表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
97/122

97 紫苑の進路変更

 月曜日の夜、自己採点が終わった紫苑(しおん)は、思ったほどの成績が出ずに、頭を抱えてしまった。更紗と比べても、かなり低い点数だった。


「鈴音姉ちゃん、どうしよう。これじゃ、信州大学の工学部は無理だ。浪人するか、大学を変えるか、学部を変えるか」

紫苑は、鈴音のマンションを訪ねて進路相談をした。祖父母や親から、心配されたり、色々口出しされると、冷静な判断が出来ないからだ。

「まだ、全国集計の結果が出ていないけれど、この点数は厳しいね」

鈴音は、紫苑の自己採点の結果を見て、現実はかなり厳しいことを感じた。


 鈴音は、紫苑の進路選択には少し後ろめたいところがあった。更紗(さらさ)に、信州大学に勧めたために、紫苑が自分の本当にやりたい分野を深く考えずに、更紗と同じ信州大学を選んでしまったからだ。多分更紗は、信州大学に合格するが、紫苑は信州大学に(こだわ)る限り合格の目はない。


「田中先生と考えていた候補があるんだけれど、どれを選んでいいか分からない」

進学主任だった田中先生がいないことが、本当に痛かった。

「何校あるの?」

「3校」

1つ目の選択肢は、信州大学教育学部。どうしても信州大学に行きたい場合の究極の選択だ。

(工学部よりは入りやすいけれど、紫苑はそもそも、教育学部に興味がないんだよねぇ)


 2つ目は、千葉大学園芸学部。自宅から通えるので、もしこの選択肢を出したら、英子達は諸手を挙げて、賛成するはずである。

(確かに、未来TEC社でも、食糧増産計画が始まれば、園芸学部出身者のニーズはある。兎に角、我が家としては有り難い選択肢だが、家の畑を手伝ったこともない紫苑に、園芸学部は務まるかしら?)


 3つ目の大学は、新潟県長岡市にある工業系の大学だ。環境社会基盤工学分野は、紫苑が考えていた分野に一番近い。それに、この大学は企業との連携が強く、就職率も高いことが特徴だ。ただし、学生宿舎は2年生までしか入れない。

(多分、田中先生は、この学校を本命と考えたんだろうな。学費は被災者として免除を申請すれば通るかも知れないけれど、生活費までは出せないかも。家にはもうそこまでのお金はないし・・・)



「選べない理由は、どこにあるのかな?」

「信州大学には行きたいけれど、教育学部に興味はない。園芸にも興味はない。最後の長岡技術科学大学は、バイトをしても生活費がでるかな?家からは仕送りはないんでしょ?」

(一応、紫苑も学校については、調べてあるんだね)

「じゃあ、行きたいのは、長岡技術科学大学だから、そこに入るための、お金の算段をしようか?」


 鈴音は紫苑にも甘い。金の心配は後回しにさせて、勉強に専念させようと考えた。


「借金するの?」

「紫苑が後で返すんだよ。まずは、合格するために勉強しないと、前期試験は長岡、後期は千葉を受けよう。個別試験の科目も前期は数学と理科、後期は数学だから。勉強する科目に大きな負担はないね」


 道筋を決めて貰えば、紫苑も冷静さを取り戻せる。早速、各大学の受験要項を取り寄せる手続きを始めた。届け先は、鈴音のマンションにした。

手続きが終わると、紫苑は自宅のあるマンションに戻っていった。


 紫苑を見送ると、鈴音は銀河に電話を入れた。



「何?姉ちゃん?」

鈴音は、銀河に紫苑の話をした。

「やっぱり、共通テスト駄目だったか」

「やっぱりって?」

「紫苑って、本番に弱いタイプなんだよな。バドミントンの個人戦でも、決勝でいつもビビって、1位になれなかった」

「困ったね。それじゃあ、個別試験も力が出せないの?」

「まあ、長岡技術科学大学なら、受かるんじゃないか?紫苑は理系科目は得意だから。で?姉ちゃん、俺に電話したのは何?」


 鈴音は弟の勘の良さに脱帽した。

「銀河はさ、未来TECにプールしてある金があるでしょ?それを紫苑に貸して欲しいんだ。今年1年分の大学費用はあるんだけれど、来年からの生活費分の金が自宅にはない。頼むよ、貸してやって」


非常に冷たい声が、少し間を置いて聞こえてきた。

「そう言うことね。俺の大学の金は出せないけれど、兄の大学の金は俺から(しぼ)り取るんだ」

「これは、親からの頼みでも、紫苑からの頼みでもないよ。私からの頼みだ」

「姉ちゃんも紫苑に甘いんだ。駄目なら、浪人させればいいし、高卒で働いてもいいのに。それにさ。紫苑は、俺から借りた金は踏み倒すかも知れないよ」

確かに、今の紫苑なら、グズグズ言って、大学卒業後も返済を渋りそうである。


 そこまで、悪態をついて、借金を断ろうとした銀河は、蒔絵と目が合った。蒔絵が目で懇願してくる。銀河は大きくため息をついた。

「じゃさ。合格したら、紫苑に、金のなる木を1本貸してやるっていうのはどうかな?」

「え?あんたの開発したアプリの権利を1つ貸してくれるの?」

「そう。『思い出ポスト』の権利を貸す。そして、卒業後に返して貰う。在学中に、アプリで稼いだ金は、紫苑が自由に使っていいっていうのはどう?」


「まあ、あのアプリ、メンテナンスが面倒くさいんだ。そろそろ、未来TECにそのまま売ろう思っていたから、ちょうどいい。メンテナンスや事業展開によっては、結構、金は入ると思うんだよな。集まった写真を綺麗なアルバムにして郵送するとか、もっと広い範囲で販売するとか色々出来ると思うよ」

「でも、肖像権の問題や、地理情報の入力の手間があるよね」。

「その辺は工学部なんだから、教授に相談すればいいし、仲間の手を借りてもいいじゃないか。2年目以降の生活費をそこで稼ごうと思えば必死になるさ」


 鈴音は暫く考えた。長男として甘やかされた紫苑には、ちょうどいい試練かも知れない。

「ありがとう。じゃあ、『思い出ポスト』を貸してやって。紫苑が合格したら、収入が、紫苑の通帳に落ちるように、こっちで手続きするよ」


「オッケー。楽しみだな。紫苑があたふたするのを見るの」

「そう言わないで、紫苑に、勉強の機会を与えてくれてありがとう」


 電話が終わると、蒔絵が銀河の後ろから、「よく出来ました」と言って、頭を撫でた。

「俺、絶対、紫苑に手にあまると思うんだけれど」

「そうだね。自分が作ったアプリじゃないし、紫苑には大変だと思う。でもね、銀河の大変さを知らないと、紫苑はこれからずっと、銀河にお金を借り続けることになるよね」

「そうすると、更紗も困るかぁ」

蒔絵は、銀河の頭から手を離した。


「どうかなぁ?違う大学に行って4年間、あの2人は今の関係を続けられるかな?」

「俺は蒔絵と、もしも離れたとしても大丈夫だよ!離れたくないけれど」

そうやって、ふざけて銀河が抱きつこうとすると、蒔絵はするりと逃げ出し、ベッドから飛び降りたが、足を踏み外して転げ落ちてしまった。


「蒔絵?大丈夫?すごい音がしたけれど」

「えへへ。失敗した。つっ」

蒔絵が急にお腹を抱えてうずくまった。

「大丈夫」

「平気、平気、ちょっとトイレに行くね」


 そう言って蒔絵は、いつものように、ひょいっと立ち上がって、トイレに駆け込んだ。

そして、暫く出て来なかった。

「蒔絵?」

トイレのドアが少し開いて、蒔絵が顔をのぞかせた。

「銀河。出血している・・・」



 動揺した2人は、慌てて絹子に電話をした。

「えー?ふざけてこけた?出血?どのくらい?ちょっとだったら、明日、産婦人科に行くからその時、調べて貰えばいいわよ」

「でも、お母さん。流産するかも」

蒔絵はもう泣き出してしまっていた。

「大丈夫だから泣かないで。今晩は、ゆっくり寝なさい。私、明日半休取ってあるから、明日8時にMT百葉駅の改札で集合だからね」


 絹子に軽くあしらわれて、蒔絵はスマホを置いた。それでも、3人の子持の絹子に「大丈夫」と言われると安心するものだ。

銀河は、自分も狼狽(うろた)えたことを反省した。蒔絵のことを考えたら、自分が冷静でいなければならなかったはずだ。

 

 銀河はベッドで手を広げた。

「おいで、蒔絵。明日、寝坊しないように早く寝よう」

 銀河は、この後の勉強をすべて放り出して、寝ることにした。

ぐすぐすと泣いていた蒔絵は、しだいにしずかになって、銀河の腕の中で、猫のように丸まって寝息を立て始めた。


(子供が生まれたら、こんな風に2人で抱き合って、寝ることは出来なくなるんだな)

銀河は蒔絵の背中を、長い間ゆっくりとさすり続けた。

またもや、大学名を具体的に書いてしまいました。どの大学も学部も、素晴らしい研究や教育をしているので、上下はないのですが、まあ、成績で輪切りされて、入学者は選ばれるのでしょうがないことですよね。今後少子化を迎えて、大学は色々淘汰されるでしょうが、この物語の舞台の、今から5年後に何が起こっているかは、分かりません。(学校名ぼかすと、イニシャルばかりで、区別がつかなくなるので、実際の学校名を使わせて貰いました)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ