表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/92

9 田邊先生は手ぶらだった

高校時代の同期と、同じ職場になった人達を知っていますが、結構楽しそうですよね。

 入学式の翌日は土曜日だった。銀河の祖父、銀次は、祖母の見舞いにいそいそと出かけて行った。自宅にいると双子の面倒を見なければならないからだ。祖母の英子(えいこ)も手術を前に不安だろうと、菱巻家の家族からは銀次の脱出に、反対の声は上がらなかった。


 母の茉莉(まり)は、隣町まで1週間分の買い物に出かけていった。銀河とのじゃんけんに勝った紫苑(しおん)が母の荷物持ちとしてついていった。という訳で、双子大好きの蒔絵(まきえ)と銀河の2人が、いつものように菱巻家に残された。



「へー。穂高(ほだか)兄ちゃんって、田邊先生の同期だったんだ。高校時代の田邊先生って、どんな感じだったんだろう」

洗濯物を干しながら、銀河は蒔絵から、担任の情報を聞きだしていた。


蒔絵は器用に、2本の哺乳瓶を持って、双子にミルクをあげていた。

「『手ぶらのヨッシー』って言われていたらしい。教科書はすべて学校に置きっぱなしで、学食で使う500円玉とシャーペン1本で、学校に来ていたって」

「宿題はどうしていたの?」

「学校ですべて終わらせていたから、教科書や問題集を持ち帰らなかったんだって」

「かっけー。じゃあ、部活の道具も持ってこないなら、帰宅部だったんだ」

「帰宅部じゃなくて、バスケット部だったらしいんだけれど。体育教官室の外に、洗濯機があるじゃない。あれで洗濯して、部室に干して帰って行ったんだって」


 銀河はスポーツタオルを肩にかけて、ミルクを飲み終わった(あい)を持ち上げ、背中を叩いた。もう、服に吐かれるのは懲りたらしい。藍は男の子らしく、ガバガバとミルクを飲んでくれるのだが、どうも空気も大量に飲み込む癖があるようだ。


「バスケット部かぁ。なんか集団生活に向かなそうなんだけれど」

「そう?奥さんは、女子バスケット部の1学年上の人みたい」


 銀河は、鮫島先生がバスケット部だったことを思いだした。

なんだか、高校時代の力関係が想像できるので、それ以上、詮索することはやめておいた。

背が高いけれど、優しい鮫島先生がいじめられていた高校時代だったのだろうと、勝手に想像したのだ。


 藍がゲップを出したので、銀河はバスタオルを広げて、茜の隣に並べた。双子はお互いの顔をじっと見つめ合っていた。


「仲良しだね」

「もしかして、お互いの区別がついていないのかも知れないな。茜は藍の指を自分の指だと思って、食べていることあるよ」

「まあ、お互い同じものを食べて成長していくから、匂いも同じだろうしね」


 銀河は、双子の隣に寝転がった。銀河の勉強机は、双子の部屋に置いてある。寝転がりながら、新入生登校日に手に入れたままの教科書をぼーっと眺めた。机の棚には、紫苑が1年の時に使った教科書が綺麗に並べられている。

「珍しいね。銀河が、買った教科書に手をつけてないなんて」

「紫苑兄ちゃんの教科書と比べたら、内容が変わらないんだ。兄ちゃんの教科書の方が書き込みもあるし、そっちを使って、俺の教科書はネットで売ろうかな?」

「だから、綺麗なまま名前も書かずにおいてあるのね。売ったお金で何するの?」

「新しいラケット買いたい。ガットを張り替えたい。シャトルももう少しいいものが欲しい・・・」

「ああ、それね。でも、例えお金が手に入っても、ラケットを買うにしても、ガットを張り替えるにしても、町のスポーツ屋さんに行かないといけないけれどね」


 バドミントンの道具は、消耗品が多い。蒔絵は、銀河の気持ちがよく分かる。パワーヒッターの2人が入部して、もう既に、バドミントン部のシャトル半分を使い切ってしまった。いくら公式戦がないとはいえ、このままでは自腹でシャトルを買わなくてはならない。

 バイトも出来ない2人は、ひとまず頭を切り替えることにした。


「明日の教科書を用意するか・・・。あれ?月曜日の授業って何だっけ。時間割は昨日配られなかったよね」

「それがさ、特進クラスは時間割を配られたらしいんだよね」


蒔絵は、翔太郎から特進クラス情報を仕入れていた。

「忘れたのか?しょうがないな。全教科持っていくしかないだろう。なにが、『手ぶらのヨッシー』だ。俺たちには荷物を強要するんだな」




 月曜日、教室に行くと、クラスメートはみんな、重たい思いをして全教科の教科書を持ってきていて、口々に不満を漏らしていた。


「おはよう」

朝のHR(SHR・ショートホームルーム)に、田邊先生は、新入生に配布する用紙がたくさんあるはずなのに、手ぶらでやってきた。

(やっぱり手ぶらだ)


蒔絵の囁きが聞こえたようで、田邊先生は肩をすくめた。

「いやいや、僕は朝から重労働をしたんですよ」

そう言って、部屋の隅の段ボール箱を指さした。その中には生徒に貸与するiPadが人数分入っていた。それを運び込むのが重労働だったと言いたいらしい。


「じゃあ、まず、1人1台ずつiPadを取ってください」

田邊先生の言うとおり、全員が初期設定を済ますと、「HR」というホルダーを開けさせた。


「朝の連絡はすべてここに入れておきました。個別の連絡は、個人メールに入れておきました」


翔太郎が声を挙げた。

「先生、時間割が入っていません」

「教科書は学校においておくのに、時間割って必要ですか?持ってきた教科書は教室の好きな棚に入れておいてください」

「先生。教科の先生が来た時、授業準備していないと怒られます」


田邊先生は暫く考えて答えた。

「1限はすべて数学か情報だから、朝、その日の時間割をお教えします。因みに今日は、2時間HRで、3時間春休みの宿題テスト。最後の1時間は部活動紹介だそうです」


翔太郎はまだ食い下がってきた。

「先生、板書してください」

「手がチョークで汚れるから、嫌です」


「だって、先生。宿題テストの時間割だって分からないじゃないですか」

田邊先生は頭を捻った。

「春休みに勉強が終わっているはずなので、もう何も勉強することはありませんよね。休み時間はしっかり休んでください」


翔太郎に同情した里帆が、助け船を出した。

「先生、校時表もありません」

「チャイムが鳴りますよ。チャイムが鳴らないなら、校時表がないと困りますが、それともチャイムを切りますか?」

ここを校舎として使うと決めた時に、Wi-Fiと放送設備は設置したので、チャイムはしっかり聞こえている。


銀河が、翔太郎の肩を叩いて慰めた。

「『郷に入りては郷に従え』だ。田邊流に体を慣らそう」



 やっと翔太郎の質問攻勢が終わったので、HRが進み出した。

「では、次にクラスの係を決めなければならないが、iPadに係を載せておいたので、希望の係にマークをつけてください。5分後に抽選します」


係の説明もなく強引なやり方だが、いつもはすったもんだして、1時間かかる係決めも終わってしまった。何故か、翔太郎が学級委員長。銀河は体育委員。蒔絵は保健委員。そして里帆は図書委員になった。


生徒は、残ったHRの時間に何をするのか。期待の表情で田邊先生の顔を見た。

校舎案内か、親交を深めるゲームか、はたまた体育館で自由に遊ぶのか・・・。

しかし、田邊先生は冷たく言い放った。

「じゃあ、数学の教科書を出してください」


 全員が、首をガクッと落とした。

「皆さんの言いたいことは分かりますが、僕は『学校は、勉強の楽しさを学ぶところだ』と考えているので」


 生徒は、しおしおとロッカーから「数学Ⅰ」と「数学A」の教科書とノートを持ってきた。


田邊先生は、ベビーベッドに一番近い、一番後ろの席まで歩いて行き、銀河の新品の教科書を取り、パラパラとめくった。

「銀河さん。どこまで勉強した?」

「数学Aは全部と、数学Ⅰはデータの分析の少し前までですか」


「そうだね。数学Aの『図形の性質』まで理解していれば、数学テストの最後の問題は簡単だね。テストの時に君たちは教科書を持っていなかったよね。

銀河さんは、お兄さんの教科書を見たのかな?」

「はい。カリキュラムは同じなので」

「じゃあ、この教科書はいらないね」

「へ?」


 田邊先生は、銀河の教科書を教室の隅に置いてあるカッターで、バラバラにして、すぐさま、ページスキャナーにかけてしまった。

「あっ。『自炊』」


「自炊」とは、自分の持っている本をスキャナーで読み取って電子書籍にすることだ。田邊先生は、銀河の持っている教科書を、次々と「自炊」してしまって、その上、他の生徒も見られるように、クラスホルダーに投げ込んでしまった。

 

 残念ながら、綺麗な教科書をネットで売って、シャトル代の足しにしようという銀河の企みは(つい)えてしまった。


「うん、iPadで見られれば、自宅に教科書を持ち帰る必要もないよね」

「因みに銀河さんは、数学のノートはどうしている?」

「学校で貰ったプリントの裏紙で」

銀河は、ノート代として貰った小遣いも、すべてバドミントンに使っている。


「そっか、僕はプリント配る気がないからね。裏紙は使えないね」

田邊先生は少し考えた。

「ノートは、iPadのメモアプリを使おう」



 そこから授業が始まった。

誰もが持っているメモアプリを使って、ノートを取る方法。

「自炊」した教科書や板書などから、必要な問題や画像を読み取りメモに貼る方法。

そして、それらを各教科のフォルダにまとめる方法。

検索用のキーワードを設定する方法など、大きなディスプレイに、自分のiPadの画面を写して、一つ一つ丁寧に教えていった。


 銀河は、鈴音が大学生の時に、iPadで授業を受けていたので、見よう見まねでいくつかの技術は知っていたが、今日新しく知った技も多かった。


LHRの最初の1時間は、iPadを使い倒す技術の説明に使われ、2時間目は実際に数学の授業をそれで行った。途中から、銀河や蒔絵達も教える側に回って、2時間目が終わる時にはクラス全員が一通りの技術を身につけた。



 LHRの最後に、田邊先生は、生徒一人一人にA4版の少し厚いノートを配布した。

「デジタルもいいんだけれど、全員に時間の最後に、この紙のノートに学んだことを書いて貰おう」


「まあ、こう学んだことを記録する学級日誌みたいなものだ。メモに文字を打ち込むのが苦手な者はこのノートを使って勉強して、時間の最後に、写メして、各教科のフォルダに投げ込もう」


 翔太郎は貰ったノートの表紙に、でかでかと「全教科ノート」と書き込んだ。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ