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繰り返しのその先は  作者: 水瀬


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第63話 聖女 3


 神の存在を信じていても、神殿に足を運ぶものは少ない。

 わざわざ口にしなくても、祈りの力というものはその心からあふれ、正しく神に届くと、知っているからだ。


 それでも祈りを口にするものは―――神殿を訪れてまで神を頼るものは、その身に何か重い物を持つものばかりだ。

 喜び、悲しみ、後悔……誰かを救いたい、救われたい……そんな強い、強い思いを持つ、そんな人たち。


 そして―――もうすぐ神の世界へ旅立つ者たち。


 病の苦しみ、死に対する恐怖、不安。

 私たちは与えられた力を、そんな彼らに分け与える。


 痛みを和らげ、苦しみに寄り添い、病を癒し、愁いを浄化するために、祈りと力を捧げるのだ。







 私は、あの子に……あの女になる前の、あの子に会ったことがある。


 初めて会ったのは生まれた日。


 この世界で、子を産むことは命がけだ。

 命の神秘は、神の御業。

 どんなに健康でも、何があるか分からないのが出産だ。


 母体は外的な侵食と精神的な疲れで弱っていた。その上、子は産まれる前から命の危機にあった。


 だからこそ、私が……聖女が呼ばれた。


 誰もが、覚悟していた。

 父親も、母親も……私さえも。


 それでも私は祈った。


 聖女の祈りは、もともと持つ本人の力を増幅させることができる。


 純粋な祈りと願いは、時に奇跡を起こす。


 ようやく生まれてきたあの子は弱々しい泣き声で、微かな息遣いで……なのに、その瞳は生への純粋な希望が溢れていた。

 私はありったけの力を注いだ―――私の力がどの程度通じたのか分からないが、あの子は生き延びた。







 それから、幾度かの誕生日。

 そして、命の危機が訪れた時。


 両親の希望で、私は何度かあの子に力を与えた。


 あの子は、何度も何度も死の淵を歩きながら、必死で命を繋いでいた。

 生まれた時ほどの光は次第になくなっていったが、あの子の生への欲求はいつだって強かった。







 そして、あの日。

 あの子は、ベッドの上で力なく細い息を吐き出していた。



 初めて会った時、あれほど力に溢れていた瞳は、どんよりとして生気がなかった。

 けれども、まだ生きたいと、その瞳が言っていた。



 ―――いつものように目が合った。


 と、ありえないほどに深い闇が私の心に入り込んできた。



 私は、それを旅立ちが近い者によくある苦しみだと思った。

 いつもは心の奥底にしまい込まれている、苦しみ。恐怖。不安。


 生きていれば必ずどこかで向き合わなければならず、折り合いをつけなければならない感情。


 生まれたときから見ている子だ。

 いつの間にか私にとって家族のような―――それも、妹のような存在になっていた。


 私は、この世界はどこまでも優しい世界で、その優しさはどこまでもどこまでも続いていて、その後の向こうにはもっと優しい世界があるのだと……信じていた。


 だからこそ、目の前にいる子がそんな闇を抱えたままでいるのは良くないと、いつもより感情的に祈り、寄り添った。


 今考えればありきたりで面白味も、救いもない……不安のない者が言う当たり前の言葉を口にした。


 今苦しくとも、世界を信じて、正しく、綺麗な心を保てれば、神様のいらっしゃる場所へ行けるのだから、と。


 その闇を打ち払え、と。


 あの子は、私の言葉にかすかに微笑んだ。

 唇の端が少し上がっただけだが、確かに笑ったのだ。


 分かってくれたのだと、きっと苦しみを乗り越えるだろう、と私は思った。

 


 それを証明するように、子はもちなおした。





 それが、あの子と会った最後だった。









 半年ほどたって、次はいつ呼ばれるかと気にかけていたところに、あの子が快癒したと聞いた。

 あの子の両親が新種の薬草で治療薬を作り、あの子は普通の子と同じくらい元気になって村を出た、と教えられたのだ。


 私はただただ良かったと思った。

 そして、神が顕現し、世界を救えと命じられ、王家に招かれ、女に会うまであの子のことは忘れていた。






 女が純真無垢な瞳でこちらを見た瞬間、あの日と同じ深い闇が私の心に入り込んできた。


 そして、知ったのだ。

 女の正体を。あの子の中に在った深い闇と、あの村に漂っていた何かを。



 神の言葉がなければ、その体があの子のものだと信じられなかっただろう。


 すっかり元気になってふっくらとした頬に、赤い唇。

 手足がすらりと伸び年相応に成長した姿に、あの頃の面影はなかった。

 すべてがあの子とはかけ離れていた。


 何か分からないものが、あの子に成り代わっていたのだ。






 女の長い長い話を聞きながら、私は私の中に言いようもない何かが生まれるのを感じた。


 それは、初めて感じるどうしようもない怒りだった。

 今まで、そんな気持ちになったことはなかった。


 生も、死も、この世界にあるあらゆる事象を私は当たり前のように赦せていたのに。

 あの子の苦しみは、この世界にあるものではなかった。

 あの子だけが受け止め、あの子だけでせき止めていた、この世界の理とは全く違うもの。


 私の知らない、この世界の誰も知らない……この女と、別の世界の神によって与えられた苦しみ。


 女を見ると、叫びたくなった。


 あんなに、あんなに生きようとしていたあの子が、こんなものに奪われるなんて!


 悔しさに唇を噛めば、あの子の最後の微笑みが脳裏に浮かび、怒りとは違う感情が生まれた。


 

 あの日のあの子の最後の微笑み。


 あの微笑みは理解ではなく、諦めだった。

 あの子は、私の言葉で抵抗をやめたのだ。


 あの微笑みの意味をもっとちゃんと考えていれば……と。



 もしあの時、あの村を覆っていた、この世界にはない空気を理解していたら。

 もしあの時、あの子の中の闇を払うことができていたら。


 ……あの子にあんな無理難題を突き付けたりしなかったら。



 そうすれば、私はあの子を救うことができたのだろうか、と。

 そうすれば、あの子はあの子のままでいられたのかもしれない、と。


 後悔が渦巻く。


 あの子をこうしたのは……こうしてしまったのは……私のせいだ。



 だから、私は、今ここにいる。

 私の罪を償うために。







アルファポリスに追いついたので、

申し訳ありませんが、

次話から不定期更新になります。


引き続きよろしくお願いいたします。

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