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勇者などいない世界にて  作者: 一二三
第一章 二つの世界
56/92

第一章54 弱者に破壊は防げない②


 突如として裏世界から姿を見せたザガンと呼ばれる男にグリムは果敢に立ち向かい、大敗を喫した。

 恐怖に苛まれ動けなくなったのだ。


 グリム・ベム、彼はアル・ツァーイ村の重役として、政務を取りまとめる役職であった。

 普段から律儀で仕事にも抜け目なく、合理的な考えができる優秀な人間として村でも知られていた。だが、そんな彼には一つのコンプレックスがあったのだ。


 『私は弱い』


 村を取りまとめる重役の中で、司書として資料室に引き篭もっているエスティア・シンシアよりも弱い、最弱の人間であることだった。

 勿論、フェストグリフォンを単独撃破できる程度の強さは持っている。でも、それでは満足できなかった。


 重役の者には村長ハバキリより『効果付与(エンチャント)』済み装備を貰えることになっている。

 当然、警備班班長のダルジェンと司書エスティアは勿論、政務担当グリムも特別性レイピアを受け取った。

 しかし、


「どうなってるんだ、これは!?」


 グリムのレイピアだけ一体どうしてか特殊効果が発動しなかった。

 ハバキリに問い正しても「私はしっかり『効果付与(エンチャント)』したよ」と返され、以降彼は村長より授かったそれをただのレイピアとして使うことになる。


 この事実がどれだけグリムの心を抉ったか、その谷の深さは誰も計り知ることができない。


 その数日後、毎週末に村はずれで行われるトレーニングにて、ダルジェンとエスティアは唖然としていた。

 今まではトレーニングの時であろうと物静かで真面目に強くなろうと努力していて、その直向(ひたむ)きさに二人も感心していた程だ。


 『俺は強い』


 だが一変してこのときからグリムが剣を振るう際、彼の気性は荒れるに荒れた。

 彼は深い心の溝を偽りの自分で埋め立てたのだ。

 自分は強いんだと暗示をかけるかの如く___否___戦闘に於いて彼は自ら欺瞞に乗っ取られる道を選んだ。


 そんな様子を見かねた村長らだったが、しかしグリムのその行動を否定するだけの権限はなかった。

 彼はそれで満足しているし、周囲への害もない。

 だからグリムもただ傍観されるだけで何も言及してこないことに安堵を覚え、この日から偽りは拡大の一途を辿る。


「かかってこいやグランッ!」


「お、おい普通に疲弊でぶっ倒れるぞ! そろそろ休憩しないとグリムの体に悪いから!」


「どうした臆したのかおい!」


「あぁーもう駄目だこりゃ!」


 翌年グリムは27歳を迎え、同じく17歳となったグランとも時々戦闘訓練をするようになったが、もはやバーサーカーと言っても過言ではなかった。

 この時点で二人は互角で渡り合えるようになっており、しかしグリムの尊厳がそれを許すはずもなく、決着がつくまで戦闘を続けようとする始末。


 結局グランの魔法で打ち負かされ草の上に横たわる日々が何度あったことだろう。

 ふと冷静になったとき緑の匂いや鳥の声、自分の息の音が急に耳に入ってくる。毎度毎度、自分がどれだけ周囲への注意をおそろかにしているか反省させられる。


「なあグリム。なんでそんなに勝ちにこだわる?」


「何を言ってるんですか。負けるより勝利した方がいいのは当然のことだと思_____ 」


「そうじゃなくてさ。自分を見失うほど暴れてまで戦って、じゃあ何のために戦ってるんだよ」


「何の、ために…………」


「知っての通り俺の場合、母さんと父さんの命を奪った奴への復讐のために力を付けようとしてるけどそれは最終目標ってだけ。復讐のためだけの力って悲しいだろ。だから、いつ何が起きても誰かを守れるようにってのもまた一つ」


 自分より十歳も下の子供に諭されるなんて思っても見なかったが、その言葉は心にぐさりと刺さった。生意気だななんて言い返す余裕すらなかった。


「今は戦う意味を見つけられなくても良いと思う。けど、いつか何かの目的の為に力を振るうようになったら教えてくれ」


「グラン……」


「ささ、今日は疲れたしもう帰って休もうぜ。んで、また近いうちに訓練しよう」


 この日このグラン言葉で心がなんだか軽くなったような気がした。日々の作業中や一人でいる時、戦う理由をよく考えるようになった。

 でも、村を守るためだとかそう言う理由は当然のこと過ぎて納得できるものではなく、その後も(つい)ぞ目的を得ることはなく時は過ぎて。



「くそぉ、くそぉ……俺は、俺は弱いんだッ!!」



 窮地に立たされ恐怖したことで、遂にグリムは自身の弱さを認めてしまった。この日グリムの偽りは、砕けた。



================



 ザガンが街を破壊しに回って数分、複数人の冒険者らしき人達がザガン撃退に向かおうと屋根の上を走っているのを見ながらグリムはフェンスにしがみついて涙していた。

 やめろ負けるぞ死ぬぞ逃げろ、届くはずのない心の声が脳内を支配していた。


 だが、その時だった。


『ーーさい』


 冒険者達が一斉攻撃を始めたのを見て、グリムは思わず目をつぶってしまった。彼らの敗北をこの目に焼き付けたくなかった。


『立ち上がりなさい』


 その声がグリムの真横から聞こえることに気付くまで数秒とかからなかった。

 かたく瞑った目を恐る恐る開き、声の方向を向く。


「______え、」


 誰もいない。

 そんなはずはないと今度は周囲全体を眺める。閑散としていて、夕焼け空も次第に黒みを帯びて来たかという寂しい景色がただ広がるばかりだった。


「は、はは。ついに幻聴まで聴こえてしまうってか」


 自己を嘲笑し、試しに幻聴と会話が出来るのではないかという好奇心から虚空に向かって問いかける。


「誰だが存じ上げんが、何故この弱者が再び立ち上がらなくてはならない。こんな体たらくな弱者に破壊は防げないと決まってるのに」


『だからです。貴方が今、己を弱いと認めたから』


 意思疎通が取れた。

 子供のようで、しかし大人の女性のような、はたまた神様のお告げなのか聴き分けられない可愛らしげの残る声だった。そしてその声は続けて言う。


『倒すことだけが戦闘を終結させる手とは限らない。勝利条件など作ろうと思えば作れてしまう』


「一体、何のことを言って____ 」


『貴方が自分を卑下するのは明白のこと。しかしその心のどこかで未だこの惨状を食い止めたい気持ちが残っていたなら、少なくとも今は、私に従うべきでしょう』


「なんと上から目線な…………だがしかし、私のレイピアに『効果付与(エンチャント)』の効力が発現しない以上、私はもう手の施しようが無い」


『………それなら問題ありませんことよ?』


 言外で「何を当然のことを」と言われているような気がした。ただ意味が分からなかったのはほんの刹那であって、その答えは既に瞳の内に映り込んでいたのだ。


「まさか……これはまさか!」


『そうです、グリム・ベム』


 グランが慟哭の内に手放してしまった一本のレイピア、それが白い淡光を帯びていた。弱者に力を授けてやろうじゃないかと上から訴えるかのように。


『これが、この私こそが、貴方の細剣に宿された権能。己の弱きを払拭する力!』


「私が、私の弱さを払拭する…….」


『さあ、剣を握って、立ち上がって。理由はたった一つあればいい。そうではなくて?』


 丁度そう投げかけられた瞬間、竜巻が市街を横薙ぎしたことによる轟音が空気を、大地を震撼させた。

 厄災の魔の手は着々と拡大しつつある。


『時間はありません。このままあの兄妹の、貴方の大事な人達の帰るべき地を滅されていいのですか?』


 急かされていることは重々承知だ。

 謎の可憐な声に良いように諭されていることも承知の上。

 でも、グリムが選ぶ道は最初から心の奥底では決まっていた。だからグリムは答える。


「____________________否!」


 自慢のレイピアを手に取り、涙を拭い、立ち上がった。目指すべきはただ一点、竜巻が横に渦巻くその中心地。そこに敵ザガンはいるのだから。


『さあ行きましょう。勝利条件は複数ありますが、まず貴方が目指すべきは_______ 』


 かくして、姿なき声との対話を通しながらグリムは戦地へと駆け出す。

 敵から受けたパンチの痛みは身に染みた。敵との格差も身に染みた。倒せないなんて自明のことすぎるが余り笑いも溢れてくる。なんでこんなにやる気になってるんだろうと。


( グラン。私の戦う意味、やっと見つかりました。守るべき人を守るんじゃない。私は、帰るべき場所を守るんだ )


 そして彼は見る。


「吹き飛びやがれええええええええぇぇ………え、あ?」


 町長カイがザガンに銃弾で傷を負わせた瞬間。そしてザガンが激情し一度は見逃そうとしたカイを殺そうとする寸前を。

 だが、彼らの意識は今完全にグリムに向けられていた。

 グリムは呼吸を整え、意識を戦闘モードに引きずり下ろす。そして格好よさげに再登場のセリフを刻んだ。



「さて、俺は今一度、貴様と戦わなくてはいけないらしい。そうするべきだと、この剣が教えてくれたからな」



 どうやら癖のように染み付いた口調の変化は治らなかった様だが、しかしそれが功を奏したらしい。

 ザガンは一度「偽者」の状態を見てしまっている。だからグリムの心境の変化に気付くことはできなかった。


「なんだなんだ? 愚か者がまさか立ち上がってここまで来るたぁ読みが外れたぜ! 凄ぇことだと思うよこりゃマジで。でもよ、来たところで俺を倒せると?」


「倒せるか倒せないかで言えば、倒せない。これは確定事項であり翻らない。だから何だ?」


「ついに完全に狂ったか、オメェ」


 正直狂ったと言われて否定は出来なかった。黙る以外の方法を思いつかなかった。

 確かに不安が無いとは言い切れないし、全ての悩みが解決したわけでもない。でも、まだもう少しくらいできる気がしたから立てた。それだけのことだった。

 だから、その可能性に賭けて剣を構えた!


「なあ愚か者、今度はその命ごと吹き飛ばすぞ」


 ザガンは剣呑な空気を孕ませて警告すると腰を深く落とし拳を構えた。


「い、いかん。グリム氏、その攻撃は恐ろしい空気の玉が飛んでくるぞ!」


「もう遅ぇ! この空気は放たれれば最後、不可避の速攻に等しいんだからなぁ!」


 カイの叫びに被せるようにザガンの正拳突きが空気を押した。そこから生まれた空気砲が気付けばグリムの目と鼻の先まで迫っている。それを認識した頃にはもう、


「『魔力貫撃(ペネトレイト)』ォォォォォ!」


 魔力を纏った剣身が空気砲を突貫して威力を弱めた。それでもなお力の差で押し負けてしまい、腕ごとグイッと後ろに弾かれる。

 それでも、


「無駄にすばしっこいだけの愚鈍野郎が、オメェがこれに対応しやがるとは!」


「貴様が強風を飛ばすなんざもう分かりきってんだよ」


「ならこれには対応できるのか、ええ??」


 言って挑戦状が叩き出されるとすぐ、攻撃は実行された。

 四股踏みで地面を揺らし瓦礫を浮かす。そして瓦礫を狙って大突風を送ることで複数方向から重い残骸をグリムにぶつける。


「くっそ、全部の対処が間に合わなッ_____!! 」


 ゴガッ……!! と、鈍い衝突音がダメージの大きさを物語っていた。砲丸投げの鉄球が腕に直撃したようなものだ。尋常ならざる力と技量に翻弄され依然手も足も出ない。

 しかし対処しきれなかった瓦礫片はまだ一つ残っていた。


( くッそ、何か水のようなものが衝撃を和らげてくれりゃあ嬉しいんだがそうもいかない!)


 ガッ___バシャァ!と、今度は右肩を砕く一撃が入って、


「「「なっ?!」」」


 それによって何が変わるわけでも無いが、突然リンゴサイズの水玉が弾け散る様子が3人の目にしかと映った。どこからか水が出現したのだ。自然と空間から湧き出て来たのだ!


「畜生オメェ何をしやがった! しかし俺には好都合だが!」


「しまっ、あの悪魔は水を求めて浮浪していたのだった!」


 シャワーのように散らばる水に向かい狂気の笑みで駆け出し、ザガンはその体全身に水分を浴びせた。

 そのまま勢いを殺さず突き進む。その先にいるのは当然グリムで、


「はッ! 水って最高だなッ!!!」


 ハイテンション状態で肩から腕にかけて骨を粉砕されたグリムを更に数回殴りつけてやる。のけぞったところに追加の鳩尾(みぞおち)蹴りが突き刺さる。


「かッ________ 」


 大量に体内の息が吐き出され呼吸困難に陥る。

 更に大きく後方へぶっ飛ばされ、ついには竜巻の被害から逃れた市街地に足を踏み入れる。


 目にも止まらぬ殴打を数撃喰らって普通でいられるはずもなく、グリムは数秒道のど真ん中でのたうち回った。

 しかしその後呼吸がある程度できるようになってくると冷静さを半ば取り戻し、先ほどの水の発散が脳裏を過ぎる。


( さっきのあれは……まさか俺が「水のようなものが衝撃を和らげてくれたら」と思ったからその片鱗が発現したと言うのか!)


 ただ、彼にはそんなグランの「想いに応える魔法」に似た力は当然ない。つまりあるとすれば、


(『効果付与エンチャント』とはこれほどまでに可能性を秘めているものなのか? いや、しかし多少なりとも制限がなくてはおかしい。実際、衝撃を和らげるどころか申し訳程度の水玉しか出現しなかったのもその制限があったからのはず。なら尚更、いったいどうすりゃ良い?)


 だがどうやら、そう悠長に思考を巡らす時間は与えてくれないらしい。


「さっきの水、魔法とはちぃと違うって感じだった。あの程度のことは気にする必要ねぇんだけどよ、魔法じゃないってんならなんなんだよって気になるじゃんかよ」


 ザガンは銃で射抜かれた腕を破ったズボンを巻き付け止血しながらじっくり寄って来ていた。あまりのダメージで動けないグリムを威圧するようにゆっくりと。

 それに対し当のグリムは毅然とした態度で敵を一瞥し、


( そう、例えば大地母神のような豊穣を(もたら)す力。生命の息吹とも言い表せるそれこそ俺には必要だ。だから、)


 名付けて、


「『母神の息吹(ダヌー)』」


 グリムは様々な地方の神話に明るい。ほとんど知られてないような神様だとか物語まで手をつけてしまう位に詳しいのだ。

 だからこの差し迫る緊迫した状況下で降って湧いたイメージは神話になぞらえたものだった。


 ふわっ、というように優しい風がグリムの頭上から吹いた。そのまま身体が浮き上がってしまうのではないかと錯覚してしまうレベルで全身の痛みが和らいだ気がした。

 事実グリムは自然と立ち上がっていた。粉砕したはずの腕を動かせていた。


( 治った、と言っても骨折部分だけか。やはり回復面にも制限はある………が、効果は段違い。体内の損傷を修復すると同時にやる気って奴がドバドバ湧いてきやがる。嗚呼なるほど、分かってきたぞ )


「あ? おいオメェ、今何したよ。やっぱり何か怪しいよなあさっきから」


「いちいち気にするなよ。俺の溢れる戦意が痛みに打ち勝っただけのことだ」


「はッ、随分とまあ様になったもんだ。この短時間で何がオメェをそうさせたか想像すらつかんし怪しさも払拭できねえ。だがひとつ分かってるのはよ、オメェが強くなった訳じゃないってことだな!」


 言いながらザガンは拳を振りかぶる。今回は突風で薙ごうとするんじゃなく、距離的にも直で殴る気満々だ。

 今までの軽く遊ぶような攻撃とは違い本気で殴られたなら一体何が起こるか分かったものではない。


( だから、今度こそ防ぎきるまで!)


 グリムを囲うように水飛沫の輪が虚空から湧き出て、それが爆発的に全方位を覆う球状の螺旋を描き出した。その間僅かゼロコンマ数秒の出来事。

 拳から身を守るのには十分な時間、だから声を大にしてその名を誦んずる。


「来たれ、『水精の防壁(ヴィヴィアン)』!」


 詠唱によって螺旋の隙間も塞がれ水の膜は完成した。その弾性を持った厚壁の防御力は言うまでもなく、


「だらあああああああああああああああああ!!!!!」


 幾度となく撃ち込まれる大砲級のパワーでさえ波として吸収され水面(みなも)を分散するように駆け巡り、波同士の反射で波が減衰するのを待つのみである。

 これこそ、対物理攻撃に於ける最大の防御であった。


「くっそ……思わず、息が上がっちまうまで殴り続けちまったじゃんか。押しても侵入できない水の壁たぁ考えたな。でもよ、なんでさっき俺が水をあんなに欲していたのか、オメェは考慮したのか? してないから水を張ったんだよなあ!」


 両手を水の膜にぴったり付けながら男は言う。

 気付けば透明な水は完全に一転し、真っ赤な血色に染まりきっていた。香る鉄血の匂いが鼻につく。


「これは、本当の血液だ…………『水精の防壁(ヴィヴィアン)』の純水が一瞬にして血液に変化させられたんだ!」


 グリムは思い出した。

 一番最初、ザガンは腕から発せられる風の正体を「血だ」と言っていた。だがそれを世迷言だと一蹴したのはグリム。


「つまり、気付いた時にはもう遅いってことかよ!」


「ご名答ってやつだぜ!」


 グリムにとって最大の防御だが、ザガンにとってそれは最大の攻撃であった。

 簡潔に言えば逆ハリネズミだった。血の壁はさらに暴虐の嵐へと姿を変え、無数に伸びるそれに全身を呑まれる。風の回転は肉を捻り抉るし、蛇のように喰い破る。

 案の定、全身には穴が空いて、一部貫通してしまっている。声すらも出なかった。


「俺の勝ちィ」


 中で血噴き意識朦朧としているであろう男の姿を見てやろうと、ザガンは勝ち誇った笑みを浮かべつつ眼前の風壁を霧散させる。


 その想像通りの姿が晒された。

 臓器や骨ごと貫かれ、グリムの容貌は完全に血で染め上げられていた。


「その様子じゃもう戦えやしねぇ。放って置いても勝手に命尽きるだろうぜ。さっきの町長みたいな最後の足掻きすら出来ないさ、オメェは」


「ひ……ぁ…………………だ、なぅ」


「いやはや驚いた。普通声を出そうとする気力すら残ってない筈だぜ? 興味深いがのんびりしてもられないんでね、構わず俺は行かせてもらうよ」


 男が背中を見せた。

 チャンスだ!と叫ぶ心の内に反して身体は言うことを聞かない。感覚すらそこにない。

 謎の声____レイピアの『効果付与(エンチャント)』____の言うがままに動いて、自分の戦う意味も見つけて、でも弱者なことに変わりないないのは知っていて。知っていた。知っていたから。


『』


 だから、勝てなくても問題ない。


「イェス……マァム_______ッ!! 」


「な__________?! 」


 グリムは立ち上がっていた。

 姿勢こそ崩れかかっていたものの、流血こそ続いていたものの、死ぬにはまだ早かった。


「貴様の、その腕の傷……塞がってるよな…………」


「オメェ何を言って」


「銃で撃たれて、まだ数分ってところなのに塞がる訳、ないって話だ。そして……今の水を血に、血を風に変換させた、貴様の力…………やあっと、分かってきた、ぜ」


 ふらふらとした足取りでグリムは敵の裏へ回ろうとする。勿論そんなことで背後を取れるはずもないが、だからザガンもグリムが動くのを止めようとしなかった。


「貴様が、水を欲したのは、血が減ったから。血を暴風に変換させていたから、水を血に変換できる能力で血液補充を行った」


「正解だ。俺の能力は『血界』。血を水に、水を血に換えられる。そして血は風にも換えられる。まさにオメェが見てきた通りの力だが、それが分かったところでなんだ?」


 歩きながら話を続ける。


「貴様はやらかした…………俺の張った水のほとんどを、攻撃に、費やした。つまり、俺はもう防御しなきゃ良いんだ…………この意味が、分かるかよ」


「あ? 知らねえし文脈がおかしいだろ、それ」


「そうか………まあ別にいいさ」


 言って、ピタッと足を止めた。


「随分と、予定外にも離れてしまったが………後少しばかり頑張らなくてはいけないってだけで、依然問題は、無い」


 意図の分からぬグリムの物言いにザガンも怪訝な顔で凝視してしまう。それを知ってわざとか否か、グリムは続けて宣言した。


「今から、この街を、これ以上の破壊の魔の手から、防いでみせるさ。この、弱者がな」


「はァッ! 何回同じことやるつもりだよオメェ。そう言ってボロ雑巾みてぇに満身創痍なのは何処のどいつだオラァ!」


「今度こそ、これが最後だ!」


 グリムは前のめりで駆け出した。

 だがザガンが腕を前方に伸ばして一直線の暴風を射出しようとしたその寸前で、グリムの足から力が抜け転ぶように崩れる。

 しかしそのお陰で九死に一生を得、両手を地面について完全に転ぶのを逃れたところで既に、そこはグリムの攻撃範囲内だった。


「俺が、度重なるダメージで自然と崩れたと思ってんだろ」


 グリムは立ち上がる素振りは一切見せることなく、地につけた両手を軸にその体躯を90度回転させる。


「こうなることは予定の範囲内よ。いや、逆にこっちの方が断然良い。なるべくしてなったんだ」


「転んでおいて、何を言ってやが______ 」


 不覚だった、とザガンは気付く。

 崩れた体勢のままグリムは柔軟な身体で脚を振り上げ、男の腹部に蹴りを入れていた。

 ただそんなことでザガンは微動だにしない。だから、グリムはレイピアに祈り、そして唱えるのだ。


「『猛神の暴風(ボレアース)』ッ!」


 瞬間、錯覚でも何でもなく全ての音が消え去った。

 静寂の世界はすぐに消え去り、瓦礫の崩壊音、燃える火の音、そして流れる風の音が戻ってくる。

 その風の音の正体、それがグリムの靴とザガンの腹部の狭間から生まれ出ているのだと気付いた時、



「オメェ一体、何をおおおおおおおおおおおお_______!! 」



 違和感を感じるのが遅いのだと悟ると同時、ザガンは暴風に晒され遠方まで吹き飛んでいった。竜巻によって抉られた窪地などあっさり超えて、丁度もと来た道を逆行するように飛んでいく。

 すぐにグリムも追いかけるように走った。

 『母神の息吹(ダヌー)』を駆使して少しでも楽になるよう施すもそう連続で使える代物でもないらしい。効果・頻度共に制限は多い。


 しばらく走ると、窪地でグリムと同様ザガンの飛んだ方へ走る者の姿が見えた。片腕を抑えながら足を引きずるような走り方を見れば穏やかでないことは明瞭だ。

 それでも足を止めることなく動く男の正体は、


「町長! 済まんが俺は先に奴を追わせてもらう! 一刻も早く奴を追い込まねばならないので!」


「グリム氏、貴殿のその口調は_____と、そんなことより私のことは気にせず行ってくれ! どうか、この街を守ってくれ!」


 都市アンスターのリーダーは涙を浮かべて懇願した。その藁にもすがる彼の表情を見てしまっては断れるはずもない。

 だから、グリムは深く頷いた。

 守りたいものがあるのは何もグリムだけじゃない。それが強く表れたいま、走る足に更なる力がこもる。


 その後すぐ、吹き飛んだ男の姿が視界に入る。


「まさか、悠長にそうやって座りながら待ってるとは思わなんだ」


「いやだってオメェさぁ、最初はビビり散らかしたが実際どうだ。何のダメージも無ぇぞ?」


「あ? そうかよ、これならイケると俺は考えてたんだが」


「これならイケるって………たはッ、ハハハハハハッ! 悪い悪いつい笑っちまったよ。オメェが微かながらに希望を持ってるのは分かってたが、よもやここまで都合よく考えてたなんてなぁ。じゃあ、もう一回飛ばしてみるか? アトラクション気分で爽快だったぜありゃあ」


 身体がピクリと反応させ、ザガンを睨む眼力が凄みを増した。せっかくのチャンスがノーダメージで終わり、敵にすら大笑いされてしまっては仕方もないことのようだが、


「いいのか?」


「いいのかってオメェ、無駄だってまだわかってねえんかよ。何度も何度も面倒なんだよなぁ。結局愚か者だったってオチだな」


 ザガンは立ち上がって自身の腹を無防備に晒す。ここを蹴ってみて下さいと言う堂々としたメッセージだ。

 グリムはもはや表情を一切変えることなく真剣そのもので余裕ぶる敵に接近する。


「いいか、さっきと同じことをしろ。少しでも違う行動しようってんなら即刻殺す。もう容赦はねぇと思えよ弱者が」


「……俺が今いいのか?と聞いたのは『もう一度やっていいのか?』と言う意味もあるが、『()()()()()()()()()()()()()()()()?』の意味でもある。それでも、いいんだな?」


「はあ?」


「じゃあお望み通り同じ技を叩き込んでやるぜ、このクソったれ破壊狂野郎がぁッ! 『猛神の暴風(ボレアース)』ッ!」


 グリムの咆哮が空気を震わすと同時、脚が敵腹部に突き立てられる。

 刹那の無音状態が過ぎ去ったかと思えばすぐ暴風の音が鮮烈に耳へ届くのも先程と同じ。そして気付いたときにはもう、男は突風に乗せられ宙を割くように進んでいた。



==============



 ザガンが血を風に変換して華麗に着陸すると、そこは見覚えのある場所だった。

 先程よりも明らかに目線が高く、ある程度街の惨状が見渡せるこの景色。そして強く目を引くのは背後に聳え立つ荘厳な扉と壁。


「なるほど、ここは最初に俺が来たところッつう訳だ」


 原点回帰と言えば仰々しいが、一度はここで大差をつけて心を挫かせた場所。ならばここで再び大敗の二文字を叩きつけるのも悪くないなとザガンは企てる。

 もうこの時点で彼の達成感は満ち満ちていた。


「だがよぉ、あいつは一体どこから来る?」


 そう、通称『禁忌の門』があるこの場所は高さ数メートルある体育館のステージのようなもの。

 左右に階段が伸びた階段から来るかも知れないし、もしかしたら死角を利用して正面からジャンプして突進してくるかも分からない。


( どっから来ようが竜巻で蹴散らす。それは確定事項だ )


 重心をやや落として意識を研ぎ澄ませる。

 だが、なかなかグリムが姿を見せない。足音すら鳴らず、何だか嫌な時間がただただ流れ続けていた。

 こんな時ほど雑念が湧いてきやすいが、ザガンもまさに様々な思考が浮かび上がってきていた。


( あの弱者風情(ふぜい)に負けるなんだあり得ねえ話だが、それにしてもさっきの台詞と顔、アレは何かある時のそれだ )


 何か、彼の脳内で何かが判りかけてきた。

 更に時を遡れば怪しい言葉が刻み刻みに露呈していたことにも気付く。


( そうだ、そうなんだよ。確か奴ぁ「離れた」だとか「接近させる」だとか、やけに距離を気にしていやがった。俺を飛ばすだけなのに敢えて「接近させていいのか」なんて聞くはず無ぇんだ。いや、ならなんなんだ。何が狙いで____ )


 グルグルと謎が謎を呼んでは状況を複雑にしていく。

 そうやって思考の檻に囚われた時、それは来た。


「さて、そろそろ俺の意味深な言葉を怪しみだしている頃かな、ザガンッ!!」


「_______ッ!」


 グリム・ベムが今、数メートルという高さを飛び退けて目の前から迫る。正真正銘、これが最終場面だ。

 当然、ここでグリムが取る選択肢は直進のみ。


「俺の反応が遅れるのを狙って来たか! だが十分間に合う! 街ごと削りとってくれる!」


「馬鹿め、貴様は既に血を大量に使いすぎた。折角の水も全て攻撃に費やした! だから俺に対して放てる竜巻ってのも小規模でしか放てないはず!」


「それでもオメェを潰すのに問題はねえさ。消えなッ!」


 体重移動を駆使して拳の勢いを増し、突き放つ!

 指摘通り街一角を滅ぼすだけの威力は無かったが、しかし人の身で防げるような脆い風ではない。

 すぐ先の未来でザガンの瞳に映るのは四肢をひしゃげ体躯が異形となる瞬間となるだろう。

 だが、グリムは止まらなかった。


「いいや消えないね。たった一つ、その程度の暴風なら防げる手段を閃いた!『血界(ザガン)』ッ!」


「な、にぃ?!」


 彼が見せたのはまるでザガンの能力と同じものだった。

 腕に血管を思わせる赤い線が走ると拳をザガンと同様突き出す。たったそれだけで全く同じの小竜巻が発生し、二つの暴風がぶつかっては相殺されたのだ。


「おいおいおい嘘だろ、俺の『血界』を使っただとおい! ならオメェの体内の血液も消えてなくなるぞ!」


「問題ない。俺は貴様に勝利した後、自分で水を発生させればいいだけだからな!」


 そしてようやく、グリムがザガンの懐にまで接近した。


()()()()


 小さく呟かれると同時に再度グリムの脚がザガンに向けられる。この構えの後に起こることと言えばひとつだけ。

 そう、


「3度目の『猛神の暴風(ボレアース)』ゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥッッ!!」


「なるほどオメェの意図がようやくわかったぞああああああああああああああああああああああッ!」


 例の如くザガンは超速で風に運ばれ『禁忌の門』を通過し、そのまま裏世界への入り口まで飛ばされていく。

 グリムが選んだ勝利方法とは、彼の細剣が教えてくれた勝利方法とはまさにこの、敵を向こうの世界に帰してやることだったのである。


「おおおおおおおおお!!!!」


 男はあっという間に小さな要塞の小さな穴に到達し、勢いそのままで穴に落ちそうになるもギリギリ、腕を伸ばして落下を免れる。

 だがもう男に戦意は残っていなかった。


「斃すことだけが勝利じゃない、か。つまらんがしてやられたのは俺だ、負けを認めるぜ弱者」


 ふぅ、と脱力しながら侵略者ザガンは指を離し、


「任務失敗。帰って水を補給させてもらうとするぜ______ 」


 深く暗い深淵の先まで落ちて消えていった。




_________一方、見事に敵を追い払ったグリムは、




「かはッ、ぐぁ…………か、これはぁ、まずぃ、な」


 胸部と腹部に穴が空き、それによる出血や呼吸器系の破損に苦しんでいた。

 ザガンの最後の足掻きだ。

 敵は飛ばされると同時、デコピン空気弾を撃ち込んでグリムを貫いていた。蓄積した疲労とダメージで細剣の力を使おうにも身体が麻痺して動かない。


( 嗚呼、視界が霞んできた……私の人生、ここまで、か )


 血溜まりが着々と背中を温めるのに対して風が全身を冷やすようなのが心地よい。だがそんな感覚も直に無くなるだろう。

 後は光も感覚も失って残るのは音だけか。


「こ、これは。おいグリム氏、聞こえるか!」


「この、声は_______町長________ですか」


「ーきろ! ーい! ーーーーーーーーーーー?!」


 駆けつけてやって来た町長カイの叫び声すらも消失してしまったようだ。彼が何を言っているのか、何をしようとしているのかも分かることはない。

 光・音・感覚を失い、残されているのは微かな思考のみ。

 生は衰弱するばかりで、そして、



 遂に、「王の罅(アル・ツァーイ)」の政務担当員グリムは静かに眠った。



皆さま、お疲れ様です!


前回「15000字行きそうだから2話構成にします!」と言ったにも関わらず今回13000字弱になってしまいましたことをまず謝罪します、はい。


かくかくしかじかですが、また次回とご評価の程よろしくお願いします!

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