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Ep7-1 月隠《つきごもり》

 一週間前 アメリカ東海岸上空


 マクギー・タイソン空港へと向かう旅客機の中で紫月ユナが少し乱れたアシンメトリーボブの髪をかき上げる。

『では、皆さん。素敵な一夜をありがとう。子供はもう寝ますね。おやすみなさい』

 無邪気な声音《こわね》に悪意を潜ませたボーイソプラノが耳元のイヤホンから響く。

 案件コードナンバー0136:≪天使の遺灰≫のミッションの際に回収したOZのリーダーの音声だ。英太からの情報で、彼はリヴィオと名乗ったことが分かっていた。

『おや、よくいうでしょう?レイドっていうのは事前の情報収集が重要なんです。十分な準備を整えた者が勝つ。レイドは始まる前から勝者が決まっているのですよ』

 今まで正体不明だったドローンを操る新進気鋭のレイダース。そのリーダーの肉声を入手してから、ユナはもう何百回となくその声を再生している。この長いフライトの中でさえ数えきれないほど再生を繰り返していた。ほんのわずかな音声データにユナは憑りつかれるように聞き入っていた。

『では、皆さん。素敵な一夜をありがとう。子供はもう寝ますね。おやすみなさい』

「リヴィオ……あなたなの?生きているなら、なぜ連絡をよこさないの?」

 音声の主が本当にユナの知るリヴィオなら、私がたとえ極東の島国に潜んでいても見つけ出せないはずがない。

 それとも、知っていて私に接触してこなかったのかしら。

 彼に見限られたのかもしれない。私はいつもお荷物だったから……。

 昏い記憶が心にのしかかってくる。

 だが、あれから八年が経っている。男性なら第二次性徴を終えて声変りをしているはずだった。

 OZが身元を隠すために合成したよくある天使の歌声のイメージだったのかもしれない。音声データに残る声は地下礼拝堂のドームに反響して割れていた。確信を持つにはノイズが多すぎる。

 それにユナの記憶に残るリヴィオの声は母国語だ。音声データの流暢な日本語とネイティブな米国語では違って聞こえるはず。

 だけど……

 鈴を鳴らすような美しいボーイソプラノが紡ぎだす人を小ばかにしたような言い回しは理屈を超えてユナの心に一人の少年の笑顔を思い浮かばせる。

 施設で家族のように育ち、いつも一緒にいて私を守ってくれていた二人の兄のような存在。最年長のリーダーとして、家長のように仲間を導き守ってくれたセドリック。その隣で少し斜に構えた言動で大人たちを煙に巻くようにして翻弄していたリヴィオ。私はいつも二人の後ろに隠れてシャツの裾をつまむようにしてくっついて歩いてた。そんな彼の声を聞き間違うはずがない。

 確信と疑念に揺れ動く心を制御できないまま、ユナは真実を確かめるために自己のルーツを訪ねることにしたのだった。


 旅客機の窓からはどこまでも続く深い緑の絨毯が広がっている。やがて大陸を覆う絨毯の裾に寄ったしわのように何本も並行して走る丘陵の連なりが現れた。

 アパラチア山脈だ。

 山襞の間の広大な森の中に隔離するようにぽつりぽつりと孤立した区画が存在している。それぞれのエリアをつなぐ道路はこの高さからだと鬱蒼と茂る木々のトンネルに隠されて見えない。

 北側の比較的開けた地域には、気味が悪いくらい細胞小器官に似た模様が広がっている。

 緩やかにカーブする車道とその左右に等間隔に並ぶ粒状の住宅の群れが粗面小胞体のように幾重にも街を取り囲む。少し離れた場所にある広大な駐車場を備えた商業施設はミトコンドリアやゴルジ体だ。上空から見える細胞模様の中では、目に見えない小さな人間たちがせわしなく動き回って生の営みを織りなしている。

 第二次大戦期に突如として作られた研究都市。それがこの街の正体だった。そしてユナが育った故郷でもある。

 だが空から見た景色も、空港から走らせるレンタカーのフロントガラス越しの風景も、ユナの心には響かなかった。この街で過ごした十年は『施設』から一歩も出ることもなく、街の景色どころか地域のコミュニティとのふれ合いすら経験したことがなかったのだから。

 この街を車で走ったのは脱出したときの一度きりだ。

 たった一度の機会も、追手に見つからないようにシートに深く身をひそめていたから車窓からの風景など一切記憶にない。ここは故郷であり、見知らぬ異国の街だった。

「OZのリヴィオ……。あなたは私の知るリヴィオなの?それともただの偶然の一致?」

 ここに来るまでの千百キロメートルの道中の間、ずっとユナの脳裏を駆け巡っている疑問が唇からこぼれる。

 八年前のあの日、命がけの逃走中にも崩れなかったあの自信に満ち大人たちを見下したような声が耳に木霊する。


『ああ、もう、仕方ないな。ユナは先に行って。ボクはちょっと連中をからかってくるよ』


 現地に到着してからの二日間、ユナは思い出せる限りの記憶の断片から可能性のある地点を割り出し片っ端から当たった。だが、当時家族ともいえる仲間たちと過ごした施設は影も形もなかった。わずかにここかと思われた場所もフェンスに覆われた更地になっていた。政府のデータベースにハッキングまがいのアタックをかけて情報を漁ったが施設の実在を示す断片にすら行き当たらず、かえって謎が深まった結果となった。

「セドリック兄さん……。教えて。彼は、リヴィオは生きているの?それとも兄さんのそばにいるの?」

 更地を隔てるフェンスに掛けた指がギシッときしんだ音を立てた。

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