35 鮫島兄妹は語り合った
「マネージャー」について、偏見に満ちた記述がありますが、すべてのマネージャーがそのようなことを考えている訳ではないと言うことは承知していますが、物語の進行上、そのような表現をさせていただいたことをご了承ください。
体育祭が終わった翌日の土曜日は、珍しく鮫島兄妹が居間に揃っていた。
「良かったじゃない。軽い肉離れで。姉妹揃って膝の靱帯切ったなんて、しゃれにならないからね」
サバサバ話す更紗に、蒔絵は少し呆れたようだった。
「更紗は、そういうところ、男前だよね」
「いや、怪我を受け入れるまでに随分かかったよ。でも、蒔絵は2週間の安静でしょ?あの時無理して走っていたら、2週間じゃ済まなかったからね。銀河に感謝しないと」
蒔絵は、それでも走りたかったようだ。
「ん~。アンカーの翔太郎君はがっかりしていたでしょ、折角ならバトンを渡したかったな」
更紗は、そんな蒔絵に呆れていた。
「思い出して、蒔絵。私の膝だって、大会前に内側靱帯が部分断裂していたのを無理して大会に出たから、前十字靱帯断裂にまでなったんだよね」
蒔絵は黙ってしまった。更紗が、無理して試合に出たのは、ダブルスのパートナー、蒔絵も棄権になるからだ。
「あー。蒔絵を非難しているわけじゃないよ。出るって決めたのは私なんだから」
コーヒーを飲みながら、ボーッとNBAの試合に視線を送っていた穂高は、深いため息をついた。
「里帆は、靱帯も切った重度の捻挫だったらしいよ。一部の人間に負担が行ったのはまずかったよな。普通クラスに他の女子もいたのに、翔太郎が頼みやすいからって、仲間内で補おうとしたんだろう?そういう原因もあることはみんなで共有して、特進クラス4人の女子を一方的に非難しないようにしないとな」
蒔絵が小さい声で言った。
「あー、いじめね。でも、減点承知で化粧してくるんだから、そこも気にしないといいな」
更紗も同意した。
「そうだね。東京から来た子は、自己中の子が多いよね。向こうは人間関係が希薄なんだろうね」
話題が暗い方向に向かった時、蒔絵があることを思いだした。
「そう言えば、お兄ちゃんにも、体育祭で『モテ期』が来たみたいじゃない?」
更紗もすぐその話題に乗ってきた。
「『八海先生』のコスプレ、格好よかったね。高校3年生でも随分、穂高お兄ちゃんの写真撮っていた子いたよ」
「おいおい、写真撮影禁止だったろう?SNSに上げられると困るんだよね」
穂高は内心まんざらでもなかったが、仕事柄、困った顔をした。
そんな兄に、蒔絵が再度プッシュした。
「借り人競争で、栗橋先生もお兄ちゃんを選んだよね。意外とお似合いだったよ。あの後、何か発展はあった?」
「発展も何も『頼りになる人』って、仕事仲間なら誰でも当てはまるじゃないか。ゴールに一番近いところにいた仕事仲間が僕だったんだよ」
(だめだこりゃ)
妹2人はがっかりした顔をした。
更紗は、自分のコーヒーをお代わりするために立ち上がった。
「蒔絵、コーヒー少し残っているけれど、飲む?」
「ありがとう。アイスコーヒーだとなお嬉しい」
蒔絵をなるべく歩かせないようにするため、更紗は、蒔絵の席まで、コーヒーを持ってきた。
ソファーでゆったりと座っている穂高が、ふと思い出したように蒔絵に尋ねた。
「「借り人競争」って言えば、蒔絵はその後、何か揉めたりしたか?」
穂高はそういうところのデリカシーがなかった。ただ、蒔絵も同じ人種だった。
「揉めるって?こっちも『ずっと好きだった人って、過去形だよ』って、海里が銀河に言い訳していたよ」
「『銀河に』って、蒔絵には何か言ってこなかったの?」
蒔絵は、海里とあの後話した内容は何かないかと頭を捻ったが、思い出せなかった。スウェーデンリレーの後すぐに、医者に行ったからだ。
「私に?医者に行っちゃったから放課後は会わなかったし、あーダンスの時・・・私が海里の腕を叩いて、海里が『腕が折れた』って言って、その後、私に『腕が折れたは現在完了形』って。それぐらいしか話はしていないよ」
蒔絵のアイスコーヒーの氷がからりと音を立てた。
穂高と更紗は顔を見合わせた。更紗は少し考えて、自分の考えを言った。
「『現在完了形』って現在も継続しているって意味もあるよね。それ、蒔絵にだけ言ったの?」
「うーん。多分。銀河には聞こえてないと思う」
再度、穂高と更紗は顔を見合わせた。
「嫌だ。お兄ちゃん達、何か分かったんなら、教えて」
更紗が言葉を選びながら妹に尋ねた。
「蒔絵は、銀河と海里、どちらかしか選べないとしたらどっちを選ぶ?」
蒔絵は迷わなかった。
「銀河に決まっているじゃない」
「それは、バドミントンのパートナーじゃなくなっても?」
「『家族』みたいなもんだもん」
「その『家族』って言葉を蒔絵はよく使うけれど、銀河が蒔絵を、家族内の労働力としてしか見ていないとしたら?」
穂高が口を挟んだ。
「蒔絵は、いい嫁さんになりそうだもんな」
更紗は、穂高を睨み付けた。
「そんな考え方だから、お兄ちゃんは朋実先輩に振られたのよ」
「いや、別に振られたというよりは、自然消滅したって感じじゃないかな」
穂高と10歳近く年が離れている蒔絵は、初めて穂高の恋バナを聞くことができるので、わざわざ兄の座っているソファーまで、足を引きずりながら移動した。
「ねえねえ。お兄ちゃんは、田邊先生の奥さんと付き合っていたってこと?」
「大学1年の時は、俺の試合を見に来てくれたよ。俺は1年でレギュラーになったんで、嬉しくて、試合に誘ったんだ。朋実は、差し入れまで持ってきてくれたんだけどな」
「うわ。先輩のことを『朋実』って呼んでいたんだね。それから、それから?」
「で、試合の後、少し話して、帰って行った」
更紗が顔を最大にゆがめて聞いた。
「ちょっと、そのまま帰したの?わざわざ見に来てくれたのに。その後、お茶するとか、なかったの?」
「試合の後は、部活のみんなで飲みに行ったから」
「じゃあ、次のデートは?」
「野球を見に行った。球場で焼き肉食べられる席を取ったから、焼き肉食べて、それで帰った」
更紗が、冷静に聞いた。
「朋実先輩って、野球好きなの?」
「いや?『見たことない』っていうから、連れて行った」
「『亭主の好きな赤烏帽子』をそのまま行ったわけね。まさかその後のデートには、競馬に誘ったとか、プロレス見に行ったとかじゃないよね」
穂高は目を見張った。ギャンブルや格闘技好きの穂高は、そう言う場所は、彼女と一緒に行きたいところだったのだ。
「よく分かったな。でも、どっちを誘っても嫌がったんで、どこがいいって聞いたら『水族館』って言ったんだよ。だから、釣りに行きたいのかと思って、『そんな食えもしない魚を見るより、釣りに行かないか』って誘ったら、着信拒否された」
「お兄ちゃん。それを世間では『振られた』って言うんだよ」
蒔絵は「水族館」という言葉に、何かを思い出した。
「あれ?朋実さんって、水族館好きなんじゃないかな?体育祭の時、赤ちゃんと一緒に預かったポーチに、水族館グッズをジャラ付けしていたよ。葛西臨海水族館とか、海遊館とか、美ら海水族館のもあったな」
「へー。水族館見るために大阪や沖縄に行ったんだ。朋実さんは、そこに誰と行ったんだろうね」
更紗の意地悪な問いかけに、穂高は冷め切ったコーヒーをぐいっとあおった。
「多分、義崇だろう?あいつは、朋実の言うことなら何でも聞くみたいだから。だからって、普通、東北電力を辞めて、こんな辺鄙な村の高校教師になるか?昨日、田邊の親が来ていたけれど、そのことを散々文句言っていたぞ」
蒔絵が違和感を持った。
「あれ?ご両親が来ていたのに、なんで私が、愛実ちゃんの子守りをしたの?」
更紗が冷たく言った。
「息子の転勤に文句がある婚家の人と一緒に、体育祭見たら、針の筵じゃん」
「田邊の親にしたら、地元にやっと戻ってきたと思って、最初は嬉しかったらしいが、全く家に寄りつかないから、文句を言っているみたいだな。義崇は長男だしな」
穂高は空のコーヒーカップを見て、妹を見たが、誰も反応しなかったので、自分でコーヒーを入れに台所に向かった。母の絹子がいたら、コーヒーを入れてくれるのだが、拍子抜けをしたようだ。
「蒔絵、今の見た?お兄ちゃん、私達が、コーヒーを入れてくれると思ったんだよ。甘やかされているね。紫苑みたい」
「そんなことないよ。紫苑君は、最近、双子の子守りもするようになったじゃない」
「いや、すぐ逃げようとする。自分は関係ないって思っているところが、ムカつく」
コーヒーを持ってきた穂高が、またソファーに深々と座った。
「思い出した。俺、大学1年の後半からマネージャーと付き合いだしたんだ」
更紗は最低だった正月休みを思い出した。
「私も思い出した。お兄ちゃんの帰省にくっついてきて、そこら中で彼女面していた子がいたね。でも、お兄ちゃんが2年の時には、帰省について来なかったよね」
穂高が、辛い過去を思い出した。
「ああ、俺が大学2年の時に、1学年下に、インターハイに出場した選手が入ってきて、俺はレギュラーを外されたんだ。マネージャーは、すぐ、そいつと付き合い始めたな」
「そりゃぁそうよ。マネージャーになる女子の目的って、そこにあるんだもん」
「そうかな?家庭的で、下宿に来てよくご飯作ってくれたんだけれどな」
「はいはい。胃袋を掴む作戦ね。自分が家事ができないと、そういう子に捕まるのよ」
「更紗はそういうこと言うけれど、結婚して家事が全くできなかったら困るだろう?」
「穂高お兄ちゃんだって、未だに洗濯機のスイッチすら満足に入れられないじゃない」
穂高は小さい声で言い訳をした。
「あれは、ただ忘れただけで・・・。お前達はそういうこと言うけれど、義崇だって、家事は朋実任せだろう?」
蒔絵が、意外なことを話し出した。
「そうでもないかも。私も、最初は『おむつも替えたことない』って聞いていたから、田邊先生は、家事を全くしないのかと思ったけれど、少しずつできることが増えているんだよね。
双子のおむつ換えや、ミルクも5月半ばには上手に手伝ってくれていたし、昨日も赤ちゃんを抱く時は、すごく慣れた感じだったよ」
「あいつ、どんくさいからな。マスターするまでに時間がかかるんだよ。高校の時のダンスなんてひどいもんだったからな。俺は1列目でリーダーとして踊っていたけれど」
「でも、昨日はお兄ちゃんより上手だったよね」
「うるさいな。少し外の空気を吸ってくる」
2人の妹にやり込められた穂高は、車のキーを持って、外に出かけて行った。
穂高が外出すると、更紗もソファーにやってきて、蒔絵と並んだ。
「蒔絵、さっきの話だけれど、海里君は今も蒔絵のこと好きなんだと思う。でもね、蒔絵が銀河が大切なら、動揺しちゃいけないよ。蒔絵が揺らぐと、多分、銀河は自分に自信がなくなっちゃうから」
「動揺なんてしないよ。でも、銀河ってそんなに弱くないよ」
更紗はこっそりため息をついた。
「自覚がないならいいわ。ただ、銀河が高校1年なのに、あんなに何でもできるのは、蒔絵がいたからだよ。
バドミントンだって、蒔絵が規則正しく銀河を誘って連れて行ったから、続けられたんだよね。勉強も、双子の子守りも、いつも蒔絵が一緒にやって上げていたじゃない」
蒔絵は、更紗が言うような実感がない。
「そうかな?私は、いつも銀河に引っ張って貰っていたと思っているんだけれど」
「じゃあ、蒔絵は大学も銀河と同じところに行くの?」
「大学にするか就職にするかは決めてないな」
「ちょっと、『就職』って、実業団から誘いが来ているの?」
高校1年生の蒔絵には、まだ、進路について真剣に考える機会はなかったので、更紗に詰め寄られると困ってしまった。
更紗は、のんびりしている蒔絵が不安になり、まくし立てた。
「あのね。強いバドミントンチームだと、有望選手には高校2年生ぐらいから声を掛けるの。私も、怪我する前には大学や実業団から、『うちに来ないか』って、声がかかったわ。お父さんは、偉い人から声を掛けられるとすぐ舞い上がっちゃうんだよね」
「『舞い上がる』って?」
「例えば、もう『娘の将来にはここが相応しい』って思い込むんだよ。私の意見とか聞かないで、『給料がいい』とか、『有名選手がいる』とかが判断基準だね。うちまで有名な監督が訪ねてくると、『折角来てくれたんだから、断るのは申し訳ない』とか、言い出す。まあ、うちの両親は、バドミントンの選手だった訳じゃないからね」
「じゃあ、進路は、どういう基準で選んだらいいの?」
「親には反対されるだろうけれど、私は、『将来の安定』のために興味がないことをするのはよくないと思う。特にお母さんは、『資格が取れる』とか、『家から通える』ってことに拘るけれど、私達の人生は、親が死んだ後も続くんだよね」
「すごいね。お姉ちゃんしっかり考えている。じゃあ、もう受験校も決めているの?」
「東北大学 災害について学びたいんだ」
「うわ。あそこは、国立なんで、高校の推薦枠ないよね」
「勿論。共通テストの結果では、他の大学の可能性もあるけれどね」
「お母さんとお父さんはそれを知っている?」
「お母さんには、この間話した。一応、我が家の財務省だからね。夏に3校くらいオープンキャンパスに一緒に行く。お父さんにはギリギリに話す」
「どうして?」
「田中先生に教えて貰ったんだ。『親は6月には受かりそうもない学校を希望する。12月は急に不安になり、ランクを下げさせようとする。共通テスト後は、どこでもいいから入れそうな学校を探す』んだって。『そんな親のブレブレの気持ちに影響されないように、準備をして置け』ってアドバイスされた」
「田中先生は、伊達に、進路指導を長くやっていないね」
そこで、更紗は9月のA模試の結果で、Cランク以上が出たら東北大学。Dだったら、一つ下のランクの大学も視野に入れて勉強すると決めている。最終判定が出る時は、3校くらいの大学の募集要項を用意して準備する。9月に3校の受験用の宿も予約しておくのだという。
「すごいね。お姉ちゃん。紫苑もそれを知っている?」
「話していないよ」
「なんで?」
「受験勉強は団体戦だけれど、受験自体は個人戦だから」
「紫苑は、東京海洋大学を受けるんだよね」
「そうらしいね。寮に入るみたいだし、紫苑に合わせて、東京の大学に入ったって、会える訳じゃないよ。それに、東京の半分くらいの大学は今、地震でリモートばかりだから、結局は百葉村にいることになるでしょ?だから、私は地震の影響がなかった地域の大学に行くの。合理的でしょ?」
更紗が膝の大怪我する前は、「美少女ダブルス」で持て囃されていた鮫島姉妹だが、膝の怪我のお陰で、更紗は冷静に自分の進路を考えることができた。
紫苑も銀河との力の差を痛感して、大学でのバドミントンをプレイするという選択肢は捨てた。祖父、祖母、父が通った大学への興味が湧いてきて、東京海洋大学を進路として選んだ。
バドミントンの成績が進路に絡む蒔絵と銀河は、冷静に自分の進路を選ぶことができるだろうか。蒔絵は「まだ高校1年だから」とのんびりしているが、スポーツ進学が絡むと高校2年生には、もう企業や大学との話が進み始める。更紗は、のんびりした蒔絵が不安でならなかった。
勿論、銀河は、夏休みの東京遠征と世界Jrの結果で進路が大きく変わることを意識していた。