第85話 悪の聖騎士
聖騎士アルフリク・エアドウルフ。
聖騎士団の中でも高い人望と敬意を集めるこの壮年の男は、長い騎士人生で得た経験と研鑽によって高い戦いの技倆を持ち、同時に指揮官を務められる明晰な頭脳も持ち合わせている。
フローラたちも霊廟での戦いにおいて、彼に助けられ生き延びる場面が多くあった。
しかし、その能力は民のためではなく己の利益のために使われた。
彼の子爵位は、フローラたちを陥れた結果として得られたものだ。
それに加えて、フローラの兄カエレンに直接手を下した人物でもある。
目の前に油断なく立つアルフリクを睨みつけ、フローラは魔力を高めていく。
体に現れた紋様がフローラの身体能力を活性化させていった。
「ヤァアアアアアアアアッ!!」
気合とともにフローラは飛び出す。
力を込めた右拳が剣士の必殺の突きのように打ち込まれ、咄嗟に掲げたアルフリクの聖騎士の盾を震わせた。
反動で弾かれたフローラの左肩を狙って、アルフリクが右手の聖騎士の剣を突き出す。
体をひねって躱したフローラの頬のすぐ側を研ぎ澄まされた刃が通り過ぎ、美しい黒髪の一房を奪っていった。
フローラは崩れる態勢を活かすように、左の回し蹴りを放つ。
しかし、引き戻されたアルフリクの剣の柄に押し留められ、その威力はアルフリクに届かない。
そのまま振り下ろされた剣身を、左足を引き戻したフローラは半身になって避けた。
開かれたフローラの右掌に魔力が集中する。
アルフリクの眼前で、フローラは魔力の礫を炸裂させた。
初級魔法とは思えぬ威力に、アルフリクは弾き飛ばされる。
数メートル後退したアルフリクは、寸前で発動していた盾魔法に隠れるように身を縮めた。
追い打ちをかけるように、フローラの右掌から魔力の散礫が連続で放たれる。
大量の魔力の礫がアルフリクを包み込んだ。しかし、盾魔法に阻まれ一つたりともアルフリクに痛撃を与えることはできていない。
(硬い――)
このままでは埒が明かない。フローラは魔力の散礫の連射を止め、操作魔法・強に切り替えた。
不可視の魔力の手がアルフリクの体を掴む。
フローラは宙に浮かび上がったアルフリクを自らに向かって引き寄せた。
速度を上げて飛んでくるアルフリクを待ち受けるように右足を高く突き出す。
魔力を纏い、魔杭と化したフローラの右足がアルフリクを串刺しにする直前、聖騎士の盾が光を放つ。
アルフリクがかけた魔剣術によって強化された聖騎士の盾が、フローラの魔杭を打ち払った。
衝撃によって操作魔法・強は解除され、自由になったアルフリクが体ごとフローラにぶつかっていく。
アルフリクの巨体を受け止めたフローラは、地面に背中を強かに打ち付けた。
「ああッ」
押しつぶされた肺がフローラの口から声ともつかない音を吐き出させる。
もつれ合って転がった二人の勢いが止まると、フローラは掴みかかろうとするアルフリクの腹を蹴り飛ばし、距離を取って油断なく構えた。
荒い息がフローラの口から漏れる。
「くっ――はぁッはぁッ」
やはりアルフリクの守りは硬い。
潤沢な経験に裏打ちされる手管の多さでフローラの攻撃に即興で対応し、なかなか防御をこじ開けさせない。
徒労感さえ感じるほど攻撃に効果が見られず、それに飽いて隙を見せようものなら即座に反撃の刃が飛んでくる。
派手な一撃などはないが、間違いなく強いと言える戦いぶりだった。
「教皇聖下からの命令はお前たちの捕獲だ。殺しはしない。大人しく縄につけ」
「誰が! あなたたちのような卑怯者に私たちは絶対に捕まらないよ!」
フローラは再び飛び出し、アルフリクに打ち掛かる。
右拳、左拳、左肘、右膝、右回し蹴り、左足刀、左手刀、フローラの繰り出す攻撃全てが躱され、捌かれ、受け止められていった。
「でぇえええいっ」
飛び上がり、空中から振り下ろすように放った右回し蹴りは、頭上に掲げたアルフリクの盾に阻まれる。
そのまま足首を掴まれたフローラは、地面に向かって叩きつけられた。
「ぐうッッ!!」
「諦めろ。正しさと強さは必ずしも比例はしない」
フローラは痛む全身に鞭を打ち、体を起き上がらせる。
「あ……なたは、自分が……悪だと言うの」
「教会は正しい。神のご意思の下にあるからだ。だとしても、私は爵位を手に入れるためにお前たちを謀り、罪人に仕立て上げた。それは悪だろう」
「悪の……自覚があるんだね」
「言ったはずだ。私は決断し、行動したと。とはいえ、これ以上お前を痛めつけたくはない。投降するんだ、フローラ」
「そんなの……そんなの、受け入れるはずがないよ! 悪い奴らにやられっぱなしで、また泣き寝入りするなんて、もう絶対に嫌だ!!!!」
「ならば――これ以上暴れられぬよう眠ってもらう!!」
アルフリクの聖騎士の盾が強く光った。
魔剣術の魔力に包まれた盾がフローラめがけて振り下ろされる。
その直後、ガキン、と金属音が鳴り響いた。
フローラを打ち据え気絶させるかに思えた盾は、一本の槍に受け止められていた。
「身勝手な言い分だ」
槍の主、セオルの視線が盾越しにアルフリクを射抜く。
「それに中途半端だ。人を騙して爵位を手に入れるのも、心が痛むから戦いをやめるように諭すのも、全てあなたの、あなただけの都合だ! 僕たちはあなたの都合なんて受け入れない! 悪を為すなら最後まで貫き通せよ!!」
セオルの体が一回り大きくなる。
盛り上がった筋肉から繰り出された力は、アルフリクを盾ごと押し返した。
思わぬ反撃を受けたアルフリクは、たたらを踏み数歩後ろに下がる。
「セオル!」
フローラがセオルに駆け寄る。
「どう? 僕のフェロナル流の筋肉」
「うん、ありがとう!」
おどけるセオルにフローラは微笑みを返す。
「二回戦だ。僕たちでやつを倒すよ」
「でも、セオルがこっちに来たらウィルは――」
「大丈夫。見てごらんよ」
促されて投げかけたフローラの視線の先には、十数人の聖騎士たちをなぎ倒す、ウィル、アルド、そしてメアウェンの姿があった。
「ウィルには最強の味方がいる。心配ないよ。僕たちはやつを倒すんだ。一緒に戦おう、フローラ!」
「うん!!」
セオルとフローラは、武器を構え直したアルフリクに襲いかかる。
セオルの鋭い三連突きがアルフリクの胸甲に傷をつけ、足元を狙って繰り出されたフローラの下段蹴りがアルフリクのすね当てをへこませた。
二人の連携攻撃にアルフリクは隙を見いだせず、防戦一方になっている。
攻撃が途切れた一瞬を狙って、アルフリクは剣を振り下ろす。しかし、二人は大きく飛び退り回避した。
セオルが前に飛び出す。絶え間なく突き出される穂先をアルフリクは剣と盾を使って弾いた。
横薙ぎに振るわれたアルフリクの剣をかがんで躱し、がら空きの足元を狙いセオルは槍で薙ぐ。
くるりと回転したセオルは、飛び上がって足払いを避けたアルフリクめがけて後ろ向きに石突を繰り出した。
後ろを向いたセオルとフローラの目が合う。セオルは左耳を触っていた。
セオルの槍の石突がアルフリクの腹をとらえる。空中で衝撃を殺しきれなかったアルフリクは、腹部に痛撃を受け膝を落とした。
「フローラ!」
叫ぶと同時にセオルがアルフリクの右に回り込む。
セオルの左耳の耳飾りが淡く光り、その軌跡を描く。
フローラはがら空きになったアルフリクの正面めがけて魔法を撃ち放った。
「ぬぅっ!」
アルフリクが盾魔法を展開する。
その眼前で、フローラの放った音爆魔法が炸裂した。
音魔法は盾魔法では防げない。発現するのはただの大きな音だからだ。
至近距離で音爆魔法の直撃を受けたアルフリクの体が脱力する。
開けた場所では反響を利用できないため、音魔法の威力は大幅に下がってしまうが、アルフリク一人を無力化する力は十分にあったようだ。
セオルは左耳の静寂の耳飾りを触り、魔法具に封じられた魔法の発動を止める。
「今だ!」
セオルがふらつくアルフリクの鎧の隙間めがけて槍を突き出し、走り込んできたフローラがアルフリクの腹部めがけて拳を叩きつける。
「ぐ……ぅ」
二人の攻撃をまともに受けたアルフリクはよろめき、一歩、二歩、と歩を下げる。
追い打ちをかけようと二人が間合いを詰めたとき、アルフリクのよろめきが止まった。
「う……ぁぁああああああああああああ!!!!」
アルフリクが突然体内の魔力を爆発させた。
魔法ではない純粋な魔力の爆発は、魔砲と同じく純粋な力の奔流である。
全方位に放出された魔力の衝撃をセオルとフローラは全身に浴び、吹き飛ばされて地面に打ち付けられた。
「はあッはあッ」
アルフリクの荒い呼吸音があたりに響く。
「私は……引くわけには……いかない。騎士たるもの……教会のため……神のために」
鎧の隙間から血を流し、足を引きずりながらアルフリクはフローラに近づいていく。
「お前たちが……そう言うのなら……私は」
痛みに震えながら体を起こしたフローラの前に立つと、剣を構える。
「私は……決断したのだ……私欲のために……悪を為すと!」
フローラに向かって鋭い切っ先が突き出される。
しかし、その剣が貫いたのは――
「セオルッ!?」
飛び込んできたセオルの腹部だった。
「お前は!?」
驚いた様子のアルフリクにセオルがニヤリと笑いかける。
セオルは両手を使って、剣を持つアルフリクの右腕をガッチリと抑え込んだ。
「僕は……三人と違って……魔力も低いし……戦いの技術も拙い」
言葉とともにセオルの口から鮮血が流れ落ちる。
「でも……僕だって鍛えれば、あなたを抑え込むことくらいは……できるんだ……」
「くっ、離せ!」
「離さない! さあ……フローラ、君の力を見せてやって……これで終わりに……しよう」
アルフリクがフローラを見る。
立ち上がったフローラの体から陽炎のように魔力が立ち昇っていた。
「あ……あぁぁぁぁあああああああああ!!」
フローラの魔力が爆発的に膨れ上がっていく。
体に浮き出た紋様が赤く染まり、強い光を放っていた。
フローラの姿が掻き消える。
次の瞬間、アルフリクの目の前、空中にフローラは姿を現した。
アルフリクの右手はセオルに掴まれ、びくともしない。
咄嗟に掲げた聖騎士の盾をフローラの右足が叩き割る。
そのまま左腕をへし折り、フローラの回し蹴りはアルフリクの頭部に炸裂した。
留め金が壊れ、面頬が弾け飛ぶ。
着地したフローラの左拳がアルフリクの胸甲を貫き、胸骨を粉々に砕いた。
左右の脇腹、大腿骨、鎖骨、赤い紋様によって超強化されたフローラの打撃が、アルフリクの骨という骨、肉という肉を打ち砕いていく。
「でええええええっやあああああっ!!」
右の足刀蹴りが腹部に叩き込まれると、血反吐を吐いたアルフリクはその場に崩折れていった。
「はあ、はあ」
フローラの紋様が色を失い消えていく。
振り返り、仰向けに倒れているセオルのもとへ駆け寄った。
「セオルッ!」
セオルは吐血し、口の周りが赤く汚れている。
身につけた衣服も刺された腹部からの出血で真っ赤に染まっていた。
「へへ……フローラ、勝ったね……」
「喋っちゃだめ! 今、治療するから――」
ポーションを取り出そうとしたフローラの手にセオルの手が重ねられる。
「それは……取っておいて。ここから逃げ出すときに……きっと必要になる」
「じゃあ、セオルはどうするんだよ! セオルの傷を治さないと逃げることもできないよ」
「この傷は……もうポーションじゃ治しきれない……わかるんだ……僕はウィンステッド商会の子供だから」
「そんな――」
「フロ……ラ、カエレン……さんの、仇が討てて……よかっ……た」
セオルの瞼がゆっくりと降り始める。
「駄目! セオル! 目を閉じては駄目! 目を開けてセオルッ! 私を置いていかないで! 母ちゃんや兄ちゃんみたいに私を置いていかないでよっ!!」
フローラの目から大粒の涙がこぼれ落ちる。
「私はあなたが好き! ずっと一緒にいるの! あなたは私に、魔族と呼ばれた私に優しくしてくれた! ずっと、ずっと大好きなの! 愛してるのセオル! だから、だからお願いセオル! いかないでよ! 私と一緒にいてよ!!」
「フロ……」
セオルの唇が止まり、言葉が途切れたその時、大量の液体が二人に向かってぶちまけられた。
「女にここまで言わせて、わかりました、ではさようなら、ってわけにはいかねえぞ、セオル」
フローラが見上げたそこには、空の大きな樽を頭上に掲げたドラヴァルが立っていた。
「ぶはぁっ!」
セオルが息を大きく吐いた。
アルフリクに貫かれた傷口がぶくぶくと泡立ち、見る見る塞がっていく。
セオルはむくりと起き上がると、穴の空いていた自分の腹を確認し始めた。
そこにはもはや傷口どころか、傷跡もない。
「傷がない! なんで!? ポーションで治るような傷じゃなかったのに!」
混乱した様子で叫ぶセオル。
「あの爺さんがくれたんだよ。なんかすげえポーションだから使ってくれって」
ドラヴァルが指し示す方を向いたフローラとセオルが見たのは、にっこりと笑うオスリック・ウィンステッドの姿だった。
「お祖父様!!」
「オスリック様!!」
オスリックがセオルたちのもとにやってくる。
「お祖父様、これは」
「これは外街の人たち、ヴェトスの人たちが育てた薬草から作ったポーションだ。品質が良くてな、今までのポーションより数倍効果が高い。お前が助かったのはヴェトスの人たちのおかげだよ、セオル」
「外街の人たちのおかげ……」
セオルは間近にいるフローラを見る。
濡れた瞳がこちらをまっすぐに見つめていた。
「セオル!」
フローラがセオルの首元に抱きつく。
「よかった……死んじゃわなくて本当によかった……大好き! セオル、あなたが好き! ずっと、ずっとあなたと一緒にいるから!」
フローラの涙混じりの愛の告白は、そのあともしばらく続いた。
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@fumikiao




