第36話 リンの姉
暗い農地の向こう、はるか遠くに小さな明かりが見える。村の入口の松明だろう。さざめきとともに風に煽られた麦の穂が頭を垂れ、波となってウィルたちを巻き込んで通り過ぎた。吹き付ける風がリンの金髪を弄び、虚空に持ち上げる。
「セオルの作戦どおりに! 三人は攻撃を加えて、祝歌の時間を稼いでくれ!」
リンの傍らに立つウィルが仲間たちに声をかける。ウィルとリンを除く三人が少し振り返り頷いた。
リンの上位精霊召喚に賭けることにした面々は、話し合って決めた配置に従って位置取りをしている。
前衛は右からフェイ、フローラ。少し下がった位置にセオルが立ち、その後方、少し離れた位置にリンとウィルが立っている。
「作戦開始だ!」
ウィルの号令とともにフェイとフローラが飛び出す。暗き霊威に走り寄る二人の間をセオルが放った魔力矢が追い抜いていった。
魔力矢は暗き霊威の胸元に吸い込まれていく。しかし、暗き霊威がうるさそうに右手を一振りすると、弾体は砕かれ霧散した。
一瞬遅れて、フローラの右拳が暗き霊威を取り巻く黒い渦に叩きつけられる。拳に纏われたフローラの魔力が渦の一部を削り取る。暗き霊威は振り上げた右手をフローラに向けると、衝撃波を撃ち放つ。フローラはくるりと回転すると、左足を振り上げかかとをそれに合わせるように叩きつける。フローラの足を覆う魔力と、衝撃波の魔力が反発し合いバチィと音を立てる。フローラはその力を利用し、宙返りしながら大きく後ろに跳んだ。
「でえええい!」
フェイのショートソードが暗き霊威に迫る。魔力を帯びた刃は暗き霊威の長く伸びた爪と打ち合い火花を散らす。二度三度打ち合うが、刃が霊体に届かせることができない。
突然、暗き霊威が大きく口を開けて、フェイに向かって叫び声をあげる。声には魔力が乗り、物理的な圧力となってフェイを吹き飛ばした。しかし、フェイはすぐさま起き上がり、セオルの魔力矢と連携をとりつつ、暗き霊威に飛びかかっていった。
「始めよう。リン」
フェイたちの戦いを遠目に見ながらウィルがリンの肩に手を置く。頷いたリンは魔力を集中させた。
「サルゴ、サルゴ、シル、フェリャス・ウルルオ・エリゲ・マンドゥ」
リンの周囲の魔力がざわめき、ぼんやりと光を放つ。
リンの口から紡がれるのは、光の上位精霊、暁天の御子ソルに捧げる祝歌だ。
ソルに限らず上位精霊は誰でも召喚できるわけではない。練習すればエルフなら誰でも召喚できる四大精霊と違い、どれほどの実力があっても召喚できない上位精霊は召喚できない。
精霊召喚の高い技術を持つフェイであっても、疾風の王ヴァーユ、終末の焔スルト以外の上位精霊は召喚できなかった。
原因は個々人の適性とも、属性によるとも言われているが、正確なところはわかっていない。
リンはこれまで何度かソルの召喚に挑戦してきたが、今まで一度も成功したことはなかった。これが、適正によるものなのか、実力不足によるものなのかはわからなかった。
「オント・ヴィス・ナルル・オスト・トノブル、ノク・ルトロ・ロコト」
リンの祝歌に反応する魔力の範囲が広がっていく。数十メートルにわたる魔力が淡く光り、次第にリンに流れ込んでいった。
祝歌を歌うリンの眉根に深い亀裂が刻まれ、額から汗が流れる。もともとリンが持つ魔力と周囲から流れ込む魔力が合流し、体内を渦巻いているのだ。今やリンの体内の魔力量は普段の数倍以上の規模になっていた。
雑草が震えている。魔力の流入が増えるにつれ、振動が大きくなっていっているようだ。
「大丈夫、落ち着いて」
ウィルがリンに声を掛ける。ウィルもだんだんと魔力を活性化し、リンの魔力制御に介入していく。
すでにリンの体内の魔力は暴風とも言えるような流れになっていた。
(!)
しかし、リンはなんとか制御できていた。ウィルはリンの魔力制御の弱い部分を探して補強していく。
「カルラス・タアス・ドーム・トゥトゥム・ポルカルレ……ト」
魔力の流入の速度が一段と激しくなる。流れに煽られ、周囲の雑草が大きく葉を揺らしている。
「がんばれ、リン」
励ますウィルの表情も苦しそうなものに変わっていた。リンの筋肉が固く緊張しているのが手から伝わり、力が入っているのがわかった。
「ノ……・クル……オ・スプリ……ディ……」
体内で暴れる魔力に必死に耐えながら、リンは祝歌を紡ぎ出している。
リンの身体がほのかに光りだすと、段々と輝きを増していく。
「眩し――」
あまりの光量に直視できなくなってきたウィルが目を細めたとき、リンの輝きは上下から腰のあたりに集束し、大きな輪となってリンの周囲に飛び出した。
「うわあっ!」
展開する光輪がリンの背後にいたウィルを弾き飛ばす。身構えていなかったウィルは数メートル後方へ飛ばされ、なんとか受け身をとった。
高速回転していると思しき光輪が上下左右に揺れ出し、残像によって厚みのように見える。
「まずい!」
ウィルは起き上がるとリンに向かって走り出す。ウィルの補助がなくなり、魔力の制御が外れそうになっている。
ウィルはリンのもとへ駆けつけると下からくぐるように輪の中に入り込む。リンの肩に手を置き、制御の補助を再開する。
(これは――)
リンの内部は今まで感じたこともない規模の魔力が渦巻いていた。必死に流れを制御しようとするリンを感じるが、かなり分が悪そうな状況だ。荒れ狂う魔力はリンの制御の手からこぼれだし、混沌の兆しが見えている。
ここまでのものとは……。上位精霊がどれほどのものなのかを肌で感じながら、ウィルはリンを助けるべく魔力制御を始める。すでに溢れ出している箇所を見つけては手を当てていく。
「オスピケ・ピトスト」
ウィルの補助を得て、リンの魔力制御もうまくいきだしたようだ。暴れていた光輪が落ち着いていく。
『オォオオオォォオオオォオオオオ!』
暗き霊威の絶叫が響き渡る。ウィルの目に前衛の誰かが吹き飛ばされるのが見えた。よろよろと立ち上がり、また暗き霊威に向かっていく。セオルだろうか。
前衛の三人も限界が近づいている。少しずつ受けたダメージが蓄積し、動きに影響を与えていた。
暗き霊威の振り払った腕が直撃し、フローラが弾き飛ばされる。
「フローラ!」
セオルが駆け寄り、抱きかかえて戦いの場から引き離した。ポーションを取り出し、フローラの口に含ませる。
「あ、わたし……」
衝撃で意識が飛んでいたフローラが目を開ける。
「あぁっ!」
一人残り踏ん張っていたフェイが暗き霊威に振り払われた。態勢を崩し、よろめくフェイを尻目に暗き霊威が大きくのけぞり、その開いた口に魔力を集中させ始めた。荒々しい魔力が暗き霊威の口元に大きな珠を作り出す。
『カアアアァアアアァアア!』
たまりきった魔力が一筋の光となって噴出する。破壊の力と化した光がウィルとリンめがけてひた走る。
祝歌に集中しきっているリンは完全に無防備だ。
「リン!」
ウィルはリンの肩を離すと光輪をくぐり、リンの前に飛び出すと強化盾魔法を前面に展開する。
暗き霊威の魔砲がウィルの盾魔法に激突する。
「ぐうぅッ」
強烈な圧力がウィルに押しかける。その力はウィルのかかとを地面にめり込ませた。
「ラドエ……・トェ……・ス……プロン……デデ……」
「リン!」
振り返るとリンの身体がガタガタと震えていた。周囲を回る光輪もすでに暴れ出し残像が複雑な軌跡を描いている。ウィルの補助が外れ、リンは強烈な魔力の流れに翻弄されていた。
「リン!」
魔砲の圧力に抗いながら、再びリンに声をかける。すでにリンの意識はトランス状態に陥り、ウィルの声は聞こえていない。
光輪の乱れがさらに激しくなっていく。上下左右にも揺れだし、今にも吹き飛びそうだ。
「リィィィン!」
ウィルの身体に紋様が現れ、魔力の触手が背中から飛び出す。四本の触手は光輪を下からくぐるように進むとリン両手足に絡みついた。そのままリンの体を空中に持ち上げる。
いまやウィルの頭はフル回転していた。暗き霊威の魔砲を受け止めつつ、触手を通してリンの魔力制御のサポートも並行して行う。どちらも一つでも間違えば待っているのは破滅だ。
リンの両目が大きく開かれる。そこには意思の光が宿り、ウィルへの感謝の念がこもる。
「オムノム・マンダム・エルルストル」
リンが最後の節を歌いきる。光輪が四重に分かれ、それぞれ異なる軸で回転を始める。各々の残像で球のようになった光輪がリンを残し、上空に昇っていく。
一定の高度で光球が止まると中心部から輝きが漏れ出し、じわじわとなにかの形を取っていく。四つの光輪は輝きの前方に移動し四頭の馬の形に変化した。輝きと光輪は四頭立ての二輪戦車となり、その御者台には二人の半裸の男性が搭乗していた。光の上位精霊であり、太陽神でもあるソル・インディゲスとソル・インウィクトゥスだ。
ソル・インディゲスが手綱を打ち鳴らすと、二輪戦車が駆け出した。光の軌跡が砂煙のようにあとに残されていく。ソルの二輪戦車は速度と輝きを増し、農場を昼間のように照らし出した。
『ヤメロォオォォオオ』
太陽神の輝きに照らし出された暗き霊威が嘆きの叫びを上げた。眩しさを避けるため両腕を顔の前に掲げる。その腕から煙が立ちのぼるように黒い影のようなものが湧き出てくる。強すぎるソルの光が暗き霊威の負の力を浄化しているのだ。
「効いてる! これなら行けそうだ!」
セオルが快哉を叫ぶ。
ウィルはリンを降ろし、触手をほどいた。
『キイィィィイイイイイイィイ』
光の力に耐えかねた暗き霊威がその効果が及ばない暗がりに向かって逃走を始める。
「逃げるぞ!」
フェイの声が響く。リンはソルに追撃させるが、射程にも限度がある。祝歌発動中はそれほど自由に動けないため、あまり離れられてしまうと、そのまま逃がすおそれが出てくる。
「させるか!」
ウィルが暗き霊威を追いかける。走りながら触手を全力で伸ばし、暗き霊威に絡み付ける。四本の触手は迎え撃つ長爪をかいくぐり、暗き霊威の四肢に絡みついた。触手が万力のような力で暗き霊威を締め上げる。
暗き霊威はそれでもなお、逃げようとするがウィルは腰を落とし、引きずられないように踏ん張っている。
「リン! 今のうちだ!」
ウィルの声にリンが頷く。リンはソルに祈りをこめて祝歌を歌った。
ソルの戦車が光の後塵を残し、暗き霊威に迫る。ソルは数メートルの位置まで近づくと、暗き霊威の周りをぐるぐると回り始めた。
ソルの戦車は周回を重ねるごとに速度を増す。戦車の残像に本体が追いつき、一本の光の輪のようになっていった。輪の放つ光に全方位から炙られ、暗き霊威の負の力が抜かれていく。
『アァァアアァアアぁあああああっ』
暗き霊威の断末魔のような叫びが轟くと、ソルは輪の軌跡を外れ一気に天に向かって駆け上がった。戦車が遥か上空に達するとまさに太陽のように輝きを放ち、そこから真っ逆さまに急降下を始めた。天から降る流星のごとく、暗き霊威目がけて戦車はひた走る。暁天の御子ソルの二輪戦車は光の柱を形成しながら暗き霊威に激突した。
強烈な光が爆発のように周囲に広がる。ウィルたちはそのあまりの光量に目を開けていられず、思わず腕で目を隠す。
どれほどの時間が経ったか誰もわからない中、光が収まると周囲に夜の闇が戻ってきた。ソルはすでに召喚を解かれ、姿を消していた。そして、暗き霊威がいた場所には、天を仰ぐ一体の霊が佇んでいた。
すでに浄化されきったのか、悪しき気配はなく、清浄な雰囲気が漂っている。正霊に戻ったようだ。霊は振り返るとある方向へ視線を投げかける。それは、大仕事を終え、肩で息をするリンに注がれていた。
『リン』
霊の優しい声が響く。霊=ルーセリエンは宙を滑るように移動するとリンのもとにたどり着いた。
「姉……さま」
『大きくなったわね』
「姉さま!」
記憶にある通りの優しい姉の瞳を認め、リンは膝をつく。ルーセリエンはかがみ込み、リンを優しく包むように抱きしめた。本来、生者は霊体に触れることは叶わぬはずだが不思議とリンには姉の腕の感触を感じた。
『こんなに立派になって。苦労したのね』
「ね……えさ……ま……」
リンが泣いている。必ずまた会えると信じた姉の腕に抱かれ、声をあげて泣いている。
子供のように声を上げて泣くリンの頭をルーセリエンは優しく撫でていた。
『あれから随分と時が経ってしまったのね。ごめんね、リン。あなたを一人にしてしまって』
「ううん。私こそ――私だけ助かって……ごめんなさい。私があの時もっと力があれば――」
『何を言っているの。あの時まだあなたはとても小さかったじゃない。あなたが責任を感じることではないのよ』
「姉さま……」
『私はあなたが無事でいてくれることが一番の望みだったの。生きていてくれてありがとう、リン。これからもあなたに苦労をかけてしまうことは後悔だけど、あなたが無事でいる、その事実は私にとって救いなの』
「姉さま、私、一人じゃないよ。ここにいるウィルやセオル、フローラにフェイ、王都には私を引き取ってくれたメアもいる。私、大丈夫だよ」
『そう。心配ないのね』
ルーセリエンがにっこりと微笑む。その目尻には涙の珠が浮かんでいた。それはきっと、安心と喜びの涙だろう。
「あのね、姉さま」
リンはこれまでにあったことを喋り続けた。ウィルとセオルと出会ったこと、メアが助けてくれたこと、傭兵騎士団に世話になっていること、フローラと友だちになったこと、王都のお菓子が美味しいこと、優しい人たちに助けられて生きていること。
ルーセリエンは笑ったり驚いたりしながらリンの話を聞いていた。いつしか東の空が白みはじめ、朝の空気が四人と一体を包んでいた。
『リン、そろそろいかないといけないわ』
「そんな、姉さま」
『あなたには仲間がいる。新しい家族もいる。幸せになってね、リン』
ルーセリエンは立ち上がり、もう一人のエルフの方を向いた。
『リンのことお願いね。フェイ』
「ああ、任せな。あとはやっとくから安心していいよ」
ルーセリエンは満足そうに頷くと、農地の西にある森を指さし、霧が晴れるように薄れていく。
「姉さま! 待って姉さま」
『さようなら、私の愛するリン』
最後に別れの言葉を残し、リンの姉、ルーセリエンは消えていった。
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