第92話 最愛の人
天から何かが降りてくる。
光の点は徐々に大きさを増し、やがて人の輪郭を形作った。
神々しい光を放つ人影は、愛しい人の顔をしていた。
「リ……」
ウィルの声が詰まる。
両手を広げウィルのもとへやってくる彼女を見つめる瞳から、これまで心に溜まっていた澱が洗い流されるように、涙が溢れ出していた。
「リィィィィンッ!!」
あらん限りの大きな声でリンの名を呼ぶ。
そのウィルのもとへ、微笑みをたたえたリンが舞い降り、そっとその首筋に腕を回した。
「リン、おかえり」
『ただいま、ウィル』
ウィルは間近にあるリンの顔を見つめる。
あの頃と変わらぬ笑顔がそこにあった。
「でも、どうして――」
『話は後よ。まずはあれを片付ける』
ウィルから離れ、宙空を浮遊するリンは魔砲を放たんとする大神像に向き直る。
『私の家族をよくもやってくれたわね。許さないから!』
「き、貴様何者だ! 正霊ごときに何ができる!」
空から見下されたキネムドは、突然現れたリンに戸惑いを隠せない。
『失礼ね。私は守護霊よ! みんな! 広場から離れて! 上位精霊の力を使うわ! 巻き込まれないでね!』
「リン! アルドさんたちが見当たらないんだ!」
『大丈夫よ』
リンが言い終わらないうちに、シルフに抱えられたアルドとフェイがウィルたちのもとへ降り立つ。
リンがいつの間にか探してくれたようだ。
「アルドさん! フェイ!」
「心配かけて済まなかったね。あたしたちは大丈夫だよ」
「くっちゃべってる暇はねえ! 早く離れるぞ!」
アルドに促されて、ウィルたちは広場から大通りの方へ退避する。
『吹き付けよ 原初の息吹 姿の見えぬあなたは その痕跡を辿るしかない』
先ほどかすかに聞こえた旋律が、リンの口からはっきりと流れ出す。
あたりには強い風が吹き始めていた。
「これは――」
「知ってるの? フェイ」
思い当たったようにつぶやいたフェイにウィルが尋ねる。
「ああ、あれは風の上位精霊、原初の息吹ヴァーユの祝歌だよ。リン、新たに習得したんだね」
「風の上位精霊ヴァーユ……」
風はますます強くなっていく。
リンの祝歌が紡がれるにつれ、円形の広場の周囲を巻き上げられた瓦礫がぐるぐると周回していった。
『砂が飛び 旗が裂け 炎は激しく揺れる その強き息吹で 世界のすべてを吹きとばせ』
今や猛烈な風が広場の周囲を回っている。完成されたヴァーユの力は広場に風の檻を作り出していた。
その中央に残された大神像は、事態を把握できないのか、きょろきょろとあたりを見回している。
『まだよ!』
リンが叫ぶ。
『飲み込め 渦潮の大口 海神と大地の娘の食欲は 尽きることを知らぬ』
ヴァーユを召喚したリンが新たな祝歌を歌い出す。
「上位精霊の二体同時召喚!? そんなことができるのかい!?」
「すごいことなの?」
フェイにウィルが聞く。
「普通は一体の上位精霊を喚び出すので精一杯なんだよ。ウチの師匠は複数の上位精霊を扱えるけど、それでも同時には無理だ」
「リン、すごい力を」
「ああ。今歌っているのは水の上位精霊、渦潮の大口カリュブディスの祝歌だよ」
ヴァーユの風の檻の内側、広場の地面からじわりと真っ黒な水があふれだす。水はみるみる水位を増し、檻の中で巨大な渦を作り出した。
濃密な風に遮られ、外に漏れだしてきてはいないが水位はすでにウィルの背丈の三倍ほどに達している。
『何人たりとも その漆黒の穴から逃れることは許されぬ 渦巻く濁流の中心で 船も岩も生命も その全てを飲み込め』
祝歌の完成とともに、渦の中心に真っ暗な穴が現れた。
濁流がその穴に向かって流れ込んでいく。
押し流され広場を周回する大神像に、巻き込まれた瓦礫がぶつかりその体を砕いていく。
もはや形を留めていない大神像は、大量の水とともに中央の深淵に飲み込まれていった。
全ての水が穴に流れ込むと、広場の地面があらわになり、真っ暗な穴も姿を消す。
風の檻も勢いを弱め、霧散していった。
『ふう』
小さく息を吐いたリンが、再びウィルたちのもとへ戻ってくる。
ウィルは両手を広げて、リンを出迎えた。
「リン、また会えるなんて」
二人が抱擁を交わす。守護霊となったリンの体は霊体で構成されており、ウィルには触れることができない。しかし、確かな温もりをウィルは感じた。
『ごめんなさい。来るのが遅くなって。アイユン様から課せられた試練がなかなか終わらなかったの』
「ううん。助かったよ。ありがとう、帰ってきてくれて」
『ウィル、あなたに会いたくて――戻ってきたよ』
リンが顎を上げ、瞳を閉じる。
「!?」
何を期待されているか、理解したウィルの顔が一気に赤くなっていく。
その背を仲間たちが手荒く叩く。
ウィルが振り返ると、仲間たちがにやにやと笑っていた。
意を決したウィルは、目をギュッと閉じるとリンの可愛らしい唇に自らの唇を重ねた。
◇
「リン」
メアウェンの優しい声が響く。
リンはウィルから離れると、メアウェンの方を向いた。
養母はひざまずき、両手を広げてリンを待っている。
リンがその胸に飛び込むと、リンの眼から自然に涙が溢れ出した。
『ごめんなさい。勝手に逝ってしまって』
「いいんだ。私はずっと後悔していた。君たちを連れて行ったのは間違いだったのだと。だが、こうして帰ってきてくれた。君のおかげで私の心は救われた。おかえり、私の愛しい娘」
メアウェンの目にも涙があふれている。
『ただいま、お母さん』
二人の涙が大通りの石畳を濡らした。
「しかし、姉妹で守護霊になるなんてね。ルーシェンはどうしたんだい?」
もらい泣きした涙を拭いながらフェイが尋ねてくる。
『姉さまはアイユン様のところに残ったわ。守護霊の守護霊なんて変だもの。せっかく力を得たから、しばらくは精霊にならずアイユン様のお手伝いをするみたい』
「しばらくって、どれくらい?」
『うーん、二、三千年くらいじゃないかな』
「そ、そうかい。エルフのあたしからしてもすごい年月だね」
『フェイにもまた会いたいって言ってたよ。アイユン様のお許しがでたらまた会いに来るかも』
「じゃあ、楽しみにしとくかね」
それからしばしの時間、仲間たちはリンとの再会を喜びあった。セオルやフローラ、アルドなど、リンの死に少なからず責任を感じていた者たちは、再会によってその後悔の念を晴らすことができたようだった。
「皆、リンと話せたようだし、そろそろ撤退するか。できれば、奪われた秘宝は取り返しておきたかったが」
メアウェンの言葉にリンが反応する。
『大丈夫よ。脇に避けておいたから』
「避けて?」
リンの言葉を受けて、皆で大聖堂に向かうと意識を失ったキネムドが壁のでっぱりに引っかかっていた。
『流石に粉々にしたんじゃ寝覚めが悪いしね』
舌をだしていたずらっぽく笑うリンに一同も笑う。
ウィルたちは皆で協力してキネムドを壁から地面に降ろした。
キネムドの懐を探り、神化の秘宝であるアウレクスの林檎を取り出す。
「返してもらうからな」
ウィルは秘宝を懐にしまい込んだ。
「この人どうするの?」
「放っておこう。介抱してやる義理はないし、誰かがそのうち見つけるだろう」
メアウェンがそう言い、一同は広場を戻り始めた。
ヴェトス軍はどうなっているだろうか。ウィルが正門を見ようと目を凝らした時、不思議なものが視界に入ったことに気づいた。
一人の男が空に浮いている。シルフの加護は見えず、霊体でもない。
恰幅の良い男が空に佇んでいた。
その姿は、ウィルにも見覚えのあるものだった。
「情けないやつだ」
金糸で装飾された華美な衣装に身を包んだ国王アーブリス二世が、吐き捨てるように言葉を発する。
怒りの眼差しは、地面で伸びているキネムドからウィルに移る。
「ガキが。どこまで手をかけさせるつもりだ」
およそ一国の王とは思えぬ言葉遣いで罵り、国王は高度を下げてきた。
ウィルたちよりも少し高い位置まで降りると、言葉を発さず憎しみの眼差しを投げかける。
「お、王様が……浮いてる……」
突然起こった出来事に頭がついていかず、ウィルは見たままを言葉にした。
その隣に進み出たメアウェンが膝をつき頭を下げる。
「陛下、ご無沙汰しております」
「嫌味か? メアウェン」
「そのような。ただ、ご挨拶をと」
「ふん」
国王は鼻を鳴らす。
「陛下におかれましては、なぜそのようなところに」
「お前たちはなぜ俺に逆らうんだ」
メアウェンの質問を無視し、逆に国王は問いかける。
「私は逆らっているつもりはありません。ただ真実を――」
「王様が! あなたが俺たちを嵌めたからだ!」
ウィルが大声を張り上げた。
「俺たちは教皇様を殺してなんかいない! 調べもせず、でっち上げをして! 俺の家族を奪おうとした!」
「言葉遣いがなっていないな。メアウェン、お前の子ではないのか、こいつは」
「元気がありあまっているようで」
メアウェンはウィルに目配せをする。一瞬考えたウィルは、懐から神化の秘宝を取り出した。
「陛下、ご所望の神化の秘宝はここに」
メアウェンは、ウィルの持つ秘宝を指し示す。
「ならば早く渡せ」
「お渡ししましょう。ですが、その前に我々には望みがあります。我々にかかる嫌疑を晴らしていただきたい。この私メアウェン・ハースウィン、その子ウィル・ハースウィン、並びに、セオル・ウィンステッド、フローラは、なんら罪を犯しておりません。痛ましくも教皇聖下が命を落とされた此度の一件、裏で糸を引いている何者かがおりましょう。例えば――そこに倒れている者など」
メアウェンが後ろを振り返る。その視線の先には横たわる現教皇がいた。
「私にお命じくだされば、その陰謀を暴き、真実を白日のもとに晒してご覧にいれます」
「……茶番だな」
メアウェンの申し出に国王は鼻を鳴らす。
「茶番とおっしゃる?」
「わかっているんだろう。この国は俺が作った俺のものだ。何を可とし、何を不可とするかは俺が決める」
「陛下が決められた、と」
「そうだ。そしてその筋書きは変わらない」
その言葉を聞いたメアウェンはすっくと立ち上がる。
「ならば我々に残された道は」
「俺を討つか? メアウェン」
「――家族を守るためならば」
剣の柄に手をかけたメアウェンと国王の視線がぶつかりあう。
ウィルや仲間たちも身構えた。
「陛下!」
一触即発の空気の中、乱入する者があった。
馬から降りた騎士は金色の鎧を身にまとう近衛騎士団長ヘレワードだった。
「陛下が……空を飛んでおられる……!?」
「ヘレワード、何をしにきた」
「……は!? い、いえ、王宮に陛下がお見えにならず、探しに参りました。ご確認いただきたいことが」
「用件はなんだ」
問い返されたヘレワードは、しばし言い淀んだ。
「……ご家族が、陛下のご家族が見当たりません」
「……」
国王の目が薄く細められる。
「ご避難いただくべくご家族の部屋に伺いましたが、そこは長年使われた形跡もなく」
「……」
「そればかりか、私と侍従長で覚えているご家族の構成が異なるのです。他の者に確認してもそれぞれ王子がいらした、王女がいらした、ご子息はおられないと、皆記憶が一致しません。陛下、これは……一体何が起こっているのですか」
「……やり直すか」
「は?」
ヘレワードは国王の発した言葉の意味を測りかね、間抜けな言葉を返す。
国王は落胆と怒り、諦めがないまぜになった顔で一同を見回した。
「この国を作って数百年。神の力をもってしても、発展した国をぽんと作ることはできなかった。少しずつ育てていくしかなかったんだ。大変だったが、ゲームのような面白みもあった。やっと、ここまで来たのに、お前たちのせいで台無しだ」
「なんの話を――」
語りだした国王にウィルが口を挟む。
「暗いな」
「暗い?」
国王が腕を上げ、指先を空に向けた。
「暗い街は好きじゃない」
音もなく指先から光条が放たれ、空に立ち込める暗い雲を貫いた。
雲は貫かれた点を中心に円状に穴が開き、そこから鮮やかな青い空が現れる。
雲の穴はまたたく間に広がり、空を晴天に変えてしまった。
見渡す限り一片の雲も残っていない。
「エンリック王国は作り直す。お前たち人間もだ。最初からやり直しだ」
「作り直す? 国を作り直すって、どういうことだ」
「言ったとおりだ。王国を一から作り直す。今のエンリック王国は失敗だ。更地にして、新たに立て直す。また時間がかかってしまうが、時間なんていくらでもある」
「ここを更地にするって!? 王都の民は、住んでいる人たちはどうなるんだ!」
「言っただろ。お前たち人間も、だと」
「全ての民に死ねというのか! 国王とはいえ、そんなことに誰が従う!」と、メアウェン。
国王は頭を振り、呆れたようにため息をもらす。
「従う必要などない。俺が力を振るえば皆死ぬんだ」
「一人の人間に、そんなことができるわけ――」
「まだわからないのか。そうか。こういうときにネタバラシをする悪役の気持ちが理解できなかったが、なるほど、彼らは話が通じないことに対して苛ついていたのか」
ウィルたちの目の前で、国王アーブリス二世の姿が変わっていく。
飛び出ていた腹は引き締まり、短かった足はすらりと長く伸びていく。
肉付きの良い顎は鋭利に尖り、頭髪は輝かしい金髪に変わった。
その姿にウィルは見覚えがあった。先程まで戦っていた巨大なアウレクス神像そのものだったのだ。
「はじめは子をつくり、国を受け継がせるつもりだった。だが、妻として作った人間は俺に常に指図をするような出来の悪い人形だった。まあ、家族なんてそんなものだ。その後、なんとか生まれた子供もすぐに死んでしまった。その時に決めたんだ。この国はずっと俺が作っていくってな。だが、同じ人間がずっと王位にいれば、腐敗だのなんだの問題が生まれてしまう。権力者がずっと同じであること自体に不満を持つやつが出てくるんだ」
金髪の男、国王だった人物は一度そこで言葉を切り、一同を見渡す。
「そんなくだらないことに国の運営を邪魔されるのはごめんだった。だから、俺は子孫のふりをしたんだ。姿を変え、世代が変わっているように見せかけた。ヘレワード、俺に家族などいない。お前が覚えているのは、俺が植え付けた偽の記憶だ」
「王子などいなかった……と」
「そうだ。王子どころか王家もない。この国の国王はずっとこの俺ただ一人だ」
金髪の男がメアウェンに視線を移す。
「ギャグを説明させられる気分だな、これは。どうだ、メアウェン、この俺の名を呼んでみろ。流石にわかっただろ?」
「あなたは……アウレクス神その人だとおっしゃるのか」
「そうだ。建国王であり、この国の守護神、俺の名はアウレクス。これが王の正体だ。うまくいっていたのに、お前たちのせいで台無しだ」
「お、王が神であったとして、なぜ国を滅ぼしてやりなおさなければならないのです! 神であったとしても、神ならなおさら民は忠誠心を持つはずです! 滅ぼす必要など――」
「一つの問題に対処しても、そこからまた新たな問題が生まれる。ウィル、お前はなぜ翼の力を使ったんだ。アウレクスの再来などと言われお前を中心に新たな勢力なんかが生まれたら困るんだ。ヘレワード、お前はなぜ家族のことに気づいた。記憶をすげ替えてやることはできるが、話を知る全ての者の整合性を取るのは骨が折れる。問題を解決した結果、矛盾が起き、また新たな問題が生まれる。その解決にまた労力をかける。いつまで経っても問題はなくならない。そんなことに奔走するのはまっぴらだ」
アウレクスは肩をすくめた。それがどういう意味を持つのかメアウェンにはわからなかったが、良い意味ではないだろう。
「神よ! 人が集まれば各々考え方も異なる。問題が起こるのは常のことです。それを解決していくことこそが、そもそも国を運営するということなのではないですか!」
「人間ならな。だが、俺は神だ」
冷徹な声が響く。
「人間の国ならばそうなるだろう。人間は不完全なものだからな。だが、ここは神が治める神の国だ。神は完全でなければならない。俺は問題が起こること自体を許さない。もし、それが起こったとき、神は神のやり方で解決するんだ。大洪水を起こしたり、塩の柱に変えたりな」
「だ、大洪水」
「安心しろ。今回は俺自らの手で葬ってやる。お前たちは俺が初めて作った種族だ。俺も責任を取らないとな」
アウレクスが再び高度を上げ始めた。
その背に輝く一対の翼が現れる。
「サービスは終わりだ。まずはお前たちから消してやる」
大聖堂前広場の上空で、アウレクスが神の力を解放した。
感想やリアクション、お待ちしております。
☆☆☆☆☆評価や、ブックマークもぜひよろしくお願いいたします。
Xやってます。
@fumikiao




