第35話 彷徨のエルフ
リンの足に伸び切った雑草がざわざわと触れる。
足を取られないように慎重に、しかしできる限りの速さで標的の元へ走った。
リンの前方に薄く光る人影が見える。敵で唯一人型を維持している穢れた霊だ。霊はキョロキョロと周りを見回している。何かを探しているのだろうか。
穢れた霊は言ってしまえばただの死霊だ。人やその他の生き物は死後、正霊となるが、恨みや悲しみ、後悔など負の感情を残していたり、正しく葬られなかった場合は稀に穢れた霊となる。現世への未練にすがりつき、その姿のままさまよう霊となるのだ。基本的には放っておいてもいつの間にか消滅してしまうものだが、稀に亡霊や、怨霊といった危険な存在に変異する者がいる。
リンは腰からショートソードを引き抜き、魔剣術を使って剣に魔力を通した。剣を右下段に構え、穢れた霊に突っ込んでいく。
「やああああああ!」
リンの気合の声にも穢れた霊は反応せず、いまだ周りを見回し続けていた。
ここまで近づくと顔立ちもかなりはっきり見えてくる。穢れた霊の長い耳が見える。確かにエルフのようだ。
『リン、リンヴァリエル――どこにいるの! お願い、返事をして!』
エルフの女性の姿をした穢れた霊は誰かを探し続けている。
リンによく似た美しい顔立ち、リンと同じ金色の髪、それは六年前の記憶から変わらない、リンのよく知る人物のものだった。
「そんな……、姉……さ、ま……」
リンは剣を振ることも忘れ、思わず立ち尽くす。
穢れた霊は六年前、盗賊の襲撃のあと行方不明になっていたリンの姉、ルーセリエンだった。
六年前のあの日、リンは襲撃してきた盗賊に捕らえられ、連れ去られた。吐き気がするような獣臭を発する盗賊の腕に抱えられ、まだ抵抗を続けるキャラバンの面々と盗賊たちの戦いの音が遠ざかっていく中聞こえた、姉の最後の言葉が――
『リン、リンヴァリエル――どこにいるの! お願い、返事をして!』
ルーセリエンは目の前のリンに目もくれず、同じ言葉を繰り返す。あの時からずっとリンを探し続けていたのか。事件の後、傭兵騎士団の捜査で、姉の遺体が見つからなかったことにリンは安堵していた。両親ともに亡くしたセオルの手前、あまり表に出すことはなかったが、リンは姉の生存を信じ、いつか再会することを夢見てここまでやってきた。
しかし、眼の前に立つ穢れた霊はリンに残酷な事実を突きつけていた。
「姉さま……、亡くなっていたなんて……」
受け入れがたい現実に押しつぶされそうになっているリンを見ることもなく、穢れた霊は叫び続ける。
『リン、リンヴァリエル――どこにいるの! お願い、返事をして!』
たまらなくなったリンは思わず穢れた霊に声をかけた。
「姉さま! ルーシェン姉さま! 私よ! リンヴァリエルよ! 私ここにいるわ! ねえ、ルーシェン姉さま!」
しかし、聞こえていないのかルーセリエンは目の前のリンに反応しない。あたりを見渡しながら、最後の言葉を繰り返していた。
「!」
リンの周りに亡霊たちが現れた。三体が様子をうかがうようにリンから少し離れた位置に浮かんでいる。亡霊たちは小刻みに揺れだす。攻撃を行う予兆か。
「邪魔をしないで」
姉の姿に衝撃をうけているリンにつけ込むように現れた亡霊たちに、リンはショートソードを突きつけ牽制する。
亡霊たちの揺れが激しくなり、リンが盾魔法を準備した時、亡霊の一体を背後から触手が貫き、そのままかき回して霧散させた。
「リン!」
ウィルが亡霊たちの包囲に飛び込んでくる。
「大丈夫か!」
「姉さんなの!」
「何? どういうこと?」
「あの霊、私の姉さんなの!」
ウィルが振り向き、穢れた霊を見る。エルフの女性は同じ言葉をくり返し、リンを探していた。
亡霊の魔力の礫がリンを襲う。すでに展開していた盾魔法で、リンは攻撃を受け流した。
「あれが、リンの行方不明だったお姉さんってこと?」
「そう、そうなの!」
ウィルは触手の一本を亡霊に差し向けた。亡霊は貫かれる寸前に姿を消し、ウィルの眼前に再出現する。しかし、予想していたウィルは魔剣術をかけた剣で、現れた亡霊を切り裂いた。甲高い悲鳴をあげ、亡霊は離れていく。
「なんとかしなきゃ」
「なんとかって、どうするの!」
「だって、姉さまとなんて戦えないわ!」
二人は亡霊たちの攻撃をしのぎながら、ルーセリエンに目をやると、彼女が二人を見つめていることに気がついた。先程までと異なり、明らかにこちらを認識している。
『なんてことを……。盗賊め! 私の妹はやらせないわ!』
ルーセリエンの透けた体内に赤い光が瞬く。チカチカと何度か明滅するうちに、それは全体へと広がり、ルーセリエンの霊体は真っ赤な光に満ちていった。それはこれまでの仄かな光と異なり、危険な印象を与える。
ルーセリエンは口を大きく開き、何かを紡ぎ出した。音程が乗り、歌のように聞こえるそれはリンが精霊を呼び出す際の祝歌によく似ていた。
「違う! 似ているけど祝歌じゃない! でも、なんなの、これ」
柔らかい響きの祝歌と異なり、ルーセリエンの歌は硬く、心に突き刺さるような音色で響く。
ルーセリエンの周囲を渦巻く魔力がやがて水滴の形を取る。水の輪がルーセリエンの周りをぐるぐると回転すると、一気にルーセリエンの体内に凝縮した。そして、二人もよく知っている一体の精霊が現れる。
ウンディーネ。これまで何度もリンを助けてくれた水の乙女が二人を睨みつけている。その体はリンが召喚したときとは異なり、どす黒く濁った汚水で構成されていた。
『さあ、おぞましい盗賊たち。私が倒してあげるわ! 私のリンをやらせはしない!』
ルーセリエンが右手を高く掲げる。そして二人に向かって振り下ろすと、ウンディーネがウィルとリンに襲いかかった。
◇
フェイは後ろに飛び退った。寸前までフェイのいた場所が爪によってえぐられる。土塊が舞い上がりフェイに降り掛かった。フェイはさらに後退しながら左手から魔力の散礫を放つ。放たれた散弾が怨霊の腕の一本を吹き飛ばした。
怨霊は一瞬で距離を詰め、腕の一本でフェイに斬りかかった。フェイは右手のショートソードで受け止める。別の手がさらに斬りかかり、フェイはまた自ら跳び距離を取った。
先程吹き飛ばした怨霊の腕が、じゅくじゅくと音を立て、再生していく。
四本の腕をカッと開き、怨霊は笑うように震えた。
フェイは前に飛び出し距離を詰める。怨霊の腕をかいくぐり、ショートソードを本体に叩きつけようとするが、四本の腕はなかなか通らせてくれない。
「面倒なやつだね」
フェイは一度下がり、怨霊から距離を取る。怨霊は四本の腕をわきわきと動かし、威嚇のような挑発のような動作をしている。
フェイの口から歌が奏でられる。祝歌に誘われ姿を現したのは身体から炎を吹き上げる一体の大きなトカゲだった。顕現した炎の獣サラマンダーは怨霊に向かって長い舌を伸ばす。空中を走る炎の道が怨霊に迫る。怨霊はそれを嫌がるようにサラマンダーから遠ざかった。炎そのものはおそらく効果がないが、その輝く光を嫌ったようだ。
怨霊が舌の到達範囲から逃れ、フェイに向かって飛翔しようとした瞬間、魔力の散礫が着弾する。それはあらかじめ怨霊の移動場所を予測し放っていたフェイのものだった。
怨霊の霊体が少し欠け、歪な形の本体がさらに歪になっている。欠けた霊体が少しずつ盛り上がり再生されていく。
サラマンダーは長い松明とも言える舌を振り回し、怨霊を牽制し始めた。怨霊が移動する方向を追いかけるようにサラマンダーの舌が伸びていく。
フェイも怨霊の行動を予測し、魔力の散礫を放っていくが、瞬間移動も交えつつ、舌から逃げる怨霊になかなか命中を取れずにいた。
(これじゃ埒が明かないね。当たっても再生されるんじゃねえ。さて、どうしたものか――)
フェイの祝歌の旋律が少し変わる。サラマンダーがそれに呼応するかのように小さな火球を飛ばし始めた。火球は直接怨霊に向かうわけではなく、広い荒れ地のあちこちにとどまり、街灯のように周囲を照らし出した。
フェイは魔力の散礫の行使を止め、大きな魔力を練り始める。
サラマンダーの舌が怨霊を追い続けている。逃げる怨霊は前方に火球の明かりを認めると、角度を変え暗がりへと移動し続けた。追いすがる輝く舌と進路に現れ続ける火球の明かりによって恐慌に陥り、瞬間移動に移ることも忘れているようだ。
怨霊は何度目かの前方を遮る火球に気づき、進路を変える。しかし、その先にも火球が立ちはだかっていた。怨霊が見渡すと、周囲は全て火球によって塞がれていた。最早逃げる先はない。唯一、火球のない後方からサラマンダーの輝く舌が迫ってくる。怨霊は火球と舌によって完全に包囲されてしまっていた。
(よし!)
フェイの魔力は練り上げられ、高濃度の魔力の塊が九つ現れる。落陽九矢、フェイの持つ魔法の中で最大火力を誇る。螺旋回転をしながら飛ぶ魔力の矢は超長距離からの狙撃を可能にし、その威力は強力な魔物の身体にさえ大穴を穿つという魔力矢系統の最上級魔法だ。
フェイの前に浮かぶ魔力の弾体が回転を始める。回転は次第にその速度を増し、九つの弾体は一つに収束していく。弾体に込められた魔力と回転が最高潮に達し、フェイは狙いを怨霊に定める。
怨霊は輝く舌ににじり寄られ、おろおろと動き回っている。
突然、怨霊は小刻みに震え始め、リリリと不気味な音を発し始めた。体内に赤い光が閃き、瞬く間に怨霊の霊体を赤く染めていく。
怨霊がゆっくりとフェイのほうを振り向く。目の無い怨霊からの視線をフェイは感じた。怨霊がこちらを見つめている。
次の瞬間、怨霊は大きな叫び声を上げ、フェイに向かって飛び出した。火球の照らす光の中を突っ切り、怨霊は飛翔する。光によって怨霊の霊体は灼かれ、煙が立ち昇る。勢いで光に照らされた空間を抜けると、フェイに向かって突進する。フェイの魔法に気づいたのか、右に左に瞬間移動を繰り返し、狙いを定めさせない。
「くッ!」
フェイに怨霊が迫る。四本の腕についた鋭利な二十の爪がフェイを切り裂く寸前、フェイの脇を抜け、飛び出す影があった。
「たああああああ!」
魔力を纏い、淡く輝くフローラの拳が怨霊を打ちつける。その衝撃に怨霊はのけぞり、突進が止まった。
フェイはその隙を見逃さない。
高速回転を続ける落陽九矢は一気に怨霊に向かって飛び出した。弾体に切り裂かれた空気が轟音を立てる。迫りくる落陽九矢に態勢を崩した怨霊は避けることができない。
弾体は怨霊の中心に命中し、そのまま霊体内を通り抜ける。そのあまりの威力に怨霊の霊体は爆発したように弾け飛び、そのまま霧散していった。
「すまないね、助かったよ」
祝歌の歌唱を止め、サラマンダーを解放すると、フェイはフローラに礼を言った。
「大丈夫だった?」
「ああ、ありがとね」
フェイはあたりを見回す。他に亡霊たちは見当たらない。遠くで渦巻く大きな魔力が見える。ウィルとリンが何かと戦っているようだ。
「あれは――」
フローラも同じものを見つけたようだ。
「まずいね。精霊を喚び始めているみたいだ。フローラ、加勢にいくよ」
「はい!」
二人は新たな戦いの場に向かって走り出した。
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