Ep7-23 月と銃声
リヴィオが放った術式にさらされてユナの瞳が焦点を失う。
漣も同じ光と音を浴びて足元に無数の死者の手が伸びだす幻視を見たが、それらは影のように薄く実態がなく、漣の行動には影響を与えなかった。パクパクと動く死者の幻影の口からも言葉が発せられることはなく、ただ煩わしいだけの映像に過ぎなかった。
「やっぱりね」
リヴィオが覚めた表情で漣を見る。
「君はやっぱり人と違うね」
計算ずくの会話ではあっても多少はやり取りに楽しみを感じていたリヴィオの表情が冷たく無表情なものに代わっていた。
「……」
「東洋には魂魄という概念があるんだね。最近知ったよ。ボクの窮状を助けるのに有用なブレークスルーになった」
リヴィオが何かを思い出して楽し気な表情を浮かべる。が、すぐに無表情に戻った。
「『オルフェウスの鍵盤』の術式を解析していてわかったことがある。この術式は被術者の魄から強い相互作用を受けた相手の記憶を呼び覚ますんだよ。旧日本陸軍は術式の開発にあたって作用する相手を被術者の死という意識に結びついたものに限定するようチューニングしていたんだ。だから君のところの元傭兵にはとてもよく効いたし、あの純朴な新人君にはまるで影響しなかった。だけど君に効かないのは理論上ありえない。君ほどの修羅場をくぐった人間が、自分が手を下さなかったとしても死と結びつく強烈な記憶を持たないはずがない。なのにこの術式が効かないとしたら、その理由はひとつしか思い浮かばないんだ」
リヴィオの瞳が鋭い光を帯びる。
「君の魄は君自身のものじゃない。借りものだね?君の魂がしてきた経験を君の魄、すなわちその肉体は経験してきていない。魄の中に記憶がないから『オルフェウスの鍵盤』でも死者を呼び出せないんだ」
「……」
「君は何者なんだい?
君がどこか人を人と考えていない部分があることは君の言動の詳細な分析から判明している。
はじめはボクと同じ人類を超越した存在であり、人類を愚かな猿としか見ていないからだと思っていた。
だけど違うね?
君は人類を下に見ているけれど、ボクのような同族嫌悪を持ち合わせていない。
次元の異なるレベルで人類と隔絶しているんだ。
君は何者だ?」
漣に語るべき言葉はなかった。
ただひとつ、OZのリーダーは排除する必要がある。でないと将来漣の使命にとって大きな障害になりかねない。そのことが判明した。
「ボクはボクの目的のためには手段は選ばない。だけど選べる範囲ではできるだけ人を殺さないようにと心がけているんだよ。だってそのほうがボクの家族たちが喜ぶからね。だけど君は人じゃないからカウントに入らないよね。君がいてもボクは必ず目的を達成するけど、君がいないほうがいろいろとはかどるんだ。だから消えてもらうよ」
リヴィオが改めて銃口の狙いを定める。
術式の影響から戻ったユナの目に、漣に銃口を向けるリヴィオの姿が映る。
「――だから消えてもらうよ」
リヴィオの冷酷な言葉にユナは反射的に銃口を向ける。
「だめよ、リヴィオ、殺さないで」
「……ほらね。ユナは優しいから誰も傷つけたがらないんだ。ボクは家族には傷ついてほしくない。だからユナの言葉を受け入れよう」
ユナの言葉にリヴィオが安心させるような表情を向けて優しく語りかける。
「けどね、ユナ。彼は撃っても死なないよ。だから大丈夫なんだ」
「何を言っているの?リヴィオ……」
施設にいたころ、頭のいいリヴィオはよくこういう矛盾した言葉遊びでユナをからかった。だけどその言葉はいつも嘘ではなくて、巧妙な叙述トリックに隠された真実を語っていた。『オルフェウスの鍵盤』により懐かしい空気を呼び起こされていたユナはリヴィオの言葉を否定できずに心を惑わされる。
「それでも彼を傷つけたくないのなら、ボクといっしょに来て。ユナ。ボクが本当に欲しいのは君だけなんだ」
「……いまさら?」
戸惑い乱れるユナが絞り出せた言葉はそれだけった。
「ようやく準備が整ったんだ。淋しい想いをさせてごめんね」
「あなたはいつもそう。自分優先で、いつも自分だけが理解して先に行ってしまう……追いかけたって絶対待ってくれないんだわ」
「そんなことはないよ。あのときだって、ボクはユナを守った」
「でも勝手に行ってしまった。いっしょに逃げようって、みんなで行くんだって言ってたのに……」
「その点は謝るよ。ボクにしては時間がかかってしまって。けど、ようやく準備ができた。今度こそみんなで行こう。ユナ」
「みんなって……。もうセドリック兄さんは……」
「ボクは言ったよ。みんなで、って」
「……そんなの……ありえない……」
ユナの拳銃を支える腕がガタガタと震える。
限界だった。
ユナの限界を見て取った漣がそっと腕のコンソールを操作して秘匿回線に告げる。
『ショー、実行しろ』
漣の声が1.6キロメートル離れたショーのインカムから発せられる。
すでに狙いをつけていたショーの指が最速の反射速度で引き金を引く。
撃鉄に叩かれたライフルの弾は音速を越える推進力を得て約3秒後にリヴィオの頭部を粉砕した。
リヴィオが小さく安心させるようにうなずくのが見えた。
心を乱され迷うユナの瞳がすがるように漣に向けられる。
その場の情景を精密機械のように見分していた漣の視線から一瞬、こちらに向けた意識が途切れたように感じられた。
漣の右手が左の腕を撫でるようにわずかに動く。
それらの動作が一瞬にしてユナの脳内で結びつき、ある単語を想起させるシナプスが発火する。
狙撃
「だめよ、漣、待って、止めてっ!」
漣を止めようとしたユナの銃口が反射的に漣の胸に向けられる。
次の瞬間、リヴィオの頭部が目の前でスイカのように弾けた。
ほんの数秒の間に立て続けに起きた異常事態がユナの処理能力を超えて脳をかき乱す。
オーバーフローしたユナの脳に、それらの出来事の1.6秒後、ショーの放ったライフルの銃声が遅れて届いた。
フリーズしていた脳は銃声に本能的な脅威を感じ取り、訓練した反射神経がユナの体を自動的に動かす。
引き金にかかった指が収縮し、拳銃の薬室から弾丸が射出される。
弾丸が向かった先は自分の家族を殺した相手、漣の胸だった。
パァァァン
軽い銃声が高さ45mの海上に響き渡る。
「あ、あ、あ、」
蒼白な顔でユナが拳銃を取り落とす。
カラン、カランと二度、非常階段のステップにぶつかる金属音が響く。
長い沈黙のあと、遠くからカシャンと金属が砕ける音が小さく鳴った。
「だいじょうぶ、だ。ユナ……」
胸を押さえるようにしてうずくまっていた漣が顔を上げてユナに声をかける。銃弾は命中したがプロテクティブ・スーツの防弾機能により弾丸の貫通は防いだようだ。
「漣、あたし……」
駆け寄ろうとして宙吊りのコンテナと非常階段の踊り場との間に開いた暗い空間に阻まれたユナが、手すりから乗り出すようにして漣を見る。
「むぅ?」
安堵した感情をさらに揺さぶるように漣が胸を押さえて仰向けに倒れこむ。
胸部の弾丸の命中したあたりが黒く変色している。変色はゆっくりと広がっていた。漣の苦しむ様子を見る限り、異変は表面だけでなく、漣の体の奥へも広がっているようだ。
「漣!漣っ!」
絶叫するユナをなだめたのは予想外の声だった。
「大丈夫だよ、ユナ。アレは人間じゃない」
「何を言って……あなたは、きゃあああああああ」
混乱するユナに歩み寄り、手を差し伸べたのは頭部が弾けるように裂けたリヴィオだった。度重なる衝撃的な光景にユナの忍耐はついに意識を手放し、優しくて暗い忘却の彼方へと押しやった。
「おっと」
コンテナから非常階段へ飛び移り、崩れ落ちるユナを支えたリヴィオの頭部が時間とともに再生していく。よく見ると空中に雲霞のような群れが飛んでおり、それらが少しずつかけた部分を再構成して形を整えていった。三十秒ほどでリヴィオはもとの姿を取り戻した。
「おまえは、一体……」
「いやだなあ。君みたいな人外じゃないよ」
ユナを横抱きにしたままリヴィオがカラカラと笑う。
「この体はミリマシンでできたドローンの群体なんだ。あ、もちろん本体は安全なところにいるよ」
立てた人差し指がぼやけて霧散し、リヴィオの頭上を飛び回って再び指に収束する。
「ナノマシンだと小さすぎてパワーが出ないけど、ミリサイズのドローンなら集まれば人間と同じくらいの出力は出せるんだよ。製造技術はあったけれど動力と通信回路をこのサイズに押し込むのが難しくてね。でも『天使の灰』の術式を解析してブレークスルーしたのさ。まったく、量子結晶回路ってチートだよね。通信の遅延問題と動力の無線化を一挙に解決できるんだから」
だが、問いかけた漣はすでに呼吸もままならず虫の息だった。黒く石化した部分は心臓を覆い肺の大部分に達している。漣は最後の気力を振り絞ってポーチからブルーのアンプルを取り出し、長い針をセットして胸の中心に突き刺した。
「あれ?どうやら『天使の灰』を無力化する方法を用意していたようだね。まあ、君の立場なら当然か。あの術式の怖さを身をもって知ったんだから対策を立てないはずがないよね」
くすくすと笑う。
「心配はしてなかったけれど、やっぱり君はその程度では死なないようだね。安心してよ。ユナには無事だったって伝えておくから」
甲高い風切り音が近づいてきて大型のマルチコプターがガントリークレーンの非常階段脇に横付けされる。
リヴィオはユナを抱いたまま器用に飛行ドローンの上に飛び乗った。
「じゃあ。ね」
ユナを連れ去っていくドローンを、皆既月食の赤い月が見おろしていた。
エピソード「月と銃声」はここまでで完結です。
次はいよいよアーバン・レイアースシリーズの完結編へ突入です。
……でもちょっと執筆に時間がかかるかも。
乞うご期待!




