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僕らが憧れの神様の声を遺すまで  作者: 深谷 汎


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第5話 神様の声

そして、運命の最終回放送日。

日本中の注目が集まる中、国民的アニメ『レオン』の最終話が幕を開けた。


SNSのタイムラインは、放送前から異常なほどの熱気に包まれていた。

『九条さんが亡くなってから最初の放送。声はどうなるの?』

『代役? それとも無音演出?』

『過去のツギハギだったら泣いちゃうかも……』

視聴者の誰もが、画面の向こうの「英雄の最期」を、不安と悲しみの中で見守っていた。


AI声優エージェンシーのフロアでは、すっかり片付いた部屋の真ん中で、奏太たちが大型モニターの前に並んで座っていた。全員の手は、汗でぐっしょりと濡れるほどしっかり握られている。宮本も、腕を組んで画面を食い入るように見つめていた。


物語はクライマックスへと突入していく。 画面の中で、ボロボロになったレオンが、最後の敵の前に立ちはだかる。 そして、彼が口を開いた。


『――俺の旅は、ここで終わりだ』


日本中のリビングで、スマートフォンで、そしてこのスタジオで。 その声を聞いたすべての人間が、雷に打たれたように硬直した。


それは、間違いなく「九条厳山」の声だった。

過去の音声の切り貼りではない。代役のモノマネでもない。セリフの言い回し、感情の乗せ方、そしてあの独特な「間」。すべてが、視聴者が三十年間愛し続けた「レオン」そのものだった。


『レオンが……喋ってる!』

『九条さんの声だ! 嘘でしょ、どうして!?』

『生前に収録が終わってたの!? でも、息遣いが凄すぎる……っ』

SNSのタイムラインが、驚愕と歓喜の悲鳴で滝のように流れていく。


画面の中で、レオンが最後の力を振り絞り、仲間たちを振り返る。AI声優エージェンシーの全員が限界までチューニングを施した、あのテイク102のシーンだ。


『――未来を……頼む』


その一言に込められた、圧倒的な熱量と魂の響き。

テレビの前で固唾を飲んでいた数千万人の視聴者の目から、堰を切ったように涙が溢れ出した。

英雄は生きていた。九条厳山は、最後の最後まで、完璧なレオンとしてそこに立ち続けていたのだ。


映像が静かにフェードアウトし、壮大なバラードと共に、黒い背景に白抜きのエンドロールが流れ始める。

原画、動画、演出、美術……。

そして、視聴者の誰もが最も注目していた【キャスト】のクレジットが、画面の中央にゆっくりと下から上がってきた。


そこには、こう記されていた。


レオン ―― 九条 厳山


その名前に、日本中のファンが安堵の涙を流した、次の瞬間。

クレジットの横に、見慣れない一行が添えられていることに誰もが気づいた。


(AI Voice Model : G-01(レオン) / 制作:株式会社AI声優エージェンシー)


『えっ……? 今の、AIだったの!?』

『嘘だろ、あんな血の通った芝居が……機械の声だって言うのか!?』


日本中がかつてないほどの衝撃と混乱に包まれる中。 エンドロールが完全に流れ終わり、画面が深い暗闇に包まれた、その直後だった。


不意に、テレビのスピーカーから、ざらついたノイズ混じりの「肉声」が流れた。 それは、スタジオの防音ブースではなく、どこかの病室でICレコーダーに吹き込まれたような、九条厳山自身の生前の声だった。


『――視聴者の皆様。そして、三十年間私を支えてくれた、すべてのファンへ』


その声を聞いた瞬間、モニターの前にいた奏太たちもハッと顔を上げた。

「宮本さん、これ……」

「ええ。先生が最後に、どうしても放送の最後に入れてくれと遺した肉声です」

宮本が、誇らしげに目を細めてモニターを見つめている。


テレビからは、九条の優しく、穏やかな声が響き続けていた。


『私の命は、もう長くはありません。ですが、私が死んでも、愛するキャラクターたちの命まで道連れにすることは、どうしても耐えられなかった』 静かな息継ぎの音。 『だから私は、完全オプトインでクリーンなAI音声を作る若者たちに、私の魂を託しました。彼らは私の芝居をAIに教え込み、私の全てを繋いでくれたのです』


テレビの前の視聴者たちは、言葉を失い、ただ画面から流れるその告白に聞き入っていた。


『先ほど皆様が聴いてくださったのは、そのAI……私の、不出来な弟子の声です』

九条の声が、少しだけ照れくさそうに笑った。


『まだまだ未熟で、手のかかる弟子(AI)ですが……私の誇りです。どうかこれからも、彼らの往く未来を……愛してやってください』


プツリ、と。 録音の終了を示す小さなノイズと共に、音声は途切れた。

数秒の完全な静寂。 そして――日本中の至る所で、堪えきれない嗚咽と、割れんばかりの拍手が巻き起こった。


声優が死ねば、キャラクターも死ぬ。 その残酷な常識を、AIという名の不器用な弟子と、かつて夢を諦めた「なり損ね」たちが、完璧な愛と執念で打ち破った歴史的な瞬間だった。


「……終わったな」


拓也が、真っ暗になったモニターを見つめたまま、天井を仰いで深く息を吐き出した。その頬を、大粒の涙が伝って落ちる。 剛が天を仰いで泣きじゃくり、蓮がメガネを外して目頭を押さえ、舞が奏太の肩を抱いて声を上げて泣いている。


「ああ……。最高のアニメだったね」

奏太は、涙でぐしゃぐしゃになった顔で、誰よりも誇らしく笑った。

彼らが教え込んだ「意味」は、確かに世界へ届いたのだ。


机の上のパソコンモニターの中で、G-01(レオン)の音声波形データが、まるで役目を終えて静かに息をつくように、ゆっくりと、穏やかに明滅していた。


あの歴史的な放送の翌日。 世界は、文字通りひっくり返った。


『AI声優の奇跡』『九条厳山、魂の継承』『命を繋いだ素人集団』。

朝のニュース番組からネットのトレンドまで、あらゆるメディアが昨晩の『レオン』最終話と、九条の最期のメッセージを一斉に報じた。


無断学習によって冷え切っていたAI音声への世間の風向きは、一夜にして劇的な変化を遂げた。

「本人の完全な同意」と「魂を継承するためのAI」。

その倫理的で、あまりにもドラマチックな成り立ちは、AIを敵視していた多くの旧来のファンやクリエイターたちの心をも深く打ったのだ。


「……お忙しそうですね」

不意に、入り口から落ち着いた声がした。 見ると、宮本が大きな紙袋を提げて立っていた。

いつもの隙のないスーツ姿だ。その表情には、憑き物が落ちたような穏やかな笑みが浮かんでいる。


「宮本さん! お久しぶりです!……今日は何か?」

「ええ。テレビ局から預かってきました」 宮本は紙袋の中から、分厚い冊子を取り出してデスクの上に置いた。


表紙には、

『レオン』新シーズン・劇場版アニメーション ―― 台本、と書かれている。


「劇場版……! レオンの続編ですか!?」 奏太たちが一斉に色めき立つ。

「はい。先日の放送の反響を受け、制作委員会が即座に続編の制作を決定しました。……当然、主演キャストは『G-01(レオン)』です」 宮本は、愛おしそうにG-01(レオン)のサーバーラックを見つめた。


(見ていてください、九条さん) 奏太は、窓の外の青空を見上げた。 (僕たちはこれからも、あなたの魂と一緒に……最高の物語を作っていきます)



【 エピローグ 】


防音扉の向こう、静まり返ったコントロールルームに、その声が響き渡った。


『――だから俺は、何度でもこの剣を振るう。友との約束が、そこにある限り』


主人公・レオンの最後のセリフ。スピーカーから流れるその響きの語尾に、本当に耳のいい人間にしか感知できないほどの、ごく僅かな電子の「ノイズ」が混ざった。 その微かな震えを、新堂奏太はタイムラインの波形で見つめ、隣に座るすっかり白髪になった男――九条事務所の代表である宮本誠は、ただ静かに目を閉じて聴き入っていた。


「……終わりましたね、宮本さん」

「ああ。本当に……長くて、短かった……」

宮本が深く息を吐き出したその背後で、大きく鼻をすする音が響いた。


「ちょっと舞、泣くの早えよ。まだ最後のレンダリングが終わってないぞ」

「だってぇ……! レオンが、終わっちゃうんだよ……?」


両手で顔を覆う舞に、拓也が照れ隠しのように軽口を叩く。

だが、腕を組んでモニターを見上げる拓也自身の目元も、微かに赤く潤んでいた。

部屋の隅では、景介が愛用のコーヒーメーカーで淹れたコーヒーを片手に、静かにキーボードから手を離している。その隣には、屈強な体躯を持つ剛が、まるで恩師の引退を見届けるかのように、深く、静かに頷いていた。


あの日、

あの狭くて息苦しいK.Studioに集まった「落ちこぼれ」たちは、十年経った今、誰一人欠けることなく、揃ってこの歴史的瞬間に立ち会っていた。


思えば、途方もない十年間だった。


無断学習の炎上に包まれていた業界で、奏太たち『株式会社AI声優エージェンシー』が下した決断は、世間をひどく驚かせた。彼らは、莫大な利益を生むはずの「AIレオン」に関する一切の権限を放棄した。


その後、九条事務所から依頼を受け、「AIレオン」の管理及び使用について専属契約を結び、九条事務所が許可しない限り、AIレオンは一文字たりとも喋ることはできなくなった。


大手動画プラットフォームや巨大企業から「莫大な契約金でレオンを使用させてほしい」というオファーが幾度となく舞い込んだが、九条事務所の代表となった宮本は、それらをすべて断固として突っぱね、九条が過去演じたキャラクター以外の一切の声の使用を禁止したのだ。


『レオンは、九条厳山という役者の魂そのものです。金で切り売りするような真似は、絶対にしない』


その頑ななまでの姿勢は、やがて潮目を変えた。

「AIは役者から表現を搾取する悪だ」と声を上げていた大手プロダクションも、宮本や奏太たちの徹底した管理体制を見て、認識を改めざるを得なかったのだ。


彼らが守ろうとしているのは「利権」ではなく、「役者の尊厳」であると。


結果として、業界のルールは根底から覆った。

長く泥沼化していた裁判は「声の無断使用の全面禁止」という当然の判決で結審したが、同時に「声優と正当な契約を交わし、厳しい審査を通過した生成AIの利用」は公式に認められることとなった。


今では、他のAI生成会社も奏太たちのビジネスモデルに倣い、声優と専属契約を結ぶようになり、大手声優事務所は独自にAI声優部門を立ち上げるまでになった。


役者自らが「自身の死後や休業時のために、公式AIを作ってほしい」と望む時代が到来したのだ。


他のクリエイティブ分野では未だに生成AIを巡る倫理的論争が泥沼化している。

そんな中、いち早く「厳格なルールによるAIとの共存」へと大きく舵を切った業界は、クリーンな公式音声モデルの一般販売なども後押しとなり、かつてないほどの繁栄を極めた。


かつて九条厳山が演じ、その後十年間、弟子G-01(レオン)が受け継いできたアニメ――レオンの物語が、今日の最終回をもって全ての幕を下ろす。


「……本当に、アップデートしなくてよかったんですか?」

奏太が、十年前の古いシステムのまま動いているメインモニターを見上げて尋ねた。


最新の言語モデルに乗せ替えれば、先ほどの微かな「ノイズ」は一瞬で消え去り、レオンは永遠にクリアな声で新作を作り続けることができただろう。大手アニメーション会社からは「どれだけ予算を出してもいいから継続してほしい」という悲鳴にも似た要望が殺到していた。 だが、宮本は断固として首を縦に振らなかった。そして奏太たちも、全員一致でその考えに深く共鳴した。


「あれでいいんだよ、奏太くん」

宮本は、モニターに映るレオンの姿を愛おしそうに見つめながら笑った。


「ノイズが混ざるということは、限界を迎えたということだ。永遠に劣化しないなんて、まるで機械みたいで気持ち悪いじゃないか。九条先生も生前、よく喉を枯らしては『俺も年をとったな』と笑っていた」


彼らはあえてAIに「寿命」を引いた。

純度の高い九条厳山の魂を、最新のシステムで上書きして変質させてしまうくらいなら、最も美しい今の状態のまま、役者として「引退」させる道を選んだのだ。


「まあ、レオンの仕事はこれで終わりじゃないしな!」

拓也が、コンソールデスクに両手をついてニヤリと笑った。


「そうですね。明日からは、うちの養成所で『鬼教官』として働いてもらう。あの圧倒的な息遣いと間の取り方を、何百回でも次の世代に叩き込んでもらおうと思う」

と宮本は、九条の魂を引き継ぐ若者の育成という新たな目標を掲げた。


「ふふっ、新人たち、泣いて逃げ出さなきゃいいけど」 涙目だった舞も、吹き出すように笑った。


神様の背中を、AIを通して誰もが学ぶことができる。

それこそが、かつて圧倒的な才能を前に挫折した奏太や拓也たちが辿り着いた、最も優しい「魂の継承」の形だった。


『――ありがとう。お前たちと走ったこの時間は、俺の誇りだ』


モニターの中で、レオンが最後の笑顔を向けている

。 それはプログラムが弾き出したデータ上の音声に過ぎない。

けれど、その声には確かに、九条厳山という役者の命が、熱い血潮となって流れていた。



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