29 誤解は解けた
ダンスは一応、ポカリスエットのガチダンスをイメージしています。曲は「君の夢は僕の夢」を頭の中で流してみてください。あれは、野球部を応援するマネージャーの目線の歌なんですかね?
月曜日の朝、蒔絵はいつものように銀河の家に向かった。双子を連れて登校するためだ。
「あれー。蒔絵ちゃん。高校生になったんだね。見違えちゃった」
「鈴音お姉ちゃん。帰ってきたんだ」
鉄次と一緒に帰ってきた鈴音は、茜を抱いて縁側に出てきた。茜は鈴音の髪をいじりながらニコニコしていた。3ヶ月も離れていた親子とは思えないほど、ごく自然に鈴音に抱かれていた。
そんな姿を見ると、蒔絵の涙腺はまた、崩壊しそうになった。
「蒔絵ちゃんには、本当に3ヶ月も苦労かけたね。銀河は朝練するって、1時間も早く登校して行ったよ」
「そうですか(絶対、私のこと避けている)。お姉ちゃんは、いつまでお休み取れるんですか?」
「1年間育休取った。7月いっぱいはこっちで過ごして、銀河が東京遠征に行く時に、一緒に上京して、向こうで過ごす。春二さんも、向こうのご両親も早く孫を抱きたいって」
「大きくなって、びっくりしたでしょうね。学校に置いてあるおむつやミルクは、放課後に持ってきますね。じゃあ、放課後に」
蒔絵は、こぼれそうな涙を見せないように、すぐに背を向けて高校に向かって走って行った。鈴音は、そんな蒔絵の背中を何時までも見つめていた。
学校に着くと、銀河が野球部と一緒にグランドを走っていた。
生徒玄関を入ると小町技術員が声をかけてきた。
「双子ちゃんのお母さんが帰ってきたんだって?朝、銀河君がみんなに、お姉さんからのお土産を持って、御礼して回ってくれたんだ。でも、寂しくなるね」
蒔絵は寂しく笑った。
「やっと、青春を謳歌できます」
「そうだな。バドミントンも思う存分できるしな」
銀河と蒔絵は、8月に入ると東京遠征、そしてそこで選抜されると、世界Jr大会に行くことになっている。中学2年の時は、銀河と蒔絵はミックスダブルスの選手として海外遠征した。震災のせいで、インターハイがなくなったので、どの選手も練習不足だが、それでもこの遠征での成績で、大学の推薦が決まる高校3年は必死で来るはずだ。銀河達も昨年2位だった屈辱を果たすべく、今から本腰を入れなければならない。
そんな銀河と蒔絵の状況などお構いなく、体育祭の準備も大詰めを迎えていた。
「おい、銀河、昼休みもダンスの練習だぞ」
「悪い。放課後の1時間だけ参加で頼む」
昼休みは、紫苑と更紗にも頼んで、銀河と蒔絵はひたすらダブルスの練習をした。3年生の都合がつかない場合は、銀河と蒔絵の2人で技術練習をした。ぽっちゃり体型の銀河も、朝のランニング、昼の技術練習、放課後のトレーニングの繰り返しで、体はどんどん締まっていった。
「おっ、銀河、パンダの着ぐるみ脱いだのか?」
海里に構われても、銀河は涼しい顔をして冗談を返す。
「まだまだ、第2形態だから・・・」
女子も廊下で、銀河の姿に振り返るようになっていった。
「銀河君って、痩せたらいい男なのね」
「えー、痩せる前からよ」
「双子がいなくなって、蒔絵ちゃんとも別れたみたいだから、ちょっと告っていいかな」
2人が数日一緒に歩かないだけで、2人が別れたという噂が広がっていた。
里帆は、蒔絵達の関係を心配した。
「ねえ、蒔絵ちゃん。最近、銀河君と話さないね」
「そう?そんなことないよ」
「蒔絵と別れたって噂が流れているよ」
「そもそも、付き合っていないし。ダブルスのパートナーってだけだから」
蒔絵は、誰よりもそのことを気にしていた。しかし、バドミントンをしている時は、今まで以上に神経が研ぎ澄まされて、体が動くので、これも悪くないと思い込もうとしていた。
今日の昼の練習は、いつもより湿度が高く、暑かった。風が入らないように窓を閉め切っているので、滝のように汗が流れる。
「あー」
蒔絵が自分の汗に滑って、仰向けに床に転がってしまった。
いつもなら、銀河が手を差し伸べてくれるのに、銀河は「早く」とでもいうように、ネットの向こうから動かない。蒔絵は歯を食いしばって、立ち上がった。膝から少し血が滲んでいるが、コート脇から持ってきたタオルで、軽く拭って、モップでフロアを拭いて、心もリセットした。
銀河がゆっくりネットをくぐって蒔絵の方にやってきた。
「靴を見せてみろよ」
蒔絵の足を持ち上げて、靴底を指で確認した。
「やっぱり」
「なあ、今度の休みに、姉ちゃんが、双子の服を買いに、町に行くんだけれど、一緒に行かないか?」
久し振りに銀河から、話しかけられた蒔絵はすぐには答えられなかった。
「姉ちゃんが、蒔絵に御礼にシューズを買ってくれるって」
「御礼?」
「子守りの・・・」
「好きでやっていたからいいのに」
「姉ちゃんはさ、蒔絵には、本当に必要なものを買ってやりたかったんだって。東京に行くにも、こんなに底がすり減ったシューズじゃ駄目だろう?俺は、外で履く靴と、バドミントンシューズの2足を買って貰う予定」
銀河のシューズは、熊に引っかかれた裂け目がまだついていた。
「熊に・・・」
「はー」
銀河の苛ついたため息を聞いて、蒔絵はまた、涙が出てきた。
「もう遅いと思うけれど、本当にあの日は、ごめんなさい。私が悪いのに、銀河ばっかり怒られて、私と一緒にいるのが嫌になったでしょ?」
銀河は、蒔絵の涙に呆然とした。
「何言っているの?蒔絵に怖い思いさせた自分に、俺は呆れているの」
「だって、私と一緒にいると、ため息つくから」
銀河は今までの自分を振り返ってみた。
「フキハラ(不機嫌ハラスメント)していたってこと?ゴメン。本当に、自分が嫌になってのため息で、俺が、蒔絵に対してため息ついたことなんかないよ」
「銀河がいたから、私は、熊に襲われなかったんだよ」
「いやいや、かっこ悪いにも程がある。ガス欠とか、バイク押すとか、熊から逃げるのにトイレによじ登るとか。あーかっこわりー」
いや、君は「孫悟空」でも「ケンシロウ」でもないんだから、熊を一撃で倒すなんてできないのに。
少年よ。「少年ジャンプ」の読み過ぎではないか?
2人はやっと、それぞれが大きく考え違いをしていたことに気がついた。
「でも、おばさんは、『休みの日にうちに来るな』って。私のことを怒っているんでしょ?」
「うちに来るな?何時言われたの?ああ、あの日ね」
銀河は、菱巻家は鉄次と茉莉との冷戦が続いていることを説明した。
「え?おじさんTVでそんなこと言ったの?」
「その後、うちに帰ってきたんだけれど、母ちゃんの怒りが収まらなくて大変。だから、『当分、家には来ないほうがいいよ』って意味で言ったんじゃない?」
「なんだ。そうかぁー」
昼休みが終わって、蒔絵が保健室に、絆創膏をもらいに行った時、廊下で待つ銀河に声をかけた女生徒がいた。1年特進クラスで、前から銀河のファンを公言していた如月実加子だった。
「菱巻君。今度の休み、映画見に行かない?」
銀河は、目を細めて、実加子を見下ろした。
「今度の休みは、蒔絵と買い物に行くから、駄目」
保健室から出てきた蒔絵と、何も言わず普通クラスに戻っていく銀河を見て、実加子は「別れたって、誰が言ったのよ」と独りごちた。
「実加子に何か言われたの?」
「いや、何も」
放課後は、クラスでパフォーマンスの練習が1時間みっちり行われる。1年生のクラスには、担任の田中先生、田邊先生、副担任の鮫島先生の3人も加わる。
「なんで、俺たちが最前列で踊らなきゃならないんだ」
今年45歳になる田中先生は、1曲通して踊るだけで、膝に手を当てて、息を切らしている。
「田中先生、田邊先生はキレッキレですよ。頑張ってください」
特進クラスの女子から煽られると、ライバル心から、田中先生は再度立ち上がる。隣には、息子がいて、一生懸命練習をしている。離婚した時、自分を選んでくれた息子を裏切る訳にはいかない。健気な男である。
田邊先生は、大学時代、ゲームセンターで、ダンスダンスレボリューションで体型維持をしていた男である。地味な努力を欠かさずやってきたのだ。もっとも、その努力はたった1人の女性のためでもあった。
「田邊先生って、高校時代ダンスはそんなに上手くなかっただろう?」
「鮫島先生、『男子、3日会わざれば、刮目して見よ』です。8年前の自分と同じとは思わないでください」
銀河と蒔絵も、昼練や闇練に出られない分、放課後の練習には、集中している。
特進クラスのダンスリーダー、如月実加子は、銀河にべったりくっついて指導をしている。
「蒔絵ちゃん、銀河はあのままでいいの?あんなに手取り足取り教えなくてもいいのに」
里帆は、実加子の露骨な態度に、腹を据えかねていた。
「里帆、ターンした後、どのタイミングで手を伸ばすのか、もう一度教えて」
蒔絵は里帆の言葉が聞こえないかのように、振り付けに集中していた。
「はーい。放課後の練習時間が終わるんで、最後にもう1回ダンスを通しで踊ります。本番と同じ体列に並んでぇ」
ダンスリーダー実加子の号令で、1年生は指定された位置についた。
蒔絵は竹で作った長刀を背中に背負っているので、一番左端。銀河はそのすぐ脇で踊ることになっている。最後のダンスは、先生方は外れて、全体の出来を見たり、ビデオを撮ったりする。
「行くよー サンハイ 『君は負けず嫌いなマイボーイ~』」
ダンスを見ながら、田中先生と田邊先生は、銀河と蒔絵から目が離せなかった。
「あの2人のシンクロ率って凄いですね」
「蒔絵の背中の長刀が見えているみたいで、銀河は絶対ぶつからないな」
「あれがないとダブルス組めないんですかね」
「いや。蒔絵は高3の更紗とも組んでいたけれど、ここまでは意思疎通していなかったかも」
「足を開いた時も、ぴったり90度まで曲がるんですね」
「あいつらを前列に置いたらいいのに」
「田中先生、他の生徒が萎縮しちゃいますよ」
ビデオを回している鮫島先生にとっては、見慣れた光景なので、何も考えず、ビデオ撮影をしていた。そして、反省用に、ダンスリーダーの実加子に、ダンスの映像を送った。
クラス合同の練習時間が終わって、銀河と蒔絵が部活のために体育館に行った後、残った生徒でダンス映像をスクリーンで確認した。
「銀河と蒔絵は、別格だな。ジャンプして着地するタイミングまで同じだよ」
航平が素直な感想を述べた。
「駄目よ。あんなに腰を落としちゃ、みんなと揃わないわ」
ダンスリーダーの実加子の気持ちを汲んで、海里が補足した。
「いいんだよ。あいつら、端っこで目立たないから。仮装すれば先生方に視線が集まるし、このまま、当日までしっかり振りを覚えて全員で頑張ろう」
翔太郎も、学級委員長らしく話をまとめた。
「運の要素がない徒競走やスウェーデンリレーも、確実な得点源だ。1人1人練習しておいてくれ」
高校生は1年から3年まで学年対抗だが、今年は「未来TEC」の社員もかなりの人数が、競技に参加するので、社会人もそのカテゴリーに入ってくる。
年代別で最も若い高校1年生は苦戦を強いられるが、翔太郎は勝つ気十分だ。
根拠のない自信は、最強である。