男達は少しシャツが見えるくらいまで、軍服をくつろげているが、大佐と作戦参謀、それから通信長はそうもいかず、きっちりと軍服の襟を詰めているので顔を上気させ、前髪が張り付くほどの汗をかきながら、職務を全うしている。慣例として提督が艦橋にいる時、各課の長が配置に着くようになっているから、艦橋の面子はそれほど変わらず、かなり打ち解けた雰囲気が漂っているのがせめても救いだった。
多田野は3人を見て、少し不憫に思ったが、敵潜水艦の出現が予測される以上、警戒を解くわけにも行かず、司令官席用に設けられた送風口をそっと2人の方に向けた。大佐が髪を纏めアップにして、作戦参謀のポニーテールから汗が一滴垂れた。
「流石に暑いですな。」
副長が、手でパタパタと仰ぎながら、いつものようにのんびりと話し始めた。
「重巡の艦橋は広いから、風が回らないんですよ。」
航海長が南方航路は暑いんだ、以前乗務していた戦艦には冷房装置が付いていて快適だったが、艦橋から一歩出ると地獄で、敢えて艦橋配置を志願していたなどと思い出話を始め、副長もわかりますよと頷き、周りの若いものたちは歴戦の猛者の話を面白そうに聞き入っていた。
「砲塔は冷却装置があるから涼しそうだ。」
ふと思いついたように副長が言った。
「いや、冷却装置はあくまで砲身用ですから、逆に装置が熱を持つので砲塔内は暑いですよ。まぁ、観測所に出て涼んでると思いますが。」
砲雷長は部下も仕事をしているとばかり真面目に応対し、副長が申し訳なさそうに
「艦長。我々も観測しませんか。」
ここで、こういう一言が出るのが副長の良いところだと多田野は素直に思った。
珍しく大佐も副長の軽口に応じた。
「副長。お望み通り、冷却装置の中に入ってきたら。敵艦を見つけたら真っ先に発射してあげるわ。」
「副長。一本取られたな。」
多田野の声に呼応するように艦橋に笑い声が響いたが、一頻り笑うと気だるい嫌な沈黙が訪れる。
ふと時計を見て、第2種戦闘配置からそろそろ1時間が経つと気がついた多田野は限界だなと伝声管を手に取って烹炊所を呼び出す。
「烹炊所はアイスか氷を。機関部と砲雷部には全員にアイスを届けよ。」
大佐が多田野にぬるくなった水を渡す。
「賢明な判断です。兵たちも喜ぶと思います。」
「しかし、それでは士官の皆さんに行き渡りませんが。」
「この年になると医者から甘いものを止められましてな。」
一番年長の航海長がそう言い、皆も仕方なく頷く。アイスは旗艦乗組の士官以上に許された楽しみであり、元フレンチのシェフが烹炊長を務めるアサマのアイスは評判もよいだけに落胆の色は濃い。
「艦橋の分を回して。士官達に。私も氷で構わない。」
「司令に氷をお出ししたとあっては烹炊の名折れです。せめて、司令と艦長と参謀にはアイスをお届けします。」
伝声管から烹炊所の声が聞こえなくなり、作戦参謀が大人げなく笑みを浮かべた時、通信長が声を上げた。
「偵察機より敵艦発見の報。軽巡1駆逐2重巡1。」
「アイスはお預けだな。総員第1戦闘配置。」
全くタイミングが悪いと多田野は少し残念そうに戦闘用意を告げたが、大佐の声は瞬時に厳しいものに変わりテキパキと指示を出し、作戦参謀も海図を広げ、駒を置き始めた。
「敵艦に信号旗。『本船は貴船との通信を求める。』周波数来ます。」
観測手が戸惑ったように双眼鏡を大佐に渡した。
大佐はちらっと敵艦のマストを確認すると、敵艦の方角を指さして多田野に見るように言った。
確かに敵艦のマストには通信を求める信号旗が揚られ、周波数を示すだろう数字旗が添えられている。
命令を聞く前に周波数を合わせていた通信長が右手を上げて、敵艦からの通信を告げ、作戦参謀が通信長の脇に行き、帝国語に直して読み上げる。
「『此方、フィリピヌ連合国海軍、第4守備艦隊旗艦モハメッド。軍使を送る。降伏せよ。』」
すでに白旗を上げた内火艇がかなりの速度で近づいて来ていた。
なぜ、いきなり軍使による降伏勧告なのかと艦橋は疑問に包まれた。
「敵さんも何考えてんだか。乗員は3名。喫水も下がってるようには見えませんし、武装はないようです。」
じっと内火艇を追っていた副長がそう報告する。
航海長が振り返って作戦参謀を見た。
「罠かもしれないな。参謀さんはどう思う。」
「罠にしてはわかりやす過ぎます。タイミングといい判断は迷いますが、たった3名で何が出来るのか。」
航海長は作戦参謀の答えに満足したように笑った。
もはや肉眼でも人が確認できるくらいまで内火艇が更に近づいてくる。
「意図がわかりません。このような勧告など。撃沈もやむ無しかと。」
戦闘中の厳しい視線と髪型のせいか悪女のような雰囲気をまとった大佐は他に聞こえぬように小声で多田野に耳打ちした。
少し恐怖を感じながら多田野は首を振った。
「白旗を揚げられた以上、会うしか無いだろう。信号を確認した旨の信号旗を揚げ、陸戦隊用意。内火艇の収容準備をせよ。艦隊指揮を神城大佐に任せる。作戦参謀は通訳として同行してくれ。」
ふと微笑んだ大佐がお気をつけてと敬礼をし、作戦参謀は何故か嬉しそうに多田野の後ろに続いて艦橋を出た。




