4
いつもお読みいただき、ありがとうございます!
エレノアとボリスはようやくブレゲーネの王都に辿り着いた。王都と言っても端で、まだ中心部には半日ほどはかかる距離らしい。
「今日は最後の晩餐と洒落込むか」
エレノアはボリスの言葉にコクリと頷く。
騎士であるボリスは、王都に着いたら報告がてら騎士団に赴くそうだ。
二人は、ゆっくりと馬で歩きながら、今夜の宿を探していた。
「ちっとばかし余計に時間食っちまったからなぁ...途中で報告はしたんだが」
「すまない、僕のせいだ」
「それは気にするな。寧ろそのまま声もかけなかったら、後で後悔してたかもしれんしな」
「......そんなに心配かけたのか?」
エレノア自身、そんなに危なっかしいとは思ってもいなかったのだが。
「ああ、旅慣れてないのは一目でわかったからな。こりゃ見ちゃいらんねぇな、とな」
「そうか...ボリスに会えて助かった。本当にありがとう、感謝している」
エレノアが神妙に頭を下げると、ボリスは手を振って気にするな、と言う。
ボリスのようなお節介を焼いてくれる人間に出会えた事は僥倖だったのかもしれない、とエレノアは思った。
出会った当初はどうなることかと思ったが、もしかしたら、誰かに騙されて身包み剥がされていたかもしれない。更に、運が悪ければ命を落としていたかもしれないと考えると、背筋が薄ら寒くなる。
今まで、いかに守られてぬくぬくと生きていたのか、思い知らされた心地だった。
「短い間だったが、本当に世話になった」
エレノアがそう告げると、ボリスは照れ臭そうに頬を掻いた。
「お、ここにするか。ここの飯は旨いんだ」
ボリスは照れ隠しなのか宿屋の前でそそくさと馬を降りると、扉を開けて入って行った。
*****
最後の晩餐とボリスが宣言していた通り、豪快で豪華な食事が並ぶ。
ボリスに任せると肉しか頼まないので、エレノアはバランスを考えて野菜の盛り合わせとスープも頼んでおいた。
「これからまだ旅を続けるんなら、言っておくが」
ボリスは肉を咀嚼した後、酒を煽ると、ダンと音を立てて木製のジョッキを置き、エレノアの目を見て告げた。酔っているのか、目の縁にほんのりと赤みが差している。
「お前さんは少々頼りないからな、出来れば馬車で移動したほうがいい」
「...シュヴァルは置いていけない」
「俺んとこで預かってやってもいいぞ。ちゃんと面倒は見る」
ボリスの馬を見ていれば、ちゃんと手入れされていることはよくわかっていたが、エレノアにとってのシュヴァルとは、一番の慰めであり、友人でもある。
一緒に野をかけるのが一番の楽しみで、言葉が話せなくとも、エレノアに癒しをくれるシュヴァルと離れるなど考えた事もなかった。
「ありがたい申し出だけど、シュヴァルを置いてはいけないよ」
エレノアが眉を下げ、困った顔でボリスを見ると、ぐ、とボリスが変な声を出す。
「その顔はやめろ、お前さんのその顔を見ると妙な気分になるんだ」
その顔をやめろと言われても、とエレノアはきょとんとした顔をボリスに向ける。
「それもダメだ、あーもう、勘弁してくれ」
何が勘弁してくれなのか、エレノアにはちっともわからないまま、ボリスはまた酒を煽るのだった。
お腹が満たされた後、お互いに部屋に入ると、エレノアは宿屋で手に入れたシュタイムの地図を広げて、貴族の屋敷はどの辺りかと見当を付ける。
ターニャの夫はこの国の騎士を拝命している、子爵位を持つ貴族の三男だ。
本人は一代限りの騎士爵を持っており、王都に屋敷を構えているらしい。一代限りなので領地はないそうだ。
騎士様は交流試合でアールベルクを訪れていた時に、ターニャと知り合った。
ターニャとこの騎士様がどうやって知り合ったのか、馴れ初めを聞いたところによると、買い物をする為に街へ行くと、泣いている子供と途方に暮れた顔の男性に出くわしたらしい。
延々と子供は泣き続け、困り顔の男性の周囲には野次馬が集まってきて、気の毒だったので勇気を出して声を掛けた。
すると、馬車にはねられそうになった子供を助けたはいいが、驚きのあまり泣き止んでくれず宥めすかしても効果はなく、どうしたものかと思っていたそうだ。
そこで、ターニャが子供の目線に合うようにしゃがみ、ハンカチで顔を拭って、飴玉を与えたところ、ピタリと泣き止んだ。
そこへ騒ぎを聞きつけた母親が現れ、無事、子供は親元に帰ることが出来、野次馬もパラパラと散って行った。
なんとなしに気まずくなったターニャが、会釈してその場を離れようとすると、騎士様がお礼がしたいとターニャに甘味をご馳走してくれたらしい。
要するに騎士様の一目惚れだったのだろうと、エレノアは思っている。
そこからはあっという間に縁談が持ち上がり、男爵令嬢でもあったターニャは、身分的にも問題ないと攫われるようにお嫁に行ってしまった。
*****
翌朝、王都であるシュタイムへ向けて出発する前、エレノアが朝食の席で貴族の屋敷はどの辺りなのか、ボリスに尋ねた。
「貴族?お前さん、ブレゲーネの貴族に知り合いがいるのか?」
「知り合いというか、乳兄妹が嫁いでいるんだ。せっかくだから、挨拶だけでもしていこうと思って」
「そのなりでか...?」
見慣れたはずの服装を改めてジロジロ見るボリスの視線がエレノアの顔で止まる。
「やっぱり、まずい?」
「高位貴族なのか?」
「高位じゃない、騎士爵持ち」
「騎士か!名前は?」
「ファーガソン様」
「ふむ...オットーか。そういや、あいつのとこの嫁さんはアールベルク人だったな」
「知り合い?」
「知り合いも何も、俺の部下だ。そういうことはもっと早く言え」
ボリスは憮然とした表情を浮かべるが、エレノアとて、ボリスが騎士だと知ったのはつい昨日の話である。
「ボリスが騎士様だと知らなかったから...」
「まぁ、それもそうか」
ボリスはしばし腕組みをして目を瞑っていたが、次に目を開くとニンマリと悪そうな笑みを浮かべた。
「よし、うちに来い」
「え...?」
家に来いと言われても困るのだ、エレノアが性別を偽っている事はまだボリスには話していないし、そこまで信頼出来るかと聞かれると、微妙である。
「ボリスの家には行けないよ」
「家じゃない、団に来いって事だ。オットーに会わせてやる」
「ええっ...」
エレノアはターニャの夫に会いたい訳ではないのだが...ボリスはこうなるとエレノアの意見など聞く耳を持たない事は、旅の間に嫌というほど経験したので、仕方なく頷いた。
嫌な予感しかしないまま、朝食を食べ終えたエレノアは、鼻歌でも歌い出しそうな勢いのボリスの後に続いて宿を出る。
二人で馬に跨り、王都シュタイムへ向けて出発した。
*****
王都の中心部へと繋がる街道をキャンターで駆けていると、段々と荷馬車の数や、行き交う人々が増えてきた。
旅装を纏った人、貴族のお使いなのか、メイド服姿の女性も歩いている。
この辺りで馬のスピードを緩め、トロットさせながら街並みを眺める。
少しずつ家が増え、店も増えてきた。
王城に聳える尖塔も見えてきた、もうまもなく中心地に入るのだろう。
「団に着いたら、俺はオットーを探してくるから、ちょっと待っててくれよ」
「......どうしても、ファーガソン様に会わなくちゃ駄目なの?」
ボリスは言い出したら聞かないのはわかっていたが、エレノアは最後の抵抗を試みる。
「屋敷の場所もわからないんだろう?オットーには午後から休暇をやろう。案内させてやるよ」
「そんな勝手なこと...!」
「俺にはその権限があるからな、遠慮するな」
エレノアは諦めた。
もうどうにでもして、という心境だった。
*****
とうとう、ボリスが所属する騎士団の門に辿り着いた。門を護る衛兵が、ボリスに敬礼する。
「ご苦労、すまんが来客用の棟にこいつを案内してやってくれ。馬も丁重に扱うようにな」
「はっ!!」
二人のうちの一人が門のすぐ内側にある詰所に入ると、中から別の衛兵が出てきた。
「こちらで馬をお預かりします。別の者がご案内しますので」
シュヴァルを降りたエレノアの元に、また別の衛兵がやってくる。
「では、こちらへ」
エレノアは素直に後に続く。
門を入ってすぐ右側の建物に案内され、いくつか並んでいる扉のうちの一つが開けられると、中に入るよう促された。
恐る恐る中へ足を踏み入れる。
部屋の中は簡素なテーブルとソファがあるだけの、至ってシンプルな作りだった。
仕方なくソファの一つに腰掛けると、衛兵がそのまま部屋の入り口で待機した。
監視されているようで、居心地の悪さを感じながら待っていると、ノックの音が聞こえて、衛兵が扉を開ける。
ボリスが入ってきて、衛兵に目配せすると衛兵は出ていき、入れ替わるように明るい栗色の髪のやや細身の男性が入ってきた。
エレノアは立ち上がり、会釈すると、その男性は不思議そうにボリスを見遣った。
「お前の嫁さんに用があるそうだ。午後から休暇をやるから、屋敷まで案内してやれ」
「は...?」
男性...オットー・ファーガソンは、エレノアをまじまじと見ていたが、やがて眉間に皺を寄せて厳しい顔付きになった。
「頼んだぞ!」
ボリスはニヤリと笑った後、さっさと部屋から出て行ってしまう。
ボリスの言ったことは間違ってはいないが、エレノアは男装を解いていないのだ。
これでは確実に良くない方向に誤解させるのではないかと思っていると。
「失礼だが、私の妻に何の用だろうか?」
オットーは冷静さを保っているが、目の奥にはギラギラとしたものが滾っているのがわかる。腰には剣を佩いたままだ、エレノアは無意識にそちらを見てしまう。
どのタイミングで明かそうか、頭をフル回転させる。扉の外で、ボリスはこっそり聞いているに違いないのだ。
「ターニャに会いに来たんです」
エレノアが告げると、オットーの肩がピクリと跳ねた。
「妻の名前を馴れ馴れしく呼ばないで貰えないか?」
「失礼しました、ファーガソン夫人に会いに参りました」
ボリスはどうしてこう、人を揶揄うのだろう、オットーが気の毒で仕方がない。
これは間違いなく嫉妬している、この誤解を解かないと面倒な事になると思ったエレノアは、ため息を一つ吐くと、帽子を取り、巻いていたスカーフを外して緩く編んだ長い髪を解いた。
「女のなりでは身の危険があり、このような身なりで誤解されるのも仕方ないと思いますが、わたくしはエレノア。エレノア・サージェントです」
エレノアが告げると、オットーはソファから弾かれたように立ち上がった。
「こ、これは!大変失礼致しました。不躾な物言い、どうかお許しください」
エレノアのそばに跪き、手を取ったオットーはちっとも悪くない。
「ファーガソン様は何も。ボリスが悪いのですよ、貴方様をかつごうとするなんて」
エレノアが眉を下げると、オットーは許しをを乞うように手を己の額に捧げ持つ。
「上官のご無礼も、どうか寛大な御心でお許しください」
「貴族と言ってなかったのだから、それは仕方ないのです。どうか、お掛けになって?」
エレノアの言葉にようやく手を離し、オットーはソファに浅く腰掛けた。
「それにしても驚きました。お一人で?」
「ええ、ターニャに相談したい事があって...」
エレノアの言葉に、オットーは察したのか一つ頷いた。
「そうでしたか、妻は喜ぶと思いますよ。早速、屋敷にご案内いたしましょう」
「お仕事はよろしいのですか?」
「副長が休んでよいと言うなら、休みますよ」
オットーは呆れたように肩を竦める。
「副長でいらしたのですか?」
エレノアが驚いて目を瞬くと、オットーはええ、と肯定する。
「それにしても...副長はエレノア様の男装には全く気付いておられなかったんですかね?」
扉の外へ向けて、オットーが話しかけると、ゆっくりと扉が空いて、ボリスが入ってきた。
「すっかり騙された...」
ボリスは天を仰いで、片手を額に嘆いているように見えるが、目は笑っている。
「本当は気付いてらしたんでしょう?」
エレノアが問うと、まぁな、と言いながらソファにどかりと座った。
「もっとも、最初はまんまと騙されたけどな。途中から女だとは思っていたが、まさか貴族だとは思わなかったぜ」
「エレノア様は侯爵令嬢ですよ、副長」
オットーが嗜めるように言うと、ボリスは背筋を伸ばし、頭を下げた。
「数々のご無礼、お許しください」
「欺いていたのはこちらの方ですから。どうぞ頭をお上げになって?」
「......ブハッ」
「ふっ......」
エレノアとボリスはお互いに噴き出すと、笑い出した。その様子を見て、オットーが目を白黒させている。
「はぁ...ダメだ、今更、侯爵令嬢なんて言われても...」
半笑いのボリスを睨みながらも、エレノアも笑いを堪えきれない。
「そうよね、今更よね...」
そうして一頻り笑い合った後、ボリスに促されてエレノアとオットーは来客棟を出て、オットーの屋敷へと向かった。
*****
屋敷に着くと、主人がこんなに早く帰ってくるのは珍しいのか、門番が驚いた顔をしながらも門を開けてくれ、馬を降りたエレノアとオットーが屋敷の玄関へ辿り着くと、執事と思しき壮年の男性が勢いよく扉を開けた。
「坊っちゃま!何かあったのですか?!」
「......いい加減、坊っちゃまはやめてくれ、セス」
「...失礼致しました、旦那様。おや?そちらの方は?」
「エレノア・サージェントと申します。お見苦しい姿で申し訳ありません」
「ターニャに会いに来たんだ。ターニャはどうしてる?」
「奥様のお客様でいらっしゃいましたか。ようこそ、サージェント様。奥様はサロンにおいでです、アルフレード様とご一緒ですよ」
「わかった、茶の用意を頼む。私はエレノア様とサロンへ行く」
「かしこまりました」
セスは丁重に一礼すると、その場を去って行く。
エレノアはオットーに連れられて、屋敷の南側にあるという、サロンへと足を運ぶ。
オットーがノックをすると、懐かしい声がどうぞ、と答えた。オットーが扉を開けると、日差しがいっぱいに注ぐ、庭に面したサロンのソファから立ち上がるターニャがいた。
「帰ったよ、ターニャ」
「お帰りなさいませ、今日は随分と早く......っ!」
ターニャの言葉がそこで途切れたのは、オットーの後ろにいたエレノアに視線がピタリと合ったからだ。
「エ、エレノア様......」
「ターニャ、元気そうね」
ターニャは、転がるようにこちらにやってきて、みるみるうちに、柔らかく光をたたえた薄いグレーの瞳が潤んできた。
「よくぞご無事で!お手紙は拝見しておりましたけれど、お姿を見るまでは心配で、心配で...」
エレノアの姿を上から下に気遣わし気に見やると、両手を取って柔らかく握った。
「心配をかけて、ごめんなさい」
「いいえ、いいえ!こうしてお会い出来たのですから、それはもう...」
エレノアとターニャが入り口で見つめあっていると、オットーがソファを勧めてくれた。
「お茶を頼んだから、すぐ持ってくるだろう。私は着替えてくるよ」
「エレノア様を連れて来てくれてありがとう、あなた」
ターニャの言葉に微笑みで返したオットーは、サロンを出て行った。
「どうぞ、おかけください。せっかくなのでアルフの顔も見てやってください」
ターニャの言葉に、エレノアは微笑んで頷いたが、旅装のままだった事を思い出し、躊躇してしまう。
「埃っぽいままなのよ。赤ちゃんにはよくないでしょう?」
エレノアが心配そうにターニャに告げると、ターニャは心得たとばかりに言った。
「湯浴みの用意をさせましょう。着替えは私の物でも構いませんか?」
「いきなり訪ねてきて、申し訳ないわ。本当に迷惑ばかり...」
エレノアの言葉を遮り、ターニャは腰に手を当てて真面目くさった顔で言う。
「エレノア様、遠慮は美徳と申しますが、過ぎては失礼にあたると、私に教えてくださったのはどなたでしたっけ?」
かつて、エレノアがターニャに言った言葉だ。エレノアに遠慮して、せっかくの縁談を断ろうとするターニャを説き伏せた時の。
エレノアが気まずそうにしていると、ターニャはにっこりと笑って、そういう事ですので、遠慮は無用です、と言って扉まで行くと侍女を呼びつけ、湯浴みの用意を言いつけてしまった。
相変わらず、ターニャには弱いと自覚するエレノアだった。