10話 命の儚さ
<登場人物>
*浄南病院研修医1年目*
・纐纈桜:主人公.A大学出身.北山田高校出身.
・箕浦健史:A大学出身,桜と一瞬恋愛関係になりかけたが桜に振られた.北山田高校出身,桜と同じ塾出身.
・秋間拓弥:A大学出身,高校時代桜と塾も一緒だった.西又高校出身.
・藤原琴海:B大学出身,北山田高校出身.言い方がキツくて桜は苦手.
・大輪田祐之:C大学出身,西又高校出身.第一印象よりは気さくだけど内弁慶.
*浄南病院研修医2年目*
・長瀬菜子:やる気なし系で病院で韓国ドラマ見るくらいの人.
・角田遊星:髪を脱色しているほどチャラい.人情厚い面もあるが桜はCPA事件をきっかけに余計に嫌いになった.
・安曇眞彦:資格大好き人間.司法試験合格している.
*浄南病院上級医*
・加藤先生:外科の先生.初めの準夜勤で一緒になり,陰で桜の行いに激怒していたため,桜のトラウマ.角田先生と仲がいい.
・芝浦先生:呼吸器内科の先生.丁寧に教えてくれる.
*患者さん*
・諏訪さん:肺癌の患者さん.抗がん剤で肺炎になってしまった.
*その他* 省略
諏訪さんが,薬剤性肺炎で戻ってきた.
「薬が合わなかったみたいだね,苦しいけど仕方ないね」
会いにいくと,今日ばかりは,奥さんと息子さんと思われる家族もいた.
諏訪さんは,酸素を吸っていた.でも,まだナーザルカニューラ(鼻から酸素を送る管)程度で済んでいた.
家族さんにも会釈し,診察を始める.
「聴診,いいでしょうか」
「もちろんですよ」
音は,前の入院の時とは明らかに違っていた.
fine crackles,これはイメージだと「ガサガサする音」.多分これだと思う.全体的に聞こえてくる.
「とりあえず入院で見ていきましょうね」
私からは,治療の方法だって自信持って言えないし,そんな言葉しか出てこなかった.
医局に戻ると,芝浦先生もカルテと睨めっ子していた.
「残念ですね,もうこれで使える薬がないのでBSCですかね.僕の外来でもお話ししましたが,ご家族さんの受け入れも,少し心配なところですね」
BSC__この言葉は,病院内,特に癌に関わる現場ではよく聞く言葉.
Best Supportive Careの略で,「癌に関しては積極的な治療はしないけど,痛みや苦しみを和らげて,本人にとってできるだけ安らかに人生を全うしてもらう」という方針のこと.
諏訪さんだって,初めて入院で見た時は,どこにでもいる,元気なおじいちゃんだった.だったからこそ,抗がん剤を使用して,積極的治療をしていた.
でも,もう今の医療では,これ以上癌に立ち向かうための武器がない.
残されるのは,いかに楽に過ごせるかという余命.
「芝浦先生,因みに,こうなるとどれくらいもちますか?」
「実際のCTを見ながら説明しますね」
今日のCT画像.基本的に肺癌の場合は多くの臓器に転移しやすいことが言われているから,フォローでの確認の場合でも胸から腹部までの画像が撮られることが多い.
「纐纈先生,この画像を見てどう思いますか?まずは昔の画像と比較してくださいね」
カルテの画像システムから,コロコロと動かしつつ異常を探す.
まずは全体的に肺の色が白めに写ってる.これは薬剤性肺炎かな.ほぼ全部の色が変化してるし,状態が悪いのは明らか.
他だと,原発巣と思われる左の下葉(下の方)の5 cmくらいの腫瘍があるでしょ,他にもなんか肝臓にもちょっと黒っぽいところがある…
「もしかして,肝転移ですか?」
「ちゃんと見比べてください,前回のがこれです」
比較してみる.肝臓は黒いのが新規?…明らかに肺炎像は全体的に見られていて,しっかり違うのはわかる.
「もちろん薬剤性肺炎はわかると思うのですが,アテゾリズマブに変更した理由が先生もおっしゃる通り,肝転移が出てきてますね.あとはそうですね,ここにおそらく肺内転移も出てます」
指された場所には,ほんの少しの5 mm程度の塊だった.
私からしたら,気管支(空気の通り道)と見分けがつかない.
「それにですね,所属リンパ節も腫れていまして,あれだけ元気なのがびっくりくらいなんですよ」
苦しそうではあったけど,明日に亡くなる,みたいには見えなかった.
「場合によっては今回の肺炎が原因で亡くなってしまうかもしれませんね.SpO2低下もありますし,全体的に悪化するのもあり得ますよ.とりあえずステロイドで治療も一緒に開始しておきましょうね」
どこか,心配な気持ちが拭えなかった.
________
そこから,10日程度経った.
私は呼吸器内科のローテは終わっていた.でも,諏訪さんのことは毎日会いに行っていた.
カルテの経過も見ていたけど,明らかに改善している様子はなかった.むしろ____
肺癌は死ぬ確率が高い病気,他の疾患も,命に関わりうる病気も多い.
でも,消化器内科よりはかなり楽しかった.
自分で人工呼吸の勉強もした.気胸の患者さんも見た.
芝浦先生をはじめ,呼吸器内科の先生方は,すっごくいい人.
もっと,私,勉強したい.
呼吸器内科も志望としてはありなのかもしれない.
そんなことを思ってても,現在の仕事___当直は進まない.
当直は,2回目からはある程度慣れた.
ダメなところもたくさんあると思うけど,それでも,嫌なことを言ってくる上級医はいなかった.
「纐纈先生,walk inが来てます」
受付事務さんからの言葉に,私は診察室に歩いて行った.
…そんな,当直の夜だった.
その時は,特に患者さんも誰もいなかった時だった.
私のピッチに,電話が入った.
今日の上級医からかなとか思ったけど,ディスプレイには『呼吸器内科 芝浦先生』とだけ書いてあった.
________いや,そんなはずがない.
でも,こんな当直のタイミングで,芝浦先生からPHSで連絡が来るって言ったら,嫌な予感がする.
『纐纈先生,諏訪さんが_____』
その後の言葉は聞こえなかった.
諏訪さんの病室に,階段で走って行った.
________
6階,そこは諏訪さんのいた部屋だった.
息も絶え絶えで部屋の前まで歩く.
「纐纈先生,来てくれたんですね」
芝浦先生がもう既にいた.
「最期を,一緒に診ましょう」
その言葉で,体が無意識に強張った.
…でも,医師たるもの,これも今後は一人でできる必要があるよね.
「わかり,ました」
首からかけている聴診器を一応確認する.
「大丈夫です,私がやるので,見ていてくださいね」
その芝浦先生の言葉の後,看護師1人と私,そして芝浦先生で病室に入った.
そこには,妻,息子,それと息子の嫁と思われる人達が,入院前より痩せこけていった諏訪さんの横で座っていた.
横にあったモニターではピピピピッ異常を何度も知らせている.
心電図モニターは,脈拍を0としたり,29としたりと微妙に揺らいてた.
心電図は,波形は見えるけど,もう脈は触れない___有効に心臓が動いていない,PEAであることを示していた.
…もちろん,心肺蘇生の時にこの波形や対処法は習うけど,それでも,本当に最後にこんな波形が出てると,生きていると信じたくなる気持ちでいっぱいだった.
SpO2はもう既に測定不能となっていた.
「只今より,死亡確認をさせていただきます.死亡確認には死の三徴というものがあり,心臓の音,呼吸の音,また瞳孔の反射が見られないことで確認します」
家族さんに対して,ゆっくりと説明する.
そして,いつもよりもさらにゆっくりと,聴診が始まる.
看護師によってモニターの音が消されて,びっくりするほど静かな時間が始まった.
「心臓の音は,確認できません」
そして胸の左右の音をゆっくりと聴診する.
「呼吸の音は,確認できません」
最後に,瞼を上に引っ張り,ペンライトで対光反射をみる.
「瞳孔の反射は,確認できません.
死の三徴が確認されましたので,6月3日1時17分,死亡確認とさせていただきます.ご冥福をお祈りいたします」
芝浦先生が家族に対して頭を下げる.私も一緒に頭を下げる.
「父ちゃん…」
「お父さん…前まであんなに元気だったのに…そんな…私,あなたがいなくなってどうすればいいのよ!!」
息子さんの涙を我慢する声と,妻の悲痛な声に,私も涙が出てきた.
「私たちはこれで失礼致します」
その芝浦先生の言葉と共に,私は一緒に病室を出た.
________
「諏訪さん,残念でしたね.癌の方は急に亡くなることもありますからね.
ある程度は今後の余命についてIC(インフォームドコンセント,家族に説明すること)してはいたんですけど,前まで元気だったこともあって受け入れが悪かったので心配していたんですがね」
死亡診断書を書いている横で,私はただ,諏訪さんのことが頭から離れなかった.
私にとっての,しっかりと見ていた患者.
そんな患者が,入院中に最期を迎えてしまった.
涙が滲む.
でも,医者を続ければ間違いなく何度も起こりうる場面.
…私は諏訪さんを今後も一生忘れない.
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シルバーウィーク後は週2更新予定です.




