回り出す運命の輪
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国連軌道宇宙軍の加盟国である、日本国。
その日本国のコロニー3【中京】に派遣され、国連軌道宇宙軍の奨学生に実習の授業を行っている船がある。
退役した元大型輸送艦で、現在は教育実習艦として航行する【リスキー・ビスキー】がそれである。
200メートルを超える船体の長さの輸送艦は、国連軌道宇宙軍内においては「ざら」な方なのだが、
このリスキー・ビスキーは、輸送能力だけの船では無い。
円筒形でエンジンが単発の、一般的な航宙船とは構造が全く異なり、
深海生物の「エイ」が翼を広げた様なシルエットで、地球の大気圏を滑空する事も可能な、万能型輸送艦なのである。
今、地球軌道上をぐるぐると…
エンジンをアイドリング状態にし、慣性飛行を続けるリスキー・ビスキー。
国連軌道宇宙軍の奨学生であり、四日市東高等学校の一年生7人を乗せて、
今まさに、教育実習の最中であった。
カオル「…ぶはあっ!…ぶはあっ!!」
格納庫から、狭い通路を「飛んで」来るカオル。
体温調節の為に温水を循環させ、PEEVA作業中の急激な重力変換に対応出来る、
PEEVA専用の耐Gスーツを着たまま、一カ所だけ外気に露出させた肌…「顔・頭部」からは、
汗が周囲に飛び散っている。
髪の毛は、傘を持たずに土砂降りに遭遇した時の様に、びっしょりと汗で塗れていた。
肩を大きく揺らしながら、心臓が口から飛び出す様な、勢いの激しく荒い呼吸をしながら、
狭い通路の終点にある【搭乗者待機室】に向かって行く。
ちょうど、カオルが搭乗者待機室の扉を開けようとした時だった。
艦内放送を通じて流れて来る、エレノア・シグニスの不慣れな声。
『ぴ…PEEVA搭乗訓練、後半を開始する!
カスミ・レイモンドとヒロノブ・レイモンドは、格納庫へ出頭!』
希望する部所により、カリキュラムは別々。
エレノアは、士官コースも併用しているので、今は管制官の実習中であった。
カオルが搭乗者待機室の扉を開けた瞬間、鉢合わせる様に、
耐Gスーツを着た、カスミとヒロノブの姉弟が出て来る。
カオル「お、おっと!」
カスミ「お、お、お」
ヒロノブ「ムナカタ君、お疲れ様♪」
カオル「はあはあ…二人とも、頑張って!」
危うく衝突しそうになるも、何とかすれ違い、カオルは待機室の中に辿り着いた。
カオル「はあはあ…あり?恭香さん、まだ降りてなかったんだ」
椅子しかない、狭くもガランとした空間の待機室で、チューブ飲料を口にしながら、
まだ格納庫から帰って来ない、美田園恭香を待つ。
すると、
プシュー…
待機室の扉が開き、茫然自失の美田園恭香が入室して来た。
カオル「恭香さん!」
勢いで待機室の壁にぶつかりそうになるも、カオルが両手で受け止める。
恭香「…はあっ…はあっ…!」
やはり、耐Gスーツを着て汗びっしょりの恭香。
苦悶の表情の中、微かに微笑みを浮かべ、助けてくれたカオルの瞳を見る。
恭香「あ、あり…がとう…♪ちょっと…疲れちゃって…」
カオル「お疲れ様♪僕も…クタクタだよ(笑)」
恭香「…でも、カオル君…やっぱりすごい。あんなに…上手に操縦出来て…尊敬♪」
カオル「そんな事無いよ、早いか遅いかの差だよ。恭香さんだって、必ず乗りこなせるさ♪」
恭香「…うん♪」
すると、この二人の甘い瞬間を、ブチ壊そうとしているかの様に、エレノアの艦内放送が入る。
『PEEVA実習訓練を終了した者は、規定に基づき重力室へ移動。
重力状況下で2時間の休憩を取る様に…チッ!』
何か、放送の最後に舌打ちが聞こえた様な、聞こえなかった様な。
カオル「行こう、恭香さん♪」
恭香「…うん♪」
カオルが恭香の手を引っ張り、二人共それぞれ男女別の更衣室へ。
その後、ドラム回転式の重力発生室で、疲れた身体を癒やしたのであった。
2415年、11月。
カオルを含む、国連軌道宇宙軍奨学生達は、順調にリスキー・ビスキーでの教育実習を進めていた。
エレノア・シグニスは士官コースを、ショーン・カザマはPEEVA機体整備を、
ミカ・カートライトはブリッジで航宙士を、
そして、ムナカタ・カオル、美田園恭香、レイモンド姉弟はPEEVAパイロットを。
全てが順調に進み、ちょうど折り返し地点の一週間が過ぎた時、突如「それ」は始まった。
緩やかに動きつつあった時代、表面上は穏やかであった時代が、
劇的に変化し、さまざまな人々の想いを、時代の激流に流し始めたのだ。
その日の夜時間、場所はリスキー・ビスキーの食堂。
壁にかけられた液晶モニターの上部では、【地球衛星軌道…慣性航行中】と、
表示がスクロールしながら、しきりに流され、
メインのモニター画面には、誰がリクエストしたのか、
昨年の大ヒット映画「雷光のグラビティ・エッジ」が上映されていた。
※「雷光のグラビティ・エッジ」
無重力空間に作られた迷路の様なサーキットを、人間の体力だけで突破して、
タイムを競うスポーツ「グラビティ・ブースト」を映画化した、青春サクセス・ラブストーリー。
仕事上がりに談笑する、数人の士官とは別のテーブルに、
教育実習生合計7名、全員が集合している。
ぐったりと…テーブルに臥して、好みの映画どころではないショーン。耳を澄ませば寝息さえ聞こえて来る。
恭香は背筋をピンと伸ばしながらも、こっくり…こっくり。
ミカは椅子から浮かび上がっている事も気付かず、まばたきすら忘れて硬直している。
カスミとヒロノブなどは「明日のカリキュラムの予習」などと言って、教本を開いてはいたのだが、
教本自体がくるくると宙を舞い始め、それに気付く余裕も無い程に、二人は疲労で茫然としている。
カオルは…
カオル「かっけー!かっけー!」
ワクワクドキドキの表情を隠そうともせずに、手に汗を握りながら、映画を夢中になって鑑賞していた。
「みんなぐったりしてるのに、相変わらずあなたは元気ね(笑)」
カオルの背後から声をかけたのはエレノア。
振り向いたカオルの目の前には、エレノアが手を離したチューブ飲料が、
ふわふわとカオルに向かって来る。
エレノア「果汁のジュース、疲れに効くから飲んで」
エレノアはカオルにそう言いながら、椅子に自分を固定して、科学雑誌を読み始める。
そう、ボランティアで厨房を担当する、引率のリンダ先生に頼み、
エレノアはカオルの為に、ジュースを作って貰ったのだ。
カオル「ありがとう、エレノア♪」
瞳をキラキラと輝かせるカオルを直視せず、エレノアは雑誌を読む「フリ」をしながら、
気にしないで早く飲みなさいと、カオルに促す。口元にはほんの少し…笑みを漏らしながら。
カオル「エレノアは映画見ないの?すっげえ面白いよ」
エレノア「私は映画に興味は無いから、気にしないで見てて良いよ」
その日の実習カリキュラムが全て終わり、夕飯後の自由時間とは言え、何故か食堂に集まる仲間たち。
男女別ではあるが、プライバシーを守る為の、割り当てられた共同の部屋もある。
何故自室でくつろいだり、疲労困憊で就寝する訳でも無く、皆が皆、この食堂に集まるのか。
不思議に思ったカオルは、エレノアに聞いてみる。
カオル「みんな疲れてるなら、ベッドで寝れば良いのに、どうして食堂に集合してるんだろ」
エレノア「それは…」
エレノアが返答に窮している時、仕事を終えたリンダ先生が厨房から出て、
エレノアの代わりに、カオルに答える。
リンダ「昼間はみんな、それぞれに専門のカリキュラムがあるからバラバラでしょ?
みんなで集まる時間が欲しいのよ(笑)」
カオル「おお、なるほど。そう言えばそうですね、僕も同じだ♪」
リンダ「どんなに疲れてても、仲間達がいる安心感ってのは、やっぱり格別なんじゃない?」
エレノア「でも、後で部屋に運ぶ側の身にもなって欲しい」
身体の一番小さいエレノアは、皮肉混じりに冗談を言う。
カオル「昨日、熟睡してるショーンを運んで、気密扉に激突させちゃったもんね(笑)」
赤面してうつむくエレノア、リンダ先生はカラカラと爆笑する。
リンダ「まあ、こんな機会じゃなきゃ、こんな経験出来ないから、
とりあえず今は、ゆっくり休ませといてあげなさい」
エレノア「そうね、強引に起こすのも可哀想」
カオル「じゃあ、みんな起きるまで、…リンダ先生の恋愛相談でも聞いてあげますよ」
リンダ「はあっ?何で私が恋愛相談!?」
カオル「だって、つくづく彼氏の出来ない先生を見てると、何か哀れで…、
先生に問題があるなら、解決してあげようかな?なんて♪」
リンダ「お前、笑顔のままで何残酷な事言ってんだ!
悪魔だな!?お前悪魔だろ!?」
カオル「いひゃい!いひゃい!ごむんなつぁい!」
両方の頬を、背後から思い切りつねられるカオル。
エレノアや、食堂にいた数名の士官も爆笑する中、
突如として
艦内放送でけたたましくサイレンが流れ始めた。
キュイ!キュイ!キュイ!
キュイ!キュイ!キュイ!
リスキー・ビスキーの艦内に響き渡るサイレン。
まるで感電でもしたかの様に、身体を「びくっ!」と震わせ、目を覚ますカオルの仲間達。
間髪入れずに、サイレンの後から、キンゼイ艦長の艦内放送が始まる。
キンゼイ艦長『こちらブリッジ、艦長より達する!
今より1時間後の20:30に、国連軌道宇宙軍統合幕僚本部より、重大な発表がある。
身近にモニターがある者は、モニターを視聴。作業中である者は、艦内放送に傾聴する事。以上!』
ヒロノブ「大事な…発表?」
ショーン「ふわぁ!?」
ミカ「何…どゆ事?」
カオル「いきなり過ぎて…良くわからないね」
エレノア「組織のトップから重大な発表…。戦争しか無いんじゃない?」
【戦争っ!?】
エレノアの一言を聞いた仲間達は、その言葉の重さに包まれ、
寝ぼけ眼をこすりながら、落ち着きを完全に失った。
ミカ「もしかして…国連月宇宙軍と!?」
カスミ「火星自治政府って考えもあるけど、現実的に考えば、その可能性は否定出来ないわね」
カオル「ちょっと、ちょっと待ってよ!国連月宇宙軍…って…」
カオルは恭香と視線を合わせる。
恭香は酷く怯え、すがる様な瞳を、カオルに向けて来る。
カオル「テロ組織掃討って可能性もある、今はダメだ!うかつな憶測に流されちゃ…ダメだ!」
ヒロノブ「カオルさんの言う通り、今は発表を待ちましょう」
エレノア「うん、カオルが正しい」
ショーン「そうだな…、ぐだぐだ考えても、まるで価値が無い」
恭香「…カオル君…」
カオル「大丈夫、僕たちがいる!大丈夫だから、絶対に守るから」
リンダ「…」
こういう時に限って、時間の流れは遅く感じるもの。
食堂に続々と集まり出した非番のクルー達と一緒に、カオル達はただ、
「その時間」が来るのを、待つしかなかった。




