第55話 幽窟の底
浮遊感がウィルの体を包む。
すでに光は届かず、周りは何も見えない。ただ、その感覚だけが自分が落下していることを教えてくれた。
底なし、ということはないだろう。いずれは底につくはずだが、この速度で地面に激突するのは避けたい。
ただこの暗闇では、あとどれほどの時間が残されているのかすらわからなかった。
「リィィィィン!」
風切り音の中にウィルの絶叫が割り込む。
それに応えるように、ウィルのすぐ側で魔力の淡光が灯った。
「お願い! シルフ!」
リンの祝歌が奏でられ、風の力で体に急制動がかかる。その直後、ウィルの手は地面の感触を得た。
「ッ……!」
ぎりぎりのタイミングだったようだ。ウィルは息を飲み、額に冷たい汗が流れるのを感じた。
「む……」
近くから、男の声が聞こえる。激突音は聞こえなかったので、皆助かったのだろう。
ウィルは体を起こし立ち上がると、灯の魔法具を起動させた。魔法具があたりを薄ぼんやりと照らし出す。壊れていなかったことにウィルは安堵した。
ウィルのすぐ側に座り込むリン、その向こう側にはセオル。反対側にはフローラの姿が見えた。
「皆、無事か」
ウィルの背後から男の声がかかる。振り返るとアルフリクが立っていた。
セオルの更に先には三人の人影が見えた。司教バッダ、一人の聖騎士、そして教皇レオフ。
バッダと聖騎士は頭を振り、今起きた衝撃から抜け出そうとしているようだが、レオフは横たわったまま動きがない。
「教皇様!」
ウィルが慌ててレオフに駆け寄る。ウィルの歩調に合わせて、バシャバシャと水音が鳴った。溜まり水があるようだ。そういえば、服が濡れている。
「しっかりしてください。教皇様」
ウィルはレオフを助け起こす。ざっと体を見るが怪我をしている様子はない。リンたちがレオフのもとへ集まって来た。
「う……」
レオフの喉から声が漏れる。
「教皇様!」
ゆっくりと目を開いたレオフの視界には、心配そうに覗き込む若者たちの姿が映った。
「こ……こは……」
「穴の底です。神像の魔法で床が崩れて落ちてきたんです」
「ああ……そうでしたね」
「教皇様、念のためポーションを」
「ありがとう」
ウィルがポーションの入った革袋をレオフに渡す。受け取ったレオフはいくらか口に含み飲み込んだ。
「もう大丈夫ですよ。ありがとう、皆さん」
回復した教皇の声に、ウィルたちは安堵の声を漏らす。それを少し離れたところからアルフリクは見つめていた。
アルフリクは頭の中で、考えを巡らせていた。
先程起こった神像の暴走、これは予定された事故だったのか。だとすると、企みは失敗したのか。教皇は生きているのだ。
事故が起こる、としか聞かされていなかったアルフリクには判断が出来なかった。
だが、もし失敗したのだということなら――今、自分が動かなければならないのではないか。この暗い幽窟の底で、事故を完遂させなければならないのではないか。
この、自らの手で教皇を――
ドクン、ドクンと鼓動が強く感じられる。まるで全身が心臓になったかのようだ。小刻みに震える手で腰の剣を引き抜くべく、柄に手をかけようとした時、その腕を抑える者がいた。
バッダだった。
司教は、アルフリクを見て頭を振る。
そういえば、この司教はキネムドの腹心だったはずだ。彼も計画を知る者なのだろう。アルフリクがやろうとしたことをわかった上で、今は控えろ、と言っているのだ。
確かに、今教皇に手をだせば、あの傭兵騎士団の若者たちは自分に敵対するだろう。
人間の少年はともかく、エルフの娘、それにあの魔族の二人は侮れない。四人とも仕留められれば、計画どおり事を進められるが、現実的にはかなり難しい。
敗北した場合、キネムドとバッダはすべての罪を自分に、エアドウルフ家になすりつけるはずだ。そうなれば陞爵どころか、一族すべて処刑されかねない。
アルフリクは静かに右手を降ろした。
「みんな無事みたいだね」
フローラを診ていたセオルがウィルのもとにやってくる。
「危ないところだった。リン、助かったよ。ありがとう」
「うん」
リンは嬉しそうに笑った。
「どこか出られるところを探そう。さすがに戻るのは無理そうだ」
見上げたウィルの視界には遥か高みに光点がぽつんと映っていた。自分たちが落下した穴の入口だろう。シルフの風で飛び上がるにも距離がありすぎる。
幸いにも人が十分通れる大きさの横穴があり、どこかに繋がっているようだった。
「そうだな。ここからの指揮は私が取ろう。皆、ついてきてくれ」
そう言って横穴に入るアルフリクに、一行は続き、横穴に入っていった。
◇
メアウェンが目覚めて最初に目に入ったのは高い天井だった。
体を起こそうとするが、全身に激痛が走る。
「ああ、急に動かないでください。外傷は治癒しましたが、まだ怪我が全て治ったわけではないので」
金色の鎧の男が何かを差し出してくる。
「ポーションです。意識が戻ったなら飲んでください」
飲み口をあてがってもらい、メアウェンはポーションを飲み込む。体内に入ったポーションが、メアウェンの代謝を早めていく。
見ると、腕と足には副え木がしてあった。近衛騎士が手当してくれたのだろう。これならば、折れた骨が曲がってつながることもないはずだ。
「ここは?」
体を横たえ、近衛騎士に聞く。
「第二の間の前の通路です。メアウェン殿とヘレワード団長が意識を失われていたので、お二人を連れてここまで撤退してきました」
「! やつは? 神像はどうした?」
「あの部屋から出てきません。なにか制約があるのでしょう。ここは安全ですよ」
体の痛みがおさまり、メアウェンは起き上がる。あたりを見渡すと金色の鎧姿の近衛騎士が五人、国王と公爵の無事な姿も目に入った。メアウェンの足元には横たわる四人の聖騎士の姿もある。
「彼らは間に合いませんでした。お二人と陛下たちを連れてここまで下がったあと、救出のためにもう一度部屋へ入ったのですが、その時にはもう」
「そうか………」
メアウェンは目を閉じ、聖騎士たちの冥福を祈る。
神像が繰り出した不可視の圧力は見たこともない魔法だった。いや、あれが魔法だったのかすらわからない。頑強な聖騎士の鎧をへこませ、鍛え上げられた聖騎士たちの体をも押しつぶしたあれは、相当な威力だったのだろう。
同じ技をくらったウィルたちは――
「ウィルたちは、教皇聖下たちはどうなった!」
「穴に落ちたままだ」
別の近衛騎士が話に入ってくる。治療を終えたらしいヘレワードだった。
「先程私も覗きにいったが、かなりの深さだった。生きておられればよいのだが」
「ヘレワード様も部屋に入られたのですか? 神像は」
「神像はもう動かん。どういう仕組なのかはわからんが、座り込んでピクリともしなかった。襲っては来なかったよ」
メアウェンの体に力が戻ってきたようだ。立ち上がり、装備を確かめる。
革で作られた部分は傷こそあれど、破れている箇所は無いようだ。肩当てや胸当てなどの金属板が使われているところはひしゃげてしまい、変形部分が体を圧迫している。動きづらいので、メアウェンはそれらを外していった。
最後に床に置かれていた愛刀を掴み、鞘に差し込む。
「教皇聖下をお助けしなければ」
「ああ、そこも含めて陛下のご判断を賜ろう。一緒に来てくれ」
メアウェンとヘレワードは少し離れた場所にいる、国王たちのもとへと向かった。
「陛下」
メアウェンは跪き、国王に声をかける。
「おお、メアウェンよ。傷は大事ないか?」
「は、近衛騎士たちが治療をしてくれましたので」
「そうか。聖騎士たちは駄目だったと聞いたのでな。心配しておったのだ。そなたが無事で良かったぞ」
「ありがとうございます」
「して、陛下、この後のことですが」
ヘレワードが発言する。
「レオフ聖下がおられぬ以上、第二の間の扉は開かぬ。このままでは大聖祭の肝である慰霊の儀は進められぬな。レオフ聖下を助け出さねばならん」
「は、しかし、かの穴はかなり深うございます。陛下をここに残し我らが降りるとしても、陛下のご安全に十分な配慮ができません。ここは一度陛下にはお戻りいただきたく」
「ヘレワードよ。このような状況で余だけ地上に戻るわけにはいかぬ。行方不明の聖下を残し余だけ安全な地上に戻ったのでは、批判のいい的だ。反教皇派に付け入る隙を与えるわけにはいかん」
「しかし」
「穴に落下……下か」
反論しようとしたヘレワードを手で制し、国王が何かを呟く。虚を突かれたヘレワードは続く言葉を飲み込んだ。
「代々の国王にのみ伝えられるあの伝承が役に立つかもしれぬ。幸いにもここは第一の間と第二の間の狭間の通路だったな。ヘレワード、部下を連れてついて参れ。メアウェンもな」
そう言うと、国王アーブリスⅡ世は通路を第一の間の方向へ歩き出した。
ヘレワードたちは慌てて、部下を集め国王の後を追う。
「陛下、どこに行かれるのです」
ウォーデンブラウン公爵が国王を追いかけながら尋ねた。
「ここ、アウレクス霊廟は我が祖先である建国王アウレクスの、まあいわば墓なのだが、ただの墓ではないのだ」
話しながら国王は右手の壁をずっと見ている。
「ああ、ここだ」
唐突に立ち止まると、壁に沿って建つ柱と柱の間に国王は手を当てた。
「この霊廟はな、はるか地下にある神殿を隠すための蓋なのだ。本当に重要なのは霊廟ではなく、その下の神殿なのだよ」
何に反応したのか、壁に四角く光の筋が走り、その内側が奥へと引き込まれていく。重い石がこすれる音がごごごご、と響いた。
「国王には神殿の事実とそこへ至る道の情報が伝えられてきた。まあ、こうして試してみた者はほとんどおらぬだろうがな」
近衛騎士の一人が灯の魔法具を持ち、壁に生まれた通路に入ってみる。
「下り階段があります!」
「神殿が霊廟の真下にあるのかは知らぬが、聖下たちが下に落下したというのなら神殿にたどり着いている可能性は高いだろう」
「は、では、ここは我々が行って参ります。陛下はやはり地上へ」とヘレワード。
「まだこの先にも隠し扉はある。余がおらねばそこは開かぬぞ?」
「む、そうですか……ならば、致し方ありませんな」
進むためには国王の同行が必須と知り、ヘレワードは仕方なく意見を取り下げた。
「先鋒は私にやらせてください。先程の不覚を取り戻したい」
メアウェンがヘレワードに申し出る。自分の部下であり、家族であるウィルたちの安否が気になって仕方がなかった。彼女には珍しく気が急いていたのだ。
「いいだろう。ならば殿は私が務める。近衛騎士たちよ、陛下と閣下を中央に戴きお守りするのだ」
急遽決められた隊列を組み、メアウェンたちは長く先の見えない階段を慎重に降っていった。
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