第三十二話 想いの力
新F東京――地下五十二階層。
極僅かの人間しか許されていない〈五十階層越え〉。
どこまでも続くかのような空間の中央には、淡く光りを帯びた生命維持装置が設えられていた。液体の中に浮かぶ小さな少女は無数のケーブルに接続されている。それらのケーブルは地面を経由し、果て見えぬ暗闇へと続いていた。
そんな残酷な光景を前に一つの人影があった。
「相変わらずぶっさいくな顔やな」
四皇生徒会会長――皇鳥つばめ。見据える瞳に光はない。
つばめは少女と隔てるガラスに手を触れるながら言葉を続ける。
「……謝らへん。ウチはまだ謝らへんで」
返事はない。つばめの言葉はただ虚空へと吸い込まれていく。
それでも紡ぐ口は止まらなかった。
「アンタに謝るのは、この檻から出した後や」
返ってきたのは規則的な心電音のみ。つばめは小さく吐息を吐くと、後方に目をやった。
「それで、何か収穫はあったんか?」
目線の先――姿を現したのは黒鋼影であった。
「はい」
「聞こうか」
「一年間消息不明になっていた斬崎綾乃。彼の生存が確認されました」
「……」
斬崎綾乃。
一年前、外領域にて学園生徒四人を殺害の後、消息不明になっていた少年。
当初は警戒レベルの〈神骸〉出現による出動司令が、急遽一変し機関の上層部が動くほどの大事になった。つばめが現場に駆け付けた頃には、おびえた表情で座り込んでいるマリアの姿しかなかった。
その後上層部による緘口令が敷かれ、情報の詮索すら許可されない状態となった。
ゆえに、つばめと影はこの一年を以って慎重に彼の足取りを追っていたのだ。
「そうか、生きとったか」
つばめは影の報告を噛み締めるように呟くと、ゆっくりと視線を右手にやった。
痛々しく刻まれた傷が映る。どうしてかそれは、淡く光を帯び明滅を繰り返していた。
「会長――」
「余計な気遣いは不要や、うちらもやることやるで」
「承知いたしました」
身をひるがえし少女を背に歩を進めるつばめ。
「……」
その背中を見据える影は、静かに目を伏せる。
そうして何も語ることなくその背を追った。
「歩くのもう嫌」
「そういわずに、あとちょっとだからさ」
太陽が直上に鎮座する時間帯。
とある場所を目指している綾乃とナナは、かれこれ一時間は歩き続けていた。
理由は単純で、足として使っていた車両が不調により動かなくなってしまったからだ。 劣悪な環境での運用が想定されていない普通車両にしてはよく保った方だが、やはり使いものにならないのは都合が悪い。
「随分前にここら辺に来たことあるんだけどさ、確かこの丘を越えると……」
ゆえに、新しい足を拝借しようとこうしてとぼとぼ歩いていたわけだったが。
「やー!」
ナナは頬を膨らませると、その場に座り込みそっぽを向いてしまった。
(……さすがに連れ回しすぎたかな)
疲労は承知の上であったが、いつ〈神骸〉が出現してもおかしくない状況だ。
正直このまま目的地まで突っ切りたいところではあったが。
「ナナ……? 今日の晩御飯は特別にカレーにするからさ、もうちょっと――」
「……や!」
少しの逡巡を見せたものの、駄目だったようだ。
(仕方ないか)
周りに〈神骸〉の気配はない。今なら少しの休憩は構わないだろう。
「分かった。ちょっとだけ休憩しようか」
ナナの元に駆け寄り手を差し伸ばす。
「だっこ」
「全く」
ナナはこうなるとワガママモードに入る。
言うことを聞かないと拗ねてしまい、更に扱いが難しくなってしまう。
「よいしょ」
「ん」
軽くナナを胸に抱える。そうして崩れたビルの影に入り、吐息一つ腰を下ろした。
ふと目に入った空。
青く澄み、白亜の雲が薄く広がる光景。
綾乃は眼下のナナを見やる。
「……」
頭を綾乃の胸に預け、舟をこいでいる。
よほど疲れていたのであろう。いくら〈神骸〉の脅威があったとはいえ、幼い子供をこんなにも歩き回すのは良くなかったかと自戒する。
静かに頭を撫でてやる。そのたびに身をよじり、身体を寄せてくる。
(……父親を見つけることが、本当にこの子の幸せになるのだろうか)
このまま父親を探し続けて、仮に見つかったとしてもロクな結果にならないのは目に見えている。それに――彼女に残された時間もそう多くはない。
(僕はこの子に何ができる。何をしてあげれるんだ)
柔らかな頬に触れる。忌々しい侵食症状は、確実に彼女の身体を蝕んでいた。
最近は眠る時間も増えている。それら全ての要素が、彼女に残された時間の残酷さを物語っていた。
酷く心が痛む。
それでも、この心の痛みはきっと人の感情そのものだ。
否定はしない。受け止める。
受け止めた上で、綾乃は考える。
「……ん」
そうして三十分ほどが経った頃。
ナナは目を覚ますと、綾乃の腕の中で大きなあくびを浮かべた。
「あれ、寝てた?」
「随分ぐっすりとね」
「……ごめんなさい」
肩をすぼませるナナに綾乃は微笑と共に頭を撫でてやる。
「謝ることなんてないさ。それに、謝るなら僕の方こそ」
そうしてお互いが小さく笑みを零したのち、綾乃は「そうだ」と言葉を続けた。
「この後さ、海に行かないかい?」
「海!?」
あの絵本の一幕に、海が出てくる場面がある。
その場面を読むたびに彼女の目が輝きを帯びていた事を綾乃は知っていた。
「いいの!? 海!」
「うん。でも海に行くにはやっぱり車が必要なんだ」
「む、むぅ」
「頑張れそうかい?」
「う、海の為に頑張る」
「その調子だ」
手を繋ぎながら二人は立ち上がる。
ナナは逸る気持ちを抑えきれないのか、綾乃を引っ張るように前を歩いていく。
そんなナナに思わず苦笑を受けべる綾乃。
そうだ。
このままただ進み続ければいい。
ナナとの時間を、今この瞬間しかない生を、
「――」
失うことがずっと怖かった。
他人も、自分も。
悲しみに暮れるのが嫌で、怒りに震えるのが嫌で、
「お姉ちゃん」
自分の感情を、他人の感情を、それら全てに蓋をした。
そうすることで心を守った。そうすることでしか、心を守れなかった。
――そうか。
あの時魂を捧げた際、人間らしい感情などとうに失せたと思っていた。
――僕は、恐れていたのか。
だがそれは違った。ただ僕は、斬崎綾乃は恐れていただけだったのだ。
――己の身に宿るこの力を。
――そして何よりも、あの時の自分自身を。
「大好きっ」
太陽のように明るい笑顔が目に映った。
その笑顔が、言葉が、わけもなく勇気を奮い立たせてくれる。
だから、今なら認めることが出来る。
今までずっと震えていた、あの時の自分を。
よく頑張ったと、認めてあげることが出来る。
「……お、姉ちゃん?」
「ん?」
深い思考に揺蕩っていたせいか、綾乃はまだ気付けていなかった。
眼下にはこちらを指さすナナの姿。だが、そこには若干の違和感を覚えた。
(ナナってこんなに背小さかったかな?)
心なしかいつもより身体が重い気がする。何故だろうかと綾乃が眉を寄せた瞬間。
「お姉ちゃんが、お兄ちゃんになっちゃったーーー!!!」
出会って以来聞いたこともないような声量で、ナナがわっと叫んだ。
同時に流石の綾乃も理解した。
すぐに視線を自らの両手に向ける。そこに映ったのは華奢な細腕ではなく、
「も、戻ってるーーーー!?」
もはや懐かしさを感じる、男性の両腕であった。




